2022年05月15日号
次回6月1日更新予定

キュレーターズノート

アートを学ぶ、アートで学ぶ──「あいち2022」と「クリクラボ」がひらくオルタナティブ・エデュケーション

会田大也(ミュージアムエデュケーター/山口情報芸術センター[YCAM]アーティスティックディレクター)

2022年01月15日号

2022年をほどよい緊張とともに迎えることができた。今年は筆者がキュレーター(ラーニング)を務める国際芸術祭「あいち2022」の開催年でもある。また、来年には開館20周年を迎えるYCAMでも、アニバーサリーイヤーに向けての準備が本格化していくだろう。


YCAMで開催されている、セラムによる展覧会「クリクラボ」において実施された「理想の学校ワークショップ」様子
[撮影:塩見浩介 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]

国際芸術祭「あいち2022」ラーニング・プログラム


本年は、3年に一度の国際芸術祭「あいち2022」が開かれる。前回の「あいちトリエンナーレ2019」から引き続き、筆者はラーニング部門のキュレーターという立場で関わることになるが、今回はもう一名、アーティストの山本高之もアサインされている。これまで多くの教育的観点を伴った作品やプロジェクトを手がけてきた山本氏が加わることで、アーティストならではの視点を盛り込んだ活動が展開できるだろう。計画は近藤令子、野田智子、雨森信のコーディネーター3名を加えた5名のラーニングチームで行なう。各プログラムの意味付けやバランスの取り方/抜き方等、制作プロセスそのものも刺激的な過程である。ここでは現在発表されているラーニング・プログラムを中心に、その概要を説明していきたい。

「あいち2022」全体のプログラム編成は下記にようになっており、ラーニングは太字部分にあたる。


国際芸術祭「あいち2022」STILL ALIVE
○現代美術
○パフォーミングアーツ
○ラーニング
 [参加プログラム]
  ・アーティストによる美術史講座
  ・『芸術祭』をひも解く:近代化と万博─オリンピック─芸術祭
  ・愛知と世界を知るためのリサーチ
  ・knowing me, knowing you 世界のアートの知の技法:
   オルタナティブなアートスクール/ラーニング・プログラムのリサーチ
 [スクール・プログラム]
 [ボランティア・プログラム]

○連携事業
○オンライン展開


ラーニングの中心は応募が可能な「参加プログラム」で、ほかに学校・教育機関向けの「スクール・プログラム」、ボランティア登録をして参加する「ボランティア・プログラム」がある。「参加プログラム」では、プレイベントとして2021年度中から内容を充実させた4つのプログラムが進行している。各プログラムについては、ラーニング・プログラムのコンセプトを起点とし、具体的な計画を各協力者ら(アーティスト、参加者、コーディネーター)とともにアイデアを練りながら、周辺知識の単なる伝達とは異なる、芸術祭を多層的・多角的な視点から味わうための準備運動のような活動が進行している。

「美術史」「国際芸術祭」を捉えなおす

参加プログラムのひとつめである「アーティストによる美術史講座」は、まずそのタイトルが気になる読者もいるだろう。さまざまな表現とその繋がりを描くのが美術史であるが、それが「誰によって書かれたか」を気にする視点も重要だ。実際大学の授業で学ぶような大文字の「美術史」が存在する一方で、そうした歴史そのものを相対化することは、すでにアート界においても大きな潮流のひとつと言ってもよい。本企画は美術史の分厚い教科書を持ちだす代わりに、アーティスト一人ひとりがこれらの歴史や文脈とどのような関係を結んでいるかを探ろうという視点がある。

アーティストが美術史というものを意識せざるをえないのは、先行する表現への批評的な眼差しがアーティスト自身の創作に必要だからだ。そして批評や解釈も創作と同様に、作為的で創造的な行為だといえる。翻って作品の鑑賞に際しては美術史のみに拘泥する必要はなく、鑑賞者自身の歴史観や文化観、社会との日常的な関わり方もすべて、作品の味わいに関わってくるはずだ。本企画にはそうした意図が込められている。各講座はZoomウェビナーによるオンライン配信で行なわれ、アーカイブも順次公開予定だ。本稿執筆時点(2022年1月初頭)では、第1回眞島竜男編(2021年10月2日)、第2回岡田裕子編(2021年12月12日)の公開収録が完了し、今後、第3回相馬千秋編(2022年1月30日)と第4回(アーティストは未発表)(2022年4月予定)が計画されている。第3回目(2022年1月30日)については番外編として、アーティストではないが「あいち2022」のキュレーター(パフォーミングアーツ)である相馬千秋が、独自の視点から演劇、音楽、ダンスなど舞台芸術の歴史について語る予定。

