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スタッフエントランスから入るミュージアム(1)
渉外──美術館の可能性を社会に開く
襟川文恵(横浜美術館経営管理グループ渉外担当)/坂口千秋(アートライター)
2019年07月15日号
「アートの仕事」を思い浮かべたとき、キュレーター、ギャラリスト、アートコーディネーターまではすぐに思いつきます。しかし、実際には、驚くほどさまざまな「アートの仕事」があるのです。 今回から始まるシリーズは、通用口や搬入口というスタッフが入るエントランスから、美術館のバックヤードに入ってみようという企画。毎回、さまざまな職業の個性あふれる仕事人たちに登場を願い、私たちが見ている展覧会やコレクションを縁の下から支える仕事を紹介していただきます。 第一回目、まずは美術館と外部をつなぐ窓口の役目をされている方にご登場いただくことにしました。(artscape編集部)
横浜美術館 経営管理グループ 渉外担当 襟川文恵さん
──渉外というお仕事は、どのようなお仕事ですか?
襟川文恵(以下、襟川)──美術館の渉外といっても大半の人はピンとこないかもしれませんが、一般の企業でいえば営業や、場合によってはプロモーションにも近いと思います。美術館と外部をつなぐ仕事全般といいましょうか、金銭による支援を集めることを主軸として、美術館の活用を社会に提案するのも渉外の仕事です。これまでの美術館の中に足場を置いて外に向かってアピールしていたやり方から一歩進んで、美術館と外の世界の間に軸足を置いて、内と外を行き来するプレーヤーだと思っています。
──美術館で「渉外担当」という肩書きでお仕事されている方は珍しいのではないでしょうか?
襟川──そうかもしれません。少なくとも横浜美術館で渉外の名刺を持つのは、現在私一人です。ほかの美術館では、総務担当でこの役回りをされている方もいますね。実は横浜美術館はかなり前から美術館営業に力を入れていました。横浜美術館は1989年に開館した後、2008年に全国に先駆けて指定管理者制度を導入し、現在私が所属する公益財団法人横浜市芸術文化振興財団が管理・運営を一任されました。自主財源の確保も重要なミッションのひとつになった状況のなかで、「コンテンツの活用」「人知の活用」「建物の活用」「コレクションの活用」という4本柱で、資金を得るためのアクションをスタートさせたのです。具体的には、アトリエのプログラムをアウトリーチしたり、キュレーターの能力を企業に活用していただいたり、美術館をロケ地として使ってもらったり、コレクションを広く教育に活用できるようにしたり、というようなことです。以来、徐々に体制を整え、2013年に第二期の指定管理者として、さらに10年間任されることとなりました。地域や社会にとって必要な美術館の姿を、もう一段階掘り下げて考えることができるようになった。そのタイミングで、2013年に私は渉外担当として横浜美術館に入りました。
──具体的にはどういったことをされるのですか?
襟川──展覧会のファンドレイジング、つまり協賛セールスを始め、横浜で開催されるイベントに美術館を会場として利用してもらうこともあります。例えば、カメラメーカーのニコンさんが主催する「TopEye全国高校生写真サミット」というイベントは、ここ数年間当館で開催していただいています。当館は写真のコレクションが多く、横浜自体が日本における商業写真発祥の地のひとつということもあって、非常に親和性が高い企画でした。
また企業や団体だけでなく、個人へのアプローチも行なっています。「コレクション・フレンズ」という、一口1万円から参加できる参加型芸術支援プログラムがあって、今年で10年目ですが、私は7年間運営に携わっています。メンバー数は現在200名ほどです。当館コレクションの保存、修復、展示のための資金集めが目的ではあるのですが、なにより心強く感じるのは、メンバーの「美術館を支えたい!」という心意気ですね。今年、横浜美術館は開館30周年を迎えますが、これを機にニュージーランドに広大なワイナリーを持つ大沢ワインズさんとのコラボレーションにより、横浜美術館コレクションの作品図版を活用した開館30周年記念ワインを企画しました。その際に、「コレクション・フレンズ」のメンバーみんなで長谷川潔の《狐と葡萄(ラ・フォンテーヌ寓話)》をラベルとして選び、活動10年目のいい記念になりました。
