キュレーターズノート
多様な声に耳を澄ませる「セーフスペース」としての美術館と、文化事業のゆくえ──「Fukuoka Art Next」をめぐって
忠あゆみ(福岡市美術館)
2023年10月01日号
アジアの窓口としての地理的・歴史的文脈をもつ福岡。その周辺で活動するアーティストや展覧会などについて長きにわたり興味深いテキストを寄せてくださっていた正路佐知子氏に代わり、今回からは福岡市美術館学芸員の忠あゆみ氏にバトンタッチ。日本近現代美術を専門とする筆者より、福岡から見えるアート周辺の風景をレポートしていただく。(artscape編集部)
文化事業「Fukuoka Art Nex」が始まって
このノートでは、福岡市において2022年4月から始まった文化事業「Fukuoka Art Next」(以下、FaN)について、福岡市美術館の動向を中心に紹介する。筆者の勤務する福岡市美術館では、福岡市内外の作家を招いた企画展やワークショップなど、現代美術を扱うさまざまな事業に取り組んできたが 、FaNが始動することで、ここに新たな展開が加わった。筆者は2018年より福岡市美術館に勤務し、主に日本の近現代美術のコレクションの調査や展示に関わっている。日々の業務のなかで目の当たりにする変化の一部を紹介し、記録しておきたい。
FaNは「彩りにあふれたアートのまちを目指して、暮らしの中で身近にアートに触れる機会を増やし、アーティストの成長支援に取り組む」ことを狙いとした一連の文化事業を指す。新規事業には、廃校を利用したアーティストの活動支援窓口兼アーティストのレジデンス施設「アーティストカフェ」の新設、ビル建設現場の仮囲いを飾る「ウォールアートプロジェクト」などがある。
福岡市立の美術館2館もこれに対応し、さまざまな事業を行なっている。例えば福岡アジア美術館では、これまで行なっていたレジデンス事業を拡充し、アーティストカフェを滞在施設・発表の場として活用している。福岡市美術館では、市長会見室で福岡拠点のアーティストの作品を掲示し紹介する「今月のアート」の事業を行なう。
FaNの事業の目玉となるのが、9月下旬から10月中旬にかけての「FaN Week」(=Fukuoka Art Next Week)だ。この期間、「アートに出会う アートファンになる」をキャッチコピーに、市内の施設で展示やアートイベントが行なわれる 。この会期は、福岡市が共催で関わる「アートフェアアジア福岡」にあえて重ねられている 。このことからもわかるように、FaNは、アーティスト支援のあり方として市民が作品を鑑賞するだけでなく、作品を購入し、所有することを促している。この傾向は、アートの経済価値を重視する近年の政府の文化政策の傾向と合致していると言えるだろう。
アワードによる、従来とは異なるコレクション形成
福岡市美術館が担当するFaN関係の事業のなかで大きな割合を占めているのが「福岡アートアワード」である。これは、「福岡市内で目覚ましい活動をおこない、今後さらなる飛躍が期待できるアーティスト(美術作家)を対象に、作品の買い上げをもって贈賞」するものだ 。買い上げ作品は、福岡市美術館の所蔵品として展示活用される。買い上げの予定額は700万円である。多くの公立美術館の例に漏れず収集予算が減少傾向にあるなかで作品購入の機会を得たことは喜ばしい。しかし、アートアワードが主体となることで、従来とは異なるコレクション形成の方法を受け入れることになった。
従来のコレクション形成は、展示・調査・研究の過程で、まず学芸員が作品と出会うところから始まっていた。候補作品は収集方針に照らし
、年に1回程度行なわれる収集審査会を経て正式にコレクションとなる。一方で、今回のようなアートアワード受賞作の買い上げの場合、当然審査には学芸員は関与していない。受賞候補の作家が決定してから、実際の収蔵について具体的な検討の際には学芸員がリサーチを担当するが、作品選定の事実上の主導権は選考委員にある 。アワードの公平性を期すためには学芸員の介入がないことが妥当なのは理解しているものの、学芸員主導の従来の方式とは別のやり方で美術館に作品を迎えることに戸惑う点があるのが素直なところである。展示や収蔵庫での保存などを通して物理的に作品をもっとも近くで取り扱うのは学芸員だ。展示計画や、展示のための条件、修復・保存の方針などを踏まえ、従来のコレクション形成とアワードによる収集活動が無理なく同居できる仕組みが必要だと感じる。また別の視点から見れば、作家の活動に対して与えるという賞の性質上、「買い上げ」にしてしまうと、パフォーミングアーツなどの「もの」ではない活動を評価する機会が損なわれるのではないか、という課題も残る。
いずれにせよ、アワードは始まったばかりである。美術館に収蔵することが賞として機能し続けるために、運営方法を随時見直すとともに、美術館が誠意をもって作家や作品と関係性を紡いでいくことが必須だろう。
3点の受賞作から見えてくるもの
これまでとは異なる作品収蔵の手続きに戸惑う一方で、アワードが美術館にもたらしたものも大きい。それは、批評性を持った作品に出会うことができた点だ。
