2022年12月01日号
次回12月15日更新予定

キュレーターズノート

「不確かさ」をめぐる問いかけ──山下麻衣+小林直人「蜃気楼か。」

野中祐美子(金沢21世紀美術館)

2022年01月15日号

昨年の9月下旬から12月にかけて黒部市美術館で開催された展覧会「蜃気楼か。」を紹介する。
本展は、山下麻衣+小林直人による個展で、そのタイトルからして実に不思議な印象を漂わせるものだが、展覧会鑑賞後改めてこのタイトルに立ち返ると、これほどあの展示にふさわしいタイトルもないのかもしれないとも思う。
本展覧会は作家のキャリアのなかから新旧入り混じった六つの作品で構成され、そのうちのひとつは展覧会タイトルとも直結する蜃気楼を取り入れたプロジェクト型の作品《infinity~mirage》(2021)である。展覧会の内容を知る前からこの「蜃気楼」という言葉だけがひとり歩きし、「蜃気楼が見える」という噂とともに、個人的には見たことのない蜃気楼への期待を胸に抱きながら会場へ向かった。

人と自然、ゆらぐ境界

展覧会紹介文のなかで、作家の紹介が次のようになされていた。


「作家は、いわゆる一般的価値の代替案を探るような豊かなアイデアを、非経済的で非効率的、また労働のような行為を伴うユニークな手法等で実現し、世界との関係や社会の構造を再考してきました。また、動物や自然環境に意識を向け、人間中心主義的な視点から外れた地平で世界を見つめようと試みてきました。」

山下+小林の作品をまとまったかたちで観たのは今回が初めてであったが、展示された6点の作品からもここに紹介されているような二人の作品制作への姿勢のようなものを強く感じた。とりわけ本展では、人と自然についてさまざまな考察が反映された作品が展示され、自然豊かな美術館近隣の環境を取り込んだ「人と自然とのゆらぐ境界について現在進行形で考える展覧会」として開催主旨も掲げられている。

私がこの展覧会を素晴らしいと思った理由はいくつかあるが、ひとつ挙げるとするならば、人間と自然との距離感を探りながら、究極的には人間とは何かという大きな問題を、とてもシンプルな方法で身近な環境や事象を通して考えさせてくれるところに驚きと共感を持った点にある。


山下麻衣+小林直人「蜃気楼か。」(黒部市美術館)展示風景[撮影:柳原良平]



消費社会における自然への介入

詳しく展示の内容を見てみよう。


山下麻衣+小林直人《Release of mineral water》(2004)黒部市美術館での展示風景[撮影:柳原良平]


まず、展覧会の導入部に作家にとって人と自然の関係を考えるきっかけとなった初期の作品《Release of mineral water》(2004)が実際に黒部の水を飲めるウォーターサーバーとともに展示された。作品の内容としては、ドイツのミネラルウォーター「トニースタイナー」を日本の酒屋で購入し、それをドイツの源流(アイフェル地方)まで「放流」しに行くというドキュメント作品である。作家が水を背負い、飛行機に乗り、電車を乗り継ぎ、ライン川近くの森を歩き、源流に辿り着き、ペットボトルから水を「放流」する姿はなんとも滑稽に見えるが、一方でそれが滑稽に見えてしまうほどに消費社会に毒されている自分自身にも気づかされる。そもそも、水は誰のものなのか? そんな疑問すら抱かず日々、当たり前のように水を消費してきたわけだが、消費社会における水の循環をきっかけに、大きな自然の循環に目を向けることにもなる。併せて、ウォーターサーバーに入った「黒部のめぐみ」という商品を会場で実際に飲むことで、地域住民にとっては自分たちが住む黒部周辺の自然や、そこから循環する消費システムについてのリアリティをより強く感じられることだろう。鑑賞者は、展示室に入る前にもっとも身近な商品であるミネラルウォーターの循環によって、人と自然の関係を突きつけられる。


山下麻衣+小林直人《人( )自然》(2021)黒部市美術館での展示風景[撮影:柳原良平]


展示室に入るとすぐに現われるのが、大画面にプロジェクターで映し出された新作《人( )自然》(2021)である。展覧会タイトルにある「蜃気楼」という言葉によって、最初はもうひとつの新作《infinity~mirage》がまるでメインの作品であるかのような印象を持っていたが、実際に展覧会を鑑賞してみると《人( )自然》は《infinity~mirage》も含むすべての作品を包括するような存在であり、展覧会の軸となる作品であることがわかる。それゆえ展示室の中央でとても象徴的な作品として展示されていたように思う。

この作品は、富山県朝日町の山間にある大平(だいら)という地域を作家が自転車で走行している様子を映像に捉えたものである。大平は富山県と新潟県の県境を流れる境川〜大平川の中流から源流にかけての流域一帯に広がっており、険しい山地に影響を受けてきた大平の集落には現在、9戸9人が暮らしているそうだ。

