キュレーターズノート

「一見意味がないとされるもの」とも同じ場に集うこと──「ROUTINE RECORDS」での実践を通して

野中祐美子(金沢21世紀美術館)

2023年02月15日号

金沢21世紀美術館には企画展やコレクション展を開催する展覧会ゾーンと、それらを囲むようなかたちで交流ゾーンと呼ばれるエリアがある。今回はこの交流ゾーンの中にあるデザインギャラリーでの取り組みを紹介したい。
デザインギャラリーは全面ガラス張りで、通り過ぎる人たちがガラス越しに展示室の中の様子を見ることができ、気軽にふらっと中に入りやすい。しかも、ミュージアムショップの目の前に位置しているため、ショップの延長だと勘違いする来場者も少なくない。実際、開館当初の構想では、アートとデザインの境界に位置づけられる作品や、ショップへの展開が可能な作品をここで展示するという指針があったと聞いている。また、デザインというキーワードで地域の産業と連携した展示なども行なってきた。
近年の展開としては、2017年から新しく「lab.」という展覧会シリーズが始まった。シリーズ名は、実験室や研究室を意味する「laboratory」の略から取ったものだ。デザインギャラリーを作品展示の場所として用いるだけでなく、調査・研究・実験の場として開きつつ、そのプロセスをプレゼンテーションするという取り組みである。 今回はその「lab.」シリーズ第5弾「lab.5 ROUTINE RECORDS」と題し、福祉実験ユニット「ヘラルボニー」による新しいプロジェクト「ROUTINE RECORDS」を紹介、体験する場として展開している。


「lab.5 ROUTINE RECORDS」展示風景[撮影:木奥惠三/画像提供:金沢21世紀美術館]



すべての知的障害をもった人を対象に

「ヘラルボニー」とは、創設者である双子の兄弟、松田崇弥と松田文登の4歳年上の自閉症の兄、松田翔太が、小学生の頃に自由帳へ繰り返し記した謎の言葉である。「一見意味がないとされるものを世の中に新しい価値として創出したい」という意味を込めて名付けられた福祉実験ユニットは、「障害」という概念の変容と新たな文化の創造を目指し、「異彩を、放て。」をミッションに掲げ、2018年に活動を開始した。国内外の知的障害のある作家とアートライセンス契約を結び、多様な事業を展開している。

障害者のアートというと「アウトサイダーアート」という言葉はいまや広く認知されているし、そういった作品に触れたことのある人も多いだろう。しかし、ヘラルボニーの活動はこれまで私たちが見聞きしてきた、いわゆる知的に障害のある人たちの才能を紹介しようというものではない。障害や福祉のイメージそのものを大きく変えようとする社会変革に近いものだ。

ヘラルボニーのこれまでの取り組みとしては、基本的には知的障害の人のなかでも造形的な感覚が優れた方々の作品をテキスタイルに落とし込んだアパレル商品の開発、食器や小物へのプリントなどをはじめ、電車や自動販売機のラッピングや看板製作、ホテルの部屋をまるごとコーディネートしたり、ラウンジなどの空間デザインを手掛けたりなど、多岐にわたるイメージの活用により社会のなかに彼らの作品を浸透させ、彼らの存在を広めようとするものだ。同時に、お洒落でスタイリッシュなデザインは、障害者へのイメージを変えようという意図がある。

しかし、こうした試みに参加できるのは知的に障害のある方々全員ではなく、ごく限られた一部の人に過ぎないのに対し、今回の「ROUTINE RECORDS」はすべての知的障害をもった人が対象となっている点で大きく異なる。これについては後述するが、ヘラルボニーはこの新しいプロジェクトによって、確実に新たな第一歩を踏もうとしているし、それが公共の施設である美術館を舞台にしたということはきわめて意義深いことに思う。


誰にとっても来館しやすい、楽しい美術館はどんな場所?