ルネ・マグリット《王様の美術館》と長谷川潔《狐と葡萄(ラ・フォンテーヌ寓話)》のワインラベル
[写真提供:横浜美術館]
──企業、団体から個人まで、渉外の仕事相手ってすごく幅広いんですね。
襟川──そうですね。この仕事は、美術館と社会の間のなにもないところから生み出していく仕事なんです。外との関係性を築くためには、まずはコミュニケーションを深めて信頼を得ること。お互い腹を割って話せるようにならなければ、ニーズを共有できません。さきほどのニコンさんの件も、会場探しにご苦労なさっているというお話しを伺ったところから始まりました。そういった小さな起点から可能性が広がるので、私たちにできることはないかと、常にアンテナを張っています。
──日頃、美術館と縁のない人が求めているものを探るのは難しそうです。
襟川──特にお願いすることがなくても「情報交換しましょう」と言って企業を訪問することがあります。何気ない雑談のなかから、企業・担当者の価値観や、そこで働く人のライフスタイルが垣間見えることがあるんです。子育て世代や女性たちとの雑談がキッカケで、もっと子連れで訪れやすい美術館にするにはどうしたらよいか考えはじめると、放課後の子どもたちが自分の足で美術館に来られるような仕組みを作れないか、いっそのこと美術館のなかに学童保育の機能を組み込んだらどうなるだろうか……などと、想像を巡らせるわけです。つまり私の仕事の半分は人と話をして、半分は妄想しているようなものかもしれません。
ファンドレイジングは、さまざまな人たちの夢を叶えるため
──多岐に渡るお仕事の中で、ファンドレイジングにはどのくらい力をいれているのですか?
襟川──お金は美術館の体力ですから、渉外の仕事の根幹にはやはりファンドレイジングがあります。どんなにすばらしい展覧会を学芸員が企画しても、資金不足で実現できなければ元も子もありません。公立美術館であっても、与えられた予算だけを頼りに運営することは、今後もっと難しくなる。だからファンドレイジングは、美術館の夢を叶えていくために欠かせないものです。ただそれは、美術館のなかのロジックだけでは成り立たない。美術館の意義や芸術の社会的な価値を、外の世界と一緒に生み出していくことが必要です。かつてのような展覧会のポスターに社名やブランド名が載ることイコール協賛メリットという価値観は、SNSなど多様なメディアが存在する現代とは合わなくなってきています。もっと協賛者にとって実質的な意味が求められている。それを創り出せるかどうかが、これからのファインドレイジングの大きなテーマだと思います。また、今後は金融機関との連携なども考えていきたいですね。
──印象に残っているお仕事について教えてください。
襟川──2015年の「蔡國強展:帰去来」です。館内で火薬を爆発させて大型作品を制作するというダイナミックな展覧会に、寺田倉庫さんから大きなご支援をいただきました。ちょうど寺田倉庫さんのイベントで展示監修のご相談を受けてやり取りをしているなかで、この企業がアート事業を拡大させる意志を強く持っていて、その目的のために有用なチャンスを求めていることがわかったのです。そこで、蔡國強展をご支援をいただくメリットとして、寺田倉庫のお客さまや関係者に向け、誰よりも早いプレビューの機会をご用意しますと提案しました。そして、双方のニーズとタイミングが合致したんです。こうして展覧会に特別協賛をいただき、当館を貸切りで開催した特別なプレビュー&レセプションは、とても華やかな一夜となりました。
実は、この大イベントを受け入れるためには、展覧会を当初の予定より1日早く仕上げる必要があり、学芸員はとても大変な思いをしたはずです。それでも、この展覧会をよりよい状態に仕上げるために学芸員も運営スタッフも一丸となって猛進し、よい結果を得ることができました。その時の充実感が、その後の私の仕事の仕方に大きく影響しています。企業と美術館はお互いのニーズを共有することで、成果を得られると実感できました。こうした一つひとつの実績を糧にして、次の展開に繋げて行きたいと考えています。
本当に上質なもてなしに、お客様は気がつかない
──横浜の前は森美術館にお勤めですが、それ以前はアートとは直接関係のない仕事をされていましたよね。それはいまのお仕事に役立っていますか?
