キュレーターズノート

虎 変容するものたち──「ホー・ツーニェン 百鬼夜行」

能勢陽子(豊田市美術館)

2021年12月01日号

各時代には固有の、いま生きている社会とは異なる、掴み切れない空気や風がある。文化も歴史もゆっくりとしたアニメーションのように時々刻々と移り変わっているから、現代と地続きであるはずでも、時を隔てて振り返ると、当時の風はすっかりどこかにいってしまっている。

逆行する妖怪たち

企画を行なったホー・ツーニェンの「百鬼夜行」展が、10月23日に始まった。本作では、背景が山を越え、道をゆき、川や海を渡るうちに、どこか懐かしい家並みを過ぎ、ついには高層ビルの立ち並ぶ都市にいたる。過去から未来につながる時空間は、右から左へと絵巻物のようにひと連なりになっている。しかしそこに登場する妖怪たちは、その歴史的時空間に逆行するかのように、左から右に向かって行進する。そこには、第二次世界大戦中に「マレーの虎」と呼ばれた二人の日本人──シンガポールを陥落に導いた第25軍司令官の山下奉文ともゆき将軍と、60年代の人気ヒーロー番組「怪傑ハリマオ」の実在のモデルであり、のちに陸軍の諜報活動に携わった谷豊も加わっている。さらに二人の「マレーの虎」の周囲で暗躍した軍人やスパイ、当時の宗教家が、ともに歩んでいる。妖怪や戦中に実在した人物たちは、直線的に進む歴史的な時空間に囚われることなく、何度も繰り返し現われてくる。


ホー・ツーニェン《百鬼夜行》(2021)©️Ho Tzu Nyen[Photo: Tololo Studio]


手前の小さなスクリーンには、病床の源頼光から居眠りする高校生、酔っ払って路上で眠り込むサラリーマン、そして宙に浮かんだ少女まで、過去から現在、そして未来にいたるまでの、眠る日本人の姿が映し出される。妖怪たちの「百鬼夜行」は、日本人の集合的な夢が紡ぎ出す世界なのだろう。そう遠くない過去に、まるで無意識の欲望や恐怖が現実世界に溢れ出し、全体が魔に魅入られたかのような戦争の時代があった。しかしもしそこに身を置いたとしたら、私たちはどうなるだろう。妖怪や軍人たちは、時間、そして日常と非日常の境界をやすやすと越えて、繰り返し目の前に現われてくる。


ホー・ツーニェン《百鬼夜行》(2021)©️Ho Tzu Nyen[Photo: Tololo Studio]


妖怪と近代・戦争

改めて、妖怪と戦争とは奇妙な取り合わせだと思われるかもしれない。しかし妖怪は、戦争の時代といわれる近代を含んだ、日本の大衆の恐怖や欲望にまつわる精神史を映し出す。それまで畏怖の対象として人々の生活とともにあった妖怪は、明治に入り日本が西欧に並ぶ近代的国民国家を目指すようになると、古い迷妄の世界に属するものとして、徹底的に退けられるようになった。柳田國男は「妖怪は零落した神である」といったが、妖怪たちはまさに近代以降、人々がその存在を信じなくなるにつれ、徐々にこの現実世界から姿を消していった。そして、地域ごとの生活や信仰に根ざした多様な妖怪たちは、ひとつの信仰体系に呑み込まれていく。そこに、近代的合理主義を目指そうとする頭と、多様な土着の力が集合した身体を持つ怪物が生まれた。妖怪は決して消えてしまったわけではなく、理性が作用しない身体の方に潜り込んだのだった。昭和後期に近づく1970-80年代には、妖怪は水木しげるの漫画とアニメにより再び人気を博し、消費の時代にふさわしく、親しみも感じさせるキャラクターになった。そして「妖怪ブーム」といわれる現代、妖怪はいまや漫画やアニメのイマジネーションの領域で、かつてないほど活き活きと跳梁跋扈している。近代化を遂げることは、怪異を駆逐することと同義のようにも思える。しかし過去から現在にいたるまで、妖怪たちは、影に日向に、日本の自由闊達で荒唐無稽な想像力の受け皿であり続けている。見ることができない不可視の存在は、危険だから「見ないようにしているもの」の存在に気付かせる。怪異を知ることは、私たち自身を知ることでもある。


