アート・アーカイブ探求
作者不明《ショーヴェ洞窟壁画》──芸術の源流「小川 勝」
影山幸一(ア-トプランナー、デジタルアーカイブ研究)
2023年09月15日号
暗闇に浮かぶインスタレーション
絵画に導かれて15年間東奔西走し、「アート・アーカイブ探求」という本連載を毎月続けているが、いまになって「絵画」の起源はどこなのか、という素朴な疑問が湧いてきた。絵画とは何か、という絵画の定義にも関与する問題だが、ひとまず人類が描いた最古の絵といわれている《ショーヴェ洞窟壁画》を探求してみたい。
フランスの南部アルデシュ県ヴァロン=ポン=ダルク付近にあるショーヴェ洞窟
は、1994年12月18日に3人の洞窟探検愛好家によって発見され、代表者のジャン・マリー・ショーヴェ(1953-)にちなみ名付けられた。入口から最奥部まで400メートル、面積が約8,500平方メートルの大洞窟である。規模の大きさと描かれていた壁画の制作年が約32,000年前(後期旧石器時代[約36,000~12,000年前])ときわめて古いことから、2014年世界遺産に登録されている。フランスの西南部で1940年に発見された約20,000年前のラスコーや、スペイン北部で1879年に発見された約18,000年前のアルタミラと比べて10,000年以上も古い。また近年では、45,500年前のイノシシ壁画がインドネシアのリアン・テドング洞窟で発見され、66,000年前の人の手形がスペインのマルトラビエソ洞窟で、さらに75,000年前の刻線のあるオーカー片(鉄分を多く含む粘土の塊)などが南アフリカのブロンボス洞窟で発見された。しかし、現時点で最古の美術作品として多くの研究者に認められているのが、《ショーヴェ洞窟壁画》である。
ショーヴェ洞窟内の壁画には、425点の動物画を含む、総数1,000点を超す素描や絵が岩の壁面に描かれている。牛や馬、サイ、ライオン、マンモス、フクロウ、ハイエナのほか、絶滅した動物も含めて14種の生き物がいるが、なかでも4頭の馬が重なるように描かれているショーヴェの代表的な壁画に注目してみたい。馬の頭部を黒一色でリアルに再現しており、上から下へ行くほど小さく描かれ、時間の経過を感じさせる。馬の下には2頭のサイが激しく角をぶつけ合って、音が聞こえてきそうだ。原始的なプリミティヴ・アートというより、現代的な暗闇に浮かぶインスタレーションに思えてくる。絵画の原点とは何なのか。太古の人は何のために絵を描いたのだろうか。
洞窟壁画を40年以上にわたって、美術史学的な論点から調査研究を行なっている鳴門教育大学大学院特命教授の小川勝氏(以下、小川氏)に《ショーヴェ洞窟壁画》の見方を伺いたいと思った。世界各地の遺跡や洞窟を巡っている小川氏は、入洞が厳しく制限されているショーヴェ洞窟にも2020年に訪れ、3人の日本人研究者と共に壁画を実見している。また2023年6月にはショーヴェ洞窟の近くにある、本物の洞窟を最新の3D技術を駆使して巧みに復元したレプリカ施設「アルデッシュ=ショーヴェ洞窟2」の視察調査を実施した。その視察を終え、フランスから東京・羽田空港に着いたばかりの小川氏に、《ショーヴェ洞窟壁画》について話を伺うことができた。
先史岩面画研究
フランスからの長旅の疲れも見せずに、少し日焼けされた小川氏が楽しそうに話し始めてくれた。1956年京都市に生まれた小川氏は、禅僧の一休(1394-1481)らによって再興され、千利休(1522-91)や小堀遠州(1579-1647)らが山内に庵を結び、貴重な美術品を多く遺す壮大な臨済宗大本山、大徳寺の近くで育った。そんな京都の盆地から飛び出して、世界を巡る探検家に憧れていたという。読書好きで文字があれば何でも読み、高校生の頃に先史美術の研究をしていた美術史家、木村重信(1925-2017)の『美術の始源』(1971)などの本に出会い「こういう人もいるんやな」と、木村氏が教鞭を執っていた大阪大学を目指した。
