アート・アーカイブ探求
今井俊介《untitled》──リアリティーがストライプになるとき「森啓輔」
影山幸一
2017年04月15日号
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無個性の決意
イマシュンこと、今井俊介の作品を偶然見たのは2014年、東京・資生堂ギャラリーで開催された個展と、東京オペラシティ アートギャラリーでのグループ展「絵画の在りか」だった。どういうわけか個展よりもグループ展に出品していた絵画が印象に残っている。おそらく個展は絵画作品が会場の空間と一体化していたのだろう。明るい、きれい、軽い、とてもデザイン的だけど不確実な現代を感じさせるイマシュン・ワールド。その完成度の高い展示構成のなかで、作品化された展示空間を体感していたために、個々の絵画への意識が散漫になったのかもしれない。
「絵画の在りか」展では、24名の作家の100点余の絵画が展示されていた。今井の作品は4点、鮮明な色彩のストライプが目立ち、他の作品に抜きん出ていた。ポップなデザイン感覚のロイ・リキテンシュタイン(1923-1997)を、旗と平面の関係性はジャスパー・ジョーンズ(1930-)を、またイリュージョンを起こさせるオプティカル・アートとの関連を想起した。
フラッグシリーズの《untitled》(2014、個人蔵)は、揺れるストライプが画面内に奥行きをつくり、陰影のない明るくフラットな色面が、清潔な空間を提示していた。ギリシアの青・白、エストニアの青・黒、ブリキナファソの赤・緑・黄、ブラジルの緑・黄・青・白といった国旗の断片をコラージュ的に構成した絵画と思っていたが、今井ピンクとも言える印象的な蛍光ピンクは国旗にはないそうだ。原色で歪んだ縞模様を重ねるように構成・配置した大胆な絵柄で、表面は筆触の跡がなく印刷したように機械的で平坦、タイトルは「untitled」と、無個性だ。しかし、この色と形のみで表わされた一見単純明快な絵画からは、絵画の本質を探究しようとする決意が感じられる。
2015年の『VOCA展:現代美術の展望─新しい平面の作家たち』に今井を推薦したヴァンジ彫刻庭園美術館(静岡県)学芸員の森啓輔氏(以下、森氏)に《untitled》の見方を伺ってみたいと思った。森氏は1978年生まれで、今井と同じ年。東京・品川で森氏と会うことができた。
情報環境と実世界のサーフェス
森氏は三重県の津市に生まれた。少年期は地元の三重県立美術館に両親に連れられて行くこともあり、美術も好きだったというが、人とはどういうものだろうと人間科学の分野に興味を持ち、18歳で上京し、早稲田大学の人間科学部人間健康科学科へ入学。アフォーダンスやオートポイエーシスといった理論に触れながら、認知心理学や環境心理学を専攻した。人は外界の情報をどのように認知し、どのように反応しているのか。オープン学習における児童の空間認識や、ビルの火災での緊急時の避難誘導など、心理学、教育学、建築学の学問を横断するゼミで学び、卒業論文は広域な空間において、児童はどのように空間を認識し、行動が誘発されているか分析する研究をした。
卒業後は、大学や研究機関向けの出版社へ就職したが、書籍を通じ記録、持続していく人間社会の文化への関心から、いままでとは別の学問へアプローチしようと、武蔵野美術大学(以下、ムサビ)の芸術文化学科へ社会人編入をし、現代アートに触れながら近現代美術やアートマネジメントを理論、実践の両面から学んだ。大学院では高松次郎(1936-1998)を中心に、ハイレッド・センターやもの派などの1960、70年代の日本の美術動向を研究、その後芸術文化学科の助手を務め、2013年よりヴァンジ彫刻庭園美術館の学芸員となった。
