2022年07月01日号
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[PR]芸術家はどのようにものを見て、作品をつくるのか──ジャム・セッション 石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策 写真と絵画─セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策(アーティゾン美術館)

新畑泰秀(アーティゾン美術館学芸員)/藤村里美(東京都写真美術館学芸員)/artscape編集部

2022年06月01日号

近代美術と現代の二人の写真家、柴田敏雄と鈴木理策の作品を対峙させながら、写真と絵画の関係を探るハイブリッドな展覧会が現在、アーティゾン美術館で開催中だ。企画したアーティゾン美術館の学芸員 新畑泰秀氏、また、東京都写真美術館の学芸員であり、2008年に柴田敏雄の個展★1を企画した藤村里美氏に、二人の写真家が読み解くセザンヌ、雪舟、そして芸術家が追求する「ものを見る」ことから作品化へのプロセスについてお話しいただいた。(artscape編集部)


「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策 写真と絵画─セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策」展示風景
[撮影:木奥惠三/提供:アーティゾン美術館]


セザンヌをめぐる柴田敏雄と鈴木理策

──今回の展覧会の企画はどのようにスタートされたのでしょうか。

新畑──私の専門は西洋美術なのですが、横浜美術館在籍の頃から、館がコレクションしている写真については、展覧会で携わる機会がありました。柴田敏雄さん、鈴木理策さんは長くおつきあいをさせていただき、ずっと関心があった作家です。

お二人とも芸術の話をすると、セザンヌのことに触れられる機会が多々ありました。柴田さんは自らの写真をご説明されるときに、セザンヌの絵画を引き合いに出されていました。鈴木さんもまたそうで、サント=ヴィクトワール山やセザンヌのアトリエを主題にされています。「どこかでセザンヌと並べて展示することができれば」と思いました。最初は、それぞれ別の機会に展示することを考えていました。でも、次第に、セザンヌとこのお二人の作品を並べることによって、現代の写真作家が抱く近代の巨匠に対する意識というものを作品の関係性のなかから見せることができる、また二人の作家のテイストは大きく異なるので、一緒に並べるとより大きな効果が得られる、と思ったんです。

ジャム・セッションという当館のコレクションと現代美術の作品をコラボレーションさせるシリーズがお二人を結びつける良い機会になると思いました。



新畑泰秀氏 [撮影:artscape編集部]


──展示するコレクション作品はどのように選ばれたのでしょうか?

新畑──柴田さんと鈴木さん、私ともうひとりの担当学芸員の内海潤也とで収蔵庫に行って、作品を見ながらお二人にそれぞれ興味のある作品を選んでいただき、話しあって決めていきました。セザンヌと雪舟については、当方よりご提案いたしました。

最初にお願いしたことは、二つの個展のようにはしたくないので、展示室を大きく四つに分け、お二人の作品が交互に現われるようにしたいということです。また、これとは別にセザンヌを中心としたセクションをつくり、当館のコレクション《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》(以下、《サント=ヴィクトワール山》)(1904-1906年頃)を真ん中にして、両側にお二人の作品を並べたいと。さらには、時代は古くなりますが、山水画を大成した画人である雪舟の《四季山水図》(15世紀)を同様に中央に置き、お二人の作品を両側に並べたいとお伝えしました。

藤村里美(以下、藤村)──柴田さん、鈴木さん、そしてセザンヌの作品が一緒に並ぶという企画をお聞きして、それは私にとって身悶えするほど楽しみな展覧会でした。鈴木さんがサント=ヴィクトワール山を撮っていらっしゃるのは存じていましたし、柴田さんも美大に入る前からセザンヌに対して興味があったということもお聞きしていました。



藤村里美氏 [撮影:artscape編集部]


展示空間のなかの冒険

藤村──美術館のなかで収蔵品をベースに展覧会をするというのは当たり前のはずなのですが、近年はブロックバスター展ばかりが注目されるようになって、展覧会とコレクションが乖離するようなところがあったと思います。それがコロナ禍で、そういった展覧会ができなくなり、コレクションをどう見せるか、ということが再び重要になってきたと思います。

「アーティゾン」という名前に変えられてからは、近代絵画のコレクションとともに、現代美術にも重きをおかれるようになられた。また、写真にも範囲を広げられています。

今回の展示はコレクションと現代美術の作品を単に並べるのではなく、美術館の空間をうまく使って展示されていて、たいへん見応えがありました。図録は美しく、資料としても充実しているのですが、やはり、この展覧会は実際に会場に行って見なければわからないですね。平面的な写真の展示ではなく、インスタレーションとしての面白さがあって、残念ながらそれは図録では伝わらない。

