2020年10月15日号
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アート・アーカイブ探求

丸田恭子《マイナスの質量》──空間が生動している「谷川 渥」

影山幸一

2012年06月15日号

美と美学

 重要な言葉でありながら曖昧な「美」と「美学」をどのようにとらえればいいのだろうか。「これは翻訳の間違いがある。美学は、明治16年に中江兆民(思想家。1847-1901)がフランス語のEsthétique(エステティック)を美学と邦訳したことに始まった。エステティックは、ドイツの哲学者アレクサンダー・バウムガルテン(1714-1762)が刊行したラテン語の書物の題名『Aesthetica(エステティカ)』に由来する。バウムガルテンは、“理性的認識の学”としての哲学を補完する感覚・感性を意味するギリシア語のアイステーシスに基づいた“感性的認識の学”としてのエステティカを提唱。美学は本来“感性学”と訳すべき言葉だった。だが明治の日本には感性という言葉はなく、美に関係のあることとして美学という言葉をつくった。この西洋と日本のずれのほかに“美”という言葉自体にもずれがある。漢字の“美”は〈羊〉が〈大きい〉と書く。正義の〈義〉や善悪の〈善〉も〈羊〉を使う。中国の古代の儀式に〈告朔の餼羊(こくさくのきよう)〉という、羊を殺して神に捧げるという儀式があった。つまり“美”は倫理的、宗教的な価値に関係があるという説と、羊が丸々と太っていて食べればおいしいという説があり、実際に美味という言葉ができた。いずれにしても漢字の“美”は、〈大きい〉という意味が入っている。ところが日本人はこの字に〈うつくし〉という訓をあてた。〈うつくし〉とは、もともと小さな子ども、小さいものに対する〈いつくしみ〉の感情を喚起する状態を指し、〈かわいい〉に相当する。室町時代以降に美しい=beautifulになったという国語学者の研究がある。古代の文献を読むときは、〈美し〉を〈美しい〉と訳しては間違い。つまり日本の“美”には、小さいという観念が入っている。日本人は小さいものにいつも意識が発動する。西洋の理性に対する感性という哲学的な問題意識と、中国の倫理的宗教的な価値と美味、日本の美しと美しい。日本の美学の言葉のなかには、三つの文化圏の差異が差異のままに重なり合っている。美学とは、広い意味の感性的な問題を扱うことで、僕はこういうふうに定義している。“美学は形と形ならざるものとの関係を考える学問。芸術学は作品が前提にあって、出来上がった形について考える学問”」と谷川氏は語った。

遠くの星を見つめさせる作品

 谷川氏が、丸田作品に感じた“危惧の念のようなもの”とは何だったのか。「丸田さんは“二元論的なものを画面に入れると面白い絵になる”と言っているが、あまり二元論を使わないほうがいいと思う。つまり抽象絵画というのは“真”という概念を排除した。いままで具体的な事物を描写して、本物そっくりだとか、上手だとか、そういうかたちで真か偽か、という判断基準があった。抽象という問題は、その真偽という二元論を排除してしまったものだから、二元論を曖昧にしたところがある。丸田が当時持って来た言葉が〈陰と陽〉。素朴に言えば〈地と図〉の二元論。だからこれは危険な概念だと思った」と述べた。
 また「抽象画は簡単に言うと、名指すことができない絵のこと。絵を見てこれは何、これは何と説明ができない。しかし抽象画でも人は何かに似ている、と見てしまう。抽象画を見て、何もイメージを思い浮かべないことはありえない。例えば、ピエト・モンドリアンの《ブロード・ウェイ・ブギ・ウギ1942-43》はタイトル自体が示唆しているが、ニューヨークの街を上から俯瞰したかのような抽象画だ。抽象画というのはイメージとの関係が根本的にあるから、具象と抽象という二元論が正しいのかさえもわからない。丸田作品は、典型的に“螺旋”や“渦を巻いている”という言葉を引き寄せる絵だ。画面を構成するタイプの抽象画は多いが、丸田作品はイメージする螺旋を直接画面に描いている大変珍しいタイプ」と谷川氏は言う。
 さらに、谷川氏はかつて丸田作品に対し、“宇宙論的(コスモロジック)という言葉を使いたくなる”と書いていた。「ちょっと褒めすぎな言葉だが、僕は自己言及の作品は駄目だと思っている。つまり私は私はという作品がいちばん駄目。丸田作品は、子どもの頃傷ついているとか傷ついていないとかいった自己言及的なことを一切感じさせない。そういう強度を持った作品だと思う。言葉を拒否し、あるいは宙吊りにさせ、遠くを見つめさせる作品がいちばんいい作品。詩的に言えば“遠くの星を見つめさせる作品”です。それでコスモロジックというのは、いうなれば世界観を表わす言葉です。人間は世界の中の瑣末な存在でしかないが、なんらかのかたちで宇宙の広さ、広大無辺の宇宙の広さを感じさせるのがいい芸術だと思っている」。




主な日本の画家年表
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谷川 渥(たにがわ・あつし)

國學院大学教授。美学者。1948年東京生まれ。1972年東京大学文学部美学芸術学科卒業、1978年同大学大学院美学芸術学専攻博士課程修了。1989年から國學院大学に勤務し、現在に至る。文学博士。主な編著書:『三島由紀夫の美学講座』(筑摩書房, 2000)、『鏡と皮膚』(筑摩書房, 2001)、『美学の逆説』(筑摩書房, 2003)、『シュルレアリスムのアメリカ』(みすず書房, 2009)、『肉体の迷宮』(東京書籍, 2009)など。

