アート・アーカイブ探求

吉山明兆《白衣観音図》縦横無尽な線の力と構成力──「福島恒徳」

影山幸一

2012年04月15日号

仏画という壁

 なぜ明兆は現代ではあまり知られていないのか。「それは明兆が仏画、雪舟は山水画というつくられたイメージから宗教との関係が影響してくるのでしょう。公教育では宗教を採り上げにくいことも原因のひとつ。雪舟も明兆と同じ禅僧の画家なんですが。また禅宗の教義や語録、お経が難しいことも仏画の研究者が少ないことの一因です。禅宗周辺の漢文というのは、読み方が3種類ある。寺で伝承されている読み方(禅宗読み)。中国文学の人たちの読み方。日本の伝統的な漢文の読み方。同じ文献をそれぞれまったく違った読み方をする。水墨画研究にコンピュータは必要不可欠となっている」と福島氏は語った。
 狩野永納は、『本朝画史』(1693)のなかで明兆の画風を「天性自得、超絶入神」と絶賛した。また大英博物館のローレンス・ビニヨンは、技能と信仰の一致という観点から、『極東の絵画』(1908)のなかで明兆とイタリアルネサンスの宗教画家フラ・アンジェリコ(1387〜1455)を対比させたらしいが、仏画という壁が厚いのか、明兆についての総合的な研究はまだ十分になされていない。
 「禅寺に所属し、公用の仏画や頂相を描き続けた八十年の生涯。功成り、名を遂げたといってよい晩年の大画家明兆は、それでも『破艸鞵』の号を使い続けた。この号にまつわる伝説は、絵にかまけて修行を怠り、師の大道に捨てられた明兆が、自らを捨てられた破れ草鞋(わらじ)になぞらえて、戒めの意味を込めて破草鞋と号したと伝える。そこには絵事を修行と思い為す宗教者としての厳しさを感じる事ができるだろう。そしていま、この言葉に対してはもう一つの意味を考えることができる。禅語録では古来『踏破草鞋』という言葉が使われるが、それは草鞋を踏み破るほど長年行脚修行を重ねたことを意味するという。明兆の号「破艸鞵」は草鞋を踏み破るほど精進するのだという決意、そしてその結果草鞋が破れてしまってもかまわないのだという誇りを表しているともとれるのだと思う」(福島恒徳『禅寺の絵師たち』p.132)。

伝統的仏画と新しい水墨画表現の融合

 明兆も数点描いている白衣観音は、禅宗絵画において最も好んで描かれた尊像である。東福寺のこの大きな《白衣観音図》と比べると小振りだが、東京国立博物館が所蔵する明兆の《白衣観音図》(62.0×28.6cm)からはサラサラと即興的に作画した気分が伝わってくる。
 正面を向き、両手を腹前で禅定印(ぜんじょういん)に結び、結跏趺坐(けっかふざ)をする東福寺の《白衣観音図》が重要文化財に指定され、先月(2012年3月)には明兆の生まれ故郷、淡路島で明兆生誕660年を記念し、ゆかりの道(洲浜橋〜潮橋間約1kmの市道)を「明兆通り」と命名する町起しの式典が行なわれた。
 雪舟と同様に名声を博していた明兆だったそうだが、現代人はどれほど明兆を知っているのだろう。明兆は日本最初の本格的な水墨画家として位置付けられ、日本独自の水墨画世界を開いた雪舟と並び「画聖」と呼ばれていた。明兆の絵を水墨画や仏画といった区別ではなく、純粋な絵画作品として間近に鑑賞してみたい人は大勢いるにちがいない。白衣観音の頭上を覆うMに描かれた岩はモダンに見えるばかりか、明兆のサインにも見える。職業絵師として中国画に見習い制作された《白衣観音図》だが、明兆個人の意思が線と形によってよく伝わってくる。500年以上前の絵、さて明兆ブームのリバイバルはなるか。
 福島氏は「明兆絵画の一番の特徴は、伝統的仏画と新しい水墨画表現の融合。禅は、芸術の源泉となった宗教なので、しばらくは禅宗に関わった研究をしていきたい。明兆研究はライフワークです」と述べた。


主な日本の画家年表
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福島恒徳(ふくしま・つねのり)

花園大学文学部文化遺産学科教授・花園大学歴史博物館副館長。1962年熊本県天草市生まれ。1986年九州大学文学部哲学科美学・美術史卒業、1988年同大学大学院文学研究科哲学・哲学史専攻修士課程修了。1988年山口県立美術館学芸員、2000年より花園大学へ転職、現在へ至る。専門:室町水墨画、禅宗美術史。所属学会:美術史学会、美学会、九州藝術学会、歴史美術史懇話会。主な共著:『日本美術館』(小学館, 1997)、『没後500年特別展 雪舟』東京国立博物館・京都国立博物館編(毎日新聞社, 2002)、『新版 古寺巡礼 第31巻 妙心寺』梅原猛監修(淡交社, 2009)など。主な展覧会企画:『室町時代の雪舟流展』(山口県立美術館, 1993)、『禅寺の絵師たち─明兆・霊彩・赤脚子─展』(山口県立美術館, 1998)など。

吉山明兆(きっさん・みんちょう)