新畑──そうなんです。写真の展覧会は図録がとても重要ですよね。展覧会終了後もこれが残っていくわけですから。ですから、図録はしっかりしたものをつくりたい。と同時に、お二人には展示室のなかではギミックではないけれど、冒険はしてほしい、とお願いしたんです。私はこの二人の作家はとても真摯でストレートな作家だと思っています。骨太にその技術を見せながらも、冒険はしていただきたかった。例えば、柴田さんの展示の冒頭のコンタクトプリントを並べたところは、企画の最初の頃にご自身からアイデアを出していただきました。

藤村──あれは通常だとなかなか出しづらいサイズの作品だと思うんです。柴田さんは大きい作品が多いのに、そうではなく、小さいながらも凝縮した、作品をつくるためのエスキースのようなものを最初に見せる。そのことによって、絵画とは違う写真作品のつくりかたが見えてくる。図録では作品の大きさはわからないですから。

新畑──ぜひ展覧会に足を運んで体感していただきたいですね。



セクション I 柴田敏雄──サンプリシテとアブストラクション(コンタクトプリント)展示風景
[撮影:木奥惠三/提供:アーティゾン美術館]


藤村──平面だけでなく、円空やジャコメッティという立体作品をもってくるというのはどちらから出たアイデアなんですか?

新畑──各作家のセクションで、コレクションから何を選ぶかは、基本的に作家にお任せしました。いろいろお見せしましたが、ここで円空か、とは思いました(笑)。予想を裏切られましたね。ただ、柴田さんは、最初から彫刻を出品したいとはおっしゃっていました。それは立体の造形に関係があったからかもしれません。

作家とは、2〜3年かけて図録には載せきれないほどの対話をしています。「写真と絵画」というタイトルにしているのに、柴田さんが円空を、鈴木さんがジャコメッティを選ばれたのは反則技ではあります。しかし、二つの彫刻は絵画と関係があり、結果としてはきれいに当てはまったと思います。お二人ともこの展覧会の構成についてものすごく考えられたうえで、作品を選んでいただいたと思います。



セクション IV 柴田敏雄──ディメンション、フォルムとイマジネーション 展示風景
[撮影:木奥惠三/提供:アーティゾン美術館]



セクション V 鈴木理策──絵画を生きたものにすること/交わらない視線 展示風景
[撮影:木奥惠三/提供:アーティゾン美術館]


新畑──柴田さんは円空を語るなかで、レオナルド・ダ=ヴィンチの「染み」の話★2をされたんです。さまざまな色を含ませた海綿を壁に向かって投げるだけで、壁面に染みができて、そこに風景が浮かび上がる、染みのなかにそこに見出したいと思うものの着想が現われる、という有名な話です。柴田さんは自然の風景のなかに人間がつくった幾何学的なものを浮かび上がらせる。円空も原木のなかから仏の姿を浮かび上がらせています。彼らは芸術家がものを見て、作品を生み出すプロセスを重視しています。円空を真ん中に置いたあのセクションはそれを視覚的に体感できるようになっています。

藤村──円空の仏像には背面がありませんが、360度から見せることが必要だと柴田さんは考えられたんでしょうね。

セザンヌの制作のプロセスを探る


セクション III ポール・セザンヌ 展示風景 左:柴田敏雄《高知県土佐郡大川村》(2007)東京都写真美術館蔵、中央:ポール・セザンヌ《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》(1904-1906頃) 右:鈴木理策《サンサシオン 09, C-58》(2009)作家蔵
[撮影:木奥惠三/提供:アーティゾン美術館]


藤村──セザンヌのセクションでの《サント=ヴィクトワール山》と並ぶお二人の作品の選びと展示のプロセスについて伺えますか?