走行中の自転車のタイヤには「人と自然」「人も自然」「人や自然」「人は自然」「人に自然」「人が自然」「人の自然」「人か自然」という文字が20秒ごとに入れ替わりながら浮かび上がる。自転車で通り過ぎる風景には、境川に戦後につくられた水力発電所、草が繁る建設跡地、山に囲まれた小さな集落、太陽光パネルなど、かつての痕跡を含めたさまざまな構造物があり、各時代での人と自然の関わり方や人が自然にどう介入していったのかが垣間見られる。走行中の風景の随所に散りばめられたそれらの情報は鑑賞者によって見え方はさまざまであるが、タイヤに浮かび上がる文字に導かれながら、人と自然の関係性とその境界について考える重要な作品である。「人」と「自然」という単語をつなぐ助詞の一語を変えるだけで、両者の関係の在り方がガラリと変わる。それは日本語の特徴でもあるし、そんなシンプルな言葉の投げかけがとても大きな問題を鑑賞者に突きつけてくる。作家の巧みな表現に脱帽した。


二つの∞(無限大)

山下麻衣+小林直人《infinity》(2006)黒部市美術館での展示風景[撮影:柳原良平]


本作品の裏側へ回ると《infinity》(2006)が展示されている。作家が5日間スイスの公園の同じ場所を走り続け、徐々に芝生の中に∞(無限大)の形の道が浮かびあがるというもので、人と自然について非常に原始的な関係を提示した作品ともいえる。山に獣道があるように、人や動物が歩いたところは道になり、関与がなくなれば道は再び姿を消す。本作品も作家が5日間という時間を費やし、自らの身体を関与させつくり上げたものであり、何も資本を持っていない人間は、自分の時間と労力が資本となり価値が生まれるという点で、作家曰くマルクスの影響を受けた作品だ。自然への人為的な関与という点で背面の《人( )自然》と影響しながら、人と自然との関係性への問いが投げかけられる。一方、別の方法で蜃気楼という自然現象に関与してつくられた作品が、《infinity》と向かい合うように展示された新作《infinitiy~mirage》である。


山下麻衣+小林直人《infinitiy~mirage》(2021)黒部市美術館での展示風景[撮影:柳原良平]


富山湾の蜃気楼は、江戸時代初期の紀行文をはじめ多くの文献で取り上げられてきたそうで、《infinitiy~mirage》はその蜃気楼を利用した作品だ。黒部市美術館から車で10分ほどの生地海岸の護岸に設置されたオレンジ色の「m」型看板を8km先の魚津市の海岸沿いに設置されたカメラからライブ中継し、展示室の壁面に映し出すというものだ。

いつ蜃気楼が見えるかはわからないが、うまく見えると「m」の下側に反転した「m」が見え、「∞」の文字が浮かび上がる。そもそも筆者は蜃気楼の仕組みについて(作家たちも同様に)あまりよく知らなかったのだが、蜃気楼とは大気の気温差による反転現象、つまりリフレクションされた風景が見える状態を指す。そのリフレクションの現象に目をつけた作家は、「∞」の文字を浮かび上がらせようとした。

しかし、これは人為的にいつでも可能なわけではなく、自然のあらゆる条件が合致したときにしか成立しない。それこそコントロールの効かない、不確かな作品であるわけだが、まさに作家はこの「不確かさ」を扱っていて、それがそのまま作品になっているという。


《infinity~mirage》(2021)2021年9月24日6:30頃、早月川河口右岸から撮影[画像提供:魚津埋没林博物館]



考えること、考えないこと

「不確か」という言葉はここ10年近くの間で頻繁に耳にするようになった。震災によってあらゆるものを失い、不確かな状況を経験し、次にコロナによって見えないウイルスを相手に再び不確かな生活を余儀なくされている。ただし、作家にとって「不確か」については震災やコロナ以前から考えてきたことで、あるインタビューで次のようなコメントを残している。


「今回《infinity~mirage》で∞という記号を打ち出していますけど、無限の宇宙と考えた時、僕は子供の頃勉強していてしんどくなると、よく窓から双眼鏡で夜空を見て遠くの星とか覗いたりするのが好きだったんですが、遠くを想像するとちょっと気持ちが楽になりますよね。無限の宇宙の中に自分がいるって考えると、自分が置かれている問題がすごく相対化されて楽になる。ただ本当に「無限」を想像していくと同時に恐怖感もありますよね。普段は多分意識せずに生きていますが、この宇宙がどこまであるか誰にも分からない、そうなるとどんどん人間が小さくなって、自分もどんどん小さくなってくる、存在するかもしれないが存在しないかもしれない。でもだからこそ、そこを受け入れて毎日を楽しむのがいいんじゃないかって。震災やコロナで思い詰めてしまうようなこともあると思いますけど、そういう時にちょっと無限の宇宙をイメージしてもらうと、すべて不確かであることは確かですので、そんなに悩むことなのかなっていう。今回なんで∞を打ち出したのかと思うと、そういうことかなって思います。」

無限大を意味する記号「∞」は先に紹介した2006年の作品《infinity》ですでに登場しているが、反復や永遠性を想起させるこの記号と、自然や宇宙(世界)という私たち人間を内包する、すなわち私たち人間では計り知ることのできない対象を作品の素材に扱うことで、逆に人間について考えることにつながっているのではないだろうか。


