キュレーターズノート
「民族共生」が問いかける未来
立石信一(国立アイヌ民族博物館)
2023年04月15日号
対象美術館
最初に「キュレーターズノート」への原稿執筆の依頼をいただいたのは、今からちょうど4年ほど前のことだった。当時はまだ国立アイヌ民族博物館を含むウポポイが開業する1年前だったということもあり、自分自身がウポポイの開業後はどのようなことが起きるのか、あるいはどのような環境になるのか、想像できていない部分が多くあるなかで引き受けたことを覚えている。
パンデミックの時期を越えて
初めて寄稿したのが2019年7月のことで、まだ新型コロナウイルス感染症の最初の報告も出ていないときだった。年が明けたころから海外でのコロナ禍の報道が出始めて、その後の事態はまだ記憶に新しい。何度かの延期を繰り返し、当初の予定より3カ月ほど遅れて2020年7月にウポポイは開業を迎えた。その後は開業後の慌ただしさもあり、あっという間のことだったような気もする。そして、もうまもなく開業してちょうど3年が経つ。
私はといえば、本号をもって「キュレーターズノート」への寄稿は最後となる。この間は博物館の準備から開業後3年までの怒濤の4年間であり、ともすれば慌ただしさにかまけて何をやったのか、何が起こったのかを記録することも忘れてしまいがちである。しかしちょうどこの間、本サイトに寄稿を重ねることができたおかげで、いつか「今」がどのような時代だったのかを振り返るときがきたら、アーカイブ化されている拙稿を読み返してみたいと思う。
さて、5月8日から新型コロナウイルス感染症の位置付けが新型インフルエンザ等感染症から5類感染症に変更される予定である。先にマスク着用が個人の判断に委ねられたこととともに、本格的にアフターコロナ、あるいはウィズコロナに入っていくと言えるだろう。したがって奇しくもウポポイ開業以来の3年間が、新型コロナウイルス感染症の流行とその対応とともにあったことを改めて実感するところである。
ウポポイが4年目という新しい段階を迎えるにあたって、この3年間で何が課題として見えてきたのか、そしてこれから何をしなければならないのかをもう一度見直しつつ、進むべき方向性を見定めていく必要があるだろう。希望的観測も込めていえば、コロナ対策の緩和によって入場者はこれから増加するであろうし、今までほとんどいなかった海外からの来場者も一挙に増えていくことだろう。そうなると、また新たな課題が見えてくることが予測されるが、その状況がウポポイが初めて経験するコロナ対策のない平常の状態ということでもある。
本サイトへの寄稿では、自身が所属している国立アイヌ民族博物館のことを中心に紹介してきた。しかし、ポロト湖畔には国立アイヌ民族博物館とともに、国立民族共生公園がある。そこにはフィールドミュージアムとしてさまざまな機能をもった施設が点在し、数多くのプログラムが実施されている。ぜひご来館いただき、さまざまなウポポイ体験を重ねていただきたいと願っている。
最後に、ここ最近で私が関わっている仕事をふたつ紹介したいと思う。
『ウアイヌコロ コタン アカラ ウポポイのことばと歴史』
前号で紹介したテーマ展示「ウアイヌコロ コタン アカラ ─民族共生象徴空間(ウポポイ)のことばと歴史」は2月12日をもって終了したが、その関連書籍として『ウアイヌコロ コタン アカラ ウポポイのことばと歴史』が国書刊行会より刊行された。
本書は第一部「ポロトの歴史と、ウポポイができるまで」、第二部「ウポポイのアイヌ語」、第三部「博物館展示のこころみ」から構成され、ウポポイで働く総勢13名が論考やコラムの執筆にあたっている。本書を刊行したのは、ウポポイをより知っていただきたいという願いからではあるが、その背景としては先に書いたようにこの3年間で見えてきた課題が多くあり、それらを整理し、その問題解決の一助とするためでもあった。
今までにも何度か言及してきたように、ウポポイと国立アイヌ民族博物館は開業以来、そのあり方や、そこで行なわれている演目や展示をめぐって、さまざまな意見やときに厳しい批判などを受けてきた。そしてときにはウポポイで公開しているプログラムや各種の展示に対して、誹謗中傷するものもあり、それらは新聞報道される事態にもなった。