新畑──お二人とも《サント=ヴィクトワール山》にずっと多大な関心を持ち続けられてきました。柴田さんは、学生時代からブリヂストン美術館に通われて見入っていたとおっしゃっています。鈴木さんも写真学校の頃よりこの作品を見てきたと。私は、二人はそれぞれ違う視点からセザンヌの造形原理を見出し、作品に昇華させていると感じてきました。彼らは制作のプロセスとしてセザンヌからさまざまなことを感じ取り、方法論として実践していることはもちろんなのですが、ここでお見せしたかったことはもうひとつあります。

印象派は1874年に誕生したあと、しばらくして名声を得ますが、最初はアカデミックなことを完全に無視していると見られてまともには扱われませんでした。セザンヌは、印象派の斬新な手法を受け入れるも、しかし過去の芸術のすべてを否定する、ということには納得がいかなかった。印象主義の絵画は、美的価値をもち続ける堅固で永続的なものでなければならないと考えていたんです。《サント=ヴィクトワール山》にはそれが体現されています。

柴田さんと鈴木さんの作品は共通して、セザンヌの絵画が示すこの性質をもっていると感じます。しかし、それぞれがセザンヌの異なる方法論に関心をもち、それぞれの造形思考により作品を創造しています。このセクションはこれを最も明確に体現するような構成がなされています。

藤村──鈴木さんはこの作品が来ざるをえないだろうと思うのですが、柴田さんからこの作品が出てきたときはどう思われたでしょうか?

新畑──これが来るかなという気はしていました。この作品は彼にとってはとても重要な作品のひとつですよね。代表作だという自負があり、そして、初めて発表したときのツァイト・フォト・サロンの石原悦郎さん★3の反応をはじめ、ヨーロッパでも評価が高かったと聞きます。柴田さんは自分自身の確信以上に、ほかの人の意見もききながら自分のマスターピースを位置付けているそうです。

藤村──展示されているこのプリントは東京都写真美術館のコレクションのものなんです。プリントの技術が変わってきてしまっているので、いま、このクオリティでプリントすることは難しくなっていると思います。

新畑──柴田さんはこのプリントがベストだと思っていらっしゃるみたいですよ。

藤村──これは柴田さんの作品のなかでも、ターニングポイントになるもので、モノクロからカラーになった頃の代表作ですよね。それまでのグレーのコンクリートのゴツゴツした写真や、ダムの水を撮った写真があるなかで、色彩を重視し、構図を意識された絵画的要素が凝縮された作品だと思います。なので、写真美術館での個展でもメインイメージとして使ったんです。モノクロ作家としての柴田さんの印象が強かったので、それを払拭したいという思いがありました。当時は、作家がモノクロからカラーに転換するときは批判を受けることが多かったんです。けれど柴田さんのカラーに関してはあまり批判されなかった。

新畑──鈴木さんも柴田さんのことをモノクロからカラーへ極めてうまく移行された作家だとおっしゃっていましたね。

藤村──柴田さんになぜカラーにしたのか尋ねたとき、フォルムと階調だけでは表現できないもの、残したいけれど逃してきたものをカラーの選択をすることによって捉えられるとおっしゃったんです。モノクロが写真として主流だった頃から時代が変化してきていることを感じさせる作品でした。

新畑──ちょうどその転換の時期、柴田さんはモノクロはフィルムはまだあるんだけど、紙がないんだとおっしゃったように記憶しています。実はカラーに移行するには物理的な要因もあったのではないでしょうか。



セクション III ポール・セザンヌ 柴田敏雄作品 展示風景
[撮影:木奥惠三/提供:アーティゾン美術館]


藤村──さきほど、お二人のセザンヌへの視点がとても違っているとおっしゃっていましたね。

鈴木さんは最初の頃は、ロードムービー的な時間の経過を作品化されていたと思うんです。しかし、その後、時間よりもレイヤー(層)というような、写真では通常は表現することが難しい空間の奥行きのようなものに注目されるようになったことが、今回の展覧会ではっきりとわかると思います。

印象派の画家たちはそれ以前の画家と違って、空気感のようなものを画面のなかに落とし込もうとした。写真という技術が出てきたことによって、視覚的にどう見えるのかを研究したのだと思います。逆に絵画から写真に立ち戻って見たとき、イメージの咀嚼の仕方が鈴木さんのレイヤーだったり、ピントのズレ方だったりするのではないでしょうか。

新畑──まったくその通りだと思います。鈴木さんは『KUMANO』(光琳社出版、1998)以来、シーケンスという手法を大事にされています。サント=ヴィクトワール山を最初に撮られたときもその手法でした。それは、人間はものをどう見るかということに尽きると思うんですね。

