キュレーターズノート
「共演者」がもたらす想像力──AIとパフォーミングアーツの現在
竹下暁子(山口情報芸術センター[YCAM])
2022年09月15日号
対象美術館
AIや、それを支えるテクノロジーが人々の熱い視線を集めるようになって久しい。我々の日常のなかにも自然と溶け込むようになったそれらの存在がいまだに時折SNSなどでバズを集めるのは、AIがつくり出す予想を超えた精度のものに、人の意思が介在しない(かのように見える)という、ある種の神秘性を感じさせるからでもあるだろう。
では、アートの、特に生身の身体を通したパフォーミングアーツの現場では、そういったテクノロジーはどのように人間たちと交差し、表現に影響を与えているのだろうか。テクノロジーと身体の新しい関係を追求するいくつもの研究開発プロジェクトに携わってきた山口情報芸術センター[YCAM]のパフォーミングアーツ・プロデューサー竹下暁子氏に、近年の同館での試みについてご執筆いただいた。(artscape編集部)
自分自身と共演するアーティストたち
YCAMでは国内外のアーティストやクリエーターとともに、インスタレーションや舞台、ワークショップ、映画といったさまざまな形態のオリジナルの作品を制作し、発表してきました。パフォーミングアーツの分野では、同時代のメディアテクノロジーを使ってどのような身体表現がいま可能なのか。またそうしたテクノロジーと接する私たちの身体にはどのような影響があり、その結果、私たちが抱く身体のイメージはどう変わっていくのか、というテーマを追求してきました。
ここでは、2022年にYCAMで発表、また制作が進む作品を中心に、AIとパフォーマンスの試みを紹介していきます。
2022年6月4〜5日に上演された『Echoes for unknown egos─発現しあう響きたち』は、打楽器奏者の石若駿とYCAM、そしてAIの研究者/クリエーターである野原恵祐と小林篤矢らが、約1年半に及ぶ共同研究開発を通して制作したパフォーマンス作品です。それは、石若がそのキャリアのなかで取り組んできた即興のドラムソロを題材に、〈自分と共演する〉というアイデアを、テクノロジーを通じて実現する試みでもありました。
自分との共演、つまり実演家の特徴を学習させたAIと、実演家自身が共演するというアイデアは、実はYCAMにとって本作が初めてではありません。
2019年、フラメンコの革命児とも言われるダンサー、イスラエル・ガルバンとのコラボレーションから生まれた『Israel & イスラエル』 は、彼の代名詞でもある高速かつ複雑なサパテアード(フラメンコにおける足技)を学習させたAIと、ガルバン自身がステージ上でセッションを行なう作品です。
ガルバンが即興的に踊ったサパテアードを、フラメンコシューズやステージの床に取り付けたセンサーやマイクで取得し、その次のステップ──ガルバンならどのようなサパテアードを行なうのか──をAIが予測。その結果をソレノイドと呼ばれる、電気信号で上下する機構(アクチュエーター)が床を打ち付け表現します。
ガルバンは、自分をパーカッションのミュージシャンになぞらえるほど、彼の身体が生み出す音を単なるダンスの付属物だと捉えていません。もちろんこれは総じてフラメンコというジャンルについても当てはまることでもあり、だからこそ音や振動を介したAIとコミュニケーションが可能な創作でした。逆に言えば、このときガルバンはAIの生じさせる音によって、AIの「身体」やその動きを想像できていたのではないかと思うのです。
テクノロジーが描く「共演者」
翻って、その約2年後に制作された先述の『Echoes for unknown egos─発現しあう響きたち』は、AIをはじめとするテクノロジーと人間のパフォーマーが、AIが発する音に、もっと言えば、AIと一緒に音楽をつくることにこだわった作品と言えます。
初期の段階からAIの導入が検討され、最終的にはAIをはじめとするさまざまなメディアテクノロジーによって、石若の演奏の特徴を持った「共演者」がつくり出されました。この共演者たちをこの作品では「エージェント」
と呼んでいます。では石若らしさとはどこに現われるのでしょうか。振り返ってみるとこの創作は、石若の演奏を、演奏中に石若が体内で刻んでいるリズム、実際に身体の外に現われるリズム、メロディ、過去の自分の演奏との比較、演奏全体を俯瞰する指揮者、というような複数の要素に分解し、それぞれをエージェントとのセッションとして再構成する試みだったと言えます。
