キュレーターズノート
「コレクション」を考える(3)──個人コレクションの「再パッケージ」化
志田康宏(栃木県立美術館)
2022年04月15日号
ミュージアムは個人コレクターからコレクションをまとめて譲り受けることも少なくないが、広い展示室を持つ大型館では、よほどの作品数がない限り個人のコレクターとそのコレクションを顕彰する展示を行なうことには困難が伴う。広い展示室をまるまる埋めるほどのコレクション展には、一定以上の質と量をもつ作品群が必要になるためである。
そこで今回、大型館に寄贈された中小規模の個人コレクションを再びパッケージ化し、中小規模のミュージアムへの貸し出しによってコレクション及びコレクターを紹介する展覧会を企画した。
個人コレクションの「再パッケージ」展覧会
小山市立車屋美術館は、栃木県小山市にある旧家の建物をリノベーションした美術館である。江戸時代から明治時代にかけて思川の水運を利用した肥料問屋として栄えた小川家の敷地を再利用したもので、現存する建造物のうち主屋や土蔵など5棟が国の登録有形文化財に登録され、一般に公開されている。そのうち明治44年建設の米蔵が改装されて美術展示室となっている。小川家の屋号が「車屋」であったことから施設名が付けられ、2009年に美術館として開館した。
4月23日(土)~6月5日(日)、同館にて「アートリンクとちぎ2022 栃木県立美術館収蔵品展『野澤一郎が愛した美術』」展が開催される。「アートリンクとちぎ」は、栃木県立美術館収蔵品を県内のミュージアムに貸し出し開催する館外展である。改修工事のため全館休館した2007年にスタートし、年に1~3館程度の開催が続けられている。
野澤一郎(1888-1978)は、栃木県上三川町出身の実業家・発明家である。旧制真岡中学校(現・栃木県立真岡高等学校)を卒業後、東京高等工業学校(現・東京工業大学)に進学。大学卒業後、1917年に巴組鐵工所を創立した。全国の体育館やホールの天井などに使用されている立体構造の「ダイヤモンドトラス」を発明するなど、鉄構建設事業に大きな功績を残した人物である。また、芸術への造詣が深く、日本画や彫刻の収集を行なうとともに、自身も油絵を描き、日展に複数回の入選を果たすなど画才を発揮したほか、書や長唄にも親しんだ趣味人でもあった。1978年の没後、生前に収集していた美術コレクションが栃木県立美術館に寄贈された。一郎が創設した巴組鐵工所は株式会社巴コーポレーションと名前を変え、東京スカイツリーや東京駅八重洲口グランルーフの建築にも携わるなど大手建設会社となっている。この度、同社が小山市に工場を構えるゆかりから今回の展示が実現した。小山工場の敷地内には、一郎の足跡を顕彰する野澤一郎記念館が建てられている。
なお、本展は2019年に真岡市の久保記念観光文化交流館にて開催された同企画の第2弾となる。
野澤一郎コレクションハイライト
栃木県立美術館所蔵の野澤一郎コレクションは、江戸後期~昭和時代に中央で活躍した著名日本画家の作品と、栃木県ゆかりの日本画家による作品が含まれる24点のコレクションであり、今回はそのうち21点を紹介する展覧会となる。
コレクションのなかでも目玉となるのは椿椿山《花籠》である。椿椿山(1801-1854)は江戸後期に活躍した画人で、谷文晁の高弟として知られる。《花籠》は輪郭線を描かず色の濃淡によって形を表わす「没骨法」によって描かれた作品で、椿山の中国画学習の成果を見ることができる作品である。
川合玉堂(1873-1957)《秋景山水》は、日本的な情緒あふれる風景画を得意とした作家の巧みな画技を示す作品である。海から吹く強い風に煽られる海岸風景を描いた山水画で、はっきりとした水平線が描かれていることも珍しいが、画面奥から手前右に吹き荒れる強い海風を、木々の枝葉を大きくしならせる巧みな描写で表現するという創意工夫が見られる作品である。
小室翠雲(1874-1945)《瑞西所見》はアルプス連峰の峻険な山並みと放牧された牛の姿を描いた雄大で牧歌的な作品である。日本画で西洋の風景を描いた意欲的な作品である一方で、本作が制作された1931年は、前年にドイツ政府主催でベルリンで開催された「現代日本画展覧会」のために翠雲が渡欧していた年でもあり、近代日本画を世界に示そうと積極的に行動していた当時の日本画壇の動きを背景に持つ作品としても重要である。
栃木県出身作家からは、田﨑草雲と松本姿水を紹介したい。田﨑草雲(1815-1898)は、親戚の金井烏洲に画技を学び、幕末には足利藩の絵師として活躍した絵師である。維新後は多様な新しい南画の表現を追求し、1890年には最初の帝室技芸員に選出された。《夏山過雨》は草雲が追求した南画の描き方をよく示す作品であり、師から継承し得意とした
松本姿水(1887-1972)は宇都宮市出身の日本画家である。川合玉堂に師事し、文展・帝展で活躍した。また白馬会洋画研究所で黒田清輝に洋画も学んでいる。花鳥画や風景画を得意とし、玉堂譲りの叙情豊かで伸びやかな描写を特徴とする。《彩秋》は姿水花鳥画の特徴をよく示す作品で、構図や色彩のグラデーションに高い技量を見ることができる。
野澤コレクションにはわずかながら彫刻作品も含まれる。木内克(1892-1977)は水戸市生まれの彫刻家。朝倉文夫の彫塑塾に習ったのち渡欧し、アントワーヌ・ブールデルのもとで約1年間指導を受けた。1959年、真岡高校の校庭に創立60周年記念事業として一郎の胸像が建立されることになり、美術批評家・久保貞次郎の仲介で木内に制作が依頼された。一郎は1957年に母校の真岡高校に500万円を寄付し、それを財源に同校内に「野澤一郎育英会」が設立されていた。体育・文化芸術活動の振興に関する援助や真岡高校卒業生に対する表彰事業に活用されており、その業績を称え胸像が建立されるに至ったものである。本展では木内によるブロンズ彫刻の《裸婦》も出品されている。自身も画家としても活動した一郎の他の美術家との交流を示す作品である。なお本展では、真岡高校校庭に建つ一郎の胸像から型を取って複製された胸像も巴コーポレーションから貸し出され、展示されることになった。
そのほか、本展では橋本雅邦、前田青邨、安田靫彦、竹内栖鳳ら近代日本画家による作品も野澤コレクションとして展示されている。野澤コレクションは栃木県立美術館所蔵作品のなかでも質の高い作品を含んでおり、常設展などでも頻繁に活用されている。県立美術館に寄贈された個人コレクションをまとめて見ることのできる貴重な機会として、来訪をお勧めしたい。
コレクションは流動する
「コレクションを考える」という大きく構えたテーマで目的地も見えぬまま始めた本連載であるが、コレクターを顕彰する展覧会、私的コレクションが公立美術館になった事例、そして今回の美術館に寄贈された個人コレクションを再パッケージ化した展覧会の紹介と続けてみると、本連載ではコレクションの持つ「流動性」という特質を浮き彫りにしているように自ら感じている。個々の作品が売却や譲渡によって流動することももちろんだが、一定のまとまりをもったコレクションという単位でも、場所や形を変える性質を持っているということである。今後も多様な角度から「コレクション」についての考察を重ねていきたい。
アートリンクとちぎ2022 栃木県立美術館収蔵品展「野澤一郎が愛した美術」
会期:2022年4月23日(土)~6月5日(日)
会場:小山市立車屋美術館
(栃木県小山市乙女3-10-34)