キュレーターズノート

巡回展をつくる──「川内倫子:M/E 球体の上 無限の連なり」展

荒井保洋(滋賀県立美術館)

2022年12月15日号

はじめにまず、個人的な話をすれば、2015年に滋賀県立近代美術館に着任してから、4年強の休館を経て2021年6月に滋賀県立美術館としてリニューアルオープンするまで、キュレーターとしてのキャリアのほとんどを、休館した美術館での設計協議と再開館準備、そしてその一環である館外展示の企画に費やしてきた。初めて美術館の展示室で企画したのが、リニューアルオープン記念展「Soft Territoryかかわりのあわい」であり、「川内倫子:M/E 球体の上 無限の連なり」は二つ目の担当企画展である。当然、川内倫子展のような大掛かりな巡回展も個展も、どちらも初めての経験だった。


巡回展の第一会場である東京オペラシティ アートギャラリーでの展示風景[撮影:木奥恵三]


展覧会をつくる──作家と1対1で向き合う孤独な作業

休館中に企画していた「アートスポットプロジェクト」は、県内の空き家や空き店舗を借りて、県にゆかりのある若手作家と新作を中心にした企画展を行なうというもので、2018年から計3回に渡って開催した。そして、その集大成として企画したのが、12名の作家と構成したリニューアルオープン記念展「Soft Territory かかわりのあわい」だった。これらの展示では、各作家と1対1で、ときには複数の作家と一緒にミーティングしながら、展示内容を練り上げ、展覧会を構成していった。一方、企画や予算管理、空間構成、テキスト執筆などは、特に、再開館を控えて美術館のすべてのスタッフが多くのタスクを抱えていた当時、基本的にキュレーターである自分ひとりでハンドリングしなければならなかった。キュレーターの思いを反映させやすい反面、今振り返れば、そこにはやはり個人の限界があり、自覚していた以上に出品作家の面々に多くの刺激とサポートを受けていたからこそ実現できたものだったと感じる。いずれにせよ、組織のなかで仕事をしながらも、これまで展覧会をつくる作業は孤独なものだと思っていた。だが、「川内倫子:M/E 球体の上 無限の連なり」での経験はまったく違うものだった。

巡回展をつくる─異なる分野のプロフェッショナルたちとともに具現化する

川内倫子は2001年のデビュー作「うたたね」「花火」で木村伊兵衛写真賞を受賞し、2009年、ニューヨークにある国際写真センター(ICP)が主催するインフィニティ・アワード芸術部門を受賞、今年2022年11月には、国際的な写真賞であるSony World Photography Award 2023のOCP(特別功労賞)を日本人として初めて受賞した。「川内倫子:M/E 球体の上 無限の連なり」は、日本を代表する写真家のひとりである川内の、2016年の「川が私を受け入れてくれた」(熊本市現代美術館)以来、国内では6年ぶりであり、そして故郷である滋賀県では初めてとなる大規模な個展である。本展は東京オペラシティ アートギャラリーで2022年10月8日から12月18日まで開催したあと、滋賀県立美術館で年が明けて2023年1月21日から3月26日まで開催される。当館にとってはリニューアルオープン以降、初めての存命作家の個展となる。

当館ではリニューアル前に今後の展覧会のスケジュールを検討していた段階から、ぜひ川内倫子の個展を開催したいと考えていた。ちょうど朝日新聞社が川内の個展の企画を温めていたことから、最終的には朝日新聞社と東京オペラシティ アートギャラリー、そして滋賀県立美術館が主催として企画段階から関わってきた。

個展のつくり方にはさまざまな形があるが、企画のミーティングを重ねるなかで、過去の代表作を総覧するような回顧展的な構成は、川内も、東京オペラシティ アートギャラリーのキュレーターである瀧上華も私も否定的だった。そこで川内から最新作である〈M/E〉を中心とした展示にする案が出され、私たちキュレーターから〈M/E〉のコンセプトに向かって、未発表の作品を中心に展示していく構成を提案した。そしてカタログや広報等のグラフィックデザインだけでなく、展示の空間デザインも対等にクリエイティブな意見を出し合える専門家にお願いしたいという川内の希望から、グラフィックデザインは須山悠里に、空間デザインは中山英之に、それぞれ依頼することになった。

展示を構成していくミーティングは非常に面白かった。川内の言葉は、ときに感覚的ながらその目指すところを明確に示していた。中山は川内の言葉を受け止め、さらに解釈し、鑑賞体験の密度を高めるデザインを提案していった。中山の提案によって、川内の作品構成も影響を受け、ミーティングの前は朧げだった展示のイメージが、そのあとはっきりと像を結ぶようなことが何度も起こった。それは例えばオペラシティ アートギャラリーに現われた天井の高い細い廊下であり、そして〈M/E〉の展示の中央にあるひだ状の構造物である。

川内は企画の最初期から、〈M/E〉の展示においてはオープンな鑑賞体験と、クローズな鑑賞体験をどちらも実現したいと話していた。それは、川内が〈M/E〉の撮影地のひとつとなったアイスランドの旧火山の中に立ちいったときに体験した、まるで子宮のなかにいるかのような身体感覚だった。中山が参加する前、チームではこの体験を生み出す部分を「トンネル」や「かまくら」と呼んでいた。中山と川内による最初のミーティングにおいて、川内の説明を聞いたあとに中山が漏らした言葉に、「スカートの中に潜り込むような」というフレーズがあった。これまでチームで考えていたイメージとはいささかかけ離れた表現だったが、私は不思議と納得したことを覚えている。