次に「『芸術祭』をひも解く:近代化と万博─オリンピック─芸術祭」について。これもオンラインによるライブ配信とそのアーカイブによって構成される。全3回が企画され、第1回吉見俊哉(社会学者)(2021年8月22日)、第2回辻田真佐憲(評論家・近現代史研究者)(2021年11月7日)が完了しており、第3回はキュレーター・批評家であるアイゼア・バルセニーラを迎え、2022年1月15日にライブ配信が行なわれる(ただし申し込みはすでに締切、アーカイブは公開予定)。国際芸術祭「あいち2022」のルーツはご存知の通り「あいちトリエンナーレ(2010、2013、2016、2019)」であり、またそのルーツとなっているのは「愛・地球博(日本国際博覧会、2005)」、いわゆる万博である。国家的催事としての万博とオリンピックという文脈にのせて、国際芸術祭も捉えてみようという狙いだ。本来であれば実際に愛知県の会場に集まって話を聞くことで、より意義深い内容になる予定だったが、コロナの状況に鑑みてオンライン開催となった。

3つめは「愛知と世界を知るためのリサーチ」である。愛知という土地が世界のなかでどのように位置づけられるのかを考えるためのリサーチ・プログラムである。このプログラムでは7つの企画が展開する。まずひとつめは、片岡真実芸術監督による対談シリーズ『監督と学ぶ』だ。愛知県、特に今回展示会場として選ばれた一宮、常滑、有松の3つの地域に焦点を当て、監督自らが地域の歴史や文化に関してゲストと対談を行ない、これを映像として公開していく。愛知について詳しく知る手がかりになるだろう。すでに数本公開され、今後も随時公開される。

ほかのリサーチはアーティストを招いての活動となっている。現在公開されているのは
・井上唯による「“ほの国”を知るためのプロジェクト(仮)」
・眞島竜男による「MA・RU・GO・TO あいち feat. 三英傑」
・徳重道朗による「穴あきの風景」
・AHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]による「ドライブ・レコーダー(仮)」
である。その他のプログラムはまだ公開前なので、ラーニングウェブサイトを適宜チェックしていただきたい。



井上唯による「“ほの国”を知るためのプロジェクト(仮)」渥美半島の内海にて漂着物などを収集するリサーチの様子



眞島竜男による「MA・RU・GO・TO あいち feat. 三英傑」ワークショップ。名古屋市内の地下鉄などに複数存在している「壁画」をリサーチしている



壁画リサーチの一環で名古屋城なども視察


それぞれのリサーチは、代表となるアーティストと、公募で集まった10名程のリサーチメンバーが、テーマに沿って行なうものである。例えば「ドライブ・レコーダー(仮)」においては、自動車産業を基盤とする愛知で、運転免許の自主返納というテーマに焦点を当てたインタビュープロジェクトを行なう予定である。市井の人々の個人的な記録・記憶に向き合ってきたAHA!ならではの視点で、文化としての「自動車」「運転」といったものを探ることになるだろう。こうしたリサーチの成果は、芸術祭期間中、会場内のラーニングスペースにて展示される。

4つ目の「knowing me, knowing you 世界のアートの知の技法:オルタナティブなアートスクール/ラーニング・プログラムのリサーチ」は、タイトル通り、美術大学などの教育機関とは異なるオルタナティブな活動や団体をリサーチする。こちらのプログラムはまだスタートしておらず、2022年の春ごろ開始予定。ラーニングチームとして、アートと教育にまつわる考え方を探るため、また「あいちトリエンナーレ2019」を含めた過去の経験を踏まえて「いまから成すべきこと」を深く考えるためにも、ここまで述べてきた一連の企画を立案した。ほかにもまだいくつかの参加プログラムを計画中なので、ぜひ期待していただきたい。

