キュレーターズノート

睡蓮池のほとりにて──モネと須田悦弘、伊藤存/Gilberto Zorio/Per Kirkeby

中井康之(国立国際美術館)

2009年12月15日号

 今期は、担当した展覧会「長澤英俊展──オーロラの向かう所」(10月10日〜12月13日、国立国際美術館)の展示とイベントを終了させた後、11月の1カ月間を在外研修でミラノに滞在するなどの事由により、関西圏での動きを追うことはほとんどできなかった。前回の続きから言えば、神戸ビエンナーレに足を運ぶことさえ適わなかった。

 それでもイタリアへ向けて発つ前に、京都の大山崎山荘美術館で開催された「睡蓮池のほとりにて──モネと須田悦弘、伊藤存」は無理を押して行った甲斐がある展示内容だった。美術館の謳い文句を前提とすれば、睡蓮を介してモネと須田、伊藤の共演ということになるのかもしれないが、実質的には伊藤の新作展といってもよい構成だった。伊藤は、今年4月に東京のタカ・イシイギャラリーの個展で展開した、抽象的かつ構成的な方向性とは異なり、具体的な事物に対応した作品を発表していた。伊藤はその美術館の庭園を時間を掛けて取材し、それらからインスパイアされて新しい作品を生み出していった、という趣旨の話をしていた。当初、私自身はそれらの作品を原点回帰と解釈したのであるが、じつは伊藤はそのような方法で制作を試みたことはなく、作家の記憶を紡ぎ出すかのような図像の連関によるそれまでの手法に対して、大山崎山荘という具体的な場所からなにものかを導き出すということを実践したものであった。純粋な絵画表現などとは異なり容易には自らの先達を見出しがたい伊藤にとって、このような方法論を試みる必要性があったのである。その本当の成果は今後の伊藤の作品に見出されるのであろうが、いずれにしても今回のような取り組みに対して積極的に関わっていこうという作家の姿勢に感心したのである。


伊藤存《人くらいの魚》2009

 今年の11月のヨーロッパは、まるで日本の雨期のような天候で、雨に祟られた月であった。霧のミラノならぬ雨のミラノに、さる作家の調査のためにその地に赴き、未亡人や研究者との会合を重ねるということになった訳であるが、そのことはあまりにも私事に関することでありここで詳らかにするようなことではないだろう。そのような日々を過ごす間にもイタリアばかりでなくヨーロッパ内の美術館を巡るような時間を持つことがあった。

 そのなかでも特に記憶に残っているのはミラノから特急で1時間あまりのボローニャで見たジルベルト・ゾリオの個展である。マンボ(MAMbo=Museo d'Arte Moderna di Bologna)という愛称で呼ばれるボローニャ近代美術館で開催されていた。その施設は18世紀につくられた石造りの宮殿を再利用した施設で、それまで40年間運営されてきた以前の近代的な建築物による美術館から旧市街地区により近い場所で運営されるようになり名称も変更されたのである(以前は「GAM=Galleria d'Arte Moderna di Bologna」。日本語では同様にボローニャ近代美術館とされていたように記憶する)。ゾリオは言わずと知れた「アルテ・ポーヴェラ(貧しい芸術)」の一員であるが、正直なところ私自身、あまり注目するようなことはなかった。例えば彼の代表作《星》を例示すれは、槍を用いて五つの突起を持つ星をつくることによって、観念的には星というものが人類が考えてきた宇宙というパラダイムを表わすと同時に、その形は人が捏造した記号に過ぎないということを卑俗で原始的な武器を用いて明らかにする、といった仕事をしていた訳であるが、少し説明的に過ぎるように感じていた。今回の個展では、巨大な展示空間の中央にその星型の壁を用意し、新旧のさまざまな作品、特に多くの《星》を展示するという試みであった。その壁はよほど注意深く鑑賞しても容易には星型となっているとは気づかず、さらにその展示室は、一定の時間をおいて暗闇をつくり出すことによって、光や熱、あるいは音などさまざまな要素を用いられた周囲の多くの《星》作品が異なる表情を示し、人類にとっての「星」という、その歴史と神話を顕現するかのような表現となるように仕組まれていたのである。そのような大規模な仕掛けが、歴史的な石造りによる巨大な空間で繰り広げられることによって不思議と必然性のある表現として観る者に語りかけてきたのである。このような言い方をすると、とても感覚的なものと受け止められるかもしれないが、彼らの表現というものが、石造りの宮殿というものに代表されるような偉大な伝統と闘ってきた歴史であったことを思い出すならば、彼らの表現自体も均質的な空間ではなく、そのような歴史を体現する空間に置かれることによって、始めて活かされてくるということもまた事実なのではないだろうか。


Gilberto Zorio, Torre Stella Bologna, 2009
Photo: Michele Sereni

 そのほかに興味深く見た展覧会は、デュッセルドルフのmuseum kunst palastで開催されていたペール・キルケビーの回顧展である。キルケビーはデンマーク出身(1938年生)の作家であるが、1970年代後半からカールスルーエ芸術大学やフランクフルトのシュテーデル美術学校の教授を勤めるなどドイツを中心に広くヨーロッパで知られている。絵画を中心に250点におよぶ作品で構成された今回の展覧会を興味深く見たのは、キャスパー・ウルフという18世紀のスイスの山岳画家の展覧会が併設されていたところにある。地質学の学位も所得しているというキルケビーではあるが、もちろんそのような卑近な興味でこのような展示に挑んだ訳ではないだろう。西欧近代絵画というとフランス近代を中心とした流れしか考えないわれわれ日本人にとっては(これはもしかしたら私だけなのかもしれないが)、理想主義的な風景画から脱したスイスの山岳画家(ウルフ)と北欧出身のドイツを中心に活躍してきた抽象画家(キルケビー)の関係性に気づくことはほとんどどないであろう。
 
 おそらく、この時期にドイツで開催されていた展覧会で日本でも広く紹介されるであろう催しとしては、ベルリンの新ナショナル・ギャラリーのトーマス・デマンド展、デュッセルドルフのK21のウィルヘルム・サスナル、マーストリヒトのボネファンテン美術館のエリザベス・ペイトンといったことになるのかもしれないが、本当にわれわれが知らなければならないのは、そのような枝葉の先端部分ではなく、幹に近い太くてとらえどころのないような幹と枝の分岐点となるようなものなのではないだろうか、と(キルケビーの回顧展を見ることによって)思い至ったのである。

睡蓮池のほとりにて──モネと須田悦弘、伊藤存

会場:アサヒビール大山崎山荘美術館
京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字銭原5-3/Tel. 075-957-3123
会期:2009年10月28日(水)〜2010年2月28日(日)

Gilberto Zorio

会場:MAMbo - Museo d'Arte Moderna di Bologna
会期:2009年10月15日(木)〜2010年2月7日(日)

Per Kirkeby

会場:museum kunst palast
会期:2009年9月26日(土)〜2010年1月10日(日)

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