アート・アーカイブ探求
横野明日香《curve》──信用した身体性「額田宣彦」
影山幸一
2015年03月15日号
深呼吸
絵画を見るときは精神を集中させるのでエネルギーが必要だが、絵画史では見かけることのない美しい作品との出会いは、発見の喜びとエネルギーを与えてくれる。2014年、現代の絵画を模索する画家24名の近作・新作110点ほどを展示した「絵画の在りか」展(2014年7月12日〜9月21日)を、東京オペラシティ アートギャラリーで見た。1970年、80年代生まれの若い画家たちは、素材や特性など、絵画の要素を抽出し誇張した作品が多かったように思う。感性よりも理性優位の作品が目立ったが、そのなかにダムを描いた風景画があった。具象的であり、抽象的でもある半具象の形態を表わし、またすべてが大きな弧を描くような筆のストロークによって描写され、眼前に広がるその風景は、自然も人工物もすべてが等価という、俯瞰的で新鮮な視点を与えてくれ印象に残った。横野明日香の《curve》(作家蔵)である。
この縦181.8×横291.0cmという大きい絵の前に立つと、風景の中にひとり佇む感じになる。画家の目は冷静であり、人知の及ばぬ自然と巨大なダムに畏怖の念を抱き、孤独にそれらと対峙しようとしている、と感じた。そして画家が全身で描いたであろうスピード感のあるストロークが目に入る。艶のある油絵具の筆跡を目で追っていくと、画家の手仕事の動きと同調するためか、緊張感がほぐれてくる。絵の前で深呼吸したのは初めてだった。
愛知県立芸術大学
愛知県立芸術大学大学院を2年前に修了したばかりの横野明日香。その師である美術科准教授の画家でもある額田宣彦氏(以下、額田氏)に、《curve》の見方を伺ってみることになった。ポップなミニマルアートを超えた抑制と鍛錬の画家である額田氏にインタビューすることは、当初ためらいがあったが、横野の絵画について現在最もよく知るふさわしい人として決心をした。額田氏のもとで学んでいたという横野を、画家として額田氏はどう見ていたのだろう。額田氏と向き合うのは8年ぶりか、名古屋へ向かった。
額田氏は、1990年愛知県立芸術大学大学院美術研究科絵画(油画)専攻修了後から東京で作家活動に入り、2000年より作家活動を継続しながら優れたペインターを輩出する愛知県立芸術大学で教鞭を執っている。大学生時代は洋画家の島田章三(1933-)、櫃田(ひつだ)伸也(1941-)らに学び、奈良美智(1959-)や小林孝亘(1960-)、井出創太郎(1966-)らと共に過ごした。最も優れた卒業制作に与えられる桑原賞を1988年に受賞している。東京時代には丸山直文(1964-)、高橋信行(1968-)、冨井大裕(もとひろ)(1973-)らと交流を深め、教え子には猪狩雅則(1975-)や荒井理行(まさゆき)(1984-)、源馬(げんま)菜穂(1985-)らがいる。ヨーゼフ・ボイス(1921-1986)の弟子として知られる抽象絵画を描くドイツのブリンキー・パレルモ(1943-1977)や、昨年逝去した河原温(1933-2014)などの作家に関心を寄せる額田氏は、丸山直文らと、絵画について思考する組織〈GROUND〉を結成。第1回「GROUND」展を2014年に開催し、現在は来年の第2回展に向け企画を進行中である。
ストロークと非可逆性
2013年に大学院の油画版画領域を修了した横野明日香は、すでに地元のギャラリーで個展を一回、グループ展に10回ほど参加してきた。静謐な空気感を漂わせるイタリアの画家ジョルジョ・モランディ(1890-1964)や、抽象画に見えるシンプルな具象画を描く熊谷守一(1880-1977)など、独自のポジションで、自らの経験に基づき、自分なりのルールやペースで制作をしている画家が好きだという。
額田氏は、横野が学部生のときも作品を見る機会があり、描き直しや修正をせず、一気に絵を描く可逆性の利かない描き方が面白かったと、横野の印象を話す。横野は身のまわりの物や近所の風景など、さまざまな絵を試作しながら描いてきており、大学3年生の終わり頃からダムをモチーフとして描き出した。いままで描いていた方法とダムがしっくりと合って、卒業制作では《ダム》(2011, 259.0×194.0cm)を描き、桑原賞を受賞したという。
その後も横野は、ダムをモチーフに絵画を追究するために大学院へ進学し、額田研究室で指導を受けた。大学院時代に「ストロークばかりを多用する手法をこのまま続けてよいものか」という相談が横野から額田氏にあった。ストロークと可逆性の利かない描き方を、横野は身体的にも無理せず続けて行けるかもしれないと採用したと思うが、「大切なことは、手法やコンセプトを明快にしたうえで、最終的には未知なるものを明示することではないか。今後も可逆性の利かないストロークで制作が無理なく続けていけるのであれば、繰り返し続け、煮詰めていく、そういうやり方でもいいのではないか」と額田氏は答えたそうだ。