室町時代の画僧。1352〜1431(文和元〜永享3)。淡路島(兵庫県洲本市塩屋町)生まれ。道号は吉山、法諱は明兆。雅号に破艸鞵(破草鞋)。淡路の地で禅寺に入り、大道一以の弟子。京都・東福寺の殿司役にあったため兆殿司と称し、寺の公用の大作仏画や頂相を数多く残す。将軍足利義持(1386〜1428)の庇護や、東福寺43世・性海霊見(1315〜1396)の支援があったことが推測される。伝統的仏画と新しい水墨画表現を融合した画風は、弟子の霊彩・赤脚子・一之が継ぎ、明兆派を形成。代表作に《白衣観音図》《寒山拾得(かんざんじっとく)図》《達磨蝦蟇鉄拐(だるまがまてっかい)像》《五百羅漢図》《三十三観音図》《大涅槃図》《聖一国師像》《春屋妙葩(しゅんおくみょうは)像》など。

デジタル画像のメタデータ

タイトル:白衣観音図。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:吉山明兆, 室町時代・15世紀前半, 紙本著色, 掛軸装一幅, 縦328.0×横285.1cm, 重要文化財, 東福寺蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:東福寺, 便利堂。日付:2012.4.2。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 16.5MB(350dpi, 8bit, RGB)。資源識別子:FUJIFILM CDUII34186 DN AEIC。情報源:便利堂。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:東福寺。






【画像製作レポート】

 作品画像を借用するため東福寺へ電話後、企画書をFax。翌日Web掲載の許可を口頭で頂き、後日「掲載許可書」もFaxしてもらう。作品画像については便利堂が管理。便利堂へ電話とFaxで趣旨を伝達。4日後、4×5カラーポジフィルム(カラーガイド・グレースケールなし)のデュープをヤマトグローバルエキスプレスによって受取る。40年ほど前に撮影したフィルムの複写らしく、赤く変色していた。画像の利用料金は、東福寺へご志納金3万円、便利堂へ24,150円。
 iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、図録の作品画像と1998年『禅寺の絵師たち』展のときに撮影した写真を、山口県立美術館の協力によりデジタル画像で送信してもらい、それらを参照しながら目視により色を調整。図録の赤味がかった印刷画像と、美術館提供の青味の強いデジタル画像の振幅が大きく、感覚的に色を決めるのが難しかった。また作品が大きな掛軸ということもあり、画面にゆがみが出ていた。反時計回りに1度回転させ、見やすくするため天地の表具部分を残し左右の表具は切り落した。Photoshop形式:16.5MBに保存。
 セキュリティーを考慮して、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
 フォトショップで画像を修正したが、どのくらい実物に迫れたのか、あるいはどのくらい作品の元データを消去してしまったのか、常に最終結果を残すことになるデジタル画像にはジレンマがある。デジタル画像の背景にある技術や時間、あるいは制作意図を理解できるようにしておくため、その加工製作プロセスを履歴として見せる“見える化”は大事なことだと思う。年に一度公開されるかどうかわからない巨大な絵画がこうしていつでも手もとで見られるのはデジタルアーカイブの利点である。明兆のような巨幅かつ多数の作品を制作している作家には、最適な作品表示管理システムなのではないだろうか。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]



参考文献

片岡環「兆殿司」『日本名畫家物語』pp.2-8, 1944.4.8, 教養社
中村渓男「新収品研究 白衣観音図と明兆画の特色」『MUSEUM』No.67, pp.22-24, 1956.10.1, 美術出版社
中村渓男『墨絵の美』1959.5.11, 明治書房
蓮実重康「吉山明兆の存在意義」『日本美術工芸』No.308, pp.10-19, 1964.5, 日本美術工芸社
高橋浩洲「〔明兆〕略傳」『日本美術工芸』No.308, p.20, 1964.5, 日本美術工芸社
金沢弘「明兆とその前後」『水墨美術大系/第五巻 可翁・黙庵・明兆』(田中一松著)pp.61-66, 1974.11.20, 講談社
金沢弘『日本美術絵画全集 全二十五巻 第一巻 可翁/明兆』1977.12.26, 集英社
衛藤駿『室町時代の水墨画 根津美術館蔵品シリーズ9』1982.11.1, 根津美術館
図録『特別展図録 室町時代の美術』1992.6, 大蔵省印刷局
海老根聰郎 編『日本の美術 水墨画─黙庵から明兆へ』No.333, 1994.2.15, 至文堂
図録『禅寺の絵師たち─明兆・霊彩・赤脚子─』1998.10.23, 山口県立美術館
河野元昭 監修『日本の美術 水墨画』2002.5.15, 美術年鑑社
Webサイト:「そうだ、東福寺が生んだ宗教画家 明兆を見に行こう」『京都造形芸術大学通信教育部サイバーキャンパス』2006.4.18(http://kirara.cyber.kyoto-art.ac.jp/news_and_schedule/topics/detail.php?cid=552&id=61)京都造形芸術大学, 2012.4.13
福島慶道・檀ふみ『古寺巡礼 京都3 東福寺』2006.11.5, 淡交社
福島恒徳「歴史への窓 明兆の制作背景─明兆伝にあらわれる人びと─」『花園史学』第27号, pp.57-65, 2006.11.15, 花園大学史学会
辻惟雄『日本美術の歴史』2007.8.31, 東京大学出版会
仙海義之「明兆による大作・連幅の制作と東福寺をめぐる社会情勢」『イメージとパトロン──美術史を学ぶための23章』pp.103-118, 2009.6.25, ブリュッケ
立畠敦子「東福寺蔵明兆筆三十三観音図に関する一考察」『九州藝術学会誌 デ アルテ』第26号, pp.41-70, 2010.3.31, 福岡文化財団
辻惟雄 監修『日本の美術Ⅴ 水墨画II』2010.10.8, 美術年鑑社

2012年4月

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