アートの思考方法を学ぶ

筆者はこれまで、丁寧に解説をするほど「やっぱりアートって難しい」と言われる経験を幾度となくしてきた。その度に「もしかしたら、未来のアートファンを減らしてしまったのではないか」という思いに苛まれた。アートを楽しむ人を増やすためには、知識の提供だけでは足りない。逆に敷居を下げるため、アーティストが必死に取り組む可視化されづらいテーマを掘り起こす作業をないがしろにし、耳障りのいいことだけを伝えても同じく意味がない。もっと、鑑賞の現場で味わえる、新しい情報に触れる瞬間の興味深さ、また常識の転換に立ち合うときの眩暈、爽快な打ちのめされ感、モヤモヤとしながらも気になって頭から離れない戸惑い、我が身を振り返る際の清々しさ、そもそもから考え直す発想の自由さなど、アートに触れることで得た筆者自身の興味深い体験を、教育プログラムとしてダイレクトに構築できないか、と考えるに至ったのだ。

アートの価値のひとつとして、常識的で効率的な思考方法だけでは辿りきれないアイデアに出会えるというものがある。例えば近年、ビジネス書のコーナーに数多くのアート解説の書籍が増えている。アートには理論的な面がある一方、前提を疑う視点や、発想の飛躍や破綻も孕んでいるがゆえに、鑑賞や創作のプロセスそのものに、思考を鍛える回路が埋め込まれている。ビジネスシーンでも課題に直面した際に、当たり前の発想では事態を突破できないこともある。時にはOut of the Box的な飛躍を伴う発想が事態を突破する打開策になることがある。穏当な手順が手癖となっている人にとっては、アートの思考方法が実用的な意味でも価値を持つこともあるかもしれない。または、課題を分解して一つひとつ解いていく思考だけでなく、個と全体を何度も往復しながらそのスケールや立ち位置を相対化しつつ進むホリスティックな思考方法が、アート思考としてビジネスでも「使える」と注目されている一面もある。一部疑問を差し挟む余地があるとはいえ、全体としてはよい傾向だと筆者は受け取っている。どんな状況においても、画一的な方法論が固定化されるよりは、多様性が担保されている状況のほうがマシなことが多いからだ。

一般参加型リサーチから学ぶ

リサーチについてもひとつの特徴がある。アーティストによるリサーチが科学的な手順を踏んでいないことに対する批判も存在するが、すべてのアーティストが思い込みや誘導やアリバイづくりのためのリサーチをしているわけでもない。必要であれば再検証をすればいいはずだし、その結果はまた違った現実や物語の複層性を生みだすだろう。アーティストがリサーチを行なうのは、自身の内発的な動機だけでなく、所与の状況や環境から何かを受け取り、そこにいかに反応できるのかを試す所作に、表現としての必然性を感じているからだと思う。今回のあいち2022でのプログラムでは、このリサーチ活動に応募してきた参加者を加えて展開していく。アーティストがひとりで行なうリサーチとは異なり、さまざまなメンバーの視点が織り込まれ、ユニークな知の経験をすることが、一種の学びと言えるだろう。



多様な参加者とともにリサーチなどを進めていく


教え/教えられるのではなく、ともに学ぶ

あいちトリエンナーレ2019から、教育プログラムが「ラーニング」と称されるようになった。このことは、アートにまつわる教育の軸足が「教える側」から「学ぶ側」へと移っていった時代の潮流に応じた結果だと言える。そこで行なわれる学びとは、単純な知識の受け渡しではなく、答えのない問いを探索していくことや、多様な人が協働しプロジェクトを織り上げていく活動も含まれる。一致団結というよりは各々の立場や興味から自分の分担できることを担いながら進行する。学習者自身が「知識を頂戴」という受け身ではなく、学びの主体になるとはどういうことなのか。筆者自身、このことをずっと考えているのである。もし機会があれば、国際芸術祭あいち2022のラーニング・プログラムに応募し、参加する側となってアートの祭典を楽しんで頂きたい。前回同様会場運営やガイドなどを行なうボランティアも、2022年3月4日まで募集している。動画などを活用し、コロナ禍でも充実した研修ができるよう準備を整えている。祭りの神輿と同様に、眺めるだけでなく「一緒に担ぐ」ことによって味わえる風景がそこにはあるはずだ。

セラム(Serrum)「クリクラボ─移動する教室」山口情報芸術センター



セラム「クリクラボ」展示全景。手前から奥に向かって「知識のマーケット」「クリクラボ」「理想の学校」「セラム・キッチン」という4つのゾーンで成り立っている
[撮影:塩見浩介 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


