キュレーターズノート

初冬の東北、アートシーンを訪ね歩く

日沼禎子(国際芸術センター青森)

2009年01月15日号

 続き、東へ移動し岩手県盛岡市から車で約30分、人口約19,000人の雫石町へ。「イエロープラントギャラリー(YPG)/N2スタジオ」で行なわれている彫刻家・菅沼緑の新作展を訪ねる。菅沼は東京生まれ、日大芸術学部修了。以後、東京、神奈川を中心に発表を行なうが、2000年、岩手県東和町(現:花巻市)へ移住。自身の創作活動のほか、「街かど美術館 アート@つちざわ〈土澤〉」の中心メンバーとして運営に携わっている。YPGは、同じく日大出身である新里陽一が故郷の自邸を改装し04年にオープン。倉庫を思わせるような高さ6m、広さ100平米のスペース。高窓から光が差し込む空間が心地良い。菅沼の新作は、赤とグレイとのツートーンカラーに彩色された立体によるインスタレーション。壁、地面から新しい生物が生まれ出たかのような、有機的で、ユーモラスな形が空間全体に遊んでいる。奔放な空気感は、作者とギャラリストとの気心の知れた者同士の信頼関係が成せるものなのか。訪れる人を暖かく迎え入れ、そして見ることの自由を与えてくれる。菅沼は自身の活動や、拠点とする地域についてこう語る。「世界はあちこちの泉でもある田舎の集合体なのだから、実体としての社会は田舎の方が新鮮で生々しいのは当たり前。(…中略…)〈田舎に決定的に不足しているのは批評だ〉といった人があるけれど、それならば、経済ではない批評を、あるいは価値の基準となる評価を作ることができれば、経済の持つ評価機能に変われるのではないだろうか」(ネットTAMのコラムより)と。一つひとつの場、人間同士の信頼を、創造的活動によって繋げながら、「生きる糧とはなにか」と菅沼は問う。地に足を着けた大人のアーティストの、柔らかな笑顔に見送られながらYPGを後にした。

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左:イエロープラントギャラリー
右:菅沼緑による展示

 続き宮城県仙台市へ。せんだいメディアテークを訪れる。東北一の都市であり、伊達者たちの街。だからこそ、この意欲的な施設の活動が支えられている。〈高嶺格「大きな休息」──明日のためのガーデニング1095m2が、この旅の最後の目的地である。メディアアート、パフォーマンス、舞台演出など、身体を軸にした表現により、現代社会が抱える問題に取組む高嶺が、この度、メディアテークの6階1095m2におよぶギャラリーを会場に、中央に設置された新作インスタレーションのある有料ゾーンと、それをぐるりと取り囲むように旧作を展示する無料ゾーンとに区切られた空間を出現させた。《Baby, Insa-dong》《God bless America》をはじめとし、これまでの高嶺の代表作を回顧するとともに、名取市愛島の民家を解体し、そこから排出された廃材を用いた新作《大きな停止》を発表。さまざまな素材によってゾーニングされた展示空間を、目の不自由な方のアテンドによって、ツアー形式で鑑賞するものだ。柱などの骨組みだけで再現された風呂場、錆びた自転車、もはや誰かが身に纏うことのない着物、毛布、畳、動物の剥製、トタンの波板、コンクリートの基礎、水道管が鑑賞者の道程に次々と現われる。触れて知覚することが日常であるアテンドの方々の後ろを、われわれは戸惑い、追いながら彼等の所作を見守る。柔らかな鳥の羽に触れ、点字文字を読み聞かせ、杖を使いながら辿り歩く姿は、一人芝居の舞台に立つ俳優そのものである。ここでの鑑賞とは、その家族が暮らしてきた時間を追随させるようでもあり、鑑賞する各々が持つ過去の記憶を誘発させるようでもある。そして、ある種の暴力性を持った体験を強要しながらも、根底にはあらゆる人間を肯定する暖かさが流れている。

 この作品の大きなテーマは「休息」、つまり「停止」にある。巨大なシステム、情報化、グローバル化した産業・消費のサイクルに突き動かされている現代。そのなかで「私」という領域に踏みとどまり、素朴であることを恐れないこと。高嶺のそうした態度から、「庭」、つまり人為による空間の中で、閉塞感を抱く「私たち」の領域について考察する。私たちが「見て」いたものの中にある真実とは一体なにか?と。しかしそうした解釈は、もはやどうでもいいような気がしてきた。なぜなら、アテンドの方々の鋭敏で暖かな洞察力に導かれながら、誰もが小さな幸福感を味わいながらこの庭を歩くことができるからだ。互いのバリアを取り払い(むしろ、取り払ってもらいながら)「アート」という、いわば無形の、万人に約束された自由、そして永遠に解けない謎を共有することを喜び合う場なのだから。

 また、展示だけでは見えてはこないであろう高嶺格の類まれな才能が、ここでも如何なく発揮されていることも特筆しておきたい。新作《大きな停止》は、10月初旬から仙台に滞在し、東北工業大学建築学科の槻橋修研究室をはじめとした仙台のサポートスタッフと共に制作された。キックオフミーティング、民家の解体、展示プラン、制作、搬入までのそのすべてのプロセスの共有。「プレ・デザイン」ともいうべき「場づくり」こそ、高嶺の真骨頂ではないかとも感じている。ひとつの舞台をつくりあげていくことと同様に、ひとつのビジョンをともに獲得していくことから「明日のための庭」は切り拓かれた。スタッフ、アテンド、観客、すべての人々をこの庭へと招き入れ、ともに種を撒き、水を与え、やがて果実が実ることを願って。

 東北各地の豊かで個性的な美術館、アートセンターを巡り歩くと、そこには大都市では成立し得ない奇跡と必然とが折り重なって見える。優れたアーティストたちの表現力、運営者の意志に支えられていることはいうまでもないが、それは「現代」という名のもとにおいても消し去ることができない、地域の歴史、風土、そして民意の現われなのである。私たちはいま、そのことをもっとも誇りとするべきである。

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《大きな停止》インスタレーションの一部 
提供=せんだいメディアテーク