2020年03月15日号
次回4月1日更新予定

キュレーターズノート

Nadegata Instant Party「24 OUR TELEVISION」──アーティスト、市民スタッフ、地元メディアがつくる24時間の出来事

日沼禎子(国際芸術センター青森)

2010年07月01日号

──結成のきっかけは?

野田──思いつきですね(笑)。アートマネジメントを学んでいた大学院時代、ギャラリーでの展覧会を企画することになり、声をかけたことがきっかけです。中崎、山城の二人については、以前から個々の活動を知っていました。人々とのコミュニケーションをとりながら作品制作をするという考えは共通していますが、アウトプットの方法として中崎はアナログ、山城はデジタル。そうした異なった表現をする二人を一緒にあわせたら面白いことになるのではないかと。そうしたら「だったら、一緒にやろうよ」ということになったのです。それが、TOTAN GALLERY(トタンギャラリー)★1での《インストールパーティー》です。


《Install Party》(TOTAN GALLERY、2007、東京)

──どのようにチームの活動を進めていったのですか?

中崎──まずは3人のあいだで各々が気になっていることを往復書簡のようなかたちでやりとりしていった。「三角形の話し合い」というのかな。そのとき、まずは「パーティーをしようぜ!」ということになり、作品を口実にしてなにか出来事をつくる、インスタントでその時々の仲間をつくっていくことをやってみようということに。それで、ユニット名を「Nadegata Instant Party」と決めました。
 はじめての仕事となった場所は、再開発によって取り壊される予定であった東京の阿佐ヶ谷住宅内のTOTAN GALLERY。アーティストが連続していろいろな企画をリレーしていく企画の、僕たちはその最後のほうだったので、ある意味やりたい放題(笑)。そこで、天井からつるされたバナナを取るということを口実に、手が届くように床を上げるという肉体労働を投入するプロジェクトを行ないました。そこに集まった人たちは、このギャラリーの常連や通りすがりの人たちもいて、真剣になにかをやっている僕らの姿を見て、自然に仲間に入ってくるようになった。

山城──いま振り返ると、時間と場の構成をデザインしていたと思う。いろいろな人が行き交う場所なので、例えば象徴であるバナナを、どの場所から入ってきても見えるようにしてみるとか、個々の参加者へのメッセージメモをつくる、いわば一人ひとりのカルテをつくっていくというような。それを支えている存在が「バナナ」というバカげた存在なんだけれども、そう見えないようにデザインする。お祭りやゲームなどを共有することで互いの距離が近くなることと同じように、コミュニティの結束点をつくっていくような感じ。

──プロジェクトの始まりから、そのような展開になっていくことは予測していていましたか?

中崎──そもそも3人がお互いの仕事を良く知らないところからスタートしたので、作品をつくりながら、コミュニケーションしながら互いのスキル、力が見えてくるようになった。

山城──「伸びしろ」をみることができた、という感じかな。

──その後、コミュニティの結束点をつくることで注目され、各地でプロジェクトを行なっていくことになりますが、その主催からは「地域づくり、まちづくり」という目的でオファーすることも多いと思います。それについて、意識はしていますか?

中崎、山城、野田(3人同時に)──まったくないですね!!

中崎──僕たちの作品のために、ゼロからスタートさせるのではなくて、むしろもともとあるコミュニティに石を投げ込む、という感覚です。例えば、ARCUSで行なった《パラレルスクール》でも、あるひとつのコミュニティをつくるというミッションはあったけれども、そこでのコミュニティの認識は、それぞれが所属する共同体のなかにひとつのフレームを持ち込むというかたち。そのフレームとしては、体を動かしながらの労働、共同作業のなかに、ある種のエンターテイメント性のなかの感動を用意する。そこで、なにかが起き、なにかが変化していく。


《Parallel School》(アーカススタジオ、2008、茨城)

──現在、参加型のプロジェクトは非常に注目されていますよね。地域性、場所性と関わりながら展開するような芸術祭などでは、特にその傾向が強い。NIPのみならず、そうしたプロジェクトを行なうアーティストの作品について、一方では、手放しで歓迎され、批評、評論がされるケースが少ない、言い換えれば批評が追いついていない気がします。

山城──ぜひ、批評は欲しいですね。とてももったいない状況だし、こうしたものに対する議論はぜったい必要だと思います。僕らにとって、何人参加したのかという数の成果は関係ない。美術の歴史的な流れからいうと、僕らよりも以前にすでにあった、コミュニティをテーマにした作品に対するパロディでもあって、それらにあえて近く見えるようにつくっている。つまり、既存の作品に対する、メタな存在として、さらにメタのなかのメタへと入れ子のように展開していく。そしてそこに意識的に人々が巻き込まれるように誘導し、デザインし、そのために僕ら自身もある種の役割を演じている部分もあります。

──巻き込まれている人々を、かなり引いた目線で眺めているようにも見えますが。もしも、このプロジェクトに対して関わった人たちが、その仕組みに気付いたとき、「なんだよ!?」と不快に思う人も出てくるかもしれません。そうしたことを、3人のあいだで議論しますか?

山城──それはある意味しょうがないですね。参加する人々は、僕らの作品のなかでは被写体です。写真とはそういうことであって、被写体は素材にすぎない。

中崎──作品に関わった人が、関わった分の対価を持ち帰ることのできるように意識しています。例えばこれをきっかけに、深く踏み込んでくる人もいて、アートの勉強をしたい人たちにとっては「とても勉強になった」というし、批評する立場の人が逆にはまってしまって、一緒に労働してしまうこともある。そうした複雑さが発生する。僕らはアートのためのアートをやっている。構造としての作品であると考えています。

野田──そのうえで私たちは、現代の最先端のところで仕事をしているという自負がある。

中崎──例えば西洋的な美術史の流れからみれば、日本人としてのリアリティのなかで仕事をすれば、単純にオリエンタリズムとしてとらえられてしまうが、自分たち自身がリアルと思っていることを保持したうえで、戦っていきたいという意識がある。いま僕たちの仕事は具体的なまちおこしの位置づけでオファーされることもありますが、じつは、フィクションをつくっているわけで、相反するもの、矛盾がそこにあるんですよ。

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