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斎藤義重《作品7》──二重構造性が示す実存「千葉成夫」

影山幸一

2014年03月15日号

記念すべき二重構造性

 評論「斎藤義重論──再制作の今日性と歴史性」のなかで千葉氏はドリル時代を「斎藤の本領といつていい戦前と1960年代後半以降とにくらべて、この時期の作品が魅力に劣つているのは、わたしたちが『網膜絵画』や『テレピン絵画』(マルセル・デュシャン)にはもうウンザリしているからだけではなかろう。この時期は、だから斎藤におけるなかだるみの時期だつたと言えるように思う」(『斎藤義重展』図録, p.17より)と書いているが、なかだるみの時期に符号するドリル絵画を千葉氏はどのように評価しているのだろうか。「《作品7》は、大きくとらえると抽象表現主義とみることができる。抽象表現主義は、感情や情念の要素が表われ、またそれを避けようとすると文字や記号が出てきて意味を帯びてくる。そこは超えたいということで斎藤は絵画に現実の厚みをつくった。平面は平面、立体は立体、ほとんどの人がそう言うなかで、これはすごいオリジナル。こういうことをやった人はいない。キャンバスを捨てて板を使用した絵画の二重構造性、つまりレリーフであり絵画でもあるところへ行った。そういう意味で《作品7》は斎藤の60年代の記念すべき作品群のひとつである」。

電気ドリルと合板

 電気ドリルと合板を使う試みで何を表現しようとしたのか。千葉氏は「実在を見せたかったのだろう。板の上にもう一枚板を貼り合わせて、そこに切り込みを入れることで、現実の奥行きができる。絵画の上ではイリュージョンでしかないものが、現実の奥行きになる。そういう一種の遊び。別の言い方をすると、絵画、平面ではもの足りない。でも平面的に描いて、可能性を探したときにレリーフ形態を思いついた。レリーフの厚みの空間の中で絵画を重層化させた。つまりイリュージョンの奥行きではなく、現実の奥行きなのだが、まだ立体にはならない。あくまでも平面上の奥行き、でも現実の奥行きの中で絵画を重層化させていく。簡単に言うと、絵画空間に厚みを与えたいということ。それから個性をストレートに出すことは一度止めてみたいと考えた。これは斎藤だけでなくて、抽象を目指した作家の多くにある考え。個性を超えたもののところへ一度行かないと、具象となんら変わらない。それで斎藤は絵筆の代わりにドリル、キャンバスの代わりに板を使った。画面を切り刻む人は珍しい」と語った。
 画家の浜田浄(きよし, 1937-)は「斎藤は新しい展開にとって、何よりも表現することの『方法』を問題にし、『システムを作ること、システムを創造する』ことが重要課題だったのである。(略)『作品4』、『作品5』、『作品6』、『作品7』のような一連の作品に明白なのは、絵のぐは色彩そのものによって表面を表し、不定形に切り取られた合板は、実体あるものとして提示されているという具体的な現実性だろう」(浜田浄「私の好きな一点 斎藤義重と“ドリル作品”」『現代の眼』No.426, pp.7-8より)と、絵を描くという従来の方法を覆し、新たな絵の制作方法を生み出した功績を挙げている。

行為の跡

 作品について斎藤は「ふつうは表現意図がありますね。目的が。なにを表現しようかという対象がありますから、それを表現する。私の場合、なにを表現するんだという目的がないのです。(略)この絵はなんだというと、やっているあいだの行為の跡ということしかないのですね。それは一つには、やっている行為だけが価値があって、なにを表現しようかという目的よりも、やって出た結果、行為の跡のほうが重要なものじゃないかと思うのです」(世界編集部「描いた『跡』──斎藤義重氏に聞く」『世界』No.229, pp.273-274より)。ドリル絵画にこの言葉にあてはめてみると、電気ドリルで板を刻んでいる行為に価値があり、その行為で付けた板の傷は価値ある痕跡として重要なものとなる。
 千葉氏は、斎藤を戦前から2001年まで20世紀の前衛美術の中軸を歩いてきた重要な作家と位置付けた。
 サンパウロ・ビエンナーレで国際絵画賞を受賞した《作品7》は、政治情勢が関与しなければ大賞を受賞した可能性があったそうだが、ドリル絵画を、あるいは斎藤作品を世界の人が絵画として評価したことに斎藤も嬉しかったことだろう。「具体」や「もの派」にも所属しなかった斎藤の自立性と独自性を切り拓いた斎藤芸術。これらの作品や展覧会の調査・検証の場として神奈川県立近代美術館に予定されている「斎藤義重文庫」の開設が待たれている。美術家であり教育者でもあった斎藤の長年の時空間での行為の跡としての作品や残された資料は、今後日本の戦前から戦後へ、近代から現代へ、西洋と東洋、平面と立体など、美術におけるさまざまな境界に新たな道筋をつくることが期待されている。

