キュレーターズノート

花ひらく石本藤雄の陶

橘美貴(高松市美術館)

2023年06月01日号

石本藤雄(1941-)の「陶の花」について、石本の作品を長年見てきたスコープの社長の平井千里馬氏は、写真を見てブローチのようなものだと思い「すごくかわいいものをつくったんだな」と感じたものの、実作を見て驚いたと話す。これはおそらく多くの人が感じることだろう。
現在高松市美術館で開催中の「フィンランドのライフスタイル 暮らしを豊かにするデザイン」展(以下、「フィンランドのライフスタイル展」)で筆者もまた本作に対して似たような印象をもった。チラシにあしらわれた花を見ると刺繍の本に載っていそうな小さくて可憐な作品に思えるのだが、50cmほどの大きさと数cmの厚みがあるこれらの花を会場で見ると一つひとつの存在感が強く、集まって並ぶ様は野生的な気配すらあるのだ。そこにはマリメッコ社のテキスタイルデザイナーとして活躍し、自然を観察して意匠化してきた石本ならではのスタイルも感じられる。
本稿では、このたびの展覧会でひと際目を引いたアーティスト石本藤雄の陶の作品に着目し、これまでの活動と現在を紹介する。なお、より詳しい経歴や作品の変遷については作品集『石本藤雄の布と陶』(パイ インターナショナル、2012)でジャーナリストの川上典李子氏が書いておられるので、そちらもぜひお読みいただきたい。本稿では、本書のほか筆者が道後のアトリエで石本に聞いた話などをもとに紹介する。


デザインの仕事 日本からフィンランドへ

「フィンランドのライフスタイル展」高松会場にて、「陶の花」とカイピアイネン作品の前の石本藤雄


石本は1941年に愛媛県砥部町に生まれる。みかん農家を営んでいた実家は砥部焼の窯元があった場所に建てられており、窯や煙突跡などを覚えているという。幼い頃から陶芸は身近なものであったが、その道へ進む気はなく、高校生のときには建築家を志す。しかし建築家になるために必要と言われた英語力に不安を覚えてデザイナー志望に転向、1年間の浪人生活を経て東京藝術大学へ入学し、グラフィックデザインを専攻する。この頃からマリメッコ社をはじめとする海外のデザインに興味をもつようになった。なお後述する通り、大学生時代に一度だけ陶芸作品をつくっている。

大学卒業後は、和装事業を手がける市田株式会社に広告デザイナーとして就職し、さまざまなデザインの仕事を経験した後、1970年に同社を退職して、行き先も帰国日も未定の世界旅行に出る。ニューヨークやモントリオールで過ごした後、ロンドンに滞在してコペンハーゲンに着いた頃には旅を始めて3カ月ほどが経っており、コペンハーゲンで仕事を探すうちにマリメッコ社の生地に再会。マリメッコ社のデザイナーになりたいという学生時代の思いを再び抱いた石本はヘルシンキへ向かった。

ヘルシンキでは、関連会社のディッセンブレ社のアートディレクターを経て、1974年に晴れてマリメッコ社のデザイナーとなる。「フィンランドのライフスタイル展」では1970〜80年代に石本がデザインしたテキスタイルも展示しており、草花をモチーフに自然の風景を捉えたものや、日本の絣の趣をもたせたデザインなどを見ることができる。2006年に定年退職するまでの32年間で石本は400点以上をデザインし、これはマリメッコ社における歴代2位の数だという★1


「フィンランドのライフスタイル展」高松会場展示風景。石本によるテキスタイルデザインと、下には《冬瓜》(後述)が展示されている



石本と陶芸

テキスタイルデザイナーとなった石本だが、陶芸に関心がなかったわけではない。

石本が初めて陶芸作品を制作したのは大学生のとき。ろくろを使ってつくしをモチーフにした高さ30cmほどの花瓶を制作した。つくしのハカマの部分は引っ掻いて描いたというから、後の「陶の花」シリーズにも通じる作品かもしれず、石本自身も自信作だったと振り返るが、残念ながら大学に提出した後の行方がわからなくなっている。