2015年のVOCA展に今井を推薦した森氏は、その理由を「インターネットをはじめ、ユビキタス化された情報環境のなかで、私たちの知覚は日々変化している。私たちは、情報にさらされることが恒常化しているが、デジタル化された情報の過剰さは、世界という全体性の把握を困難にし、むしろその過剰さによって何かが見えなくなり、隠され続けていると言えるかもしれない。今井の絵画は、そのような情報環境と実世界がリンクするサーフェス(表面)として読み取れるのではないかと思い推薦した」と述べた。
最初に森氏が今井作品を見たのは、ムサビでの個展「patterns」(GFAL、2006)のときであったという。森氏は当時ムサビに在学中で、今井は大学院を修了していた。今井の作品は、インターネットからコピーした女性の裸体や花の図像が迷彩のように描かれていた。同世代の作家ということで興味を持ち「インターネットの画像を描くのはどうしてなんだろう」と、より能動的に作品を考えるきっかけになったという。森氏は現在でも、今井作品は何かを具体的に明示するというよりも、翻る旗のような抽象絵画の軽やかさや、平坦なタッチが全体を覆うフラットな印象から、一元的な解釈をすり抜けて、何かをほのめかす性質を持つ作品だと評している。
絵画とデザインの交感
今井俊介は、1978年福井県福井市に生まれた。自宅の2階が父のアトリエで、父は今井の通った福井県の私立北陸高校の美術教師でもあり、今井は子どもの頃から絵を描くことが好きだった。画家になることは考えていなかったというが、2浪して好きだった画家の宇佐美圭司(1940-2012)がいるムサビに入学した。しかし、2年後宇佐美は退任してしまい、新たに教員として着任した丸山直文(1964-)を師事し、以後師弟関係が続いている。今井は、油絵科へ入ったものの油絵具の匂いが体質に合わず、大学では1回しか油絵を描いていなかった。絵が下手で周りと比べてコンプレックスもあったそうだ。
ムサビはポスターコレクションが充実しており、グラフィックデザインやインテリアデザインに興味を持った。また芸術祭の実行委員長や課外活動協議会という自治会の代表も務めた今井は、組織をデザインする面白さを知り、デザイン会社への就職を考えていた。ところが、インテリアデザイン会社が牽引して開催した『東京デザイナーズブロック』というイベントで、プロのデザイナーを近くで見ているうちに、自立したつくり手になりたいと思い、大学院へ進み絵画の勉強を深めることにした。
今井は、線描の上手なサンドロ・ボッティチェリ(1444/45-1510)の大作ではなく、小品が好みと言う。ほかにエルズワース・ケリー(1923-2015)、ブリンキー・パレルモ(1943-1977)、ダニエル・ビュレン(1938-)、ピーター・ハリー(1953-)、アンディ・ウォーホル(1928-1987)と好きな画家を挙げている。
作品はインターネットからダウンロードしたポルノ画像や花の図柄を鮮やかな色に置き換えていた制作当初から、徐々に具体像を取り除き、抽象度を増していった。フラッグシリーズは2012年から展開し、色や形、構図といった絵画の基本的な要素で、見ることの本質を考察しながら絵画の可能性を開いている。
【untitledの見方】
(1)タイトル
untitled(アンタイトル)。
(2)モチーフ
ストライプ。
(3)制作年
2014年。
(4)画材
キャンバス・アクリルガッシュ。インターロン製の2本の細い筆(図1)と、ホルベインやターナー製の絵具を主に使用。
(5)サイズ
縦180.0×横162.0cm。
(6)構図
太さと色の異なる直線と曲線を用い、画面全体が均質になるようコラージュ的に構成。
(7)色彩
白、黒、灰、青、赤、緑、黄、蛍光ピンク。黒や蛍光ピンクは、調色して数種類つくっている(図2)。
(8)技法
Macのイラストレーターで、ランダムに図形を描き起こしてプリントアウト。そのプリントを立体的に歪ませ、写真を数十枚撮り、それらの写真画像をパソコンに取り込んでトリミング等を行ない、画像を選択し出力する。そのようにつくられた図を、OHP(オーバーヘッド・プロジェクター)でジェッソで地塗りしたキャンバスに投影し、輪郭を鉛筆でトレース。平置きしたそのキャンバスに、出力したモチーフとなる図を見ながら、鉛筆の線に従って筆で凹凸や塗りムラがないように、均質に絵具を塗っていく。
