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「ICOM博物館定義の再考」が示すもの──第25回ICOM(国際博物館会議)京都大会2019

芦田彩葵(美術史、博物館学、キュレーター)

2019年10月01日号

第25回ICOM(国際博物館会議)京都大会2019のリポート第二弾。主要議題のひとつであり、開催前から関係者の間で成り行きが注目されていた「ICOM博物館定義の再考」について、キュレーターとしてミュージアムの現場を知り、博物館学の教鞭もとっている芦田彩葵氏に寄稿いただいた。(artscape編集部)


プレナリー・セッション「ICOM博物館定義の再考」会場風景(2019年9月3日)


本大会では6つの決議案が提出されていたが、なかでも焦点となっていたのは、採択されれば45年ぶりの大幅改正となる「博物館の定義」だ。大会最終日の臨時総会では議論が白熱し、予定時間を3時間過ぎて、定義案の決議を延期することが70.4%の賛成によって決まった。スアイ・アクソイICOM会長は、今後も博物館の再定義に向けての開かれた議論を続けていくと述べた。

時代の変化によって更新されてきた博物館の定義


ICOMの正式名称はInternational Council of Museums(国際博物館会議)であり、博物館の発展を目的として第二次大戦後の1946年に創設された。ユネスコと協力関係をもちながら、国連では経済社会理事会の諮問資格をもつ。特別委員会や国別に組織された118の国内委員会、30の国際委員会などによって構成され、3年ごとに全ての委員会が集う大会が開催される。

ICOMでは、1946年に制定されたICOM憲章(51年にICOM規約に改称)で初めて「博物館の定義」がなされ、その後、1961年、1974年、1989年、1995年、2001年、2007年の6回にわたって改正されてきた。現在の定義は1974年の内容をベースにしたもので、


博物館とは、社会とその発展に貢献するため、有形、無形の人類の遺産とその環境を、教育、研究、楽しみを目的として収集、保存、調査研究、普及、展示する、公衆に開かれた非営利の常設機関である。★1

とされている。日本では1951年に博物館法が制定され、登録博物館制度という独特な制度があるものの、博物館の役割についてはICOMの定義に概ね沿う内容となっている。また博物館法をもたない国ではICOMの規約が参照されていることを考えれば、ICOMの博物館定義が大きな意味をもつものであることがわかる。


それを大幅に改正しようとするのが今回の定義案である。再定義の経緯については、本事案を担当する博物館の定義・展望・可能性委員会(MDPP:committee on Museum Definition, Prospects and Potentials)が2018年12月に提出した報告書★2に詳しい。2003-2004年にICOMで博物館の定義が議論されたことが契機となっているが、2015年に国連が採択した「持続可能な開発目標」★3やユネスコが発表した「ミュージアムとコレクションの保存活用、その多様性と社会における役割に関する勧告」★4によって本格化したと捉えてよいだろう。格差の拡大や環境問題など社会的な課題解決に向けた行動が博物館にも求められ始めたからだ。2017年にMDPPが発足し、2018年末にICOM執行委員会で21世紀の博物館の在り方を考える新たな定義を作成することが決定された。その後、会員、非会員からの提言を公に受け付けるかたちで議論が進み、2019年7月の執行委員会で決議用の最終案が採択されたが、5つの国際委員会や24ヵ国から決議延期の申請が出るなど波乱含みであった。

大会2日目のプレナリー・セッション「ICOM博物館定義の再考」での冒頭、アクソイ会長は、倫理規定の見直しを行ない、地球市民として次世代に対して問題を解決することができる役割を博物館定義に与えることが使命であると述べた。MDPPの委員長ジュッテ・サンダールによると、提言募集にあたり、69ヵ国から25言語による269の提言が出され、5つの定義に振り分けられた。



プレナリー・セッション「ICOM博物館定義の再考」会場風景(2019年9月3日)


新たな定義案は以下の通りで、現状のものに比べると分量も大幅に増えている。


博物館は、過去と未来についての批判的な対話のための、民主化を促す、包摂的でさまざまな声に耳を傾ける空間である。博物館は、現在の紛争や課題を認め、それらに取り組みながら、社会から託された制作物や標本を保存し、未来の世代のために多様な記憶を守り、すべての人々に遺産に対する平等な権利と平等な利用を保証する。
博物館は、営利を目的としない。博物館は、開かれた透明性のある存在であり、人間の尊厳と社会正義、全世界の平等と地球全体の幸福に寄与することを目的とする。そのために、多様なコミュニティと積極的に連携しながら、収集、保存、研究、解明、展示を行ない、世界についての理解を向上させるための活動を行なう。
★5

登壇者6人による発表とセッションでは、「民主化、包摂、コミュニティ、ポストコロニアル、議論の場、変化の必要性、世界をよりよくする」といったワードが頻出した。

賛同と反発──再定義案の投票延期



ワークショップ「博物館定義の再考ラウンドテーブル1」会場風景(2019年9月3日)