ホー・ツーニェン《百鬼夜行》(2021)©️Ho Tzu Nyen[Photo: Tololo Studio]



一人もしくは二人のスパイ

百鬼夜行の後には、妖怪たちに混ざって行進していたスパイたちについての、より詳細な映像作品が展開する。「マレーの虎」のひとり、谷豊は、日本軍のシンガポール攻略を前に、マレーの土地勘を活かして英軍を後方で撹乱する諜報員になった。「ハリマオ作戦」と称し、プロパガンダと謀略の目的で谷を軍に勧誘した特務機関の「F機関」には、陸軍中野学校の卒業生6人が配属されていた。これらのスパイたちは、百鬼夜行の行進のなかで、谷はもうひとりの「マレーの虎」、山下奉文大将とともに人虎になり、多くの中野学校出身のスパイたちはのっぺらぼうになる。素性を偽って敵国に潜入するスパイは、どの時代や国、文化にも合わせて自らを変容することができる、流動的な器である。しばしば、個や秩序は欧米に、集団性や混沌はアジアに属すると語られるが、その意味ではスパイはアジア的といえる。しかし、アジアのなかで唯一欧米に並んで他国を植民地にした日本では、スパイはさらに特殊なあり方をした。


ホー・ツーニェン《百鬼夜行》(2021)©️Ho Tzu Nyen[Photo: Tololo Studio]


武士道精神を受け継いだ日本の軍隊は、諜報活動を卑怯なものとみなしていたため、日本における諜報員の養成とその技術は列強に比べて遅れていたという。そこで軍は、諜報員養成のための陸軍中野学校を設立し、「謀略は誠なり、、、、、、」という精神を掲げた。谷豊を軍の諜報活動に勧誘した「F機関」の「F」は、機関長の藤原岩市、アジアの民の「フリーダム」、そしてアジアの人々との「フレンドシップ」から採られている。ここには、ホーが本展に先立つ日本に関わる二つのプロジェクトで扱った、京都学派における「アポリア」と同じ構造が透けて見えてくる。それは、「大東亜戦争は、植民地侵略戦争であると同時に、対帝国主義の戦争であった」という、決して解きほぐすことのできない両義性である。その背後には、アジアで最初に西洋型の近代化を遂げた日本が、さらに進んでその資本主義的矛盾を乗り越えるのだという歴史感覚が貼り付いていた。しかし、京都学派の語る新たな世界の可能性とアジア各国での戦場の現実は、恐ろしく乖離したものであった。中野学校の理念からも同様に、世界における日本の役割を過剰に読み込こんだ特異な自負が窺われる。戦争の残酷とは裏腹の道義心は、京都学派によって醸成されたものではなく、この時代の日本がまとっていた独特の空気であった。中野学校が育てた諜報員は、京都学派の基本概念である「無」にも呼応する、高い道徳心が残虐性にも反転しうる、空虚を抱えた「のっぺらぼう」だったのかもしれない。


日本のそしてアジアの虎

最後に、これまで繰り返し登場してきた二人の「マレーの虎」を中心に、虎の物語が展開する。アジアの広域にわたって生息していた虎は、しばしばアジアの象徴として扱われる。しかし同じアジアといえども日本には虎が生存していなかったため、日本の虎の表象は空想のなかで独自に展開してきた。作中には、13世紀に中国から伝わった牧谿の《龍虎図》に始まり、伊藤若冲の《猛虎図》(1755)、その若冲が模した伝・李公麟のち朝鮮民画とされた《猛虎図》(1575)や、葛飾北斎の絶筆《雪中虎図》(1849)など、鎌倉から江戸末期にかけて変遷した虎の図像が展開する。マレーシアの影絵芝居のように体の関節を動かしながら変容する虎は、アジアの文化伝播を通して日本で生まれた “キメラ(異質なものの融合)”である。


ホー・ツーニェン《百鬼夜行》(2021)©️Ho Tzu Nyen[Photo: Tololo Studio]