今回、金沢21世紀美術館がヘラルボニーに声をかけたのは突然の出来事ではないことを少し書き加えておきたい。

これまで当館では、「みんなの美術館 みんなと美術館」と題し「誰にとっても来館しやすい、楽しい美術館はどんな場所?」というテーマのもと教育普及グループが中心となり、地域の人々と一緒に考えて行動するという試みを実施してきた。開館当初は市内小学4年生全児童招待プロジェクトである「ミュージアム・クルーズ」で、ろう学校の生徒たちを受け入れるという経験から、2016年以降は、「手話」をコミュニケーションに用い耳が聞こえない「ろう者」の人たちと、手話通訳者のサポートを受けながら作品鑑賞や映画上映会などを行なうまでに発展した。積極的にワークショップも開催し、少しずつだがろう者の間で、美術館も外出先のひとつとしてみなしてくださるようになってきたのではないだろうか。

そのようななか、2018年度には「新しい自分と仲間を見つける10のレッスン」と題した美術館ボランティアを対象とする講座を行なった。美術館、作品鑑賞、コミュニケーションについてゲスト講師と学ぶこの講座は、翌2019年度には「美術館がきっともっと面白くなる」という副題にかわり、ボランティアの自己研鑽に加え、市民講座としても開かれた場となった。コロナ禍にオンラインの活動が広まるなか、2021年度の「来館しやすさと楽しさを考える10のレッスン」は、演出家を講師に迎えた美術館散策、手話通訳者と共に体験する作品鑑賞、ダンサーの指導のもと身体表現による新しい自己表現の探求、レッスンの様子を紹介する動画制作などに取り組むことで、美術館にいる自分自身を認識し、経験を他者と共有する、そしてレッスン体験と日常生活のつながりを考えることで、美術館という場所へ親しみを感じてもらうことを目指した。


金沢大学附属特別支援学校での録音と動画撮影の様子


このように、金沢21世紀美術館では、ろう者も健常者も、共に美術館で楽しみを共有する手法をさまざまな専門家と考えてきた。これら一連のプログラムを辛抱強く、そして熱意を持って取り組んできた筆者の同僚であるエデュケーターの吉備久美子が、これまでの経験を踏まえ今回初めて知的障害者と関わる本格的なプログラムとして、デザインギャラリーを舞台に企画したのが「lab.5 ROUTINE RECORDS」だ。これは「誰にとっても来館しやすい、楽しい美術館はどんな場所?」の一環であると同時に、金沢21世紀美術館にとって新しい挑戦でもあった。ヘラルボニーとともに、まさに実験室で手探りにスタートした試みである。


「lab.5 ROUTINE RECORDS」展示風景[撮影:木奥惠三/画像提供:金沢21世紀美術館]



ありのままでいられる日常と、そのなかでのルーティン

自閉症の行動特性のひとつとして、同じものに興味を持ち続けたり、同じ動作やパターンでの行動を好むなど、繰り返し行動、すなわちルーティン行動というものがある。例えば、同じ単語を繰り返し唱える、同じ物を毎日持ち続ける、決まった時間になると同じ言葉を発する、同じ道を必ず通るなど、その行動内容は人によって異なるものの、必ずルーティン行動が存在する。今回の企画は、知的に障害のある人が「ただそこにありのままでいられる日常」において、習慣的に繰り返す行動から生まれる音や音声を集め、音楽へと昇華させようという試みだ。


「lab.5 ROUTINE RECORDS」展示風景[撮影:木奥惠三/画像提供:金沢21世紀美術館]


ヘラルボニーの松田崇弥・文登は会場に次のようなメッセージを掲げた。


「ん〜」「さんね」「な〜い」「し〜んかんせ〜ん」

4歳上、重度の知的障害を伴う自閉症の兄・翔太は今日も、謎の言葉を延々と唱え続けている。響き自体が心地いいのだろうか、意味や意図はあるのだろうか。ふとすると自宅で聞こえてくる謎で愛おしい環境音は、外出先では奇異の目に晒される音に変貌を遂げる。これは兄だけに限った言動ではない。知的障害のある人の、自閉症のある人の、不思議な行動特性でもあるのだ。不思議で愛おしく謎に満ちた彼等の繰り返す言葉の数々が「金沢21世紀美術館」を舞台に音楽へと昇華されていく。あの時、学校で見た、電車で見た、あの風景や音を想像してほしい。知的障害のある人のルーティンがつくりだす、新しい音楽「ROUTINE RECORDS」は、実験的音楽を耳で感じながら、あなたの心の記憶を“繰り返し”再生させるプロジェクトである。


