キュレーターズノート

人はなぜさわらなければならないのか──「ユニバーサル・ミュージアム─さわる!“触”の大博覧会」の試み

立石信一(国立アイヌ民族博物館)

2022年01月15日号

2021年9月2日から11月30日まで国立民族学博物館において、「ユニバーサル・ミュージアム─さわる!“触”の大博覧会」という特別展が開催された。本来であれば昨年度に開催する予定だった本展は、コロナ禍の影響により一年延期となり、この時期の開催となった。筆者が訪れたのは閉幕が近い週末だったことや、コロナ感染対策の一環として入場者の制限をしていたこともあってか、入口には入場待ちの行列ができていた。それだけ本展に寄せられる期待が高かったのだろう。


会場風景[写真提供:国立民族学博物館]


コロナ禍であらためて捉え直された「さわる」ことの価値


本題に入る前にふれざるを得ないのが、コロナ禍のこの時期にさわることを主旨とした展覧会を開催したことについてである。本展の実行委員長でもある国立民族学博物館の広瀬浩二郎准教授によると、「逆風だと考えていたコロナ禍は、結果的に『触る価値』を際立たせ、展示の趣旨をクリアにする効果があった」という。実際、「さわってはいけない」ことがなかば強制されるような社会情勢は、今まで経験したことのない事態であり、そのことによって逆説的にではあるが、さわることの意義や人と人との距離感を見直す機会になっている。

当初予定していた開催期間が延期になってからの一年間は、「そもそも、人類にとって“触”とはどのような意味を持つのか。人はなぜさわらなければならないのか。物・者にさわる際、どういったマナー(作法と技術)が必要なのか」を広瀬准教授なりに明らかにする機会になったという。こうしたことからも、本展の位置付けがコロナ禍という状況を背景に変化し、結果として注目度と重要性を増すことになったといえるだろう。


特別展「ユニバーサル・ミュージアム─さわる!“触”の大博覧会」紹介映像


ユニバーサル・ミュージアムが目指すもの


さて、欧米諸国におけるユニバーサル・ミュージアムとは、「世界全体を俯瞰し探究するミュージアム」を意味し、大英博物館やルーヴル美術館など大規模なミュージアムのことを指すという。一方で、本展のタイトルにもなっている「ユニバーサル・ミュージアム」とは、「誰もが楽しめる博物館」という意味合いにおいて使われている。

日本で「誰もが楽しめる博物館」という意味合いで最初に使われたのは、1998年の神奈川県立生命の星・地球博物館のシンポジウムだったという。その後、2006年に国立民族学博物館で広瀬准教授が「さわる文字、さわる世界─触文化が創りだすユニバーサル・ミュージアム」を開催し、2009年には通称「ユニバーサル・ミュージアム研究会(UM研)」を立ち上げ、2019年には10周年を迎えている。そうした活動の「とりあえずのまとめ」の場として本展は企画された。



会場風景[筆者撮影]


こうした取り組みのなかで培ってきたユニバーサル・ミュージアムとは、「誰もが楽しめる博物館」という通り、それは「単なる障害者対応、弱者支援」ではないという。「ユニバーサル」を具体化し、持続可能な事業として展開できるかどうかは、「健常者をどれだけ、どこまで巻き込んでいけるのかがポイントになる」という。こうした取り組みの成果といえるのが、本展には、年齢や性別、視覚障害の有無に拘わらず、多様な来館者がいたことではないだろうか。来館者が思い思いに作品に触れ、そのことについて楽しそうに会話をしている光景は、筆者の目にはとても新鮮に映った。

本展はタイトルの通り、さわることができる作品、資料などが一堂に会した展覧会で、展示されているものはすべてさわることができた。展示室内では子どもも大人も思い思いの楽しみ方をしている話し声が聞こえ、ここが博物館とは思えないような賑やかさがあった。こうした雰囲気をつくり上げるのも、さわることがもつ力なのだろう。さわることによって対話がうまれ、それが新たな鑑賞法につながっていることを実感した。

ただ、本展のねらいは、さわることを通して、視覚優位、視覚偏重の「近代の制度」への問いかけにあるだろう。「ミュージアムという装置は、その成立時から、人間のさまざまな感覚のなかでも視覚だけを特権化するかたちで営まれてきた」のであり、そうした「従来の博物館展示のあり方に一石を投じるチャレンジ」の具体的な形として、本展の六つのセクションと冒頭の「試触コーナー」は位置付けられていた。そう考えるとなにやら難しい話のように感じるが、実際の会場内はさわれる資料、作品にあふれており、その場の雰囲気は先に述べた通りだった。

セクションごとのテーマは「彫刻を超克する」「風景にさわる」「アートで対話を拓く」「歴史にさわる」「音にさわる」「見てわかること、さわってわかること」である。展示物のなかには本当にさわってもいいのだろうかとためらわれるほどの絵画作品や彫刻作品なども並んでいた。そして、「さわる」と一口に言ってもそのさわり方は多様で、手でさわるのではなく、寝転がったりかぶってみたりして全身を使って感じ取るものや、音の展示など多様な感覚を駆使して体験する内容となっていた。



会場風景[写真提供:国立民族学博物館]


そうであるから、それぞれの展示物にさわっているときはとにかく楽しいのである。その楽しい気持ちを表わすのには、「童心に帰った」というのが一番当てはまるように思う。しかし一方で、展示会場を進むに従って、筆者自身がいかに視覚情報を頼りに展示を理解しようとしているかを思い知らされるようでもあった。まず各セクションの説明文を読み、そしてどのような作品、あるいは資料が展示されているかをながめることで、俯瞰的にどのような展示構成なのかを把握しようとしてしまうのである。視覚というバイアスを介して作品を触察していたとも言える。それは広瀬准教授の言うところの「見た後にさわる鑑賞は、視覚で得た情報を触覚で確かめる、補うだけで終わってしまう」という鑑賞法を裏書きしてしまっていることにほかならなかった。

