2022年05月15日号
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アート・アーカイブ探求

吉山明兆《白衣観音図》縦横無尽な線の力と構成力──「福島恒徳」

影山幸一

2012年04月15日号

雪舟が影響を受けた絵師

 花園大学は臨済宗妙心寺派の大本山妙心寺の近くにあった。禅について優れた研究を行なっている大学にふさわしいロケーションだと思った。福島氏は、1962年熊本県天草市生まれ。九州大学大学院の哲学・哲学史(美学・美術史研究室)を修了後、山口県立美術館の学芸員を務め、2000年より花園大学で教鞭を執っている。文学部文化遺産学科の教授として、専門の室町水墨画、特に明兆や雪舟ら禅僧画家を基軸に教える。花園大学歴史博物館の副館長を兼任し、京都市内外にある13大学のミュージアムをつなげた「京都・大学ミュージアム連携」を始動させ、社会に開かれた大学ミュージアムを実践する行動派でもある。
 福島氏は子どものころ理科が好きだったという。宇宙飛行士、科学者、医者などにあこがれていたそうだ。映画も好きで、『ビルマの竪琴』『おとうと』『犬神家の一族』など、ドキッとさせるカット割りをする市川崑監督が好みである。いまでもチャンスがあれば映画の世界に関わりたいと言うほどだ。ところが、大学時代に仏教絵画を専門とする先生から「大学院で勉強したらどうだ」と言われ、美術の道へ入って行った。神仏同体の本地垂迹(ほんじすいじゃく)説の教えを視覚的に表わした宗教説話画という絵巻に準ずるような、やまと絵を研究しており、水墨画とはまったく反対の研究から美術界に入った。
 そして山口県立美術館の学芸員に応募し、スムーズに学芸員となり、周防山口に暮らした雪舟を研究することになった。雪舟が影響を受けた絵師として同じ画僧の明兆へ至った。初めて実物の《白衣観音図》を東福寺で見たとき、寸法はわかっていたが「大きいなあ」と思ったそうだ。3月の中旬に御開帳で見ることができる年がある。
 福島氏が1998年に企画した『禅寺の絵師たち』展は画期的な展覧会だった。《白衣観音図》が重要文化財に指定される2009年以前に、東福寺から作品が離れ、他の明兆作品とともに一堂に展覧することができた。福島氏は、200万円のガラス展示ケースをつくり、東福寺の《白衣観音図》をメインに展示し観客を迎えた。4年ほど前には福島氏も調査に協力し、《白衣観音図》は重要文化財の指定を受けた。「ただ残念なことに落款がないためか、指定書の作者は空欄になっており、明兆と書かれていない」と言う。東福寺には《大涅槃図》など、明兆作の規模の大きい作品が残されている。

明兆派の形成

 京都五山のひとつで、臨済宗東福寺派の大本山である東福寺。摂政・九条道家(1193〜1252)の発願により、1236(嘉禎2)年、禅宗を中心に天台宗と真言宗の性格を併せ持つ三宗兼宗の大寺院を構想し、聖一国師・円爾(しょういちこくし えんに、1202〜1280)を開山として、19年の歳月をかけて造営された寺である。奈良の東大寺のように大きく、興福寺のように盛大を極めた寺にと、それぞれ東と福の字を取り慧日山(えにちさん)東福寺と命名された。
 画僧明兆は、道号を吉山(きっさん)、法諱(ほうき)を明兆という。雅号は破艸鞵(はそうかい)、破草鞋(はそうあい)。南北朝時代の後期から室町時代初期にかけて活躍した明兆は、1352(文和元)年淡路島(兵庫県洲本市塩屋町)で生まれ、淡路の禅寺・安国寺の大道一以(だいどういちい)に従い東福寺に入り画僧となった。殿司(でんす)という仏殿を調える役職に就いたことから、兆殿司(ちょうでんす)と呼ばれ、仏事に使う公用画としての仏画や頂相(ちんそう)を東福寺の仏画工房で学びながら多数描いた。「当時禅宗界で最も勢力があった夢窓派とも親交があったようで、将軍足利義持(1386〜1428)の庇護や、東福寺43世・性海霊見(しょうかいれいけん、1315〜1396)の支援があったことが推測できる」と福島氏は言う。自由闊達な筆が生み出すダイナミックな画風で、宋元画に範をとる力強い墨線が特徴。霊彩(れいさい)・赤脚子(せっきゃくし)・一之(いっし)などの弟子を育て、明兆派を形成した。1431(永享3)年に80歳で示寂した。

【白衣観音図の見方】

(1)モチーフ

白衣観音、善財童子、龍、水、後光、雲、岩、蔓。目的に応じて33種類に身体を変えて現われる観音様のなかのひとつが白衣観音。禅宗では大事にされている観音様である。水辺の岩に座して水中の月を見る水月観音の姿が定形。場所は観音の浄土である補陀落山(ふだらくせん)という島。龍は仏法を守る。あるいは灑水(しゃすい)するので火事除けを表わしている。

(2)題名

白衣観音図(びゃくえかんのんず)。

(3)構図

左右対称の画面構成で正面性を強く打ち出し、白衣観音が仏像のような扱いになっている。多くの白衣観音図は斜め向き。観音の頭上の岩表現に明兆らしさが見える。

(4)色彩

紙本著色。2009年7月の重要文化財指定までは「紙本墨画淡彩」であった。墨の黒のほか白、赤、緑色の顔料が確認された。

(5)描法

中国から入ってきた水墨画技法である、輪郭線の外側をぼかす外隈(そとくま)や、最初に引いた線を生かして色を付けていく彫り塗りが見られる。また岩を描く荒々しい筆遣いと、観音の顔に見る繊細な筆遣いを巧みに組み合わせ、大画面を一気に仕上げている。

(6)サイズ

縦328.0×横285.1cm。壁画など超大型仏画のある中国から絵を学んだ明兆が、大寺院の大法会に掛ける大きな尊像として描いた。

(7)制作年

室町時代・15世紀前半。制作年の記録はない。

(8)画材

掛軸装一幅。当時の表具は貴重で高価なため、サイズが大きいこの絵には、描き表具が用いられている。表具部分も明兆が描いたと思われる。

(9)落款

なし。礼拝画の場合は落款を入れないのが一般的。落款がなくても明兆と判断できるのは、明兆の他の作品と比較して、作家としての質が近いことから同定できる。水墨表現を縦横無尽に使った室町時代の新しいタイプの仏画であり、思い切った表現に個性が表われている。

(10)鑑賞のポイント

彩色画・礼拝画であるのにもかかわらず、旧来の仏画と違うダイナミックな筆遣いによる水墨表現を導入している。まず絵が大きいこと、雲霞に覆われたなかに岩組の岩窟を巧みに構成した点が魅力的。また端正な観音の顔、墨線の強さ。衣紋線の肥痩(ひそう)、スピード感のある流れるような筆の動き、画面の構成力と筆力が遺憾なく発揮されており、仏画表現の達人・明兆の代表作といえる。明兆以前には水墨画と仏画両方をこなす人はおそらくいなかった。観音様の前で懺悔する観音懺法(せんぽう)という儀式に使う。お寺の用向きのためにつくられた実用品でもある。ここでは『華厳経(けごんぎょう)』入法界品(にゅうほっかいぼん)の説話が描写されている。入法界品は、悟りを求める善財童子が、文殊菩薩の指南に従ってさまざまな仏教的智恵を持つ善知識55人を遊行し、ついに菩薩の悟りを得るという文殊指南の物語である。

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