今回のプロジェクトで最初に行なったのが音の採取である。金沢市内とほかの地域の福祉施設や特別支援学校に通う知的に障害のある人々の日常のなかで生まれる音──例えば、パソコンのキーボードを叩く音、教科書のお気に入りのページを持ってバタバタと揺らす音、裏紙をひたすらちぎる音、電卓をたたく音、予定の時間が近づくと数字をカウントダウンする音声、ロープの端と端を持ち床に叩きつける音、椅子に座りながら身体を前後に揺らす音、特定のインスタントラーメンのパッケージをひたすら触る音──いずれも彼らが心地よい、リラックスできているときに生まれる音だ。

繰り返し行動は、必ずしもいいときばかりに出るわけではなく、怒っているとき、不安なとき、悲しいときなどでもその感情を表わす行為として顕れる。しかし、今回の録音では、あえてそうした状況のときの音は録らず、ポジティブな感情のときの音にのみ注力し、合計16のルーティン音を採取した。また、音の採取に協力してもらった知的に障害のある人たちのことをここでは「ルーティナー」と呼んでいる。


「lab.5 ROUTINE RECORDS」展示風景[撮影:木奥惠三/画像提供:金沢21世紀美術館]



音で相手の存在を感じる

デザインギャラリーの中央にはDJブースがあり、来場者がルーティン音を組み合わせて自由に音楽をつくることができる。ブースの前には古びたテニスボールや開封されたラーメンの袋、電卓、プラスチック製のチェーン、ボロボロになった教科書など、どこの家にでもありそうな物が置かれ、その一つひとつに番号が付されている。ガラス壁の近くにはヘッドフォンとレコード盤とレコードジャケットがある。会場入口付近に設置されたモニターからは音楽プロデューサー/トラックメイカーであるKan Sanoが作曲した「Pマママ」とこの曲に使われた音源の主たちが登場したミュージックビデオが流れている。これは実際に訪問した金沢市内の福祉施設で録音したルーティン音を用いて作曲されており、曲名である「Pマママ」は、訪問先の施設で見かけたルーティナーの男性が書いた文面から引用した、意味があるのかないのかわからない不思議な言葉である。


「lab.5 ROUTINE RECORDS」展示風景[撮影:木奥惠三/画像提供:金沢21世紀美術館]


来場者はヘッドフォンでそれぞれのルーティナーたちの音源を聞きながら、音の主がどういう人物でどういうときの音であるのかという説明を読んでその行為を想像したり、身近な誰か、あるいはいつか見た、すれ違った誰かのことを思い出すのかもしれない。


「lab.5 ROUTINE RECORDS」展示風景[撮影:木奥惠三/画像提供:金沢21世紀美術館]


個人的な体験なのだが、彼らから生まれる音にだけ耳を澄まして聞いていると、自分がこれまで出会ってきた障害のある人たちのことや、自分とはどこか関係がないと思っていたかもしれない世界のことが、音や音楽を介してグッと近くなる感覚を覚えた。

Kan Sanoの曲「Pマママ」にこんなフレーズがある。


声に出して わかったこと
耳をすまし 聞こえること
この世界に 生まれたこと
この世界を 去ってゆくこと

あなたが知らないこと
あなただけが知ること
あなたを感じること
あなたのそばにいること
あなたが笑うこと
あなたが怒ること
あなたが涙すること
全部 全部


音というのはとても不思議な性質を持っている。音で相手を感じることができるのだ。これは会場でぜひ体験していただきたい。

さらに、このプロジェクトは実験室としての役割をもっているので、会期中、来場者の積極的な参加が、プロジェクト自体を動かしていくともいえる。1月以降は来場者の体験の充実を図るため、ボランティアスタッフ「lab.リサーチサポーター」と、地元で活躍するDJが月1回ペースで常駐し、来場者と交流しながら展示を活性化させている。来場者は展示を見て実際につくられた楽曲を聞いて常駐しているボランティアと意見交換をしたり、DJが実際に個々の音源を使って見事に新しい音楽をつくり上げていく様子を見たり、DJのアドバイスを受けながら実際に自分で音源を使って音楽をつくり上げるなど、当初目指したラボラトリーとしての機能がようやく動き出してきたように見える。


「lab.5 ROUTINE RECORDS」展示風景[撮影:木奥惠三/画像提供:金沢21世紀美術館]


これまでまったく接点のなかった人たちが知的障害者の人たちの音に耳を傾け、彼らの特性について学び、音楽を通して何らか参画しているこの数カ月間のデザインギャラリーの様子は、それまで社会のなかで起きえなかった関係性を生み出すきっかけになるであろうと期待できるものであった。


