2022年05月15日号
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キュレーターズノート

第一言語をアイヌ語にするために──国立アイヌ民族博物館の挑戦

小林美紀(国立アイヌ民族博物館)/深澤美香​(国立アイヌ民族博物館)

2022年04月15日号

国立アイヌ民族博物館(以下、当館)はウポポイ(民族共生象徴空間)の主要な施設のひとつとして、「先住民族であるアイヌの尊厳を尊重し、国内外のアイヌの歴史・文化に関する正しい認識と理解を促進するとともに、新たなアイヌ文化の創造及び発展に寄与する」という理念を掲げている。ウポポイでは、アイヌ語を第一言語としており、園内の施設名等の各種表示や当館の主要な展示解説文など多言語表記をしている箇所では、基本的にアイヌ語を一番先頭に表示している。


ウコアㇷ゚「私たちの交流」の表示


アイヌ語は日本列島北部とその周辺の地域で話されてきた言語である。明治以降の同化政策によりアイヌ語は次第に生活から切り離され、2009年にユネスコにより「消滅の危機にある言語」のうち「極めて深刻」な度合いとして位置づけられた。現在アイヌ語だけで日常生活を送っている人はいない。そのような状況のなかで施設名や展示解説文をアイヌ語で表示するのは容易ではなく、検討すべき大きな課題がいくつかあった。それが①方言、②表記、③新語の3つである。

方言と表記の方針を検討する

課題検討のため、開館の約3年前の2017年にアイヌ語研究者や有識者で構成される「国立アイヌ民族博物館におけるアイヌ語表示・展示解説検討委員会」(以下、委員会)を当時の公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構(現在の公益財団法人アイヌ民族文化財団)が立ち上げた

アイヌ語には当然ながらさまざまな方言があり、標準語は定められていないため、表示や展示解説文に用いる方言をどう選定すべきかを議論した。委員会では各地のアイヌ語学習者に集まってもらい、意見交換する機会を設けるなどし、検討を重ねた。博物館の展示ということを考えた場合、ひとつの方言を用いたほうが統一感があり、理解しやすいなどの意見もあった。しかし、それを行なう場合、どの方言を選ぶべきかは非常に難しい選択になることが予想された。意見交換のなかで各地のアイヌ語学習者はそれぞれの方言を非常に大切にしていることを強く再認識させられることとなったからだ。これと並行して、誰がアイヌ語による展示解説文を執筆するかについても検討したが、そのなかでこの取り組みをアイヌ語学習の機会として活用してはどうかとの意見があり、各地のアイヌ語学習者や継承活動をしている人に執筆してもらうことになった。それぞれが各地の方言を大切に思っていることから、方言については、執筆者に希望する方言を選択してもらう方式をとることとした。

また、表記についても現在アイヌ語は主にローマ字やカタカナで表記されるが、正書法は定められておらず、検討課題となっていた。各種表示や展示解説文という性質上、スペースの制限がある箇所については、幅広い年齢層で読めるようにカタカナ表記を優先することにした。また表記の方法については、解説文は執筆者に任せる方針とした。施設名等の各種表示については、当時の北海道ウタリ協会(現在の北海道アイヌ協会)が1994年に発行したアイヌ語テキスト『アコ イタ』の表記法に準じた。

アイヌ語の表示をつくる

これまでのアイヌ語にはない表現や新語についても課題となった。例えば、多くの博物館で備えられている「展示室」や「収蔵庫」もアイヌ語で表示するとなれば、どのように表現するか検討が必要となった。そのため、委員会のもとに2018年「国立アイヌ民族博物館におけるアイヌ語表現・新語検討ワーキング会議」(以下、ワーキング会議)を立ち上げ、検討を進めた。ワーキング会議は、これまでアイヌ語で執筆を重ねてきた経験者や研究者、アイヌ語の知識があるウポポイ職員がメンバーとなった。