山下麻衣+小林直人「蜃気楼か。」(黒部市美術館)展示風景[撮影:柳原良平]


展示室内にこの生地海岸の風景を描いた小さな絵画が展示されているのだが(上の写真左)、そこにはパスカルの次の言葉が明記されていた。


「無限の中において、人間とは一体なんなのであろう。」

作家が自然と人間をテーマに掲げ、制作を続けるのはまさにこの問いかけの答えを見つけるためではないか。

展覧会場の一番奥へ進むと、ひっそりとガラス張りの小さな個室があり、その窓からは一面に広がる葦原が見える。それを借景に、縦長のモニターに夕焼けのなか揺れる2本の葦を映した映像が設置されており、作品タイトル《考える葦/考えない葦》からもわかるように、ここでもまたパスカルが引用されている。


山下麻衣+小林直人《考える葦/考えない葦》(2021)黒部市美術館での展示風景[撮影:柳原良平]


大きな自然のなかでは葦のように心もとない人間だが、人間の尊厳は考えるところにある。しかしその考えとはなんとも愚かなものであるということが書かれているパスカルの遺稿集『パンセ』からインスピレーションを受け、揺れる2本の葦を眺めながら、私たちは考えることと、考えないことについて考える。作家にとっては珍しい、サイトスペシフィックな展示であり、この美術館の新たな空間の要素を知る展示でもあった。


山下麻衣+小林直人《How to make a mountain sculpture - Japanese Mountains 剣岳》(2013)黒部市美術館での展示風景[撮影:柳原良平]


写真と彫刻で構成された作品《How to make a mountain sculpture - Japanese Mountains 剣岳》(2013)についても触れておきたい。この作品はモチーフである山を眼前に据え、薪に山を模刻する作品群のひとつである。2006年からマッターホルンなどを含め世界各地で実践されてきたシリーズだ。山に真摯に向き合う作家の様子は、どこか滑稽にも見え、その状況と完成した彫刻の山とが俯瞰されることで、大きな自然と小さな人間のような世界の構造について考えさせられる。立山連峰のなかでもひと際目立つ荒々しい山、剣岳が模刻されていることに、この作品における人と自然の対比や境界を力強く感じさせられた。


溜息のようでもある、脈絡のない呟き

良い展覧会というのは、作家とキュレーター、そして環境とがうまく機能しているものだ。

本展覧会はまさにそうした類の展覧会だったと思う。黒部市美術館は小規模な館だが、展覧会自体は決してそのような印象を感じさせない、地域の資源(場所、人、物など)を活用した、とてもスケールの大きなものだった。

最後に展覧会タイトルについて触れておきたい。「蜃気楼か。」この意味深なタイトルは芥川龍之介の短編小説『蜃気楼─或は、続海のほとり─』のなかで登場人物が不意に呟いた「蜃気楼か。」という言葉から取られたそうだ。物語のなかで、芥川龍之介らしい主人公と友人たちが鵠沼海岸に蜃気楼見物に行き、何か揺れるものを見てクエスチョンつきの「蜃気楼か?」と言っているセリフがあるが、そちらではなく、見物が終わった後にひと言登場人物のひとりがただ呟いた「蜃気楼か。」というセリフに山下+小林は惹かれたという。疑問でもなく溜息のようでもあり、何の脈絡もなく呟いた言葉に過ぎないのかもしれないが、世の中全体のことを指して、蜃気楼のように朧げで曖昧で不確かな雰囲気を漂わせるそのひと言が、本展覧会に漂う空気感と合致した。

不確かな自然現象のみならず、自然や宇宙のなかにいる自分たちの存在すら不確かであることを指摘する山下+小林は、その不確かさや疑問をそのまま問い掛けとして作品化する。いや、作品化というのが適切なのかわからない。問いを共有するための装置、状況の提示、それが山下+小林の作品そのものなのだと思う。鑑賞者はそうした彼らの素朴な疑問を「蜃気楼か。」というこれまた不確かなタイトルによって投げかけられ、展覧会に誘われる。曖昧で不確かなものほど気になるのだ。

「人と自然とのゆらぐ境界」が一体なんなのかはわからない。でも自然との向き合い方も、個人の存在のあり方も個々で違うはずで、それを各自が考える場こそ今回の展覧会の醍醐味だったのだろう。《人( )自然》にあるように、自分ならこの( )の中にどんな助詞を当てはめるだろうか。そしてどんな助詞が当てはまる未来を見てみたいだろうか。

そんなことを考えながら、寒空のなか強風に晒されながら生地海岸でライブ中継に映っているかどうか必死にウェブサイトを見ている自分がなんだか滑稽に思えてならなかった。



山下麻衣+小林直人「蜃気楼か。」

会期:2021年9月25日(土)〜12月19日(日)
会場:黒部市美術館(富山県黒部市堀切1035)
公式サイト:http://mirage.yamashita-kobayashi.com/

キュレーターズノート /relation/e_00058826.json l 10173807

文字の大きさ