「lab.5 ROUTINE RECORDS」展示風景[撮影:木奥惠三/画像提供:金沢21世紀美術館]



障害者教育の専門家では絶対にできない展覧会

会期中、何度かイベントも開催している。オープニングトークでは、株式会社ヘラルボニーの代表である松田崇弥と事前調査や準備、音源の収集に協力してくださった、金沢市内の特別支援学校と福祉施設の関係者が登壇し、準備段階における施設側の取り組み、当事者や保護者、教員や支援員の様子や変化、知的に障害のある人たちと社会との関わりについてなどが語り合われた。同様に、1月には県外の協力してくださった福祉施設の関係者とのトークも開催された。いずれも客席は満席で、障害者とアートというテーマへの関心の高さを改めて実感するとともに、知的障害者と関わる当事者の声を聞くという貴重な機会でもあった。


オープニング・トーク(2022年10月1日開催)の様子


ゲスト・トーク(2023年1月15日開催)の様子


11月にはオンライン上での座談会が開催された。再び松田崇弥と本展覧会企画者である吉備久美子、そしてインクルージョン研究者の野口晃菜が登壇し、野口の専門的な視点からインクルーシブな社会、インクルーシブな美術館について検証しつつ、今回の実験的な試みの可能性について語り合われた。この座談会はいくつかの点でこれからの美術館を考えるうえで非常に示唆的なものだった。

野口が何度も口にしたのは、「(本展覧会は)自分たち(障害者教育の専門家)では絶対にできない展覧会」であるということ。そもそも、繰り返し行動というのは、現場では問題行動とイコールであり、本来は直すべきこととして考えられているのだが、今回はそれらが積極的に受け入れられるということ自体に現場や関係者は驚いたはずだ。さらに研究者であれば、すぐにその繰り返し行動を分析の対象としてみなしがちであることも理由に挙げている。いずれにしても、ヘラルボニーも美術館も、障害者教育に関しては専門家でも何でもないからこそ、障害者のありのままの姿をフラットに受け入れられたのだろう。



オンライン上での座談会(2022年11月30日収録)


従来、専門家がこうした企画や障害者のことを一般に説明する場を与えられると、障害者理解啓発的なものになりがちなのに対し、一人ひとりの音に純粋に着目した今回のような取り組みは一般の人にとって自分と障害者の接点として受け入れやすいという点で、野口は高く評価していた。

また、座談会でもほかのトークイベントでも、松田が自分の兄を起点に物事を考えていることが発言の端々から伝わってきたのはとても印象的だった。つねに兄の様子や兄を見てきた自分という当事者の視点があるからこそ、「こうしたい」「こう変えたい」「兄のため」「兄のような人たちのため」、もっと言えば、「その家族や周囲の人たちのため」といったとてもシンプルで強い原動力があり、ブレがない。それが、起業後たった4年でこれほどまでに会社が大きく成長した要因であることは間違いないだろう。

何か変革を起こすとき、変化を生じさせようとするとき、具体的な相手や目的がはっきりしていることは重要で、それは美術館に置き換えたときも同じだ。


「みんなが集える場」としての美術館

座談会のなかでは、主に次のようなトピックがとりわけ重要な点だったと感じた。

知的障害者のルーティン行動や突発的に発せられる奇声などは、社会に出たら迷惑な行為だから直さなければならないという考えが一般的だ。しかしながら、それは健常者側の都合でしかなく、彼らが社会に出ても困らない社会をつくること、受け入れる体制を整えること、社会が考え方を変えていくことが本当の意味での共生社会となり得るのではないか。そもそも、義務教育の段階から障害の有無による分離教育がなされているなかで、障害者理解や障害者を受け入れる体制をつくれるはずもない。本来は、ひとつの学校やコミュニティのなかに多様な人たちを受け入れる場をつくり、「自分とは異なる人たちとどう共存していくのか」について義務教育の場で考え、学ぶ必要がある。しかしながら、現状は恵まれているとされる教育になればなるほど、多様性を排除した教育現場となっているのである。


「lab.5 ROUTINE RECORDS」展示風景[撮影:木奥惠三/画像提供:金沢21世紀美術館]


これらの議論を踏まえ、美術館の役割についても考えてみたい。

金沢21世紀美術館のミッションステートメントのなかに「まちに活き、市民とつくる、参画交流型の美術館」というものがある。教育、創造、エンターテインメント、コミュニケーションの場など、新たな「まちの広場」としての役割が期待され、市民や産業界などさまざまな組織と連携を図り、まったく新しい美術館活動の展開を当館は目指している。

