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現代日本写真が伝える眼差しの方法──「記憶と光 日本の写真1950-2000
パリ・ヨーロッパ写真館所蔵 大日本印刷寄贈コレクションより」モスクワ展
鈴木佑也(ロシア/ソ連建築史および美術史)
2018年06月15日号
今年の4月6日から6月3日まで、モスクワのマルチメディア美術館で「記憶と光 日本の写真1950-2000 パリ・ヨーロッパ写真館所蔵 大日本印刷寄贈コレクションより」展(以下「記憶と光」展)が「ロシアにおける日本年」の公式イベントとして開催されていた。既にartscapeには、この展覧会の元となるコレクションの経緯については飯沢耕太郎氏が、そして展覧会の内容についてはパリでの同展覧会に関する栗栖智美氏による記事に記されている。本稿ではこの展覧会が開催されているモスクワのアートシーン、この展覧会の母体であるモスクワ・フォト・ビエンナーレについて言及しながら、この展覧会の背景とモスクワにおける日本のアートの受容状況を紹介していきたい。
モスクワの現代アート人気
近年モスクワの現代アートシーンは公立の美術館やプライベートギャラリーを中心に活況を呈してきている。ソ連時代から美術館はもちろん存在していたが、そこで展示される作品は政府公認の芸術作品であり、現在のコンテンポラリーアートのルーツとなるソッツ・アートやコンセプチュアル・アートは非公式芸術とされ、公の場で展示されることはなかった。それらはアーティストのアパートもしくはコレクターの自宅(有名なのはゲオルギー・コスタキで、彼はロシア・アヴァンギャルドの作品を多数所有しており、その作品を同世代のアーティストに鑑賞させていた)などで展示され、一般市民からは半ば閉ざされた空間でしか鑑賞できなかったのである。
こうした状況が変化するのはペレストロイカ以降の1980年代末からで、モスクワの中心部にアートスペースART.4、1990年代ではXLギャラリー、リジナギャラリー、ゲリマンギャラリーなどのプライベートギャラリーが登場し、当初は非公式芸術家の作品や国内で活動する若手アーティストの作品、外国のコンテンポラリーアート作品を展示してきた。ソ連崩壊後には国立の現代芸術センターやモスクワ市現代美術館なども登場し、数十年前では非公式とされていたであろう作品を目にする機会が増え、コンテンポラリーアートシーンは活性化してゆく。そこにさらに、企画展を中心に行なうミュージアムであるガレージ(Garage Museum of Contemporary Art)、プライベートギャラリーが集まったアートコンプレックスのヴィンザヴォード(Winzavod)などが登場した。
このなかでもガレージは、モスクワ市民の多くが休日に足を運ぶ「文化と休息の公園」内という好立地をアドバンテージに、積極的にアートの普及に務めている。このミュージアムは展示だけでなく、国内外の著名な批評家による論考や芸術動向についての書籍を多数出版し、これらはモスクワにある他の美術館やアートスペース、大型書店などでも販売されている。そのため、このミュージアムを訪れたことのない人にも、ガレージは「アート系出版社」と認識されているであろう。またガレージはソ連時代の非公式芸術のアーカイブを有しており、一種の研究機関としての機能も果たしている。
また、ロシアでは文化関連の番組に特化したキー局ロシア─文化があり、今回のようなビエンナーレの情報を伝える番組や関連したドキュメンタリーなどが放映されている。このような状況のなかで、アート愛好者のみならずモスクワの一般市民は現代アートに接する機会が増えており、日常的な余暇のひとつとなっていることが分かる。
マルチメディア美術館の立役者
今回の写真展の会場であるマルチメディア美術館を取り仕切っているのはオリガ・スヴィブロヴァ氏で、彼女は美術館設立に尽力し、開館当初からこの美術館のディレクターを務めている。彼女は1980年代半ばからキュレーターおよび映画脚本家として自らのキャリアをスタートさせ、1988年に手がけた『黒の正方形』(1989年公開)で世界的に有名になった。この作品はスターリンの没後、強権政治が緩んだいわゆる「雪解け」期の1950年代後半から撮影当時の1988年までの、非公式芸術のアーティストたちの活動を撮影したドキュメンタリーである。彼らはイリヤ&エミリア・カバコフ、エーリク・ブラートフ、アナトーリー・ズヴェレフなど、数年後にはロシアのコンテンポラリーアートの巨匠となるアーティストたちであった。