画集でラスコーやアルタミラの壁画を見て圧倒されていた小川氏は、大学入学後にその実物を現地で実見し、表現力や完成度の高さに感動、芸術そのものだと実感したという。人類史に登場したホモ・サピエンスがもつ鋭い観察眼で野生動物が捉えられ、それらはまるで生きているかのような躍動感に満ちていた。「有史以前の人々は生きる糧を得るために、狩猟が非常に重要で、必ずしも食用としてだけではないが、つねに狩りの対象である動物のことが頭にあった」と、小川氏は述べている。
木村先生の教え子となった小川氏は、大阪大学大学院を修了し、1988年鳴門教育大学へ就職した。講師、助教授、教授を務め2022年に定年退職し、再任用されて現在に至っている。専門は、美術史、芸術学で、詳しく学術用語でいうと「先史岩面画研究」だという。先史とは、文字史料が現われる前の文字を用いていない時代を指し、岩面画とは「自然の岩の上に描いた絵。英語でRock Art(ロック・アート)。加工されていない自然の巨大な岩や岩壁、洞窟など、動かすことができない支持体に、人間が寄り添い少しだけ手を加えて、動物や人物の形を表わしたものだ。奈良の高松塚古墳やエジプトの壁画などは、壁面を人の手で整えた後に描かれているため『岩画面』には含まれない」と小川氏は述べた。
機能論・起源論
「美術とは何か」を考えるとき木村先生の教えが根底にあるという。「ひとつは、いま現在美術が何の役に立っているのか、という問いから『美術とは何か』の答えが出てくるかもしれない。これが機能論。もうひとつは、最初から美術があったわけではなく、あるとき、人間が美術というものをつくり、今日に至るまでずっと美術を使っている。美術の起源はいまから40,000年前くらいと考えられているが、40,000年前に何が起こったのか。その起源を問う起源論。美術とは何かを考えるために、美術は何の役に立っているのかという機能論と、何かが起こって美術が生まれたのかという起源論の二つの問題意識がある」と小川氏は述べ、小川氏自身は起源論の立場から研究を行なっているという。
「実物の岩面画を見て回ることに満足してしまうところがあるが、もっとも古い岩面画を考えることが、美術・芸術を考えることになる。もともとなかったものを、人間がなんでつくり出したのか、というところを考えたい。答えが見つかるわけではないけれど、『芸術とは何か』という問題を考えるひとつのきっかけとして、美術の起源について考える。私は答えを求めていない研究をしている」と小川氏は述べた。
実物の《ショーヴェ洞窟壁画》を見たときの印象を伺った。これまで日本国籍を有する人では、美術家の河原温(1932-2014)がショーヴェ発見直後の1996年に、リヨンの郊外にあるヴィルールバンヌ新美術館(現IAC Villeurbanne、1978年創設)で個展を行なった際に洞窟を訪れたようである。
「つなぎに着替え、ヘルメットをかぶって、狭く暗い入口を3メートルほど垂直に降りていく。時間が止まってしまったようで、理性を失ってくるが、洞窟に入るとはそういうこと。30,000年前の人たちと同じように、非日常の空間に入って別世界を体験するのは楽しい。調査のために設営された地面から浮かせたステンレス鋼の通路に沿って、2時間の制限内で調査する。動物1頭のサイズは1メートル前後が多く、リアルな実物大に見える。一番奥には二つの大きな壁画があるが、この馬の絵はその手前にあった。画集などでよく見ていた作品の実物を目の前にすると、五感の働きが冴えて、洞窟空間の暗さや静けさ、匂い、温度、湿度が先人の描いた壁画と一体化して感動を呼び起こした。洞窟から地上へ戻ってきたときは、浦島太郎状態だった」と小川氏は語る。
