キュレーターズノート

生活こそすべて。毎日何をしているかだけですもんな、人生は。──坂口恭平日記

坂本顕子(熊本市現代美術館)

2023年02月15日号

2009年、熊本市現代美術館のギャラリーⅢというスペースで「坂口恭平 熊本0円ハウス」という展示を行なった。当時、駆け出しの学芸員だった筆者は、坂口がメインフロアで個展を開催する未来をうまく想像できなかったが、そこから14年の月日を経て、2月11日から「坂口恭平日記 In My Life」として、次世代の学芸員が企画し、700点のパステル画による個展がスタートしたのは本当に感慨深い。

会場内のアトリエスペースでスピーチをする坂口恭平[撮影:山中慎太郎(Qsyum!)]



「建てない建築家」から、東日本大震災を経て

「熊本0円ハウス」展の際にartscapeに書き残していたレポートを久しぶりに読み返すと、「熊本で集めた0円の材料で、1週間で美術館内に0円ハウスを建設してみる」となかなか無茶なことをやっている。坂口恭平は、これまで約40冊の著作を発行し、絵を描き、音楽活動なども行なっているが、その活動の全貌をよくご存じない方のために(筆者もすべて把握しているとはとても言いがたいが)簡単に振り返ってみたい。

当館で初めて展覧会を行なった頃の坂口は、都市に住む路上生活者の家をフィールドワークした『0円ハウス』、続いて『TOKYO 0円ハウス0円生活』『隅田川のエジソン』を出版し、「建築探検家」や「建てない建築家」として連載や展覧会やイベントなどに幅広く登場していた。


《坂口自邸》(2009)熊本市現代美術館蔵


展覧会の際に制作した《坂口自邸》(2009)は、熊本市内外で集めた古材を用い展示室内で即興的に制作したブリコラージュ的作品である。台車をベースにして動かすことができるものの、展示終了後に2階部分が展示室から出ず、結局一部を分解して搬出した。土地の所有に関して疑問を抱き、不動産でなく「可動産」としてのモバイルハウスに可能性を見出していた当時の坂口の思考を端的に示した作品で、結果的に当館の収蔵品となり、今回の個展でも出品されている。

当時の坂口は東京を拠点とし、建築をベースにしながら、始まったばかりのDOMMUNEに「都市型狩猟採取計画」という番組を持つなど、美術やサブカルチャーの分野で、知る人ぞ知るユニークな存在となっていた。しかし、その存在を全国的に強烈に印象付けたのは、東日本大震災後の一連の活動にある。妻子とともに熊本に移住し、築90年の古民家をセルフリノベーションした一時避難所「ゼロセンター」を開設し、新政府初代内閣総理大臣に就任。移住希望者に向けた滞在スペースを無料開放し始めた。そこでの活動は、現在も利用するツイッターアカウント(@zhtss)で逐一報告され、災害後に新たな生き方を模索するコミュニティ活動の拠点となった。

また、それと同じ頃にスタートしたのが、自身の携帯電話番号を公開し、死にたい人からの電話を受け付ける「いのっちの電話」である。「いのっちの電話」は、坂口自身が長年に躁鬱病(双極Ⅱ型)による希死念慮に苛まれてきた経験をベースにした、死にたい人による、死にたい人のための電話相談だ。坂口の躁鬱病の症状は『坂口恭平躁鬱日記』のなかで当事者研究のかたちで詳しく記述されているが、極端な好調と不調の波のなかで、家族とともに少しずつ自分の「操縦法」を見つけていこうとする。