このミッションに基づくならば、当館はまさにインクルーシブな環境を積極的につくろうとしている美術館だといえる。

子供から大人まで、障害の有無や学歴や収入にかかわらず、美術館はみんなが集える場であり、多様性を受け入れるプラットフォームとして、社会のなかで人々の接続点となる場所でありたいと思っている。

知的に障害のある方々の「音」に耳を傾けることは彼らの「心の声」に耳を傾けることのようにも思うのだが、それを、美術館という開かれた場のなかで、構えることなく親しみやすいかたちで体験でき、さらにその「音」を来場者自身が自分の感覚で楽しむことができたことには、今回大きな可能性を感じた。この「音」だけでは、アートとは言えなかっただろう。しかし、彼らの「音」は誰かの力を借り、誰かが媒介になってくれることで、かけがえのない音楽をつくり上げる協働者となれる。障害のある人たちは自分ひとりでは社会と関わることは難しいかもしれない。しかし、誰かと一緒であれば、誰かの助けがあれば、いくらでも可能性は広がるだろう。

Kan Sanoの歌詞の最後のフレーズがまさにそのことを体現している。


祈りの言葉 Pマママ
世界を見守る Pマママ
私とあなたの Pマママ
あいだにいるよ Pマママ


彼らから生まれる「音」は、彼らと私たちをつなぐ大切な「言葉」でもある。一方で、彼らの音は例えば、Kan Sanoのような音楽家やDJたちによって、多くの人々の元へと届けられる。ROUTINE RECORDSは、彼らの居場所や存在を、社会のなかで受け入れる第一歩でもあるのだ。


これからの20年で

現代美術館として展覧会を企画し、コレクションを収集し、教育普及活動に取り組んで、来場者はそれらを享受するというだけが美術館の役割ではもはやないし、少なくとも金沢21世紀美術館が開館以来目指してきたのはそういう美術館像ではない。この多様な世界において、アーティストはその複雑な状況を作品で表現し、それらを展示という場で紹介し、共に考えるのが私たちの役割である。が、そうした多様な作家、多様な作品を受け入れているのだとすれば、そこに集う人々も当然多様であるべきだし、多様な人たちを受け入れてこそ作品の十分な理解にもつながるのだ。

金沢21世紀美術館は2年後に開館20周年を迎える。この20年間を振り返りながらも、これからの20年でどういう美術館になりたいのか、現代美術館とはどうあるべきか、それはここに集う人々との対話のなかからこそ見えてくると確信している。

本展は、ヘラルボニーにとって初めての美術館での展示であり、初めてのプロジェクトでもあった。これが完成形ではない。あくまでも実験の始まりなのだ。ROUTINE RECORDS自体はここからがスタートで、今後どのように発展していくのかわからない。


「lab.5 ROUTINE RECORDS」展示風景[撮影:木奥惠三/画像提供:金沢21世紀美術館]


松田崇弥が座談会のなかでこんなことを話していた。ROUTINE RECORDSがこれまでのヘラルボニーの活動と大きく違うのは、例えば自分の兄も当たり前に参加できること。すなわち、限られた人たちだけでなく、誰もが当たり前に関わっている状態をつくりたい。

その言葉は、そのまま美術館にも当てはまると感じた。

これからの社会のなかでの美術館という場の存在意義や役割について、いま一度スタッフ全員が共通認識をもってこれからの20年の準備をしていく必要があるだろう。本プロジェクトはそのような私たち美術館に大きな示唆を与えてくれるものであった。

美術館は社会のなかで活きてこそ機能する場だ。社会から隔絶されてしまってはもはやその存在意義はないはずだ。作品が活きてくるのも、そこに集う人々がいてこそなのだから。本当の意味での「みんなの美術館 みんなと美術館」を目指し今後も取り組んでいきたいと思う。


「lab.5 ROUTINE RECORDS」展示風景[撮影:木奥惠三/画像提供:金沢21世紀美術館]




lab.5 ROUTINE RECORDS

会期:2022年10月1日(土)〜2023年3月21日(火・祝)
会場:金沢21世紀美術館 デザインギャラリー(石川県金沢市広坂1-2-1)
公式サイト:https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=17&d=1806
特設サイト:https://routinerecords.com