襟川──それはもう、すべて役に立っています。生命保険会社に勤めていたときは、人々のお金に関する考え方を知りました。その後フラワーデザイナーとして婚礼装花を手がけ、パーティーのやり方を覚えました。招待状の発送、集客、受付といった段取りから、感動の高め方、お客様の泣かせ方のような演出も、結婚式には緻密にプログラムされているんです。滞りなく進めるためには、「準備9割」の気持ちでいないと失敗することも目の当たりにした現場でした。
その後、宗徧流という茶道の家元の事務局でお茶の世界にどっぷり浸かり、日本のもてなしの真髄を学ばせていただきました。例えば、水を打った庭の飛び石を歩いたお客様の履物は、茶会の間に下足係が綺麗に拭きあげておくんです。だからお帰りになるまで、お客様の足袋は汚れない。でも、汚れたことには気がついても、汚れなかったことにどれだけの方が気付くでしょうか。本当に上質なもてなしとは、もてなされた人には意外と気づかれないものです。表立っては感謝されないような見えない部分を、お茶の世界では必死にやる。そのじっとやり続ける裏方の底力が、日本の文化を支えていると思います。そういう文化の在り方を知ったことも、いまの仕事に役立っています。
──お茶からアートの世界へ入ったきっかけはなんだったのですか?
襟川──当時、宗徧流の家元は時々親しい人を招いて、現代アートを取り入れた茶会を催していました。現代アートとお茶の世界が近くなっていたんです。そういう現代的な茶会をいくつか経験して、とても興味深いと思いました。同時に、10年以上茶道の家元という特殊な世界にいて、世間から離れすぎた気もしていたので、一般的な社会に戻るような気持ちで、2005年に森美術館の扉を叩きました。やや無謀な挑戦でしたが、入れていただけて幸いでした。
当時の森美術館は初代館長のデヴィッド・エリオット氏のもと、新しい現代美術の世界観を発信するために、みんなが全速力で突っ走っている刺激的な現場でした。横浜へ来て、蔡國強展の時にそれと似た空気を感じたんです。さまざまな立場のスタッフが、同じゴールを目指してやり遂げる感覚を、新しい仲間と分かち合えたことはとてもよかったです。
──渉外の仕事につくにはどうすればよいでしょうか。必要なスキル、向いている性格などありますか?
襟川──どんな人でもその経験を生かすことはできると思います。またそれぞれの得意なことを活かせる可能性もあります。たとえばコミュニケーションが不得意でも、きちんとした契約書が作れる人であれば、そのスキルを活かせるんです。ただ、この仕事はアイディアを実現させるまでの期間が長く、それは秘密を守る時間が長いともいえます。ですから性急に答えを求めずに時が来るのをじっと待てる、むしろそのプロセスを楽しいと思える人が向いているかもしれません。作戦を立てて着々とストーリーを作っていくのが好きな人には適した仕事だと思います。
襟川さんの仕事道具。「一番大変なのは名刺の整理。アイディアのメモはこの手帳のなかに」
自分たちに必要な美術館を自分たちで支える時代に
──襟川さんのそのパッションがすごく大きな鍵のような気がします。他館でもこうした渉外の取り組みはこれから広がっていきそうですね。
襟川──蔡國強展で寺田倉庫さんから特別協賛をいただいた直後は、複数の美術館からヒアリングのご要望をいただきました。それだけ皆さんの関心が高まっているのでしょう。お話しできることは、なるべくお伝えするようにしました。横浜美術館だけが抜きん出てうまくいくなどという未来はなく、全国の美術館が一緒に向上していくしかない。それが美術館業界の底上げということだと思っています。
80-90年代、全国的に公立美術館の開館ラッシュがありましたが、約30年たって、それらの館がリニューアルの時期にきています。これを機に組織面も新しくなって、どの館にも渉外チームが作られたらいいと思いますし、将来的には渉外担当者間のネットワークで情報共有したいと願っています。美術館をもっと開いていくにはどうしたらいいかを、他の美術館とも協力して考えられるようになったら最高です。
──渉外というお仕事は、社会とつながる新しい美術館像に深く関わることなんですね。
襟川──自分たちが暮らす社会に必要な美術館を、自分たちの意志で支える時代に来ていると思います。最近、アートに触れると医学的によい効果があるという臨床結果が出ていて、例えばカナダのバンクーバーでは、医師が美術館に行くことを処方箋として出せるようになったそうです。国や地域で起きている問題に、美術館は積極的にコミットして、いろいろな立場の人とコミュニケーションを深めて解決策を探る。世の中をよりよくすることに注力する。そうすることで美術館の必要性がいま以上に人々に伝わり、そこにお金もついてくるという循環ができるかもしれない。私は渉外の仕事にそんな未来への希望をもっています。
横浜美術館
神奈川県横浜市西区みなとみらい3-4-1