生きのびていくための「創造」

今回の展覧会の主となるパステル画は、その「操縦」の一環として、2020年5月に偶然のように始まったものだった。当館で開催中だったグループ展「ライフ 生きることは、表現すること」展に出品中だった坂口は、美術館内のキッズファクトリーをアトリエとして、アクリル画や陶芸などの作品制作を行なっていた。コロナ禍で美術館は臨時休館、展覧会期も縮小していたが、アトリエでの制作の合間に、坂口は熊本市西区の農園の2区画を、ほんの思いつきで借りることになる。トマト、とうもろこし、小松菜、苺、大葉、キュウリ……農園の「先輩」であるヒダカさんにアドバイスしてもらいながら、畑に通う毎日が始まる。陽の光を浴びて、土に触れ、収穫した野菜を料理して家族と食べる。坂口は春先にもかかわらずしっかりと日に焼け、みるみるうちに精悍な姿になっていった。そして、画材としてのパステルに本格的に興味を持ち始めたのも、ちょうど同じ頃であった。素材としてのパステルそのものを自作したりしながら、畑仕事の合間に1日3枚ほどのペースで描いた。パステルを塗り重ねることで出る油絵のような質感、乾燥を待たずに直感的に作業を続けられる良さ、指を使ってこすり伸ばしていくダイレクトな触感が坂口にフィットしたのか、ある日を境に取り組み始めたのが、きわめて具象的な風景画だった。


波の表現が多彩な坂口のパステル作品


最初は、畑から見える風景だった。金峰山、坪井川など、農作業の合間に見えるきわめて「普通」の風景である。農作業の合間など、ふとしたときにそれをiPhoneで撮影し、アトリエに戻ってパステルで描く。収穫した野菜、江津湖の芭蕉園、阿蘇、三角西港など坂口の視線に写る熊本の自然、刻一刻と変わる光や雲、波、風のそよぎ、緑濃く繁る植物をA5程のサイズの紙に描き込んでいく。そして、採れた野菜を新鮮なまま市場に出荷するようなスピード感で、Twitterにアップする。さらに坂口がユニークなのは、描いた作品がある程度溜まると、まるで産直市で販売でもするかのように、作品の多くをほとんど自前で売り払ってしまう点にある。

iPhoneのカメラで撮った風景を見ながらパステル画を描き、またそれをiPhoneで撮ってSNSにアップした作品を画面越しに見ると、まるで写真そのもののように見える。Twitterなどでも、モチーフをカメラで撮った写真と、自身が精密に描いた作品を並べて、どちらが本物か見間違うような趣向でアップしている制作者を時折見かける。作品を見ると、坂口の作品とそれらが根本的にどう違いがあるのか語ることは難しい。しかし、いくつかの違いがあるとすれば、坂口は非常に短期間に仕組みや技術を極める能力が高いこと(ただし、興味があるものに限る)、またその風景を描く前後の生活を含めてSNSで広く公開していること、また並行して執筆や作詞作曲や料理、事務に至るまで膨大な「創造」をし続けていることがいえるだろう。それは自分自身が生きのびていくための「創造」であり、坂口はその人にとっての「創造」が見つかったときに、今日も生きようという幸福が生まれるという。


坂口恭平によるパステル画のアーカイブ(熊本市現代美術館ウェブサイトより/スクリーンショット)


坂口はパステル画制作を3年近く続け950枚以上の作品をつくっているが、今回、それらをオンライン・カタログ・レゾネとして美術館のホームページ内で公開している。今回はその約6割にあたる点数が出品されている。まるでiPhoneのカメラロールのような展示室は壮観だ。これらは、企画者の池澤茉莉学芸員が坂口に展覧会を提案し、時に励まし支えながら形にしてきたものである。坂口には妻のフーさん、アオさん、ゲンさんを始めとする家族、強力な応援者であった石牟礼道子氏に渡辺京二氏、橙書店の田尻久子氏、書籍の編集者や書店員のほか、坂口に快くさまざまな知恵や技術を伝授してくれる熊本の街なかの達人たち、そして、かけがえのない友人たちがいて、彼・彼女らから受ける無数の贈与によって支えられている。そして、熊本の自然の恵みもまたひとつの大きな贈与である。坂口はそれを日々受け止め、パステル画やいのっちの電話というかたちで、世界の人々に向かって無償の愛とともに差し出している。


会場で配布中の坂口恭平生活地図。これを持って熊本の街を巡ってみてはどうだろうか。



坂口恭平日記 In My Life

会期:2023年2月11日(土・祝)〜4月16日(日)
会場:熊本市現代美術館(熊本県熊本市中央区上通町2番3号)
公式サイト:https://www.camk.jp/exhibition/sakaguchikyohei/

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