2019年12月01日号
次回12月16日更新予定

トピックス

スタッフエントランスから入るミュージアム(2)
コンサベーション──専門家ネットワークで作品を未来に託す

内呂博之(ポーラ美術館学芸員兼コンサベーター)/坂口千秋(アートライター)

2019年11月01日号

スタッフエントランスからミュージアムの奥に入り、知られざる「アートの仕事人」に出会うシリーズ第2回目。今回はコレクション作品の保管と修復を行なうコンサベーションという仕事をご紹介いただきます。(artscape編集部)

ポーラ美術館 学芸員 内呂博之さん



[イラスト:ハギーK]


──まずコンサベーションとは具体的にどういったお仕事なのか教えてください。

内呂博之(以下、内呂)──コンサベーションは、作品の保存と修復の両方を担う仕事です。作品を貸し出しできる状態に準備して、作品が移動する時は立ち会って状態を確認し、必要に応じて修復を行ないます。基本的には当館のコレクションである近代の西洋絵画、たとえば印象派やエコール・ド・パリの作品や日本の洋画、日本画といった平面作品が対象となりますが、お借りしてきた作品が無事に搬入され返却されるようチェックもします。また作品だけでなく、空調や照明、温湿度管理など、作品が置かれる環境を整えるのもコンサベーションの仕事です。

──貸し出す時も借りる時も両方管理するんですね。

内呂──作品を貸し出す先の施設の環境も確認します。コンサベーターの存在は、特に海外の美術館との間で重要です。作品をお借りする際、施設に関するファシリティレポートの提出を求められますが、展示収蔵スペースの環境やエレベーターのサイズ、警備員や監視員の人数などの項目のほかに、コンサベーターの有無をチェックする欄もあります。貸出の判断基準のひとつになっているところが多く、実際、コンサベーターと名乗ることで安心されたケースもありました。

──日本の美術館で専任のコンサベーターをおいている館はありますか?

内呂──専任というのは少ないですね。少しずつ増えてはいるんですが、ほとんどの公立美術館では学芸員が保存に関する業務を兼任しています。ポーラでは私1人です。学芸員の肩書でキュレーションとコンサベーションを担当しています。

──そもそもこのお仕事に就かれたきっかけは?

内呂──もともとは美術史を学ぼうと思っていました。美術史の文献のなかには、はたして実際の作品を見て書いているのだろうか、といったものもありますが、僕は学生時代から作品を実際に見て、自分の眼で美術史を検証したいと思っていたんですね。修復で作品を扱い、そこから読みとれる情報を蓄積して歴史を記述する方法があると予備校時代に知り、そちらの方向に進みました。東京藝術大学大学院の文化財保存学専攻コースで、修復技術や修復の歴史、絵画技術史を含む美術史を学びました。

──内呂さんご自身は修復家として修行されたんですか?

内呂──僕は大学院に5年ほどいて、そのあとすぐポーラ美術館に入ったので、修復家としての修行経験は決して多くないです。自分で修復家と名乗ることはなく、あくまで美術館のコンサベーションをやる人間です。客観的な判断が必要となる修復や調査をする際には外部の専門家に委託します。

時間の経過も作品の一部

──作品を修復するのはどういった時ですか?

内呂──展覧会の貸出や巡回を重ねていると、どうしても作品が傷む場合があります。作品を貸し出すときには必ず状態調書という書類(コンディションレポート)を付けます。これは人間でいうとカルテみたいなもので、作品が移動するたびに状態を細かく記入することでその健康状態を管理します。貸し出す時に調書を借用者とともに確認し、作品が到着した時に状態が調書のとおりか再度確認、展覧会が終わり輸送箱に戻す前にも確認します。ですからどの過程で問題が起きたかは、調書に記入漏れがなければわかります。調書は誰が見ても最新の情報がひと目でわかるようにアーカイブされていることが重要です。戻ってきた作品をチェックして、必要があれば修復を外部に依頼します。

──修復するしないの判断は内呂さんがされるのですか?

内呂──最終的にはそうです。ただ、実際に修復を行なう外部の方とあらかじめ方法を決めます。コミュニケーションを取るには、ある程度修復の技術のことがわかっている必要があります。

──油絵の修復を行なう際の基本材料はどんなものですか?

内呂──たとえば油絵具が表面から欠損しているときは、基本的には天然の材料で作った充填剤を欠損部に詰め、表面の凹凸を再現し、その上に周りの状況に合わせて色を置いていきます。このときいつでも除去できる素材を使います。水彩絵具である程度の色合わせをしてから、天然樹脂等で練られた修復専用の絵具で色をつくる方法が主流だと思います。それはなにかあったときに比較的容易に除去できるからです。

──なにかあったとき、というのは?

