キュレーターズノート
アートイン木町プロジェクト『つなぐ』'09──山口盆地午前五時/「Moids 2.0 - acoustic emergence structure」展
阿部一直(山口情報芸術センター)
2009年10月15日号
もうひとつ、会期は短いが、興味深い企画があったので報告したい。やはり山口市内の古民家を利用しての、アーティストによる自主企画グループ展である。ちょうど、YCAMでストローブ=ユイレの映画作品のなかから最近作4篇の上映(『ルーブル美術館訪問』『ヨーロッパ2005年、10月27日』『アルテミスの膝』『ジャン・ブリカールの道程』の連続上映。ストローブのパートナー、ダニエル・ユイレが亡くなる前後の作品群であるが、チェーザレ・パヴェーゼによる現代的神話詩の対話篇『レウコとの対話』をミニマルに映像化した『アルテミスの膝』は、明らかにストローブ個人によるユイレ追悼のトンボーとなっており、厳格に朗読される台詞の音楽性と、台詞を喪った時の映像の鮮烈さに打ちのめされる。対照的に、音[マーラー「大地の歌」]だけが鳴る溶暗の長いこと)が始まった翌日からのオープンとなった。
展示作家は、moids[斉田一樹+三原聡一郎+むぎばやしひろこ]、梅田哲也、丸尾隆一の3組で、いずれもなんらかの電子的メディアや機材を使ったインスタレーションである。壮観なインスタレーションヴューを作り上げていたのは、moidsで、各単体ユニットのオンオフのルールはシンプルであるが、それが多岐に集合化されることで、複雑な予測できない動きの自生態となるといった風合いのもの。約15分おきにリセットされるプログラム以外はコンピュータ制御ですらない(リセットは、ゼロから派生するプロセスをデモ[表示]し易くするためにセットされているので、本質的な仕組みではない)。1ユニットは、小型マイクと集音音量値によって作動するリレーユニットのみを自動的に作動させる基盤でできていて、さらに3ユニットで1フレームをつくり、それらが植物の木々のように生い茂っている状態のインスタレーションである。あるユニットのマイクが集音すると、それが次々に隣接するユニットにリレーが伝播されていき、虫の集合状態のような音響群を作り出すが、環境音で強い刺激があると、その自生態は微妙に変化していく。天井の梁に約400フレームが吊られて連鎖している様は圧巻だ。かつてのサイバーパンク時代の暗示的造形物が、精緻な電子回路によってリアルタイムの電子生態系を実際に実現しているという様であるが、空気振動による伝染というコミュニケーション形態を重要な要素として挟んでいることは、現在の複雑にプログラム化されるネットワーク社会や自然観の自閉性に対する大きな批評にもなっている
梅田哲也は、全国各地で作品やパフォーマンスを数多く発表する、現在引く手数多なアーティストであり、博多や北九州でもすでに何度か発表を行ない、山口にもライヴパフォーマンスでは何回か登場しているが、今回は古民家を巧みに利用した、興味深いインスタレーション展示である。家庭用電源を使った解体した家電(扇風機や照明器具やら改造したものやら)を、ループセットを微弱に伝え合っていくことで、各所で突発的な動きを導きだす。フィッシュリ&ヴァイスの『事の次第』に近い感覚だが、異なっているのは、梅田のインスタレーションでは、しりとり連鎖のシークエンスの面白さだけを強調するだけではなく、それらを極度にスローモーション化した視点で脱構築してしまうほど、微弱で緩やかな異なった物事の生起が、遍在的な場所で自立している感を呼び起こす点でユニークだ。今回は、廊下から始まり、浴室の浴槽の水中を経て、窓越しに野外の木々まで影響が及んでいて、そのプロセスの多様性や面白さは群を抜いている。梅田のパフォーマンスで見られる、手製の炊飯機、風船、電線などを使用した共鳴や共振現象への注目、日常の器具や自然物などの予想できない使用方法は、驚くべき音響の多様性を生み出す。生活世界の錬金術といってもいいほどだが、その裏付けとなっている、きわめて科学的視点からの研究姿勢や日常現象へのクールな観察眼があってこその世界観であることを忘れてはならない。
丸尾隆一は、前回、豊田市美術館で発表したインスタレーションをさらに進展させた作品を提示した。ライトボックスに、半透明のスライドフォトがプリントされており、その裏には液晶モニターが隠されてセットされている。一見、ライトボックスによるフォト作品に見えるが、ある瞬間急に動画となり、そのフォトの撮影された瞬間の前後30秒間ほどの映像が、スライドにリアからオーヴァーラップされる。微妙な画像のフレームレートが操作されているため、人間の通常の視覚認識を超えた、写真化される決定的瞬間という現実自体のずれや多様性が映像的に現実化される。3台のボックスが併置されていて、無人の室内とカーテン、若い女性のポートレートとそのぶれた半身のスライドが見えているが、動画がかぶさる場合は、3台が同期するようプログラム化されている。
このグループ展における、日常からの電子技術やネットワークに対するアプローチは、三者三様に対照的でコンビネーションの面白さがあるだけではなく、同じ民家の空間を共有しながらも、まったく異なる伸び縮みしていく時間感覚と微細な変動へのプロセスへの関心を起こさせ秀逸な展覧会である。各部屋同士や屋外(和式庭園)とも、どこか隔てのない通過感覚を強調した日本家屋の伝統的長屋構造を、作品の生成する動きにうまく連動させている点でも非常に興味深い展示だ。ホワイトキューブではまったく違った感触になっただろう。