その後、100人以上が参加した3時間におよぶラウンドテーブルでは、スピーカーによるコメント後に、20ヵ国以上、40人以上の参加者が発言を行なった。参加者は概ね定義案の内容には賛同していたが、「それは定義ではなく理念ではないか」「これを定義とした場合、博物館と他の機関を区別する必要があるのか」といった意見や「教育」「非営利」「恒久的機関」の文字が消えたことへの反発に加え、ICOMドイツ議長のように「内容は良いが実践的ではなく、むしろ政府への働きかけが必要なものであり、定義と定めるには時期尚早で延期するべき」など延期を求める声も多かった。またアジア圏からは、「いくつかの国々にとっては実践することは困難な課題であり、民主化を切望する国において、どのようにしてICOMの精神を実現できるのか」といった厳しい意見も出た。



ワークショップ「博物館定義の再考ラウンドテーブル1」の会場風景(9月3日)

博物館が人類の遺産を継承する殿堂から、より社会にコミットした議論の場へと発展するべきだと訴えるICOM。21世紀に開館した現代美術館★6で勤務してきた筆者としては、今回の定義案については、既に実践してきたものも多く、さほどの驚きや困惑はないが、文化財を所蔵するコレクションベースの博物館にとっては、教育の文言がなくなり、問題解決、議論の場としての役割が全面に押し出された定義に当惑することも容易に想像できる。筆者が携わる神戸のアートプロジェクトでは、グレゴール・シュナイダーが《美術館の終焉──12の道行き》という挑発的なタイトルで作品を発表している★7。これは彼の制作テーマのひとつであるが、今日の博物館、美術館の限界をある意味暗示しているといえるだろう。とはいえ、コレクションを活かして積極的に地域と連携しながら教育普及に力を入れている博物館も増え、各博物館が社会的役割を果たそうと励んでいることも事実である。一方、開催中のあいちトリエンナーレでの「表現の不自由展・その後」の展示中止は★8、今回の定義案に盛り込まれた、表現や意見の多様性を保障し議論を深めることが脅かされたことを表している。

また留意したいのは、定義案を推進した背景や考案した委員会の構成メンバーだ。サンダールはプレナリー・セッションの冒頭、二項対立で物事を考える西側のやり方では対応できなくなってきたと述べているが、MDPPの委員10人の出身をみると欧米7、アフリカ1、アラブ1、アジア1となっており、欧米以外の地域や博物館の状況が定義案にどれほど盛り込まれているのかという疑問もわく。博物館の発祥が西欧であったとしても、グローバル化が進んだ現代の国際的機関であるならば、各地域の状況やICOMの価値観をどこに立脚させ、どう実践させていくのかを再考する必要があるように思われる。

閉会後の会見で佐々木丞平京都大会組織委員長が言及したように、今回の博物館定義が採択されていれば、日本の博物館法の見直しにつながる可能性があった。ICOM規約は大きな意味をもつものであるからこそ、各国はそれを指針として活動を推進させることもできるのである。

多様化し複雑化する世界のなかで博物館は、よりよい社会に向けて、どのような役割をはたすことができるのか。21世紀における活き活きとした博物館の在り方と役割について、改めて熟考することを促された結果であった。

★1──ICOM規約第3条第1項。https://www.j-muse.or.jp/icom/ja/pdf/ICOM_regulations.pdf
★2──"STANDING COMMITTEE FOR MUSEUM DEFINITION, PROSPECTS AND POTENTIALS (MDPP) "https://icom.museum/wp-content/uploads/2019/01/MDPP-report-and-recommendations-adopted-by-the-ICOM-EB-December-2018_EN-2.pdf
★3──https://www.jp.undp.org/content/tokyo/ja/home/sustainable-development-goals.html
★4──
https://www.j-muse.or.jp/02program/pdf/UNESCO_RECOMMENDATION_JPN.pdf
★5──翻訳は筆者による。原文については次を参照。https://icom.museum/en/news/icom-announces-the-alternative-museum-definition-that-will-be-subject-to-a-vote/
★6──2002年に開館した熊本市現代美術館。https://www.camk.jp/
★7──「Art Project KOBE 2019: TRANS- 」(2019年9月14日〜11月10日)において、出展作家のグレゴール・シュナイダーは《美術館の終焉──12の道行き》と題して、神戸市内10ヵ所に12作品を展示。http://trans-kobe.jp/works/
★8──「あいちトリエンナーレ2019:情の時代」(2019年8月1日―10月14日)の企画展「表現の不自由展・その後」は名古屋市長の発言が発端となり抗議が殺到、安全上の理由から展示が中止となった。津田大介芸術監督はステートメントを発表。https://aichitriennale.jp/news/2019/004011.htmlまたこの事態に対してICOM(国際博物館会議)の提携組織であるCIMAM(国際美術館会議)は強く非難し、美術評論家連盟は憂慮すると声明を発表した。http://cimam.org/news-archive/deep-concern-at-cancelation-of-the-exhibition-after-freedom-of-expression-title/  http://www.aicajapan.com/wp/wp-content/uploads/AICA_Japan_opinion_2019_08.pdf

第25回ICOM(国際博物館会議)京都大会2019

会期:2019年9月1日(日)〜9月7日(土)
メイン会場:国立京都国際会館
京都市左京区岩倉大鷺町422番地

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