開館の約2年前にワーキング会議が立ち上がったわけだが、検討すべき表現や単語は数多くあった。また検討の過程を後々振り返ることが可能なように記録に残すべきであるとの意見も委員から寄せられた。そのため、顔を合わせての会議だけでなく、オンライン掲示板を作成し、使用した。この掲示板は、委員会やワーキング会議、アイヌ語による解説文執筆者などのメンバーが閲覧や書き込みができるように設定した。掲示板でアイヌ語の案を出し合い、議論をしつつ、出されたすべての案について対面のワーキング会議にて文法的な誤りがないかを検討した。そして、この会議をとおった案のなかから、ウポポイ職員が実際に表示として使用するものを絞り込み、委員会にて承認を受ける手順で選定した。

例えば、現在当館では「展示室」はイコンプ、「収蔵庫」はイコㇿ プと表現している。イコは「宝」、トンプは「部屋」、そしてプは「倉」という意味だ。直訳的には展示室は「宝部屋」、収蔵庫は「宝倉」のようになっているわけだが、ここでのイコは「資料」を想定して表現されている。このように単語と単語を組み合わせて新たに表現を生み出した場合もあるが、既存の語の意味を拡張して使用した例もある。例えば、基本展示室のなかに「私たちの交流」というコーナーがある。この「交流」という語も、どう表現すべきか議論を重ねた単語である。「私たちの交流」は、さまざまな文化や民族との交流を伝えるコーナーである。アイヌ語にはウイマ「交易(する)」という語があるが、ここでの「交流」は物品のやりとりのみならず、人と人との交流も含んだ意味をもっている。そこでウコアㇷ゚「往来(する)、お互いに行き来する」という語を「交流」にあたる語として選定した。

このようにして検討した語や表現は183となり、現在、園内の表示などに使われている。しかし、これらはあくまで表現の一例に過ぎない。検討の過程ではより多くの表現が生まれた。それらは記録されており、後々公開していく予定である。また、現在各地にアイヌ語を学ぶ人がおり、ウポポイの外でも新たなアイヌ語が生まれている。



イコンプ「展示室」の案内表示



イコ プ「収蔵庫」の表示

アイヌ語による解説文の執筆

当館では、他館でいう「常設展示室」を「基本展示室」と呼んでいる。基本展示室では、「イタ」(私たちのことば)、「イノミ」(私たちの世界)、「ウレパ」(私たちのくらし)、「ウパㇱクマ」(私たちの歴史)、「ネㇷ゚キ」(私たちのしごと)、「ウコアㇷ゚」(私たちの交流)の6つの大テーマにわけてアイヌの歴史や文化を紹介している。この大テーマはそれぞれ3つから5つの中テーマから構成されており、中テーマごとにモノ、文書、絵画、映像などの資料が展示される。この中テーマにつく解説文がアイヌ語、日本語、英語、中国語(簡体字)、韓国語で書かれており、基本展示室の主要な考え方を示す解説文と位置づけられている。

通常、博物館の常設の展示解説というのは、館内職員によって執筆されることが多い。しかしながら、当館(当時の設立準備室)の研究員や学芸員には、アイヌ民族にルーツを持つ人もいれば、そうでない人もおり、また、全員アイヌ語ができるというわけではなかった。こうした状況のなかでアイヌ語による解説文を作成するためには、職員だけでなく、館外の方の協力を得て進めていく必要があった。

アイヌ語による解説文の執筆者は10代から70代の9名で、アイヌ語の学習歴や学習方言もさまざまであった。これまで各地でフィールドワークをしてきたアイヌ語の研究者や専門家とペアを組んでもらい、データ提供を始めとした助言や校閲を受ける形で執筆を進めてもらった。

解説文の作成は、当館職員が日本語で原案を作り、そこから重要なキーワードを提示するということから始まった。執筆者はそれらを材料として自ら選んだアイヌ語の方言で執筆するのだが、執筆者自身の考えや主張は汲み取りつつ解説文に盛り込んでもらったため、原案から内容も含めて大きく変わったものも少なくなかった。結果的に日本語の解説文はアイヌ語の解説文に沿って原案から翻訳し直したものとなり、名実ともにアイヌ語が第一言語となった。



アイヌ語で書かれた中テーマ解説文:スクㇷ゚「人の一生」


解説文のなかの「私たち」

前述の各地のアイヌ語学習者との意見交換会では、解説文に「私たち」という表現を用いることに異議が生じていた。当館で勤務するのはアイヌ民族だけではないというのが理由であった。このような意見を受けて、当初の日本語原案では「アイヌ民族」や「アイヌの人々」などという主語を用い、アイヌ語で執筆してもらう際にも「まずは人称接辞をつけない3人称の形で書いてほしい」とお願いをすることとなった。