創作が終盤に差し掛かり、石若が共演相手(としての自分)に何を求めるのかが明確化していくにつれ、エージェントに「耳を持ってほしい」という石若の言葉がキーワードになっていきました。ここでいう「耳を持つ」というのは、サイバネティクス的な、人間の耳をセンサーで置き換えるということではありません。即興演奏において、人間の奏者はいま目の前で起こっている演奏だけを捉えているのではなく、この後どのような音楽的展開が起きるのか、もしくはライブ全体においていまのシーンはどの部分を構成するのかなど、つねにメタな視点を持っています。この能力をテクノロジーで翻訳するとしたらどうなるのでしょうか。
突破口になったのが「メタエージェント」と呼ばれるエージェントでした。即興演奏を体現するためにそれ以前に登場したエージェントたちは、石若のリアルタイムの演奏に対して、石若らしいリズムやメロディを返します。しかし「メタエージェント」はパフォーマンスの冒頭に行なわれる石若のソロ演奏を解析することでそれを演奏全体の基準とし、そのうえで各シーンでのエージェントの状態を俯瞰し、いつどのタイミングでどのエージェントが演奏するのかを選択する、いわば指揮者のような存在なのです。
このメタエージェントの開発により、石若はエージェント(共演者)に自分自身の演奏について「教える」ことができるようになったと感じた、と言います。つまりコミュニケーションができる相手として、そこには何らかの「意思」のような手応えが感じられ、作品は飛躍的に進化しました。ただ、ここでの「意思を持つ」とは、AIを含むエージェントがより人間らしく感じられるから良い、ということを指すわけではありません。同様に、この作品は各エージェントが、石若の代わりに石若そっくりの演奏をすることを目指したプロジェクトではなく、石若らしさをまとったAIの、しかしあくまで「いままでにない演奏」に演奏家が刺激を受けた試みと言えます。
その意味ではAIがいかにアーティストを拡張するのかを検証するプロジェクトなのですが、実際の創作の現場にいると、この「拡張」という言葉でまとめてしまうにはあまりに繊細で多様な感覚で、アーティストはもちろん、エンジニアたちがAIを捉えているように感じます。
もちろん個々の作品やアーティストごとにそれらと自分の間に感じる感覚は異なりますが、例えば、イスラエル・ガルバンは、いままで自分はほかのダンサーと共演してこなかったが、セッションをしてみて自分はなぜかAIとなら踊れると感じた。それはどこか自分のような、そしてお互いの間に火花が散るような関係だ、と語っています。
一方、石若は、AIの演奏に自分らしさを感じるとともに、自分自身の演奏について教えてあげられる存在。また一緒に演奏することでその演奏にフレームや質感を加えることを試みることが誘発され、そのうちに自分の奏法が進化してしまうと言っています。
創作におけるAIについては、いまだ言葉を尽くして語られてはいないと感じますが、この曰く言いがたい手触りや存在感に、次の創作のヒントが隠されている気がしてなりません。この二つの作品は、人間の創造力をインスパイアするAIというものの先に、さらに豊かな複雑さがあることを知るクリエーションだったと感じています。
人間だけが持てることば
『Echoes for unknown egos』に登場するAI、エージェントたちは、石若の演奏にフォーカスされるかたちで応用、開発されたものでした。
しかしこうした表現が可能になった背景には、知らず知らずのうちに私たちがAIに取り囲まれて生活している日常があります。その多くは私たちがむしろAIとも認識していないサービスとして存在しているとも言えるでしょう。ネットワークやAI技術の高度化などにより、私たちはデータとして収集され、分析されており、その結果、個人に「最適化した」AIからのアシストは身近なものになったと言えます。こうしたカメラやマイク、センサー、ネットワークと組み合わされたAI、つまりマシンたちに目を向けたのが、今年11月12日〜2023年1月29日に公開を予定している新作パフォーマンス『アンラーニング・ランゲージ』です。