アートと教育の視点からもうひとつ、山口情報芸術センター[YCAM]で現在開催されている展覧会「クリクラボ─移動する教室」を紹介したい。インドネシアのジャカルタを本拠地とするアーティスト・コレクティブ、セラムによる日本初個展である。セラムはジャカルタ州立大学で美術専攻だったメンバーを中心に組織された。活動の当初からセラムが教育を活動の柱としているのは、ジャカルタの公教育のなかでアートが学べる機会が少ないという事情も影響しているようだ。じつはほかにもインドネシアではruangrupa(ルアンルパ)Forum LentengLifepatch(ライフパッチ)House of Natural Fiber(HONF)などに代表されるように、各々の拠点や活動のなかで教育というテーマを据えた活動を行なうグループは少なくない。彼らは同時にジャーナリズム、サイエンス、テクノロジーからはたまた現代的な農業や社会政策まで、いわゆる作品制作とは異なる本当に幅広い活動も積極的かつ同時並行的に展開している★1。このことから、彼らにとってアートというものが美術館やギャラリーのみならず、社会に対していかなる価値があるか、とつねに自問し実践している態度が伺える。

学びのオルタナティブを参加者とともにクリエイトする

展覧会の会場構成としては、YCAM1階のホワイエというパブリックスペースを、「知識のマーケット」「クリクラボ」「理想の学校」「セラム・キッチン」という4つのゾーンに分けている。展覧会タイトルも「クリクラボ」であり、これを構成するゾーンのひとつも「クリクラボ」と名付けられているので少々ややこしいのだが、空間内に置かれた展示什器が色分けされているため、4つの構造自体はわかりやすい。しかし、展示内容としては一部未完成の部分がある。というのは、オープン直後に空っぽだった容器が、会期を通じて満たされていくような計画がなされているためだ。来場者がやってきて議論したり活動したりすることによって、その空白が埋まっていくような展示デザインなのだ。

「知識のマーケット」では、2名1組で座れる椅子とテーブルが会場に10組用意される。テーブル中央はくりぬかれ白いボードがはめ込めるようになっている。ここでは、2人の来場者が相互に「相手の知らない、かつ自分が教えられることを話す」ことで、両者とも教師と生徒の役割を演じることになる。生徒役が知りえたことはボードにメモし、このメモが増えていくことで展示の会場に掲げられる「知識」が増えていく仕掛けだ。会場をふらっと訪れた人がそこで知識を交換してもよいが、イベントとしても展覧会オープン時以外に、1月15日、2月27日にもワークショップとして開催される(いずれも要事前申し込み)。



「知識のマーケット」ワークショップの様子
[撮影:谷康弘 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]



「知識のマーケット」ワークショップの様子
[撮影:谷康弘 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


次に展覧会の名称と同じ「クリクラボ」だが、これはインドネシア語でカリキュラムを意味する「クリクルム」と、研究室の「ラボ」を組み合わせた造語だ。このエリアには4台のテーブルがある。テーブル上部にはプロジェクターが設置され、山口の近隣に住む各種専門家どうしの議論の記録を、そのままテーブルへ投影している。撮影も上面から行なわれたので、まさに議論の様子がそのままテーブル上で再現されているかたちだ。議論は2021年11月14日、12月5日に行なわれたもの、加えて2022年1月30日に行なわれるものが追加される。それぞれ「日本の教育システム」「地域の知恵」「アートとまち」といったテーマが設定され、地元の大学教授や、教育を実践するNPOの代表、伝統工芸の職人といった参加メンバーと、インドネシアよりオンライン経由でセラムのメンバーが加わる。



「クリクラボ」では地域に住む専門家を招いての討議が開かれた。インドネシアからはセラムのメンバーも通訳を介して参加した
[撮影:ヨシガカズマ 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]



カメラやプロジェクターを取り付けられるミーティングテーブル。これら什器類を含む展示デザインはアトリエカフエによるもの
[撮影:ヨシガカズマ 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