(9)サイン
キャンバスの裏に「untitled Shun 2014」。
(10)鑑賞のポイント
今井が大学の助手時代に、学生がはいていたスカートの幾何学模様に太陽光が当たるのを見て、新鮮な感動を覚えたことが制作の契機になったという。その体験が装飾的なストライプがひしめく抽象絵画となった。ストライプ模様の曲線が、風にたなびく旗を思わせ、絵に奥行き感を与えている。色面の色むらやストライプのエッジの揺れに、版画ではなく手で描いた痕跡が垣間見られる。彩度と明度の高いカラフルな画面は、視点を浮遊させ長時間の鑑賞を拒んでいるようだ。平面上に現出する錯視的な揺動と、色と形の過剰性によって知覚を刺激しつつ、見ることの意味と平面の可能性を探求している。
artist statement:「絵画である以上はその裏側には何もないし、そこに入っていくことはできない。まるで風になびく旗を見ているような感覚を覚える。旗ははためいていると量感を持った存在だが、それはただ1枚の布であってその裏側にはなにもない。東京の猥雑な夜の街を歩くとまばゆいネオンが煌々と光り、ファストファッションのお店にいけばケミカルな色の洪水に溺れる。その色の集積に意味はなくそこには巨大な空洞だけがある気がする。わたしの絵画はそういうものだ。 今井俊介」(HAGIWARA PROJECTS「surface/volume」2013より)
絵画の内側と外側
《untitled》について森氏は「ストライプが歪んで描かれている。私は風になびく旗を連想したが、1960、70年代を研究する立場から参照される作家として、ジャスパー・ジョーンズとダニエル・ビュレンの二人がいる。日本でも60年代に東野芳明(1930-2005)の企画や南画廊での個展などで紹介されたジョーンズは、国旗や標的をキャンバスに描き、描かれている対象と実際にある物質が同じで、一致しているという点を東野も言及していた。ビュレンも1970年の第10回日本国際美術展に招待され、その際には美術館だけでなく、都内の複数の場所で白とグレーのストライプを展示している。今井の作品は、一見するとトリックアートのように受け止められるかもしれない。歪んだストライプが描かれることで平面に見えず、ある厚みを鑑賞者は錯覚してしまうからだ。しかし、今井の絵画はむしろジョーンズやビュレンとの関係から、描かれたイメージのキャンバスとの不一致を意識させること、また絵画はイメージであり、かつ物質であるという両義的な観点から読み取るべきだろう。このイメージと物質の一致、または不一致は、何より高松次郎の「影」をキャンバスに描いた作品を思わせるが、1960、70年代の美術の動向を考えるうえで常に重要な問題を提示している。例えば、1968年には「トリックス・アンド・ヴィジョン」展という錯視と幻影に関わる展覧会が中原佑介(1931-2011)と石子順造(1928-1977)の企画によって開催された。当時の「見ること」そのものを疑い、美術の制度から問い直そうとする美術評論家や作家らの態度は、今井の作品をともすると50年前の美術のやり直しだと批判する見方となるかもしれないが、そのような反復から生まれる誤差やズレにおいて、今井の作品に注目した。今井は二人の作品を熟知し、参照される可能性も自覚しながら、現代における絵画を模索している。揺らぐストライプを描くようになったきっかけには、作家が見たスカートの幾何学模様の柄があって、現在の今井の抽象絵画の発端が身体を隠すもの、何かを覆うものだったことは、作品を考えるうえでとても興味深い。また、平面上の錯視のような厚みが、その視覚の揺らぎによって内側に何かがあることを感じさせるだけでなく、今井の制作過程を見ていくと、外側もまた重要な要素として絵画の制作にシステム化されていることがわかる。