【ショーヴェ洞窟壁画の見方】
(1)タイトル
ショーヴェ洞窟壁画(しょーべどうくつへきが)。英題:Decorated Cave of Pont d'Arc, known as Grotte Chauvet-Pont d'Arc, Ardèche
(2)モチーフ
4頭の馬、3頭のサイ。
(3)制作年
約32,000年前。後期旧石器時代。
(4)画材
岩・木炭。岩に炭が定着しやすいように、木を焼いた木炭を粉末にし、カルシウムを豊富に含む洞窟の水を結合剤(メディウム)にして混ぜ、岩に描いた。
(5)サイズ
実物大。
(6)構図
動物の体躯を側面から捉えている。
(7)色彩
黒。黒は炭からつくり、ほかの壁面で用いられている黄、赤、茶は、黄土や赤土などに含まれる酸化鉄からつくる。白色は顔料を用いず、擦った後などの岩面の内側の色である。
(8)技法
窪みのある石の上に獣の脂を入れた石製ランプで洞窟内の約4平方メートルの平坦な岩の表面を照らす。岩の凹凸の影で浮かび上がった動物の輪郭線をなぞり迫真的に描写した。石で岩を削りシャープな線を引き、そこに黒色の炭を置いている。指に顔料(木炭)を付けて描いた。線の濃淡や微妙なぼかし、重ね描きによって生き生きとしたダイナミックな表現になっている。
(9)サイン
なし。
(10)鑑賞のポイント
1994年に発見されたフランス南部にあるショーヴェ洞窟壁画のなかで、この「馬パネル」は黒一色でありながら場面の構成と演出においてもっとも質が高く、壮観な壁画として有名である。アルデッシュ渓谷の最奥部に位置する景勝地ポン=ダルク(Pont d’Arc:弓橋)
の近くにあり、フランス南西部とスペイン北部カンタブリア地方の石灰岩地帯に見出されることから「フランコ・カンタブリア美術」とも呼ばれる。当初は狩猟の成功や多産を願った呪術的な絵と考えられたが、文字を用いなかった時代の壁画であるため、目的や意味などは謎のままである。文字を持たない人たちのコミュニケーションの場が暗闇の洞窟だったのかもしれない。しかし、洞窟壁画は美のためではなく、非日常的な特殊な場に、特別な目的をもって描かれた作品群であることは研究者共通の認識である。4頭の馬は馬の群れなのか、あるいは1頭の馬の連続した動きなのか議論があったが、馬を左から右へ見ていくと、左の馬は一定のペースで走り、続く2頭目は耳を後ろに向けた攻撃的な姿勢をとり、3頭目は耳を前に向けて眠って休んでいて、4頭目は小さなポニーのようで、あごを開いて鼻を鳴らしている。「馬パネル」の解釈は定まっていないが、1頭の馬の生長を表わしたとも考えられる。馬の下には1頭の小さなサイと、角を激しくぶつけ合う2頭のサイ。簡略表現の足先に対して、鋭い角の表現に描いた人の意志が伝わってくる。猿人、原人、旧人から新人(ホモ・サピエンス)へと進化し、約32,000年前のホモ・サピエンスが人類の芸術的才能を開花させた。輪郭線の発明
小川氏は、自然の岩面の形状と、人のつくり出す形象が一致する「統合」という概念で、洞窟壁画の研究を進めている。《ショーヴェ洞窟壁画》について「洞窟壁画は、真っ暗な空間の中にある自然の岩肌に直接描いたのが特徴だ。絵を描くときは、獣の脂を石の窪みに溜めてランプをつくる。ランプの炎で岩の凹凸に浮かび上がって見えた陰影が、動物の姿だったのではないかと思う。馬の絵は、そこに馬が見えたから、それをなぞったと考えている。ゼロから岩面に馬を描いたのではない。ランプに照らされた岩の影が、4頭の馬の造形をつくった。馬を群れとして見ている作者が、洞窟に入ったときに4頭の馬が見えてきて、そのままその形をなぞって描いた、というのが私の理論。壁に動物を見出した見立てだと思う。どうしてこの場所に馬を描くのか。なぜ重なっているのか。この理論から想像すると説明できる」と、小川氏は述べた。