3つめのエリアは「理想の学校」だ。地元の大学生、高校生、中学生のグループを招聘し、「校舎のデザイン」「校則」「校風」といった要素から理想の学校について議論し、最後にそのマケット(模型)を作ってもらうという内容だ。展示会場にはそれらの成果が展示されている。2021年11月6日、12月24日、2022年1月(予定)の3回が行なわれ、現状の学校に対する改善点を切り口に、理想の学校について現役の学生・生徒たちに議論してもらう。話された内容は付箋に残されたメモからも憶測することができるのだが、例えば「宿題をしなくていい」「髪形が自由」といったかわいらしい要求から「先生に怒られることを恐れず考えを口に出していい」「チクられない雰囲気」といった、心が締めつけられるような訴えも見いだせる。ある意味では極度に学校に馴化させられてしまったわれわれは、学校というシステムの外側に拡がるはずの多様な学びの姿を想像できるのだろうか。



「理想の学校」ワークショップの様子。まずは各々で理想の学校の要素を書きだす
[撮影:ヨシガカズマ 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]



議論された内容に基づき、理想の学校のマケットを作った。ここでどんな学びが行なわれるか、あらめて考えている様子
[撮影:ヨシガカズマ 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


最後の「セラム・キッチン」の説明に入る前に、来場者の過ごし方をたどってみよう。会場に入ると、展示案内のサポートスタッフから声を掛けられる。そして会場入口付近で入手できる「あそぶっく」というワークシートについて紹介される。このワークシートは、教育に関するコラムや、穴埋め式の質問で構成された、バラバラのページとして提供される。こちらは気に入ったページだけを選ぶこともできる。来場者はこれらを読んだり質問に解答していくことによって「教育」と「アート」に関するアイデアを深堀りしていく仕掛けとなっている。具体的な質問としては「教育ってなに?」といったストレートなものから「『学び』について、あなたが一番影響を受けた人・ものはなんですか?」といった個々人の教育のルーツに関するもの、または「あなたの『学び』の理想的なイメージをコラージュで作ってみましょう」といったような表現を促すものもある。「学校で何を学びましたか?」といった質問の裏面には、学びのチャートが描かれ、その冒頭には「学校に通っていましたか?」という問いもある。「学ぶ」と言えばつい自動的に「学校」を想起してしまう日本での環境が、国によっては当たり前ではないことにハッとする。ワークシートのなかには、インドネシアの教育の父、キ・ハジャル・デワンタラ(1889-1959)の解説も含まれる。インドネシアの伝統的な技術や価値観と、西洋から輸入された現代的な科目を同時に取り入れ、オランダや日本などの外国から支配を受けつつも、教育や研究の自律性を訴えてきたデワンタラの主張が、現代の日本の教育環境においてどのように響くのか、という展覧会自体のテーマも浮かび上がってくる。ワークシートの表紙/裏表紙になる紙を加え、最後にこれを連射式クリップによって留めると、オリジナルZINE「あそぶっく」が完成する。



「あそぶっく」を読んでみると、その人がどんな教育や経験に影響を受け、育まれてきたのかが窺える
[著者撮影]


最後の「セラム・キッチン」には、カラーペンや輪転機が据えられ、自分が埋めたワークシートを装飾したり、また複製してほかの人へ共有することもできる。インドネシアは日本による占領も含め、複雑な歴史を持つ国だ。内政としても軍部がクーデターを成立させた1960-1990年代まで軍事政権が続いたことも影響し、「いまだにメール送信前に軍部などの監視を気にする人もいる。萎縮効果は長期に渡り続いてしまうのだ」と知人のインドネシア人アーティストが教えてくれた。そうしたなか、教育の自律性を訴えてきたデワンタラの訴えは、日本においていかに響くのか。「むしろ現代の日本だからこそ、こうした問いかけが有効なのではないか?」と本展キュレーターのレオナルド・バルトロメウス(YCAM)は語る。



展示スタッフに相談しながら、自分の「あそぶっく」を装飾したり、輪転機で増やしてシェアすることができる「セラム・キッチン」
[撮影:ヨシガカズマ 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]]