内呂──たとえばその部分だけ変色してしまったり、経年によって周囲のオリジナルの色との差がはっきりしてきたような場合です。除去しやすい素材を使っておけば、あとで補彩した部分を取り除いて再び周囲の色に合わせた修復が可能です。50年周期で修復し直すケースもあるので、そういう注意をしています。

昔は傷んだら修理すれば、とガンガン裏打ちしていたようですが、そのやっつけ仕事の弊害が最近出てきています。70年代あたりからは、なるべく手を加えない方法で行なう、という保存の意識がヨーロッパで高まり、日本では80−90年代に修復家が養成され始めました。90年代後半に教わったのが僕らの世代です。

──修復とは制作された当時の状態に戻すという意味ではないのですね。

内呂──そうです。作品が経年変化するのは当然と考えるのが今の主流です。とくに日本画では、現状を分析調査して当時の再現模写をつくったり、オリジナルは保管して精巧な現状模写を展示するといった方法で、オリジナルの保存に役立てています。美術史的にも制作当時のことはわかったほうがいいと思います。

また修復の際、作品の状態をより把握するために科学調査を行なうこともあります。医療機器や精密機器を用いて絵画のX線撮影や絵具の原料分析などを行ないます。制作当時や度重なる修復時のデータを蓄積することで、それぞれの時代に使われた材料が判明し、美術史にも修復にも提供できる情報が手に入ります。

──美術の分野に科学的な検証という理系分野が入ってくるんですね。

内呂──環境でいえば、施設周辺の虫の調査もします。この虫はどういう動きをする性質があるとか、どんな薬剤が効くか、さらにその薬剤が周囲の作品や人体に及ぼす影響も調べます。例えば施設内で薬剤を散布する時など、換気方法や人が立ち入れない時間についても専門家に意見を聞きながら判断します。



作品の調査や修復の際に使用する道具
①ライト(懐中電灯) ②ルーペ ③紙製のウエス ④チョウザメ膠(にかわ) ⑤メジャー ⑥直尺(150mm) ⑦ノギス ⑧胡粉 ⑨粒膠 ⑩乳鉢と乳棒 ⑪膠水 ⑫綿棒 ⑬ピンセット ⑭補彩用の筆 ⑮ビニール袋
作品の細部を確認するためには、手に持ちやすいライト(懐中電灯)やルーペは欠かせない。ライトの光を斜めから対象に当て、表面の凹凸や損傷の状況を詳しく観察する。作品のサイズを測るには柔らかな布(あるいはビニール)製のメジャーを用いる。損傷個所の幅などを確認するためには150mm程度の短い直尺が、また立体物の幅を正確に測るためにはノギスなどが必要。修復に際しては、作品や額縁の欠損箇所に、胡粉に膠を混ぜて作った練り物を充填する。白い胡粉は通常は荒い状態で売られているので、それを乳鉢で丁寧にすり潰して充填材に適した微細な粉にする。その粉に魚や動物の骨や皮などから抽出した膠を混ぜて充填材を作り、それを欠損部分に充填する。充填材が乾燥したらその表面を綿棒や医療用のメスなどを使って整形し、水彩絵具や修復用の特殊な絵具で補彩する。補彩にあたっては、繊細な作業のしやすい、穂先の短い丈夫な筆を使用する。ビンセットは剥落片を採取するときに使用。その剥落片はビニール袋に入れて保存する。

箱根の森を蘇らせた森の生態系調査

──環境に関しては、ほかにどういったことに気をつけるのですか?

内呂──日本の特性として、湿気やカビの心配があります。展示室は通常、展示室の空気の圧力を強くして室外の空気の侵入をコントロールするよう設計されていますが、これがだんだん狂ってくるんですね。その圧力をこまめに施設の管理者に指示するのもコンサベーターの役割です。ガラス貼りの展示室は結露が湿度の高まりに影響してくるので、特に冬場の雪の日などはこまめにチェックします。



ポーラ美術館入り口

──まさに美術館のお医者さん、健康管理ですね。ポーラ美術館は森に囲まれていますが、そういった外部環境も影響しますか?