丸田恭子(まるた・きょうこ)

現代美術家。1955年 長野県生まれ。1978年明治薬科大学卒業。1982〜87年渡米(84年までThe Art Students League of New York)、1997〜2000年津軽三味線二代目高橋竹山の舞台美術を手がける。主な個展:1985年ジェイムスタルコットギャラリー(ロスアンジェルス)、1988年村松画廊(東京)、1991年ギャラリー古川(東京)、1992年ガレリア キマイラ(東京)、1993年ギャラリーαM(東京)、1995年駒ヶ根高原美術館(長野)、1997年高島屋コンテンポラリーアートスペース(東京)、1999年SOKO東京画廊(東京)、2000年ギャラリー1(東京)、2002年ウエストベスギャラリー(名古屋)、2008年ストライプハウスギャラリー(東京)など。グループ展多数。

デジタル画像のメタデータ

タイトル:マイナスの質量。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:丸田恭子, 1995年制作, 縦198cm×横398cm, アクリル・エナメル・木炭・キャンバス。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:丸田恭子。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 10.3MB(350dpi, 8bit, RGB)。資源識別子:FUJI 36251 AI GAGF(10.2×12.7)。情報源:丸田恭子。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:丸田恭子



【画像製作レポート】

 作品の画像は、丸田氏から直接郵送して頂いた。4×5カラーポジフィルム(カラーガイド付き)をプロラボにて350dpi, 20MB(8bit)にスキャニングし、TIFFファイルに保存、1,785円。
 iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、図録の画像を参照しながら、目視により色調整。作品の縁に合わせ切り抜く。Photoshop形式:10.3MBに保存した。
 セキュリティーを考慮して画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
 ポジフィルムはデュープ。白と黒のコントラストが強い作品のため、グレースケールも写していてほしかった。撮影者不明。  米国の美術研究機関であるGetty Research Instituteが、美学・美術史関係の文献を検索する「Getty Research Portal」を開設し、美術資料の公開率が一段と高まった。現代美術家の多くは自前のWebサイトで作品を公開するようになってきたが、ユーザーからみるとアクセシビリティーがいいとは言えない。特に日本の美術家の経歴と作品がワンストップで見られるようになるにはまだ時間がかかりそうだ。日本写真学会と文化財写真技術研究会が5月18日に『文化財写真の保存に関するガイドライン 〜デジタル画像保存の実情と課題〜』を発表した。美術家や写真家、美術館職員にとってはデジタル画像保存時の参考となる。



参考文献

谷川 渥「表層の冒険(14) 丸田恭子 Untitled(Black+Yellow#0)」『中央公論』1276号, p.252, 1991.11.1, 中央公論社
村田 真「丸田恭子評論」『キッチンキマイラ』Vol.00, pp.4-5, 1992.7.1, キマイラ
武井邦彦「展評─Tokyo 丸田恭子について」『三彩』No.542, p.97, 1992.11.1, 三彩社
「TOKYO ART SCENE KYOKO MARUTA」『アトリエ』No.790, pp.98-99, 1992.12.1, アトリエ出版社
リーフレット『空間のビカミング─(3)波動の絵画 丸田恭子』1993, ギャラリーαM
高橋綾子「Reviews/Nagoya 丸田恭子 Memory's Gallery 3.5-3.26」『美術手帖』No.689, pp.149-150, 1994.6.1, 美術出版社
尾崎眞人「丸田恭子」『VOCA展'95 現代美術の展望──新しい平面の作家たち』図録, p.38, 1995, 上野の森美術館
図録『特別展 シリーズ・ART IN TOKYO No.7 線について──不在のモダニズム、不可視のリアリズム──』1995, 板橋区立美術館
尾崎眞人「21世紀作家図鑑〈丸田恭子 広く遠く深く“矛盾”は循環する〉」『日経アート』1997.6.1, 日経BP社
丸田恭子『波動の絵画』画集, 2000.10.1, クリエイティブセンター
谷川 渥「現代作家紹介 丸田恭子の世界」『美術フォーラム21』第4号, pp.148-150, 2001.6.30, 醍醐書房
谷川 渥 監修『絵画の教科書』2001.7.25, 日本文教出版
図録『現代の表現 彼女達が創る理由』2002.9.15, 長野県信濃美術館
図録『アートウォッチング part2─感覚遊園地探検─』2003.6.28, 宮城県美術館
谷川 渥『美学の逆説』2003.12.10, 筑摩書房
谷川 渥『MAUライブラリー(4) 美のバロキスム──芸術学講義』2006.12.16, 武蔵野美術大学出版局
本江邦夫『現代日本絵画』p.301-p.307, 2006.12.22, みすず書房
藤枝晃雄・谷川 渥・小澤基弘 編著『絵画の制作学』2007.10.1, 日本文教出版
高木 修「空間のビカミング(3) 丸田恭子 波動の絵画」『経験のスナップショット』pp.359-362, 2011.4.15, 美術出版社
谷川 渥『新編 芸術をめぐる言葉』2012.4.1, 美術出版社
Webサイト:『丸田恭子|Kyoko Maruta official web site』(http://www.kyokomaruta.com/)2012.5.12

2012年6月

  • 丸田恭子《マイナスの質量》──空間が生動している「谷川 渥」

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