印象派は目に見える美しい風景をそのままカンバスに移した、というようなことがよく言われるんですが、それだけではない。モネは睡蓮を描くとき、何枚もカンバスをおいて描いたんですが、水面と水中と水底のレイヤーそれぞれを見ながら絵画に落としこんでいった。

対して、人間がどのようにものを見、咀嚼して、カンバスに落とし込むかという、人間が芸術を生成するプロセスについてきちんと考えたのがセザンヌではないかと思っています。『知覚の感光板』(赤々社、2020)という写真集のタイトルにもなりましたが、これを絵の具ではなく写真でやっているのが鈴木さんだと思います。表層的にモネやマネと同じように写してみたのだと誤解されやすい。けれど、彼にとってはプロセスが重要であることが今回の展覧会では明瞭に出ていると思います。

セザンヌのフォルマリズムについては、その次の世代のキュビズムをはじめとしたその後の美術が多大な影響を受けたことは事実です。柴田さんはまさにそこを受け継ぐ人なんです。

二人はセザンヌに対する興味のベクトルがまったく違うんです。そこが面白いんですね。



セクションII 鈴木理策 見ることの現在/生まれ続ける世界 展示風景
[撮影:木奥惠三/提供:アーティゾン美術館]


藤村──お二人が最初に影響を受けたセザンヌの絵が同じ《赤いチョッキの男》(1890)という作品だということも面白いですね。風景の作品ではないんです。

新畑──あれは面白いですよね。セザンヌの絵は奇妙なんです。《赤いチョッキの男》は衝撃的なんだけれども、それがなぜなのかよくわからない。手は曲がっているし、比率も違っている。でも、セザンヌが対象を見て、頭のなかで再構成してこれがリアルだと思うように表現したものを、見る者はおかしいと思いながらも共感する。それが芸術のもつ力だと思うんですが、二人の作家はそれに気付いたんだと思います。

藤村──セザンヌのセクションについては、私もある程度予測ができたんですが、裏切られたのが雪舟のセクションでした。

雪舟──フォルムと余白


セクションVI 雪舟 展示風景 左:柴田敏雄《グランドクーリーダム、ダグラス郡(ワシントン州)》(1996) 中央:雪舟《四季山水画》(室町時代 15世紀) 右:鈴木理策《White 07, H-17》《White 07, H-18》(2007)
[撮影:木奥惠三/提供:アーティゾン美術館]


新畑──一方で、セザンヌに対抗するような日本の画家もとりあげたいと思っていました。日本の美術史のなかで雪舟の風景画は飛び抜けたところにあって、この空間で芸術創造における空間構成と色の使い方を考えると雪舟をおいてほかにはない、と考えていました。お二人ともご自分の作品を何にするか、すごく悩まれたと思うのですが、結果的にはこうなりました。ここに並んだお二人の作品はまるで違っています。ここはまさにジャズのセッションのようになりました。雪舟が示すスタンダードとしてのメロディラインに対して、柴田さんがこう演奏する。それに対して鈴木さんはこう出る、というような面白さが展示に現われていると思います。セッションしたお二人は、互いに刺激を受けられたと思います。

藤村──柴田さんはフォルムで来た。鈴木さんは空間の奥行きにインスパイアされたと感じました。

新畑──柴田さんは「形」ですね。その空間も含めて。鈴木さんがいま関心をもっているのは、人間の目、機械の目がどうものをとらえるか。感光板がイメージをどう受けてどうプリントできるのかというプロセスですね。

藤村──柴田さんはもともと水の動きに興味をもっていらっしゃる。それが雪舟とつながっている。自然の風景のなかで動く水の変化を作品と照らしあわせていかれたのかなと思いました。

新畑──ここでモノクロの作品をもってきたというのは、やはり柴田さんはモノクロへの思いが強いということでしょう。

柴田さんは自らが写真家と呼ばれることに抵抗があるようです。絵画からスタートしているということもあるでしょうけれど。美大生だった頃がちょうどラウシェンバーグなどのアメリカ現代美術が興隆し、美術に新たな変革が起きていたときでした。柴田さん自身、新しい時代には新しい手法でという意識があったのだと思います。そこで手法として写真を選んだ。彼にとって写真家か画家かという立場は重要ではなく、芸術家として芸術創造をしたいという堅固な意識がベースにあることが重要なんです。