内呂──虫は、その対策を講じなければ入り放題ですね。けれども専門家と周囲をくまなく歩いて動植物の生態系の調査をした結果、幸い文化財に影響を及ぼすような虫は少ないことがわかりました。現在、周辺の遊歩道を開放していますが、そこは以前、ハコネザサというササが大量繁殖して薄暗く蛇やスズメバチがいて人が容易には立ち入れませんでした。調査の結果、そのササが外来種だとわかり、元々のブナやヒメシャラの森を蘇らせようと環境省や箱根ビジターセンターのご意見を伺いながらササを全部刈った結果、元の明るい森の姿を取り戻しつつあります。



ポーラ美術館の遊歩道

──すごいですね。それは内呂さんが呼びかけたんですか?

内呂──はい。実はリーマンショックのあと入館者数を増やすプロジェクトのリーダーになりまして、その時、このササを刈ってきれいな元の森に戻せればお客様が増えるかもしれないと、プロジェクトのメンバーでササを刈ったことが遊歩道の活用にまで繋がりました。ほかにも野鳥の巣箱を設置するアイデアもあります。結果的に、コンサベーションの調査で得た知識や興味が集客にも役立ちました。

──修復の専門家や科学調査の業者さんなど、美術館内だけでなく科学的な知識を持っている外部の専門家と一緒に仕事することが多いんですね。

内呂──そうです。それがかなり重要です。この美術館の施工を手がけた竹中工務店さんのなかに技術研究所があり、空調環境や虫害、カビの専門家がたくさんいらっしゃるので、その方々といっしょに対策を考えることもあります。



ポーラ美術館のエントランスは靴底の汚れを落とすためのカーペットも広い

コンサベーターになるには

──コンサベーターになるにはどんな勉強をしたらいいでしょう?

内呂──できれば専門の修復機関等で5年以上、学んだほうがいいと思いますね。海外で学ぶのもいいでしょう。ただ、空気の乾いた土地で学んだことと高湿度の日本の状況は違うので、戻ってきてから日本にいる専門家とコミュニケーションして、学びを応用していく必要はあると思います。

──コンサベーターの仕事に向いている資質は?

内呂──異なる分野の人たちとネットワークを築いていくことが求められるので、協調性は必要でしょうね。専門家の意見をただ受け入れるだけではだめで、なぜそうするのかを質問し、お互いに検討を重ねるようなことができなければなりません。最新の技術と知識を持てるように勉強を続けることも大切です。

──現代は使う素材も展示環境もますます多様になってきています。そうしたなかでコンサベーションの課題も変化していくのでしょうか。

内呂──ポーラ美術館でいえば、平面作品の展示を想定してつくられているので、今後はインスタレーションや映像作品といった多様な作品に施設がどう対応していくかという課題はあります。またテクノロジーやコンピュータを用いた作品やタイムベースドメディアの保存修復については専門家がまだおらず、修復方法に関する議論の真っ最中です。コンテンポラリーの作品であればあるほど、経験と幅広い知識のネットワークが必要になります。海外、特にアジア圏との交流も必須だろうと思います。

──いま、内呂さんが手がけていらっしゃる展覧会は?

内呂──レオナール・フジタ(藤田嗣治)の展覧会を企画しています。ポーラのコレクションと他館の所蔵作品とで構成する予定です。

──コンサベーターの視点からフジタの作品を見るといかがですか?

内呂──フジタの作品はある意味、最も気をつけなければいけないもののひとつです。線が墨で描かれていたり、あの淡い色も油絵具でない可能性もあったりしますから。そうした知識や経験がないと修復時に線や色彩を消してしまう可能性が高いんです。フジタが何を使って描いたかという記録もすべて残っているわけではないので、それを調査・研究によって作成していかなければなりません。フジタを所蔵する館の責任として、そうした情報を当時の時代性も含めて公開していくことができれば、ほかの館でも今後の修復の際に役立つと思います。

──美術作品を修復して保存していくことの意義はどんなところにあるでしょうか。

内呂──当時の人々の思想や考えを作品を通して受け継ぎ、次の世代に渡していくことですね。それが現代を生きる自分自身について考えることにもつながるでしょう。修復の仕方も時代によって変わっていきます。その時どきの最適な方法で残していくことで、積み重ねられた修復の痕跡を時代の思いとともに将来の人に託していきたいと思っています。

★──展示施設の建築や設備、職員などの詳細を記したもの。建物の施工年、床面積、空調管理の状況、展示室内や展示ケース内の設定温度、展示室絵の面積、床・壁・天井の材質、天井の高さ、展示室および展示ケース内の照明設備と自然光や紫外線の状況、展示方法、搬入口やエレベーター・荷解き場の状況、収蔵庫と展示室の防災体制や警備体制、学芸員の人数と氏名、外部の業者名や保険会社、平面図、展覧会開催概要など多岐にわたる。

ポーラ美術館

神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山1285

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