アイヌ語は日本語と異なる文法をもっており、その最たる例のひとつに、動詞には人称接辞をつけて人称を表示するというものがある。例えば、日本語で「食事する」と言えば、文脈によって主語は1人称の「私たち」かもしれないし、3人称の「彼ら」かもしれない、あるいは別の解釈だってあり得る。しかし、アイヌ語では「私たち」が主語の場合には、イペアン(ipe=an)、もしくはイペアㇱ(ipe=as)と言い、「彼ら」が主語のときはイペ(ipe)と言う。つまり、イペという動詞にアン(=an)やアㇱ(=as)のような1人称複数主語を表わす人称接辞をつけなければ、自動的に「彼らが食事する」という意味になってしまうのである。

とはいえ、いざ蓋を開けてみると状況は一転した。アイヌ語の執筆者から「3人称で書くと客観的になりすぎる」、「主語は『私たち』にしたい」、「視点はアイヌ自身に置くべきではないか」という意見が出てきたためである。最終的に、主語を3人称にするか1人称にするかは統一せず各執筆者に任せることなり、アイヌ語で「私たち」と書かれていれば、日本語でもそのように翻訳した。

アイヌ語を第一言語に

解説文の主語の判断は一見すると文字面のことのように思えるかもしれない。しかし、執筆者から出てきた意見のとおり、これは単なる文字面の問題ではなく、文章を書く視点の問題なのである。例えば、アイヌ民族を「自らとは切り離した他者」とする視点から書かれた文章の場合、「アイヌ民族」という3人称の主語から「私たち」という1人称の主語に置き換えるだけでは調整が済まないことは多い。主語を置き換えた途端、ひとつの文章のなかで2つの視点がせめぎ合い、多分に違和感を与える文章となってしまうからである。一方、「私たち」のことばであるアイヌ語で執筆した解説文は、「私たち」という視点とコンテクストに支えられ、日本語原案よりもはるかに説得力を持つものとなったことは言うまでもなく、そのことはアイヌ語による解説文に合わせて日本語に翻訳し直す過程で特に実感するものであった。

また、方言をひとつに固定せず、各地の執筆者に内容も検討してもらったことで、この小さな展示室のなかに地域による多様性が表現されたことも良かった点であろう。このような過程のなかで作成されたということもあり、博物館では珍しいことであるが、執筆者名と方言がアイヌ語による解説文の最後に明記しているのも当館の特徴である。執筆者には、音声ガイドのなかでも各自が執筆した解説文のアイヌ語ナレーターとして活躍してもらっている。

なお、2020年に当館がオープンした後も、特別展示などの挨拶文は毎回当館の職員がアイヌ語で執筆するということを続けてきた。特筆するとすれば、2021年夏に当館で開催した特別展示「ゴールデンカムイ トラノ アㇷ゚アン ─杉元佐一とアシㇼパが旅する世界─」 で、当館の研究員や学芸員がさまざまなアイヌ語の方言で解説文を書いたことであろう。

そして現在、当館の基本展示室では、新たなアイヌ語による解説文を準備中である。執筆者の視点から伝える多様で個性豊かな解説文に、是非ご期待いただきたい。


★──公益財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構は2017年に民族共生象徴空間の運営主体として指定された。


参考文献:
小林美紀「ウポポイでのアイヌ語表示・展示解説の試み」『月刊みんぱく』第44巻第9号(国立民族学博物館、2020)
深澤美香・naakay(中井貴規)「連載報告 多言語社会ニッポン アイヌ語:an=kor itak ani an=kor puri an=eisoytak(私たちのことばで私たちの文化を語る)」『ことばと社会』23号(三元社、『ことばと社会』編集委員会、2021)
深澤美香・矢崎春菜「アイヌ語の継承に向けて」『月刊社会教育』2020年10月号(旬報社)
深澤美香「国立アイヌ民族博物館とアイヌ語」『K』No.001(研文社、2021)

国立アイヌ民族博物館

住所:北海道白老郡白老町若草町2丁目3 ウポポイ(民族共生象徴空間)内

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