画家は、理屈ではなく、身体性を重要視しなくてはいけない。より不確かな部分、より不透明な部分を、身体性が具現化している。つくり手としてはすごく大事なこと。気がつかない人もいるが、そこに重きを置いていったほうがいい。画家は信用した身体性がひとつでもあれば絵を描ける、と額田氏は述べた。
【curveの見方】
(1)タイトル
curve。
(2)モチーフ
ダム。
(3)サイズ
縦181.8×横291.0cm。横長の大画面。
(4)構図
水平線と巨大な弧を基本として、近景、中景、遠景を明確に区分した。
(5)色
白、黒、青、緑、グレー。限定された寒色系の色調で描いている。
(6)画材
キャンバス、油彩。絵具の油を多く用い、絵肌に艶を与えている。
(7)技法
線描。絵具をつけた筆を手に、画面の上から下へ、描き直しをせずシステマティックに描き進める。線は、速度のあるかすれた感じで比較的長く、細い線、太い線がある。絵肌は、筆跡が見える程度の凹凸感があり、絵具を盛ったような物質感はない(写真参照)。
(8)サイン
画面裏側に「横野明日香」(写真参照)。
(9)制作年
2014年。
(10)鑑賞のポイント
大きなストロークによって、ダムのある風景を横長の画面一杯に描き出した身体性を感じさせる絵。構図はダムを中景とし、抽象的な近景と具体的な遠景とに分け、ダムの構造から曲線美を見出し、タイトル名を“カーブ”と概念化したことでイメージの幅を広げた。固定化したモチーフ、限定した色彩、制約のある技法を横野独自のルールとして、反復、洗練させて画面に強度をもたらしている。自然と人工物、柔軟と強硬、具象と抽象といった相反する要素は緩やかなストロークによって無機質に融合。また、エドヴァルド・ムンク(1863-1944)の心理的な《叫び》のタッチや、ダムの風景写真家・柴田敏雄(1949-)の社会的な視点に対し、《curve》は、近未来に対し静かに警告しつつ生命の源である“水”に平和的な祈りを感じさせる。
責任を取れるか
《curve》は、近景、中景、遠景と意図的に3つの構図に分けている。非可逆性を保った描き方のため、ストロークと絵具の混ざり具合は多少予測できるが、混ざった絵具の状態と、そこにできる空間は描いてみないとわからない。もうひとつは、キャンバスの表面に絵具の物質が見えるが、遠目で見たときと近くで見たときの印象が違って見える。キャンバスの表面に対しての絵画的空間と、前後の奥行き感のあり方のバリエーション。その両方を満足させて、合わせることでどういう空間ができるかも考えて横野は描いている。自分の追究したい空間性に納得しているのかどうか、そういう課題を生み出している作品ということにも同時に思い浮かぶところが面白いところ。まだ荒削りだがそれもそれで面白い。もっとたくさん描いて洗練され、より独特なものが出現してくればいい。画面任せのところがあるので、もう少し自分で絵を操作できるようになるといいと思う。矛盾しているようだが、深く従事した方法論を身につけてくると、より自然で美しい作品に仕上げられるようになってくる。一見作者から離れて、自然にできている偶然性や画面任せに感じられる作品も実際はそうではなく、自分が描いていることになる。絵に対してもっと意識的に、どこまで自分が責任を取れるかというところまで持っていったほうが、逆説的に自然の美しさとなる。そこがまだ足りない。ただ横野はそれを目指しているし、作品からは理想の高さも醸し出されて、鑑賞者に伝わっているのだと思う、と額田氏は語った。
ペインターへの10の問い
「絵画の在りか」展を企画した堀元彰氏は横野の作品について「人影がまったくみえない広大な自然と人工物が織りなす光景は、J. G. バラードのSF小説に登場するような、虚無的な近未来の光景を想起させる。ブルーグレーやダークグレーで描かれたモノクロームに近い画面は、風景を描きながらもきわめて抽象的で、のびやかなストロークのマチエールは視覚的な快楽を呼び起こす」(堀元彰『絵画の在りか』図録、p.118)と述べている。
大画面に身体性で描く横野は小柄である。同時代を生きるこの若い画家へ、筆者から10の問いをメールした。
1. 絵の描き方、例えばモチーフの決め方、デッサン・キャンバス張り・下塗り・下書き・筆選び・絵具の調色など、どのように絵を描くのか教えてください。