さらに、本展の出品作品は、各セクションのタイトルが示すように極めて多様なジャンルからなっていた。国宝のレプリカ、「町工場」が作った立体地図、アーティストの作品、国立民族学博物館の資料、音、そしてUM研のワークショップで参加者が作った作品などである。まさしく“触”の大博覧会という様相であった。



会場風景[写真提供:国立民族学博物館]


触察情報のボキャブラリー

このような多岐にわたる出品作品がある展覧会をどのように「みる」ことができるのか、会場を歩きながら戸惑いつつ考えてみることの繰り返しであった。このような展示に今までほとんど出会ったことがなかったのもそのような戸惑いにつながったひとつの理由だっただろう。それと同時に、それらの作品を視覚情報と解説文によって理解しようとしていたことも大きな理由だったように思う。

「さわる」ことを起点に組み立てられた本展は、「さわる」ことによって分類、整理され、展示されている側面もあるだろう。そのようななかでは、視覚情報による価値観が別の文脈へと置き換えられることも必然として起こる。視覚情報と触覚情報では、何が重要なのかも異なる。しかしそのことに慣れていない筆者にとって、まずはさわってみるという鑑賞法は、簡単なようで実はそれほど簡単なことではなかったのである。また、触覚によって得た感覚を文章によって表現しようとしている今このときも、いかに普段触察情報について記述していないかを思いしらされている。さわった感触について、さらさらしている、ごつごつしているなどといった語彙しか思いつかないのである。

こうした心許なさはもしかすると筆者だけが感じたことではなかったのかもしれない。それを見越したかのように、本展の期間中には多くのワークショップが企画されていた。9月、10月のワークショップはコロナ禍の影響を受けそのほとんどが中止となってしまったものの、毎週末、なんらかのイベントが企画されており、企画の数からも主催者や出品者の熱量が伝わってくるようであった。


みんぱく研究公演「身体で聴く『土の音』── 触れて打つ、揺らして拡げる」


そして、ワークショップの企画本数の多さは、さわるという行為自体が持つ能動性が、そうした経験の共有や対話を通して理解が深まることを物語っているのかもしれない。あるいは筆者の場合、これだけの規模でそのほとんどの展示物にさわってよいとなっている展覧会は初めての経験であり、さわることが主たる目的の展覧会も初めてであった。そのため、どのように体験すればよいのか、どこが「みどころ」なのかは、広瀬准教授の案内を聞いて回らなければ“わらかなかった”かもしれないという感想も持った。

さわる鑑賞のマナー

また、「本特別展の目的は、優しく、丁寧に人・物に接する『さわるマナー』の普及・定着である」という。実際に、博物館に展示されている資料や作品に積極的にさわることができる機会は、多くの来館者にとっても初めての体験だったかもしれない。そして、多くの人が訪れれば、嫌が応にも資料(作品)は破損する可能性があり、実際、作品のいくつかは破損し、音声を聞くためのプレイヤーも筆者が訪れたときには故障しているものもあった。多くの人がさわる機会を得るためには、「さわるマナー」を理解し、そのルールに基づいて体験することが必要となってくるのだろう。その意味でも、ユニバーサル・ミュージアムが加速し、さわることが一般的な鑑賞法になっていけばと思う。


上級編: トーテムポールをさわる 【世界の感触を取り戻す】広瀬浩二郎によるオンライン・ワークショップ それでも僕たちは「濃厚接触」を続ける!


こうした展覧会を開催したことと、そこで出た課題は、今後の博物館、美術館の活動にとって大きな指針となるだろう。広瀬准教授は「2021年のユニバーサル・ミュージアム展を大阪・関西万博の前哨戦ととらえ、特別展の成果を2025年につなげていきたいと願っている」という。「とりあえずのまとめ」で得た成果と課題が、「いのち輝く未来社会のデザイン」や「SDGs 達成・SDGs+beyond への飛躍の機会」などを開催の意義として掲げる4年後の大阪・関西万博ではどのように昇華されているのか今から楽しみであるとともに、それはこの社会が「共生」「多様性」ある社会を実現していくそのプロセスと期を一にしていくだろうことを予感させる。「目の見えない触常者」と「目の見える触常者」がつくり上げる未来とはどのようなものなのか、その一端を2025年にぜひ見てみたいと思う。

参考:『ユニバーサル・ミュージアム─さわる!“触”の大博覧会』(国立民族学博物館編集、広瀬浩二郎編者、小さ子社、2021)https://honto.jp/netstore/pd-book_31184128.html

ユニバーサル・ミュージアム─さわる!“触”の大博覧会

会期:2021年9月2日(木)~ 11月30日(火)
会場:国立民族学博物館
(大阪府吹田市千里万博公園10-1)

「ケレ ヤン、ヌカ ヤン、ヌ ヤン さわる、みる、きく、国立アイヌ民族博物館」[第2期]

会期:2022年1月29日(土)~ 2月27日(日)
会場:国立アイヌ民族博物館 1階交流室B
(北海道白老郡白老町若草町2丁目3 ウポポイ[民族共生象徴空間]内)
*本展は、昨年8月に開催しましたが、緊急事態宣言を受けて休館となり会期が変更となったため、今回[第2期]として再度開催するものです。

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