また、大学を卒業したての1964年春に訪れた「フィンランドデザイン展」★2も重要だ。装飾的に展示されたビルゲル・カイピアイネンや、地面から伸びるように置かれたトイニ・ムオナらの陶芸作品が衝撃的だったといい、この展覧会は石本とフィンランドデザインの出会いの場となったと同時に、石本に対して陶芸の可能性を開いた機会ともなった。1964年といえば現代国際陶芸展が東京と京都で開かれ、海外の陶芸作品が多数紹介された年でもあるが、石本に強いインスピレーションを与えたのは「フィンランドデザイン展」で紹介されたフィンランドの作家たちによる作品だった。


「フィンランドのライフスタイル展」高松会場展示風景。石本の「陶の花」とカイピアイネンのウォール・プレートが展示され、手前にもカイピアイネンの《ビーズバード》が展示されている


そしてマリメッコ社のデザイナーとしての活躍も本格的になっていた1980年代に、石本は陶芸に関心を向け始め、1989年にはマリメッコ社を休職して、ヘルシンキ郊外にスタジオをもつアラビア社のアートデパートメントの客員作家として陶芸制作を開始する。復職後も、1年のうち1カ月間をアラビア社で制作できるよう、両社が取り計らったことで、石本は陶芸に打ち込むことができるようになった。


「陶の花」ひらく


「フィンランドのライフスタイル展」高松会場展示風景。石本の「陶の花」とカイピアイネンのウォール・プレートが混ざり合うように展示されている


「陶の花」は2000年に鍾乳洞を会場にして開催されたグループ展のための作品がきっかけとなったシリーズで、このとき石本は鍾乳洞の硬い雰囲気を和らげるために、レリーフ状のバラの作品を数点展示した。制作にあたってはカイピアイネンへの意識もあったという。展覧会終了後しばらくして作品が人手に渡る際の領収書に記された「壁のバラ」という言葉の奥ゆかしさに感心した石本は、その後あらゆる花や果実を制作する。

これらの作品は、ローラーで伸ばした土の板を型紙に合わせて切り出し、表面の花びらや葉脈も型紙の上からなぞった跡を引っ掻くなどしてレリーフ状に表現し、側面にも板を付けて厚みを出している。石本はろくろでの制作は自分に合わないと言い、もっぱら型や型紙を使用して土の板を整形した作品が多い。


「フィンランドのライフスタイル展」高松会場にて、石本藤雄「陶の花」展示風景


先述したとおり、大きくて厚みのある「陶の花」がいくつも展示された様を前にすると圧倒されてしまうが、近寄ってみると櫛でつけられた文様や、釉薬の縮れから見える下層の釉薬や土の色など、土と釉薬による変化に富んだ景色がおもしろい。例えばバラをモチーフにした作品(画像参照)は、全体が緩やかなシルエットの花だが、中心部分は斜めに彫り込まれた花びらが浮き上がって瑞々しさがある。釉薬に着目すると、花は白の釉薬の上に赤の釉薬を吹き付け、グラデーションをつけているのに対して、茎と葉は深緑の釉薬を筆で塗ることで生まれたムラが味わい深さを添えている。自然に囲まれて育ち、自然を観察しながら仕事をしてきた石本が花の姿を意匠化して土と釉薬、そして火や空気とともに生み出した作品群だ。


石本藤雄《陶の花》(2015)アラビア、スコープ蔵[撮影:田島昭/提供:キュレイターズ]


「フィンランドのライフスタイル展」では28点の「陶の花」がカイピアイネンのウォール・プレートとともに壁を彩っている。2人が同じ展覧会で紹介されることはたびたびあるが、本展覧会のように混ざり合うように展示されたのは初めてだという。植物を風景的に捉えたカイピアイネンの作品と、一輪の花そのものを形に起こした「陶の花」は作風も異なるが、石本はこのように展示されたことで互いの作品世界の広がりを感じられたと話す。


「蕾」ほころぶ──フィンランドから日本へ

2020年、石本は拠点を愛媛県の道後にあるアトリエに移した。慣れ親しんだアラビア社のスタジオから日本での制作に移ったことによって、作品にも大きな変化があったという。フィンランドで使っていた土が伊賀と信楽の土に変わり、気候や設備も異なるため、これまでは起こらなかった亀裂や釉薬の反応が表われるし、アラビア社のスタジオに比べると設備が整っていないため、釉薬の吹き付け作業が難しくなったという。陶芸を本格的に初めて30年以上が過ぎるが、素材や技法の研究に加え、環境が変わったことによって必要となった実験など、石本は挑戦を繰り返している。