本作はプログラミング言語を使って表現活動をするアーティスト、ローレン・リー・マッカーシーとカイル・マクドナルドとYCAMの共同制作で、これまでにも情報化社会を批評的に捉え、マシンと人間の関わりを問いかけてきた二人によるユーモラスでシャープな視点が期待されます。
観客が作品空間に足を踏み入れると、AIによってある実験への参加を促されます。
語りかけてくるAIに応えるかたちで、観客同士共同でAIが出してくるミッションをこなしていくのですが、AIはそのような観客の表情、言葉、身体の動きを検出、分析しようとします。もしも認識されてしまうと、さまざまな手段で観客を妨害してくるため、やりとりを続けるためにはその場でマシンには認識されないコミュニケーションを発明する必要があるのです。AIには理解できない人間だけの言語(コミュニケーション)とは。体験しながら人間とマシンの違いについて考えていく作品と言えます。
この作品の背景には、YCAMが2020年から行なってきた「鎖国 [Walled Garden]」という研究開発プロジェクトがあります。これはインターネットが一般に普及して約20年という年に開始され、以来、私たちの個人情報やプライバシーのありかたについて、オリジナルのワークショップを開発、実施することを通して考えてきました。
そのうちのひとつが2020年度、作家のひとりでもあるマクドナルドとYCAMが開発したワークショップ『私はネットでできている?』です。 先程も触れましたが、日々やりとりしているメール、ソーシャルメディアへの投稿、検索といったインターネット上の私たちの活動の多くは、サービスを提供する企業によって、収集、分析されることで、私たちの活動は予測され、第三者にその予測データが販売されることで、より企業にとって効率の良い購買行動へと結び付けられています。どのようなタイミングで、どのような行動への意欲が高まるのか、私たちが知っているよりも、サービスを提供する企業の方が私たちのことをよく知っていると言えるのかもしれません。
このワークショップでマクドナルドが開発したのは、プラットフォーム企業が知っている〈私の姿〉を可視化するアプリケーション「鎖国エクスプローラー」
でした。このアプリケーションは、企業がユーザーサポートの一環として行なっている、企業側が取得したデータの一部をダウンロードできる機能を使います。それはそのままであれば意味の見出しにくいデータなのですが、これをカレンダー方式で表示します。このアプリケーションによって、何月何日何時に誰にメールを送ったのか、どこにいたのか、何を検索し、どのような動画を再生したのか、といった詳細な活動履歴がひと目で閲覧できるようになるのです。なぜこうした社会的事象をアーティストやアートセンターが扱うのでしょうか。この問題の射程は、単にサービスと引き換えに、私たちの行動が原料として扱われ、企業に莫大な利益をもたらしている、という不均衡さにとどまりません。それは過去の行動によって未来の行動の選択肢が無意識的に狭められてしまう、という私たちの意志に影響する新たな環境の出現であり、人間の創造力に関わる課題なのです。
もちろんこのトピックには人によってさまざまな意見があるでしょう。『アンラーニング・ランゲージ』が公開される約2カ月半、トークやワークショップ、対話型鑑賞プログラムを通じて、さまざまなアイデアが交換される場をYCAMは目指します。
表現の領域ではフィクションを通じて未来の世界を描くことが可能です。しかし、今回ご紹介した作品では、現在すでに存在しているメディアテクノロジーを応用することで、AIやマシンといったものに目に見える、耳で聞こえる姿を与えています。それは映画や小説、コミックなど描かれてきたよりも、拍子抜けするほどずっとシンプルで限定的なテクノロジーかもしれません。しかし、そうしたリアルな姿が私たちに想像させる問いは、日常と地続きの未来に私たちの参加を促すのではないかと思っています。
鎖国[Walled Garden]プロジェクト2022
アンラーニング・ランゲージ
会期:2022年10月29日(土)〜2023年1月29日(日)
会場:山口情報芸術センター[YCAM](山口県山口市中園町7-7)
公式サイト:https://www.ycam.jp/events/2022/unlearning-language/