結果として、中山が提案した構造体は、170mの一枚の布をふんわりと折り畳んでいくことで出来上がる形をトンネル状にくり抜く、というものだった。実現にはさまざまなハードルが存在したが、最終的に立ち上がった構造体は、内と外を区切りながらも断絶させない、自然の力で作られた洞窟のような、あるいは何かの内蔵の中に入り込んだような、有機的な空間となった。



東京オペラシティ アートギャラリー展示風景[撮影:木奥恵三]



東京オペラシティ アートギャラリー展示風景[撮影:木奥恵三]


また、今回のミーティングの特徴は、空間デザインのミーティングで重要な決定を下す際に、グラフィック担当の須山が参加していたことだ。須山はカタログなどの印刷物だけでなく、展示空間における会場グラフィックを担当しており、空間全体を作り上げていくうえで、これは理想的な形であったと考えられる。結果として、川内のヴィジョンを実現するために各分野のプロフェッショナルが有機的に作用する体制が構築されていた。

さて、この場合キュレーターの仕事は、各プロフェッショナルのつくり上げた絵を如何に現実に落とし込んでいくか、ということになる。それは予算や法令のハードルとのバランスであったり、それぞれの会場や機材における物理的な制約の確認であったり、ときには施工会社などの別のプロフェッショナルの知恵を借りながら進める必要があった。滋賀県美のキュレーターチームも第一会場のオペラシティの展示作業にほぼ全日程参加し、作品チェックから施工状況の確認を行なった。それは出品作品のほぼすべてが新規プリントとなったこともあり、作品の状態を確認する必要があったことに加え、中山のデザインした展示空間がどのように作用するのか、あるいは施工上にどういったハードルがあるのか、そして川内がなにをチェックし、どこがクオリティラインになるかを、展覧会が滋賀会場に巡回する前に把握するためでもあった。



東京オペラシティ アートギャラリー展示風景[撮影:木奥恵三]



東京オペラシティ アートギャラリー展示風景[撮影:木奥恵三]


東京と滋賀の会場の違い

オペラシティのインストール(設営)に立ち会った経験は、首都東京と地方都市の滋賀県の違いを実感するものでもあった。今回の展覧会に関わったさまざまな業者、特にクリエイティブな部分を担当するプロフェッショナルのほとんどが東京を拠点にしているという単純な事実は、無視できないメリットであることを思い知らされた。オペラシティで発生した多少の手直しや修正の類は、さまざまなプロフェッショナルによって、即日、遅くとも翌日には修正され、無事にオープニングを迎えることができた。もし、それらが滋賀のインストールで発生すれば解決に下手すれば数日を要するものであり、致命的なアクシデントになっていたはずである。もし第一会場が滋賀だったら、と想像すると、背筋が凍る思いだった。

さて、当然のことであるが、オペラシティと滋賀県美では、前提となる展示室の空間がまったく異なる。特に天井高の違いは展覧会の空間構成において大きかった。オペラシティは6mを超える天井の高い抜け感のある空間であるのに対して、滋賀県美の展示室の天井高は4mフラットと、美術館の展示室としては低い部類に入る。そのため、同じ展示の巡回ではあるものの、空間デザインとしてはまったく異なるものになることを前提にミーティングをしてきた。出品する作品のラインナップはほぼ変えずに、川内と中山が目指す作品ごとの鑑賞体験の差異をまったく違う空間でつくり出すことが求められている。



滋賀県立美術館での展示イメージ[提供:中山英之建築設計事務所]



滋賀県立美術館での展示イメージ[提供:中山英之建築設計事務所]



滋賀県立美術館での展示イメージ[提供:中山英之建築設計事務所]


オペラシティの展示では高い天井高と自然光が入る照明環境が、展示の構成に大きく影響を及ぼす特徴だった。滋賀県美では、低い天井高と壁面ガラスケースがあること、展示室と展示室の間に休憩場所として日本庭園が見える小部屋があることが構成に影響している。オペラシティと滋賀県美はどちらもほぼ同じ大きさの二つの展示室で会場が構成される点では共通している。

加えて、滋賀県立美術館の展示では、オペラシティではなかった要素として、通常コレクションを中心とした常設展示室を使用して、「川内倫子と滋賀」と題した特集展示を行なう。これは川内の仕事のなかでも特に滋賀と関わりの深いものを取り上げ、紹介する企画であり、企画展と関連しながらも独立した展示として立ち上げているものである。

「川内倫子:M/E 球体の上 無限の連なり」、ぜひ滋賀県立美術館まで足をお運びいただければ幸いである。


川内倫子:M/E 球体の上 無限の連なり

会期:2022年10月8日(土)~12月18日(日)
会場:東京オペラシティ アートギャラリー(東京都新宿区西新宿3-20-2)

川内倫子:M/E 球体の上 無限の連なり On this sphere Endlessly interlinking

会期:2023年1月21日(土)~3月26日(日)
会場:滋賀県立美術館(滋賀県大津市瀬田南大萱町1740-1)

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