展覧会としての「クリクラボ」は、こうした一連の経験を通し、教育について考えることが促される仕掛けになっており、アーティストが試行錯誤した成果としての作品を鑑賞する一般的な形式とは異なっている。もちろん通常の展示であっても鑑賞という行為には、単に受け取るというだけでなく、何かを考えたり解釈を与えたりといった思考のプロセスが埋め込まれているのではあるが、本展はより鑑賞者の積極的な関与を求めるかたちだ。「知識のマーケット」「クリクラボ」「理想の学校」はそれぞれセラムが過去に行なってきた活動をベースにしているが、オープン時に置かれていたものとしては、かわいらしいテーブルと椅子だけだった。そのうえで行なわれる議論を活性化させるために「あそぶっく」というツールがあり、人の交流によってコンテンツが増えていった。本来であれば、メンバーが山口に滞在し、もっと直接的なやり取りを来場者と交わしていたはずだが、新型コロナ感染拡大で日本に一度も来ることが叶わなかったセラムが、いかに来場者とコミュニケーションを切り結ぶかといった観点から、展覧会全体と部分を何度も往復しながら煮詰めていった★2、経験のデザインの成果でもある。

海を前にして、泳ぎ方ではなく、ストレッチを提供する

展覧会における鑑賞者、教育における学習者というのは、けっしてアーティストやキュレーターまたは先生/教育者が敷いたレールの上を進むだけの存在ではない。時にはそのレールそのものを疑い、自分なりの敷き方を試してみたり、そもそもレールと車輪という構造から疑ったりするような存在でもある。こういったさまざまな観点を作品にぶつける鑑賞者はアートにとって必ず必要な存在でもある。また教育というものが進展するためにも必ず必要なのは学習者の存在なのだ。鑑賞者または学習者が投げ掛ける多様な視点があって初めて、アートや教育が成立するといっても過言ではない。

とはいえ、まったく何もない地平に裸で放り出されても、歩く方向どころか歩き方すらもわからないということもありうる。椅子とテーブルがなければ、素朴な会話すら生まれない、そんな儚い存在であることもまた事実だ。知識のコピー&ペーストではなく、かといって完全な放任とも違う、学ぶ者が自分の手綱を手放さなくてもよい学びの環境、整いすぎるでもなく不完全とも違う理想的な学びの環境というのは、いかにデザインされるのか。

かつてこのような例え話を思いついたことがある。

「海を前にして、泳ぎのフォームを教えるべきではない。自分なりの泳ぎ方を発見できるよう、途中で筋肉が攣って溺れないための充分なストレッチを伝授するべきだ」

2019年のあいちトリエンナーレでは、芸術祭での学びについて実践とともに考えた★3。そして芸術祭という祭典とも異なる、持続的な活動が求められるYCAMでは、2021年から3年間をかけて「オルタナティブ・エデュケーション」というテーマでアートと教育について考えていくことになっている。その第一弾が今回の「クリクラボ—移動する教室」であった。このあともミュージアム・エデュケーションについて、またはもう一歩踏み込み、教育環境としての公共文化施設について、実践とともに考えていくことになるだろう。筆者にとっての2022年はこの前後数年のなかで要となる年になりそうだ。


★1──近年のインドネシアのアートコレクティブの状況については、例えば廣田緑「現代美術の新たな戦略:アート・コレクティヴ —アーティストが組織をつくるとき—」https://rci.nanzan-u.ac.jp/jinruiken/publication/item/ronshu6_05%20Hirota.pdfに詳しい。筆者自身も、実際にインドネシアでのコレクティブの活動を視察した際に感銘を受けた。彼らは、アートと社会とを直接繋げて活動していたことが印象深い。実際には努力してそうしているのかも知れないが、いわゆる業界に対して内向き仕事をするよりは、何倍も居心地がよさそうな環境/姿勢だと思った。
★2──セラムたちやキュレーターのみならず、YCAMの教育普及チーム、山口市在住のアーティスト鈴木啓二朗らがこの「あそぶっく」のアイデアを検討するディスカッションに深く関与している。
★3──そのひとつの成果としては「あいちトリエンナーレ2019ラーニング記録集」が残った。さまざまな実践を行なったうえで、それが何であったのかを振り返る貴重な資料にもなっている。PDF版はウェブサイトからもダウンロード可能だが、紙版を入手したい方は、Twitter @daiyaaida宛にDMでご連絡ください。


国際芸術祭「あいち2022」

会期:会期:2022年7月30日(土)〜10月10日(月・祝)(73日間)
主な会場:愛知芸術文化センター(愛知県名古屋市東区東桜1-13-2)、一宮市、常滑市、有松地区(名古屋市)

クリクラボ─移動する教室

会期:2021年10月30日(土)〜2022年2月27日(日)(当初予定より会期変更)
会場:山口情報芸術センター[YCAM](山口県山口市中園町7-7)

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