二人の作家に感謝したいのは、似ているイメージをということではなく、雪舟の芸術に対比できる強さをもった作品を真摯に考え、ご出品いただいたことです。

藤村──鈴木さんは「白さ」というものにこだわっていらっしゃる。ただの印画紙の白さではない。雪舟の余白について反応されたんですよね。このシリーズは、写らなかったものについての象徴があると思います。

新畑──鈴木さんはものを見てすごく考える作家だと思います。

藤村──いま私は戦前の前衛写真についての展覧会を企画しているんです★4。瀧口修造が技巧的に走ることが前衛写真ではなく、日常のなかにあるひそやかな美しさを発見し、視点を変えることによって、ストレートな写真も前衛になると書いているんです。そう考えると、鈴木さんも柴田さんもアヴァンギャルドなのだと思いました。

新畑──二人は美術の歴史に敬意を払いながらも、常に写真の新しいあり方について考えて実践されていますよね。

藤村──ツァイトの石原さんが、写真家にとって一番大事なのはアイデンティティだとおっしゃったんですが、二人とも自分のものの見方を意識して、でもそれに固執することなく作品を作り続けている作家だとあらためて感じました。

新畑──起点としていることがはっきりしていてブレないですね。

今回、私からは新作を出してくださいとリクエストしました。柴田さんはモンドリアンと並べた作品、鈴木さんはりんごの作品など、多くの新作をご出品いただきました。

ボナールは一見ポエティックな画家に思われますが、実はとても考える画家で、その作品も非常に複雑です。自身が写真を撮っていたこともよく知られています。ボナールとセザンヌが共通するのは、人間の視覚は、機械のそれとは異なることを意識していることではないでしょうか。カメラのレンズはすべてを等価に写し取るが、人間の目はある対象に意識をもって焦点をあわせ、とどまることなく動き続けることを可視化しようとしています。ボナールはまた、目の前の対象から絵画とする境界を定めることなく描いていた。フレームがあいまいなままで。そこを鈴木さんは強く意識されています。鈴木さんも最初から画角をきちんと決めて撮るということはしないそうです。

藤村──写真は作品を制作していくうえで、プロセスがいくつかありますよね。写真家は、どんなアイデンティティが自分にあって、何を撮るのか、たくさんあるコマから何を選ぶのか、それにどんな加工をするのか。画家や彫刻家とは違うところです。写真はそういうことも訓練していかないとアーティストとしてはやっていけない。

新畑──油絵、版画、ドローイング、彫刻は同じ空間で共存しやすいと思いますが、写真はかならずしもそうではない。柴田さんと鈴木さんは、写真による芸術作品がこういったジャンルの作品と同等に扱われることを強くのぞんでいらっしゃると思います。作品にはその矜持が明確に表われている。お二人とも写真家のなかでは大きなサイズで、美術館の展示に耐えうるような作品をつくるという共通項があります。

私自身も会場に行くたびに新しい発見があります。ぜひ多くの方に展覧会の現場で見ていただきたいです。



新畑泰秀氏(左)と藤村里美氏(右) [撮影:artscape編集部]


★1──2008年12月13日(土)~2009年2月8日(日)に開催された「ランドスケープ 柴田敏雄展」。https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-315.html
★2──レオナルド・ダ・ヴィンチ『絵画の書』の「第二部 画家の教則について 60. 画家の教則」内のレオナルドが弟子たちへ示す文章のなかに示された言葉。『レオナルド・ダ・ヴィンチ 絵画の書』(斎藤泰弘 訳、岩波書店、2014)pp.69-70。
★3──1978年に東京・日本橋に写真専門のギャラリーとして、ツァイト・フォト・サロンを開業(のちに京橋に移転)。写真を美術作品として扱う日本初の商業ギャラリーで、柴田敏雄のほかにも、荒木経惟、森山大道など多くの写真家を送り出した。2016年没。ツァイト・フォトは、現在、東京・国立の旧石原邸で「石原コレクション」の管理にあたる。https://artscape.jp/mdb/1196646_1900.html
★4──「アヴァンガルド勃興 近代日本の前衛写真」2022年5月20日(金)〜8月21日(日)まで、東京都写真美術館にて開催。https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4280.html

ジャム・セッション 石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策 写真と絵画─セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策

会期:2022年4月29日(金・祝)~7月10日(日)
会場:アーティゾン美術館 6階(セクションVI 雪舟のみ4階)(東京都中央区京橋1-7-2)
公式サイト:https://www.artizon.museum/exhibition/detail/539https://www.artizon.museum/

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