ちなみに、アトリエは石本が黒川栄作氏と2017年に創業したMustakivi(ムスタキビ)のショップに併設されている。Mustakiviとはフィンランド語で「黒い石」を意味し、石本と黒川氏の頭文字からつけられた名前で、店頭には石本がデザインしたテキスタイルや彼のデザインをもとに砥部焼の職人が製作したカップなどが並び、石本の制作に寄り添いながら活動しているショップである。


制作途中の「蕾」


日本に拠点を置いて石本が初めて手がけた作品が「蕾」である。似た形の作品はフィンランド時代にもあったが、「蕾」として制作し始めたのは昨年開催した個展★3からだという。5月半ばに筆者が道後のアトリエを訪ねた際には6月に東京で開催される個展★4に向け、作業台に素焼きの状態の「蕾」シリーズが並んでいた。


中央:アラビア社のスタジオで制作された作品、周辺:制作途中の蕾


いまから花ひらく期待や希望が漂う「蕾」は、「陶の花」とは異なり空想の植物を形にしていくためか、より有機的な形をしている。全体的に釉薬が筆で塗られているのも特徴で、筆による予測不可能なムラが石本の求める作品の個性となる。均一なものではなく、個性のある作品への意欲こそが石本のアーティストとしての側面といえるだろう。また、フィンランド時代の作品と並べると、フィンランドでのものは吹き付けによるグラデーションが美しく整った印象であるのに対し、ムラのある「蕾」はエネルギーが蕾に蓄えられているような温かさと力強さを感じさせる。


冬瓜とタイサンボク

制作年はフィンランド時代に遡るが、最後に《冬瓜》にも触れておきたい。本作は石本が平井氏とともに訪れた日本の宿で冬瓜を目にしたことから始まる。その宿では冬瓜が紙の上に置かれて飾られており、冬瓜そのものを見たことがなかった石本はその大きさや形、また紙の上に果実を置いて神聖視する日本の文化に感銘を受け、自分でつくりたいという欲求を覚えたという。大きなもので40cmを超える楕円の造形は紐づくりでつくられ、鉤型のヘタがついている。シンプルな作品であるが、「陶の花」などとは異なった存在感を放つ作品だ。


石本藤雄《冬瓜》(2015)アラビア、スコープ蔵[提供:スコープ]


冬瓜のような出会いはほかにもあったかと問うと、最近ではタイサンボクの花に同様の感動を覚えたと話してくれた。砥部の実家にはタイサンボクの木があって子供の頃にはよく木登りしていたが、最近になってタイサンボクが白く大きな花を咲かすことを知り、その姿を表現したいと思うようになったという。「陶の花」ではこの花をモチーフにした作品も制作しているが、「蕾」でも同様にモチーフにできないか考えているそうだ。



石本の陶には不思議な魅力がある。画像ではとても可愛らしいものに見えるが、実際の作品を前にすると、花の可憐さや美しさとともに根底にある力強さを感じるのだ。それは自然を精彩にデザインした彼のテキスタイルにも言えることだろう。テキスタイルと陶芸という異なる手法を通して、石本は自然のエネルギーや華やかさを表現する。また、そうして生み出された作品は人の生活に寄り添う柔軟さももっている。

日本に拠点を移し、花がたくさん咲く日本の四季の風景に改めて目を向ける石本は、その生活のなかで新たに「蕾」をつくり、タイサンボクなど新しい刺激を受けながら、今日も制作へと手を進めていることだろう。




★1──『フィンランドのライフスタイル 暮らしを豊かにするデザイン』(世界文化社、2023)p.106
★2──「フィンランドデザイン展」(1964年5月15日〜27日、日本橋白木屋7階グランドホール[東京]、主催:朝日新聞社)
★3──石本藤雄展「蕾─つぼみ─」(2022年7月22日~9月11日、Mustakivi[愛媛])
★4──「蕾」(2023年6月12日~25日、スパイラル エントランス[東京])



高松市美術館 開館35周年記念 フィンランドのライフスタイル~暮らしを豊かにするデザイン~

会期:2023年4月15日(土)~6月11日(日)
会場:高松市美術館(香川県高松市紺屋町10-4)
公式サイト:https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/museum/takamatsu/event/exhibitions/exhibition_2022/exhibitions_2022/ex_20230415.html



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