この作品の撮影された1988年にサザビーズのオークションが国内で初めて開催され、ロシア・アヴァンギャルドの作品や1960〜80年代の非公式芸術とされた作品、およそ数百点が競売に掛けられた。国外のバイヤーが競って高値でこれらの作品を購入し、ロシア・アヴァンギャルドの価値が改めて世界的に高まり、それまで非公式とされていたアーティストの作品が公に評価されることとなった。このことに絡んで、スヴィブロヴァの脚本による『黒の正方形』は当時の西側諸国でも上映されることになり、彼女の名は国内外のアート業界で知られるようになり、モスクワのコンテンポラリーアートの牽引役としてフォト・ビエンナーレやそのほかのアートイベントの運営に積極的に関わっていく。また経済界や政治家とのコネクションも有しており、彼女が企画した展覧会のオープニングには政府高官、企業の役員などが出席し、彼女が手がける展覧会は一般メディアでも取り上げられている。
モスクワ・フォト・ビエンナーレのメインテーマ
今回の写真展はモスクワ・フォト・ビエンナーレの枠組みで開催されている展覧会でもある。簡単にこのビエンナーレについて触れてみよう。フォト・ビエンナーレは1996年に第1回目が開催され、2018年は第12回目(4/1-5/27)となる。メイン会場は、モスクワの中心部のクレムリンに隣接するマネージュ広場にある新古典主義建築様式の建物マネージュとなっており、マルチメディア美術館とユダヤ美術館およびトーラーセンターも展示会場となっている。
このビエンナーレのメインテーマには、「写真の多様性」、「カメラが捉えたイタリア」「カメラが捉えた日本」の3つが掲げられている。それぞれの展示会場がこのテーマをもとに、全部で17の写真展を企画した。このフォト・ビエンナーレで興味深いのは、企画としては別になるが、報道写真も芸術写真と同等に展示されている点である。これは報道写真の「決定的瞬間」や「舞台裏」だけでなく、文字情報といっしょに媒体に掲載されたときは異なる、写真のみの展覧会というメディアで伝えられる印象を鑑賞者に与えることに成功している。報道写真と芸術写真とを並べることによって、普段は意識されることが少ない報道写真家の意思や態度も芸術写真の写真家のそれと同じように明確に提示することができる。これはモスクワの鑑賞者にとっては新鮮な体験なのではないだろうか。
日本の現代美術、現代写真の受容
このフォト・ビエンナーレに「日本」がテーマとして含まれているのは、必ずしも今年が日露政府間で取り決めた人的交流事業「ロシアにおける日本年」「日本におけるロシア年」の一環であるからというだけではない。このビエンナーレに至るまで写真を含めたアートの分野において、ある程度日本のアートが紹介されてきた素地があるのだ。特に2010年代に入ってから、日本のコンテンポラリーアートが積極的に紹介されてきている。2011年には松井みどり氏が企画した『マイクロポップの時代:夏への扉』の巡回展が国立現代芸術センターで行なわれ、2012年にはモスクワ市現代美術館にてロシア人キュレーターのエレナ・ヤイチニコヴァ氏と保坂健二朗氏による日本のコンテンポラリーアートを紹介したものでは当時最大規模の企画展『ダブル・ヴィジョン』が開催されている。2017年に開催された第7回モスクワ・ビエンナーレでは長谷川祐子氏がメインキュレーターを務め、東加奈子、中園孔二、島田清夏ら、若手の日本人アーティストの作品が出品され、同じ年にガレージにて村上隆の個展も開催された。
日本の写真家についても、このマルチメディア美術館は荒木経惟の作品を所蔵しているため、2002年に彼の個展を開催している。2009年にはS.ストロガノフ記念モスクワ国立工芸大学で細江英公の個展が開催され、2009年には今回のフォト・ビエンナーレの枠内で個展が開催されている山本昌男の作品がプライベートギャラリーPobedaにて展示されている。さらに、2016年の第11回フォト・ビエンナーレの3つのメインテーマのうちのひとつがすでに「日本」で、杉本博司、Shunsuke Francois Nanjo、椎原治の個展、そしてロシア側が所蔵する明治時代の日本の風景を撮影した写真の展覧会が開催されていた。