抽象絵画はどちらかというと、具体的なモチーフが作家の側から言及されない場合も多いため、指示対象が必要とされないと理解される傾向にあるが、今井はこの絵の外側に実際のモデルがあることを重要視し、パソコンで製作された図案を出力し、現実にある物質として再現的に描くというプロセスをわざわざ踏んでいる。このように、絵画としての平面の不一致だけではなく、平面の内側には身体のような何か隠されたものが、外側には絵画の物理的なモデルがある。絵画の平面性とは何か、現代の視点から考えさせられるところが今井の面白いところだろう。また、もうひとつの特徴は色彩。見ることを戸惑わせるような、彩度や明度が高いアクリル絵具の蛍光色を1枚の絵のなかに多く使う。認知心理学的な興味からとなるが、認識や記憶をあえて混乱させるような色の配置を意図して行なっている。まるで膨大な情報が、その情報過多でもって人間の認識を機能不全に陥れ、事実の把握をいっそう困難にするような事態だ。どうしてそういう色の組み合わせをしているのかというと、今井はユニクロのビビッドな色のフリースが膨大に店舗の棚に積まれていた視覚体験をこれまでも語ってきたが、夜の都市空間に光り輝くネオンに限らず、パソコンのモニターやスマホなど、日常の生活環境での人工的な光の過剰な受容体験とも関連しているだろう。作家の体験が自身の絵画の実践において常に重要なように、今井の絵画は情報環境下で意識することなく変質していく私たちの社会の構造や、身体的な知覚と密接に結びついている」と語った。
反独創性の創造
今井の絵画は「ゲルハルト・リヒター以降の絵画の問題に対する回答のひとつとして語り直すことも可能だろう」(『美術手帖』No.1004、p.186)と、東京都現代美術館の学芸員・藪前知子氏が評論している。近年はカルバン・クラインとのコラボレーションにより、ウエアとアクセサリーに今井のアートワークが加わり販売されている。またYCCヨコハマ創造都市センターのエントランスに出力紙を使った大型壁面作品を2年間展示したり、映像作品へも挑戦するなど、表現の幅を広げている。
森氏は、「絵画の長い歴史のなかでいま何が新しく、何がアクチュアルな実践なのか。そもそも絵画は人間社会の変化にこれまで寄り添ってきたように、今後も更新が可能なメディアなのか。絵画はその実質的な意義や意味を、問われ続けなければならない。今井作品を分析するなかで、情報環境によって変質していく私たちが置かれている世界の在り方を、私は作品から感じた。そのような世界の変質に伴って、私たち人間の主体も変容しており、主体という観点から今井のシステム的な制作手法にも言及されるべきだろう。けれども、こういった絵画の解釈の礎となる「語る私」もまた、同時に疑われるべき主体であるのだから、過去の美術作品、美術批評との連続性、切断を視野に入れつつも、常に新しい主体としての語り方が必要とされる時代であるはずだ。どのように作品について考えることができるのか、作家の実践とともに鑑賞者それぞれが作品を語り続けることに、絵画の継承の可能性が賭けられていると思う」と述べた。
スカートの揺らぎに美しさを実感した今井のリアリティーが描出され、伸びやかな原色のストライプの《untitled》となった。デザインの効用を生かし、他者の目を獲得した今井は、抽象と具象を行き交いながら洗練していく制作過程に、選択と偶然性を加味させ、無限に制作できる描画システムを独自に構築してきた。その作画方法を今井はオープンソースと言う。現代社会を反映した発光する《untitled》には、暗闇を見つめる今井の目も内在している。コンピュータグラフィックスや写真、デザインワークなど、既存の表現手段を採取・構成する今井の反独創性による創造作品《untitled》が、現代文明に生きる人間のイマジネーションを刺激し豊かにしていく。
4月15日~5月14日まで東京・新宿のハギワラプロジェクツで今井俊介3年ぶりの個展「float」が開催されている。
森啓輔(もり・けいすけ)
今井俊介(いまい・しゅんすけ)
デジタル画像のメタデータ
【画像製作レポート】
参考文献