オランダ船がマレー半島で捕らえた虎が1861年に江戸で興行されるまで、日本の大衆が本物の虎を目にする機会はなかった。しかし、日本人が本物の虎を目にする機会が増えたということは、世界中で虎が近代的な装備により狩られていくことを意味していた。作中では、実業家の山本唯三郎や「虎狩りの将軍」と呼ばれた尾張徳川家第19代当主・徳川義親の虎狩りが紹介される。のちの1942年、義親は日本が統治したシンガポールで最高軍政顧問となり、「ラッフルズ博物館・植物園」から改名された「昭南博物館・植物園」の館長にもなった。ここで「虎狩りの殿様」と「マレーの虎」の山下奉文大将は、同じ歴史的時空間に存在することになる。

日本が国境線を越えて他国に進出するようになると、山下大将と谷豊が、アジア的強さの象徴である「虎」の名で呼ばれるようになった。この二人の「マレーの虎」は、戦争の時代に悲劇的な最期を遂げることになる。山下は、自らが関知していなかった部下の犯した罪の責任を負わされ、1946年にフィリピンで死刑を執行された。また、日本人であるよりマレーのイスラム教徒としてのアイデンティティを選び取っていたはずの谷は、諜報活動中のジャングルでマラリアに罹り、シンガポール陥落直後に命を落とした。この二人の「マレーの虎」は、実際には顔を合わせたことはないが、作中では悠々と座る山下大将の前に谷が静かに立つ場面が挿入されている。そして、千人針に縫い込まれたさまざまな虎の図像も変容していく。「虎は千里行って千里帰る」──しかしこの二人の「マレーの虎」は、戻ってくることがなかった。

その後虎たちは、史実から物語へと跳躍しながら、戦後の日本に繰り返し姿を変えて現われる。日本は戦後、武力ではなく経済力でアジアに進出していった。虎たちの姿は、消費の欲望のなかで変遷する、空想と混沌の入り混じる幻影としての姿を見せる。それは、日本の戦争に対する精神的・時間的な距離を示してもいる。グローバル化が加速度的に進むなか、「日本」や「アジア」というものは、より曖昧になっていくだろう。これから日本の、そしてアジアの虎は、既知と未知の揺れる間でどのような姿を見せるだろうか。


ホー・ツーニェン《百鬼夜行》(2021)©️Ho Tzu Nyen[Photo: Tololo Studio]



旅館アポリア

12月4日からは、あいちトリエンナーレ2019の出品作であり、豊田市内の旧旅館・喜楽亭を舞台にした《旅館アポリア》の再展示が始まる。本作の登場人物は、前述の京都学派の哲学者たち、ここに宿泊した神風特別攻撃隊の草薙隊、そして宣伝部隊として南洋に派遣された映画監督の小津安二郎や漫画家の横山隆一といった文化人である。「旅館アポリア」は、秘められた歴史を呼び覚ます舞台となり、悲劇的な時代を過ごした人々の間に吹いていた時代の風を蘇らせる。過去の史実は、フィクションと絡み合いながら、幽霊のように私たちの前に立ち現われる。《百鬼夜行》に登場する家鳴りやのっぺらぼうといった妖怪たちは、《旅館アポリア》でのストーリーともつながっていく。この機に、豊田市でホー・ツーニェンの二つの展覧会をぜひ観てほしい。


ホー・ツーニェン《旅館アポリア》(2019)[Photo: Tololo Studio] This work was supported by Aichi Triennale 2019


ホー・ツーニェン《旅館アポリア》(2019)[Photo: Tololo Studio] This work was supported by Aichi Triennale 2019




ホー・ツーニェン 百鬼夜行

会期:2021年10月23日(土)~2022年1月23日(日)
会場:豊田市美術館(愛知県豊田市小坂本町8-5-1)
公式サイト:https://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/tsu/

[同時開催企画]ホー・ツーニェン《旅館アポリア》

会期:2021年12月4日(土)〜2022年1月23日(日)
会場:喜楽亭(愛知県豊田市小坂本町1-25/豊田産業文化センター内)
※美術館と喜楽亭の間は徒歩15分


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