第1回受賞作は、鎌田友介《Japanese houses (Taiwan/Brazil/Korea/U.S./Japan) 》(2021)、チョン・ユギョン《Let’s all go to the celebration square of victory!》(2018)、石原海《重力の光》(2021)である。
鎌田友介の作品は、床の間を模した矩形のフレームの中に、日本、台湾、ブラジル、韓国、アメリカで建てられた日本家屋の断片やスケッチ、写真が配置され構成されている。移民政策の最中に建てられた/植民地統治時代に建てられた/爆撃実験のサンプルとして建てられた日本家屋のイメージをずらして継ぎ合わせることで、近代史のなかで日本家屋に注がれてきた多層的な視線を可視化し、近現代史における支配・被支配や抑圧の歴史を提示する。
チョン・ユギョンの作品は、朝鮮民主主義人民共和国のプロパガンダポスターの言葉やシルエットを、印刷物の網点のような鮮やかな水玉模様と淡いマーブリングによって表わす。在日朝鮮人3世であるチョンは、周囲の図像によって実際にはない輪郭が浮かび上がる「主観的輪郭」という錯視トリックを用いながら、作家にとっての祖国や国家との距離感を表わしている。
石原海の作品は、福岡県北九州市の東八幡キリスト教会の人々と共につくり上げた30分の映像作品である。キリスト復活劇を教会に集う人々が演じ、またインタビューが織り交ぜられる。インタビューの場面では、黒い背景に人が白く光を放ち、石原自身が教会に通うなかで感じた祈りの感情やキリストの恩寵を思わせる。
3作品はいずれも、研ぎ澄まされた表現によって、どこか軽やかな印象を与えながら、戦時下の支配・被支配、移民とナショナリティ、宗教とケアなどの社会問題を射程に収める。いずれも、「アジアのリーダー都市」を謳い経済発展を推し進める福岡市が直視しなければならない問題である。第1回のアートアワードの受賞作としてこの3点を迎えたことで、福岡市美術館は多様な声に耳を澄ませる場としての役割を果たさなければならない、というメッセージを託されたように感じた。
「声のない人たち」に向けて
今年3月29日から6月11日まで、第1回受賞作を展示する「アートアワード受賞作品展」が開催された。初日に行なわれた授賞式には鎌田とチョンが参加し、受賞スピーチが行なわれた。ここで、鎌田は「歴史と向き合わないと新しい文化は創出できない」、チョンは「アートがただの観光資源や、為政者の自己顕示欲を満たすためだけの飾りに成り下がらないことを心より願っています」と語っていた
。2人がカメラの前で求められても微笑むことがなかった姿が印象的だった。8月12日に行なわれた受賞者によるトークセッションでは、3人が自作についてひとりずつ語り、後半で会場からの質疑応答を交えた座談会を行なった。3人のプレゼンテーションはいずれも大変興味深いものだったが、個人的には石原のスピーチが印象的だった。現在北九州とロンドンの2拠点で活動している石原がこの日のために北九州の居宅に帰ると、電気代の払い忘れで電気が止まってしまっていたという。クーラーの切れた部屋で、石原は「社会というものは“できる人”がつくったシステムで成り立っている。取りこぼされる人がいるのが当たり前のこの社会で、声のない人たちのことについて作品をつくっていかなければならない」と考えたという。「美術が声のない人たち、だらしのない、傷ついた人たちのセーフスペースになるのではないか」という率直な語りは、予定調和を打ち壊すインパクトをもって響いていた。
美術の役割が限定されないように
3人がそれぞれに発した言葉は、「Fukuoka Art Next」の事業全体に投げかけられているように感じられた。アーティスト支援につなげるという名目でアートフェアやコレクターの存在を後押しすることは、福岡における現代アート市場が潤い作家たちに還元される一面がある一方、経済効果ばかりに重点を置くと、見過ごされてしまうものがある。
それは、多様な価値観、複雑な歴史を複雑なまま提示できるという美術の、そして美術館の「セーフスペース」としてのあり方である。そして、公立美術館の、美術の豊かさを分かち合いあらゆる市民に開かれた場所としての役割である。美術を生み出す原動力が資本主義に置き換わり、あるいは美術に関わる人間が一元的な価値に囚われていては、美術館が背負うべきこういった側面は見えてこない。
2013年に福岡市美術館と福岡県立美術館で行なわれた展覧会「福岡現代美術クロニクル」の図録において、当時、当館の学芸員だった山口洋三は、福岡市の現代美術をめぐる状況を憂いて「現在の停滞傾向を打破するには、経済の好転を待つほかないのか」と述べた 。10年後のいまの状況は、願ってもない現状打破のチャンスかもしれない。しかし、文化事業のありようによっては、美術や作品のもつ力が矮小化されることもありうる。美術が一面的な価値観を誇示する道具にならないよう、絶えず内部からも検証していきたい。
Fukuoka Art Next:FaN Week 2023
会期:2023年9月16日(土)~ 10月22日(日)
会場:福岡市美術館、福岡アジア美術館ほか
公式サイト:https://fukuoka-art-next.jp/fanweek2023/
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