また、会場のマルチメディア美術館は、当初は「モスクワ写真館」として開館しており、コレクションは写真を中心に充実させている。国内の写真家では、1920年代のロシア・アヴァンギャルドで有名なアレクサンドル・ロトチェンコ、ロトチェンコらとともに国内外プロパガンダ雑誌『建設のソ連』の写真を担当し、1930〜40年代のウズベキスタンを撮り続け、通信社などに報道写真を提供したマックス・ペンソン、第二次世界大戦中ソ連赤軍に従軍しその戦線を撮り続けたアナトーリー・エゴロフなど、国外の写真家ではアンリ・カルティエ=ブレッソン、ヘルムート・ニュートン、ブラッサイ、荒木経惟、ナン・ゴールディンらの写真作品を所蔵しており、このなかから定期的に展覧会が行なわれている。
ステレオタイプな「日本」のイメージから離れて
今回のマルチメディア美術館で展示された作品は、昨年のパリで開催された展覧会とほぼ同じである。また、フォト・ビエンナーレの一環として山本昌男個展「空の小箱」、ヴィクトル・アフロモフ個展「僕はモスクワを歩く」(1964年に上映された人気映画のタイトルと同じ題名をこの個展に付けている)といった2つの展覧会が同時にここで開催されている。
アフロモフの個展に出品されている写真は、1960年代からのモスクワの日常風景で、鑑賞者にノスタルジックな感情を湧き上がらせる。これとは対照的に、この「記憶と光」展の写真はステレオタイプな「伝統的な日本」のイメージと一致するものではない。例えば、古屋誠一の写真の被写体はオーストリア人の妻、杉本博司の写真もキャプションなしではどこであるかわからない映画館、1960年ごろのシカゴを撮影した石元泰博の写真などである。もちろん、木村伊兵衛の農村を写した写真は紛れもなく日本の原風景として受け止められるだろうが、宮本隆司の廃墟を写した連作、細江英公の連作「鎌鼬」は、前者は廃墟、後者は農村を舞台にした舞踏家土方巽のパフォーマンスという、どこか非日常的な空間である。日本の風景や人物が被写体として写し出されていても、外国の人々が想起する「日本」という地域的なエキゾチシズムからは外れている。植田正治の鳥取砂丘を背景にしたシュルレアリスティックな写真も被写体は日本人であるものの、背景の白さによって逆に人物の配置や仕草などが際立ち、「日本」に特定されない幻想的な世界に見えるであろう。
「記憶と光」展の影響
もし一般的なロシア人の持つ「現代日本」のイメージを求めるなら、「ロシアにおける日本年」の別の事業である、ダーウィン博物館での「東京史」展やロシア人撮影者を対象にした写真公募展「私の日本」展での作品のなかに見出されるだろう。それらは「現代日本」のイメージをロシアの鑑賞者に再生産させるものであって、いまの現実の日本人の内奥や多面性を発見させるものではない。
おそらく他の国でもそうかもしれないが、今日のモスクワの社会には、中心街にある日本の清涼飲料の自動販売機、ファストファッションの最大手ブランドなど、「現代日本」のイメージを流布するものが思いのほか多い。しかし、それらのイメージは消費という形で人々の日常の中で処理されてしまう。「記憶と光」展は、そういったイメージとは一線を画しており、「日本」とは、必ずしも消費されているイメージだけではないということをモスクワの鑑賞者に気づかせてくれるのではないか。
「記憶と光」展の写真家が日本を捉えた眼差しは、この展覧会をとおして、モスクワの鑑賞者のものとなり、その目で彼らは今度はモスクワの現代社会を再発見するのではないか。それは、あたかもおよそ100年前に自国の文芸理論家ヴィクトル・シクロフスキーによって生み出された「異化」作用の再獲得である。その異化作用を持って、ファインダー越しで覗いた日常に多様性があることを我々に提示したロトチェンコのような革新的な写真が再び現れるのではないか。「記憶と光」展の写真は、新しい眼をロシアの現代写真に与える、そんな刺激的な可能性を感じさせるのだ。