千葉成夫(ちば・しげお)

美術評論家、中部大学教授。1946年岩手県生まれ。1969年早稲田大学文学部美術史学科卒業、1976年同大学大学院文学研究科西洋美術史専攻博士課程単位取得退学(72年から74年パリ大学付属美術考古学研究所に学び「ヴォルスの作品」でパリ第I大学博士号取得)。1975年東京国立近代美術館主任研究員、2001年より中部大学教授。専門:現代美術史、西洋美術史。所属学会:美術史学会、美学会、日仏美術学会、文化資源学会。個人美術評論雑誌「徘徊巷」発行人。主な斎藤義重展担当:「斎藤義重展」(1978, 東京国立近代美術館)、「[ユーロパリア'89日本]斎藤義重展」(1989, ベルギー)など。主な著書:『現代美術逸脱史 1945〜1985』(晶文社, 1986)、『ミニマル・アート』(リブロポート, 1987)、『美術の現在地点』(五柳書院, 1990)、『未生の日本美術史』(晶文社, 2006)など。

斎藤義重(さいとう・よししげ)

美術家。1904(明治37)-2001(平成13)年。青森県弘前市生まれ。父斎藤長義は陸軍軍人で南部藩士の子息、母サキは薩摩藩士の子女。7人兄弟の二男。1920(大正9)年ロシア未来派の亡命画家ダヴィド・ブルリューク等の作品展を見て衝撃を受ける。1923年村山知義の作品や前衛的な美術活動に強く引かれる。1939(昭和14)年第1回九室会展に出品、美術文化協会の結成に参加し、53年退会する。以後無所属。1957年第4回日本国際美術展に《鬼》を出品(K氏賞)、今日の新人57年展に出品(新人賞)。1958年瀧口修造の紹介により東京画廊で初個展、作品13点完売。1959年第5回日本国際美術展に出品(国立近代美術館賞)、《ペインティングE》(国際美術評論家連盟賞)。1960年第30回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品のため初渡欧、第4回現代日本美術展に出品(最優秀賞)、グッゲンハイム国際美術展に出品(優秀賞)。1961年第6回サンパウロ・ビエンナーレ展に出品(国際絵画賞)。1964年多摩美術大学教授に就任。1971年第10回現代日本美術展に出品(大原美術館賞)。1973年多摩美術大学を退職。1978年東京国立近代美術館で大規模な個展開催。1982年東京芸術専門学校(TSA)を開校し、講師に着任。1985年TSA校長に就任、朝日賞受賞。1989(平成元)年「ユーロパリア'89日本・斎藤義重展」(ベルギー・ブリュッセル)開催。1992年アネリー・ジュダ・ファイン・アート(ロンドン)で個展開催。1993年横浜美術館、徳島県立近代美術館において「斎藤義重による斎藤義重展-時空の木」開催。1999年神奈川県立近代美術館で「斎藤義重展」。2001年没、享年97歳。2002年遺族より神奈川県立近代美術館へ資料などが寄贈され、「斎藤義重文庫」の開設が予定されている。代表作:《カラカラ》《トロウッド》《ゼロイスト》《やじろべえ》《鬼》《作品7》《ペンチ》《反対称》《複合体》など。