それらの指摘のなかで、ウポポイの設立経緯や理念、あるいは働いているスタッフが何を考え、何を目指しているのかといった、いわば等身大の姿が伝わっていれば解消できるのではないかと思えるものもあった。そうした状況を鑑みて、現場で働くスタッフの声を届けるための構成とした。ウポポイで働く一人ひとりがどのようなことに取り組み、何に悩み、そして何を目指しているのか。その一端でも本書で紹介できればと思っている。
したがって、写真などを豊富に取りそろえたガイドブック的なものではなく、論考が中心の読み物とした。第一部では、ウポポイはなぜ設立されることになったのか、そしてなぜ白老という土地にできたのかを論じるものである。そして、第二部では、ウポポイで第一言語と定めるアイヌ語の取り組みについて論じている。そして、第三部では、博物館の準備段階から現在に至るまで、そしてこれからなされていくであろう試みについて論じている。
「“アウタリオピッタ” アイヌ文学の近代 ─バチラー八重子、違星北斗、森竹竹市─」
もうひとつは、6月24日(土)から8月20日(日)まで開催予定の第6回特別展示「“アウタリオピッタ” アイヌ文学の近代 ─バチラー八重子、違星北斗、森竹竹市─」である。バチラー八重子(1884-1962)は『若きウタリに』を1931年に刊行し、違星北斗(1901-1929)は没後に『コタン 違星北斗遺稿』(1930年刊)がまとめられた。そして、森竹竹市(1902-1976)は『若きアイヌの詩集 原始林』を1937年に刊行した。
タイトルになっている“アウタリオピッタ”は、バチラー八重子の歌「ウタシパノ 仲良く暮さん モヨヤッカ ネイタパクノ アウタリオピッタ」からきている。言語学者の金田一京助が『若きウタリに』に寄せた歌の訳は「今は残り少なになりはしたけれど、相互に仲よく暮して行かうではないか、我が同族の皆々」で、タイトルの逐語訳は「アウタリ 我が同族・同胞 オピッタ 皆々」としている。
本展は、明治以降の同化政策などによってアイヌ民族の生活が激変する時代のなかで、3名の歌人を中心に、その歌や詩などから、当時の社会状況や歴史を振り返るものである。そして、バチラー八重子や森竹竹市など、北海道とそこに暮らす人々を丹念に写した写真家・掛川源一郎の写真からも、そうした状況を描き出そうとしている。近代という時代がいかなるものであったのか、あるいはあるのか。そしてそれがアイヌ民族にとってはどのような時代であったと言えるのか。
タイトルにもなった歌を詠んだバチラー八重子は、有珠聖公会の伝道師として活動するなかでウタリ(同胞)の苦境に心を痛め、そうした思いを歌に詠む。しかしそれだけではなく、ときに激しく若きウタリたちを鼓舞するものや、若き日に養父ジョン・バチラーとともに1年あまりロンドンに滞在した思い出、そしてふるさと有珠のことなども歌に詠んでいる。
この時代、それぞれの歌人が「書く」という行為をして残そうとしたものはなんだったのか。そうしたことを本展で感じていただければと思う。
ウポポイはアイヌ語名称をウアイヌコㇿ コタンという。日本語名称は民族共生象徴空間である。ウアイヌコㇿは「互いを敬う」の意味である。「民族共生」とはどのようなことなのか考え続け、問い続けていく場であり続けるだろうし、その実現の場となっていかなければならない。「共生」とは居心地のよい言葉ではあるが、その意味を考え、実現していくのはそう容易いことではないだろう。そこには、既存のあり方に対して、ときとして痛みを伴いながらも変革していかなければならないことがあり得るからである。
これからもウポポイとそこで働くスタッフの活動は続いていくので、関心をもっていただければと願っている。
そして、白老には飛生アートコミュニティーをはじめ、さまざまな活動とそこでのくらしがある。ウポポイに訪れた際には、ぜひ足を伸ばしてそうした活動とともに白老の気候や風土を感じ取り、土地の声に耳を傾けていただければと思う。
「“アウタリオピッタ” アイヌ文学の近代 ─バチラー八重子、違星北斗、森竹竹市─」
開催日:2023年6月24日(土)〜8月20日(日)
会場:国立アイヌ民族博物館(北海道白老郡白老町若草町2丁目3 ウポポイ[民族共生象徴空間]内)