また、2頭の向かい合うサイは、「右のサイが全身を収縮することで力を溜めて、左のサイを下から角でひっくり返そうとしており、左のサイはそれを前足で踏ん張って懸命にこらえている。緊迫した戦いを描き、またこれほどダイナミックな描写は洞窟壁画において見たことがなく、美術史のなかでも力のみなぎる闘争表現として高く評価できる。放射線炭素年代測定法(C14法)により、右のサイの顔料(木炭)から約32,000年前というデータが得られている」と小川氏。
さらに「馬とサイの線には迷いがなく、手で擦ったと思われるぼかしは、《ショーヴェ洞窟壁画》に特有な表現で、その魅力ともなっている。また線質やタッチが異なっていることから、複数の作者たちにより制作されていることがわかる。最善の表現技法は何なのか、先史時代の画家たちが、模索しながらいろいろな表現にチャレンジしている感じの多様性が見られる。輪郭線は、いまでもその習得に困難が伴うので、誰もがすぐに引けるものではないが、輪郭線が対象をもっとも上手く捉えることができると多くの人が考えた結果、絵画は輪郭線で表現するのが一番良いということになったのだろう。洞窟壁画のほとんどが輪郭線で描かれ、それは現在まで続いている。輪郭線が実際にはないものを可視化する。絵を描くということは、結局輪郭線という発明が必要だった。この《ショーヴェ洞窟壁画》がそのことを物語っている」と小川氏は言う。
芸術のビッグバン
芸術には、絵画・彫刻・岩面画という美術が含まれていると小川氏は言う。「絵画は、古代ギリシア(紀元前800~30)のプラトンの著作に板絵として登場するが、実物が残っていない。絵画とは、基本的に四角い平面であり、三次元の世界を二次元に落とし込む平面的な世界を指す。そのため全方位凹凸のある洞窟壁画は絵画には分類されず、《ショーヴェ洞窟壁画》も、絵画ではないが、絵画を含む芸術であるという認識である」。
考古学者の藤本強(1936-2010)は、「人類の歴史の99%以上は、利器に石器を使う石器時代である。人類史に占める石器時代の重要性は再認識されるべきであろう。単に時間が長かったというだけではない。この間に今日の私達の社会を作りだしているもっとも基本的なものがすべて準備されていたのである。石器時代をぬきにして、今日の社会はありえない」(『石器時代の世界』p.5)と記す。
18世紀ヨーロッパにおいて、美学という学問とともに、芸術という概念は誕生したとされるが、小川氏にとっての芸術とは、「コミュニティや社会のなかで、皆で共有するための表現である。現在のような独りよがりに思われそうな芸術観ができたのは、日本では明治以降のことで、ここ200年くらいのこと。例えば、江戸時代の喜多川歌麿(?-1806)、歌川広重(1797-1858)にしても個人の内面ではなく、皆が興味を持っている役者や風景などを描いていた。西洋でも同様で宗教画が多い。《ショーヴェ洞窟壁画》の動物画も当時の人がもっとも関心をもつものが描かれ、皆でそれを眺めていたという意味で、紛れもなく芸術。数ある洞窟壁画のなかで最古の《ショーヴェ洞窟壁画》こそ芸術の起源に違いないと確信している。芸術は稚拙なものから徐々に発展したのではなく、このときに突然生まれたと考えている。完成度の高いものが突発的に出現したのだ。研究者の間でもさまざまな意見があるが、『芸術のビッグバン』説が私の主張である」と語った。太古の人たちの発見と驚きの歓喜が、暗闇の《ショーヴェ洞窟壁画》から聞こえてきそうだ。
小川 勝(おがわ・まさる)
作者不明
デジタル画像のメタデータ
【画像製作レポート】
参考文献
2023年9月