デジタル画像のメタデータ

タイトル:作品7。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:斎藤義重, 《作品7》, 1960年, 縦91.0×横130.0×奥行5.4cm, 合板・油彩, 京都国立近代美術館蔵。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:京都国立近代美術館, (株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:─。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 37.2MB(350dpi, 16bit, RGB)。資源識別子:斎藤義重《作品7》.tif, 58.4MB(350dpi, 16bit, RGB), 昭和53年度 寄贈(O00096), 第6回サンパウロ・ビエンナーレ展(国際絵画賞)。情報源:京都国立近代美術館。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:斎藤義重遺族, 京都国立近代美術館






【画像製作レポート】

 《作品7》は著作権保護期間内である。そのため斎藤義重をよく知る画廊から著作権者である遺族へ連絡をしてもらい許諾を得た。作品を所蔵する京都国立近代美術館へ企画書をFaxし、折り返し申請書3枚をFaxしてもらう。「特別観覧願」に記入・捺印し、「著作権許諾書のコピー」を併せて京都国立近代美術館へ郵送。3日後メールが届き指定のURLから作品画像をダウンロード。画像使用料5,250円。
 iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、画像の色調整作業に入る。画面に表示したカラーガイドと作品画像に写っているカラーガイドを参照しながら、目視により色を調整し、縁に合わせて切り抜く。Photoshop形式:37.2MBに保存。モニター表示のカラーガイド(Kodak Color Separation Guide and Gray Scale Q-13)は事前にスキャニング(brother MyMiO MFC-620CLN, 8bit, 600dpi)。セキュリティーを考慮し、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
 作品画像を見たとき、作品の配置が縦横違っていたので、一瞬とまどったが「上↑」の紙が作品とともに写されており、天地・左右間違えずに作業できた。抽象画の場合は特にこのように写真内に天地の表示があると助かる。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]



