キュレーターズノート
チルドレンズ・アート・ミュージアムin大原美術館 コレクション/コネクション──福岡市美術館の30年 現代美術も楽勝よ。
坂本顕子(熊本市現代美術館)
2009年10月15日号
九州でもようやく秋の足音が聞こえはじめたが、まだまだ夏の残り日のような強い日差しが続く。今年の夏休みは、各所で非常にレベルの高い、子どもや市民を巻き込むかたちでの教育プログラムを見ることができた。遅い夏休みの宿題として、印象深い3つの館の活動について報告したい。
美術館における教育活動については、昨年、目黒区美術館で「美術館ワークショップの再確認と再考察──草創期を振り返る」★1として、日本における約30年の歴史を、活動の当事者たちに、次世代の学芸員たちがインタビューするという形式で行なわれたフォーラムの内容を確認することで、おおむね概観することができるだろう。筆者が美術館教育に関わりを持ち始めたのは15年程前であるが、「学問」として論じられる蓄積がではじめ、大学などでの講義科目として扱われ出したのがちょうどその頃である。その背景には、文部省(当時)によるゆとり教育を折り込んだ学習指導要領の改正があり、学校週5日制や総合的な学習の時間の新設にともない、美術館に代表される地域の生涯学習施設を積極的に活用すべし、という動きがあったことも確認しておきたい。
さて、夏休みの美術館の教育系事業の定番と言えば、子どもや家族連れで楽しめる、例えばアニメなどの大型企画展や、館のコレクションをベースにわかりやすい展示・解説、ワークシートなどが準備されるもの、子どもや市民が実際にアーティストらと制作活動に関わるものなどさまざまだが、今回紹介する3館は、どれも現在の美術館の教育活動における、ひとつの到達点を感じさせる内容であった。
そのひとつが、今年で8回目を迎えた、大原美術館のチルドレンズ・アート・ミュージアム(チルミュ)である。美術教育関係者のなかでも注目されるプログラムだが、例年、8月お盆明けの土日に開催されるため(美術館では夏休みの最終イベントをこの日程に行なうことが多い)、なかなか足を運べずにいた。念願かなって今年ようやく体験することができたが、その内容は圧巻の一言であった。
会期2日間で倉敷市内外からのべ4,000名が参加するこの企画では、全部で10以上のプログラムを、学芸員や博物館実習生、ボランティアや各種プログラムへの協力団体など、約200人のスタッフで運営している。もちろん、観光客をはじめとする大原美術館への一般観覧者が見学する脇でこれらのプログラムが行なわれており、空間自体の密度はあまりにも濃い。
興味深かったのは、2日間のどの時間帯に行なっても、美術館のコアなユーザーから、はじめてふらりとやって来た人までがそれぞれのペースで関われる、濃淡のあるプログラムが、注意深く分配されている点である。また、毎年目新しいことをやっていくだけではなく、ひとつのプログラムを徹底的に反省、分析を行なうことで、ブラッシュアップし、洗練化された「強い」プログラムをつくっていっているのが印象的であった。なかなかその全貌をこの紙幅で伝えるのは難しいが、ぜひ機会があれば会場に行き、その熱気を体感してもらいたい。
もうひとつは、本サイト連載陣のひとりでもある山口洋三氏が報告されている、福岡市美術館の「コレクション/コネクション──福岡市美術館の30年」のなかで行なわれた「ジュニアキュレーター見参!」である。これは、筆者がこれまで見てきた、子ども(あるいは大人)が美術館のコレクションを使って展示をつくるというタイプのプログラムのなかでも、非常にレベルの高いものであった。
会場内には、実際に1位に選出されたグループの展示が行なわれていたが、いじめやコミュニケーションのすれ違いをテーマにした、思春期の中学生ならではの等身大の悩みから出発した、シンプルでストレートな構成や、その作品から感じた思いを綴ったキャプション群は、素朴だが自分の実感からにじみ出た言葉であるがゆえに心に響くものであった。10代にとっての美術とは、時に自分を救ってくれる、切実で必要なものである。もし、そんな作品との出会いの場所が美術館であったなら、学芸員冥利につきるというものだろう。
これらは、指導力のある教師、モチベーションの高い生徒、30年間地域において活動してきた美術館の底力という3つが重なり合って導き出された成果といえるだろう。また、隣り合うスペースで、残りのグループのプランと模型があわせて展示され、活動の経緯がコンパクトにヴィデオでまとめられ、プログラム全体を追体験することができた点も、心配りが行き届いており、今後の同種の活動を行なううえでの大きな参考となった。
最後に、この夏、一番興味深いプログラムであったといえるのが、水戸芸術館の「現代美術も楽勝よ。」展のなかで上映された中崎透+山城大督+野田智子によるユニット、Nadegata Instant Partyによる『学芸員Aの最後の仕事』である。これは、水戸芸術館の企画展史を、ジェームス・タレル《ソフト・セル》などに代表される所管作品によって物語る、同展における「Reversible Collection/リバーシブルコレクション」として位置づけられ、展覧会場をひとつのセットとして見立て、一般公募の市民とともに同館がこの20年で作り上げてきた有形無形の財産を「ひとつの映画をつくる」行為を通して語ろうというものである。
中盤ややもたれがあるものの、独特のゆるい、(褒め言葉としての)行き当たりばったりなオフビート感をベースに、ミステリアスな味付けを含めつつ、最終的にうっかりと爽やかに感動させられてしまうシナリオは秀逸であり、あれこれと世知辛いことばかりが語られがちな美術館活動において、まだこんなことができるのだ、という希望を見せてもらった気がした。
ここであげた3つの美術館は、私立/公立、古美術から近現代まで/現代中心という違いはあるが、それぞれの分野で存在感を発揮する個性的な館である。大原美術館からは、日本を代表する観光地・倉敷において、経済効果とは別の意味で地域へ教育という財産を残そうという、執念ともいえるような強い意思が感じられる。また福岡や水戸は、30年、20年という美術館の歩みを、それぞれの得意とする語り口で表わしている。そこで興味深かったのは、必ずしも教育普及を専門とする学芸員だけが、これらのプログラムを担当しているわけではない点である。それは、子どもや市民といった受け手と積極的に関わっていく意識が、美術館活動のミッションとしてしっかりと根付いたことを示している。これは、冒頭で紹介した美術館の教育普及30年の歩みの地道な成果なのだろう。
他方、これら以外にも、夏休みの企画を見てまわって、感じられたひとつの徴候が、夏に企画展を行なう美術館としての体力(予算、人材)が減っている、ということである。教育活動が「夏休みはコレクションを使って子ども向けの展示をしてしのごう」というような消極的な理由として使われていないだろうか。これは自戒を込めての感想である。
美術館の教育的な活動を、指定管理者制度や、不況による予算規模縮小の免罪符として行なうのではなく、逆に展覧会や美術館の活動全体に大きな刺激を与え、美術館や地域社会を活性化するような、そして、美術や美術館という存在に、夢や可能性を感じることのできるようなプログラムをつくっていきたい、と考えさせられる夏であった。
チルドレンズ・アート・ミュージアム2009
コレクション/コネクション──福岡市美術館の30年
現代美術も楽勝よ。