横野──絵の描き始めは、いつも小さなエスキースです。たいてい、エスキースをそのまま大きくします。コピー用紙などに、キャンバスの矩形を描いて、その中にどう収めようか考えます。なんとなく決めた構図でも、大きなキャンバスにすると、しゃがんだり背伸びしたり、歩いたり走ったりしながら描くことになります。エスキースを描きながら、こんな構図にしたら自分はどんな状況で描くことになるのだろう、と考えたりする作業は楽しい。逆もあって、こういう身体の動かし方をしてみたいから、こういう構図にしてみようというアプローチもある。また、雑誌や写真の風景からインスピレーションを受けて描くこともあり、何を描くかも決めずキャンバスを張って眺めているうちにアイデアが閃くときもあります。筆は、しっかりと意思を持って、絵具がのせられる豚毛を主に使っています。おつゆ描き
2. サインは、どこにどのように入れていますか。
横野──キャンバスの裏に、タイトル・制作年・素材・名前の順で入れています。
3. 《curve》のサイズは、どのように決めましたか。
横野──風景を見渡すような感覚で描きたいと思いました。もともと風景画は「切り取る」というイメージでしたが、そうではなく、「自分も風景の中に含まれていて出られない」イメージの風景画です。縦に見上げる大きな絵は《ダム》(2011)で描いたことがあったので、横に見渡すような大きな絵を描きたいと思いました。そしてM300号という、横長の大きなキャンバスを選びました。
4. なぜ、色彩はグレートーンなのですか。
横野──あまり意識はしていませんが、ひとつには、静かな風景にしたいからだと思います。人が登場しないという理由にもつながりますが、そこに自分だけがいるような、自分だけしかいない空間で、何を思うのか、何をするのか、そんな雰囲気をつくり出したいと思っています。あとは、ストロークに注目がいくという点と、ダムの周りに湿度があるような空気を描き出したいという理由もあります。
5. なぜアクリル絵具ではなく、油彩なのですか。
横野──体質に合っていることは大きいです。油絵だからこそできることがあると思っていて、微妙なタッチや艶、絵具の盛り方、そういう自分の意思を反映しやすいところが好きです。
6. ストローク(筆あと)を意識して描くようになった動機は何ですか。ストロークを見せる意味を含めて教えてください。
横野──おそらく自分の視線を、見る人にも体験してもらいたいのだと思います。私が絵を描くとき、ストロークのとおりに画面を見ているからです。
7. 絵肌がキラキラと光っていましたが、絵具のほかに画面全面に皮膜のようなもので覆っていますか。絵具だけですか。
横野──油絵具に、リンシードやスタンドオイルなど、艶の多い油を混ぜています。絵具の伸びがよくなりますし、キラキラとしてタッチもよく見えるようになります。
8. なぜ、ダムを描くのですか。
横野──大きなダムへ初めて行ったときに足がすくみました。日常のスケールを超え、自分で風景を把握しきれなかったからだと思います。ただただ順番に一つひとつのコンクリートブロックを見つめ、風景をつなぎ合わせて想像するしかありませんでした。このときの経験はとても新鮮で、風景というものの捉え方が変わった瞬間でした。この視線の運び方の経験を、絵画で描いてみたいというのがきっかけです。最近は同じダムのモチーフでも、1.のように、アプローチはさまざまで、かなり抽象に近い感覚で描く場合もありますが、最終的に風景に帰ってくることで、完成したときに自分でも難しくなく、眺められるところがいいと思います。
9. なぜ、人がいないのですか?
横野──初めて行った大きなダムも、人影がありませんでした。家族から少し離れて行動していた私は、ひとりで足をすくませていました。なぜ怖いのだろう、この感覚はなんだろうと、ひとりでいたから深く考えたのだと思います。もし近くに家族や友人がいたら、その考えに至る前にその場を離れたと思います。ひとりになって、じっくりと考える場所のようなものを自分自身経験したいし、見る人にも経験してもらいたいと思います。
10.《 curve》の思い出話があれば教えてください。
横野──一年ほど前(2014)に描いた絵です。左から右に駆け抜けて描いていたのを覚えています。手前の堰堤の部分は、たくさんスクワットして描きました。完成したときは倒れ込んでいました。
愛知県立芸術大学では、大学を卒業、修了し作家活動を続けているアーティストを支援する展覧会を開催している。2015年4月8日から4月26日まで、愛知県立芸術大学のサテライトギャラリーで「横野明日香“Viewpoint”」展が予定されており、横野の身体表現《curve》もひとりになってじっくりと考える場所として出品される。
額田宣彦(ぬかた・のぶひこ)
横野明日香(よこの・あすか)
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参考文献