参考文献

瀧口修造「現代作家小論 斎藤義重」『美術手帖』No.137, pp.44-51, 1958.2.1, 美術出版社
高階秀爾「小論 斎藤義重」『美術手帖』No.175, pp.3-9, 1960.7.1, 美術出版社
針生一郎『現代絵画への招待』1960.10.5, 南北社
針生一郎『芸術の前衛』(現代芸術論叢書) 1961.1.15, 弘文堂
岡本謙次郎「第六回サンパウロ・ビエンナーレ展 出品作家について」『現代の眼』No.76, pp.2-4, 1961.3.1, 国立近代美術館
岡本謙次郎「斎藤義重大賞を逸す(第6回サンパウロ国際展)『芸術新潮』No.144, 12(12), pp.52-58, 1961.12.1, 新潮社
中原佑介「《現代作家論4》斎藤義重──「余計者の」アンビバレンツ」『みづゑ』No.685, pp.48-57, 1962.4.3, 美術出版社
世界編集部「描いた『跡』──斎藤義重氏に聞く」『世界』No.229, pp.272-476, 1965.1.1, 岩波書店
芸術新潮編集部「斎藤義重の証言「絵画はダ・ヴィンチで終った」」『芸術新潮』No.213, 18(9), pp.76-84, 1967.9.1, 新潮社
斎藤義重「私と抽象表現」『美術手帖』No.371, pp.34-65, 1973.9.1, 美術出版社
関根伸夫「ゼロイスト随聞記──この大いなる〈空洞〉」『美術手帖』No.371, pp.74-83, 1973.9.1, 美術出版社
斎藤義重『斎藤義重』1973, 東京画廊
高松次郎「斎藤義重と語る:対称は反対称を通って限りなく拡がる」『みづゑ』No.862, pp.98-108, 1977.1.3, 美術出版社
三木多聞「斎藤義重の軌跡」『斎藤義重展』図録, pp.10-13, 1978, 東京国立近代美術館
千葉成夫「斎藤義重論──再制作の今日性と歴史性」『斎藤義重展』図録, pp.14-21, 1978, 東京国立近代美術館
中原佑介「特集: 斎藤義重 板の思考」『みづゑ』No.880, pp.45-47, 1978.7.3, 美術出版社
末永照和「特集: 斎藤義重 ゼロの造形」『みづゑ』No.880, pp.48-59, 1978.7.3, 美術出版社
千葉成夫「[人と作品]斎藤義重 斎藤義重の作品──あるいは美術の二重構造性」『VISION』8月号, pp.18-20, 1978.8, ビジョン企画出版社
斎藤義重「美術教育の座標」『藝術評論』第1号, pp.2-3, 1983.11.1, 中延学園
千葉成夫『現代美術逸脱史 1945〜1985』1986.3.20, 晶文社
千葉成夫「[ユーロパリア'89日本]の斎藤義重展」『Y.SAITO:Europalia Japan'89 in Brussel』図録, 1989, Matsumoto
千葉成夫「斎藤義重─海をこえる序」『藝術評論』第10号, pp.5-12, 1990.3.10, 中延学園
千葉成夫『美術の現在地点』1990.3.24, 五柳書院
浜田 浄「私の好きな一点 斎藤義重と“ドリル作品”」『現代の眼』No.426, pp.7-8, 1990.5.1, 東京国立近代美術館
図録『斎藤義重による斎藤義重展 時空の木─Time・Space, Wood』横浜美術館学芸部編, 1993, 朝日新聞社
『藝術評論』第11号, 1997.9.17, 中延学園
酒井忠康「あいさつ─斎藤義重展に寄せて」『斎藤義重展図録』pp.6-7, 1999, 神奈川県立近代美術館
美術手帖編集部「斎藤義重の軌跡」『美術手帖』No.780, pp.107-117, 1999.12.1, 美術出版社
松永真太郎「ドリルの痕跡──斎藤義重の60年代前半における“ドリル作品”について」『斎藤義重展』図録, pp.92-95, 2003.1.25, 斎藤義重展実行委員会
『藝術評論(別冊)』(「斎藤義重と教育展」特集号)朋優学院高等学校デザイン科(A&D研究室)編, 2003.2.1, 中延学園
Webサイト:「千葉成夫 携帯オサルスのおすすめランチ 「ランチdeチュ」その88」『gaden.jp』2003.4.28(http://www.gaden.jp/info/2003a/030428/0428.htm)畫傳胤萃舎, 2014.3.3
山村仁志「ドリルと表面──斎藤義重《作品4》について」『府中市美術館研究紀要 第7号』pp.9-17, 2003.4.30, 府中市美術館
長門佐季「斎藤義重とロシア構成主義について」『鹿島美術研究(年報第21号別冊)』pp.422-434, 2004.11.15, 鹿島美術財団
小林晴夫「Bゼミを訪れたアーティストたち 斎藤義重」『Bゼミ「新しい表現の学習」の歴史 1967-2004』(Bゼミ Learning System 編)pp.6-8, 2005.10.28, BankART 1929
千葉成夫『未生の日本美術史』2006.9.10, 晶文社
本江邦夫「考える力──斎藤義重の世界」『アートコレクター』No.14, pp.49-52, 2009.4.25, 生活の友社
Webサイト:「横浜美術館コレクション展 2010年度【特別展示】斎藤義重 横浜に住んだ前衛美術の師」『横浜美術館』2010(http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2010/collection02_01/saito.html)横浜美術館, 2014.3.3
Webサイト:毛利まりえ「斎藤義重の制作に関する一考察 : 未完としての「複合体」と平面空間への可能性」『Hirosaki University Repository for Academic Resources』2013.3.22(http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10129/5137/1/mt_570_Mouri.pdf)弘前大学, 2014.3.3
Webサイト:「斎藤義重「無題」」『A.R.T.(Art Resources in Tsukuba)』(http://www.art.tsukuba.ac.jp/archives/2260)筑波大学, 2014.3.3
Webサイト:「斎藤義重作品2」『静岡県立美術館』(http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/_archive/collection/item/O_149_1210_J.html)静岡県立美術館, 2014.3.3
Webサイト:「斎藤義重 年譜と注釈」『守屋行彬&ひろみ』(http://www.geocities.jp/arte_moriya/nenpu1.htm)守屋行彬, 2014.3.3
Webサイト:《作品 7》『京都国立近代美術館』(http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=156239)京都国立近代美術館, 2014.3.3

取材協力:ギャラリイK 宇留野隆雄、朋優学院高等学校、東京画廊



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2014年3月

  • 斎藤義重《作品7》──二重構造性が示す実存「千葉成夫」