アート・アーカイブ探求
熊谷守一《白猫》──抽象画に見える「池田良平」
影山幸一
2009年01月15日号
デジタル画像を読む
背景には、つやのない乾いた感じの黄色がかった茶色の絵具が一面に薄く塗られ、筆のタッチが横方向に見える。猫は、光沢のある白色の絵具を、筆のタッチが一定の方向にそろわないように、また輪郭線を消さないようにぬり絵に似た方法で厚く塗られている。絵画に対するまっすぐな意志を象徴するかのように、赤く太い輪郭線が、板に書かれた黒い線の上をなぞっている。線幅が不規則な輪郭線は、特にうしろ足の「くの字」部分と耳、鼻の直線が、そのほかのゆるやかな曲線とは対照的である。温かく満足気にうつ伏せに寝ている猫は、リアルに感じられるが、画面全体に占める白色と茶色の割合いや、赤い線の動きを考えて見ていると、よく計算されたデザイン構成にも思えてくる。かわいい猫という情感から離れ、科学的で理知的な感覚が芽生えてくる。ピエト・モンドリアン(1872~1944)の整然とした抽象画にも通じる線・形・色のバランス感覚を感じるが、絵から受ける体感温度はワシリー・カンディンスキー(1866~1944)の熱い抽象といった温かさだ。1880年生まれの熊谷が抽象絵画を学んだかどうかはわからないが、池田氏が指摘しているように《白猫》は具象画だが、抽象画にも見える。また、猫全体の形を文字として見ると「つ」と白色で書かれているようにも見える。猫の口元には見えないように絵具を削りサインを入れている。画面の淵は額縁を外した跡なのか、色がはげて板が所々見える。無背景に目をつぶる猫の絵柄は、しっかりとした存在感を印象づけながらも過不足なくシンプルで、禅的な空間である。
デジタル時代のクマガイモリカズ
日本近代絵画史の中で熊谷守一を位置づけることがようやく始まったかのようだ。熊谷は明治時代に黒田清輝(1866~1924)が導入した西洋近代絵画に学び、反発、日本近代絵画からも自由な人であった。熊谷に関する新資料が出てくるなど、熊谷の画力はこれからより明らかになっていくだろう、と池田氏。熊谷の1,300点を超す作品は、種類が多く、全国各地の美術館がそれぞれ保管しているうえ、コレクターが保有している場合もまだ多いだろう。日本画家か洋画家かという範疇ではくくることができない画家であった。今後、デジタル時代の熊谷の作品論や作家論が展開されるにちがいない。また評論にとどまらず、熊谷芸術を次の時代へつなぐための活動も活発化していくことを期待している。作品を見て、語り継ぐ環境作りが大事である。実物の作品にアクセスするのは限られてしまうが、熊谷作品を総覧できる画像データベースを構築して、クマガイモリカズの芸術を世界へ発信できるだろう。デジタルデータであれば集約可能だ。課題である著作権を乗り越えて、日本だけでなく全世界へ俗世を超越した熊谷作品を伝えていく価値がある。池田氏の熊谷研究はこれから益々忙しくなりそうだ。
【画像製作レポート】
熊谷守一作品の著作権を管理している豊島区立熊谷守一美術館の館長であり、次女でもある熊谷榧(かや)氏に《白猫》(木村定三コレクション)の画像掲載許諾書をFaxし、利用許諾を得る。その後作品を所蔵する愛知県美術館へ概要をFax・電話。当方の作成した写真借用申請書をDNPアートコミュニケーションズに送付し、要件を記入後、愛知県美術館へ郵送する。7日ほどして愛知県美術館から画像は広報として無料で提供された。4×5カラーポジフィルムを受け取り、Power
Macintosh OS9.2+Photoshop 7.0+EPSON GT-X700により、48bit・1200dpi・RGBでスキャニング。Eye-One
Display2(X-Rite)によってカラー調整した17インチ液晶ディスプレイで目視による色調整を行ない、Photoshop形式65.4MBに画像データを保存した。またセキュリティーを考慮して画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって拡大表示できるようにしている。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]
池田良平(いけだ・りょうへい)
学芸員。1966年1月山形県生まれ。1989年山形大学理学部生物学科卒業。1990年より現職。1991年「熊谷守一展 宇宙に遊ぶ童心」、1997年「没後20年 熊谷守一展」、2007年「没後30年 熊谷守一展 天与の色彩 究極のかたち」など多数の熊谷展企画を行なっている。
熊谷守一(くまがい・もりかず)
画家。1880~1977。岐阜県恵那郡(現・中津川市)生まれ。後に初代岐阜市長を務めた父・孫六郎の第7子。1898年東京・本郷にあった共立美術学館で日本画の基礎を学び、東京美術学校(東京芸術大学)西洋画科選科を1904年に首席で卒業。同級生の青木繁と交流。初期の作品に色彩は少ない。1908年頃終生の友となる作曲家、信時潔と出会う。翌年第3回文部省美術展に《蝋燭》を出品し褒状を受けるが、1910年実母の死を機に帰郷し、一時伐採した木を川流しで搬送する仕事をした。再び上京し1916年第3回二科展に《赤城の雪》などを出品、二科会員に推挙。1922年大江秀子24歳と結婚。5子を得るが3人の子を失う。1932年秀子の実家から得た資金をもとに、生涯の住居となる豊島区長崎町(千早町・「豊島区立熊谷守一美術館」)に家を建て転居。1936年第23回二科展《山形風景》などの頃から赤の輪郭線があらわれ、40年代より輪郭と平面による独自の油彩「守一様式」になる。1938年丸善名古屋支店で開催された「熊谷守一新毛筆画展」で熊谷芸術を支えた木村定三と出会う。1964年パリ、ダビッド・エ・ガルニエ画廊にて個展。その後日本各地で個展が開催。87歳の時文化勲章の内示を辞退。俗世の価値を超越した日本洋画の開拓者は享年97歳。
白猫デジタル画像のメタデータ
タイトル:白猫(木村定三コレクション)。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:熊谷守一, 1962年制作, 油彩・板, 縦24.1×横33.2cm。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:愛知県美術館。日付:2008.12.29。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 65.4MB。資源識別子:Kodak E100S 1902(JO-2002-041)。情報源:─。言語:─。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:熊谷榧, 愛知県美術館
参考文献
谷川徹三「熊谷さん追憶」『心』12月号, 第30巻・12号, p.96-p.98, 1977.12.1,
生成会
図録『熊谷守一展』1978, 日本経済新聞社・西武美術館
向井加寿枝『赤い線それは空間
思い出の熊谷守一』1996.5.8, 岐阜新聞社出版局
図録『没後20年 「熊谷守一」展』1997,
天童市美術館・足利市立美術館・浜松市美術館・飯田市美術博物館・読売新聞社・美術館連絡協議会
池田良平「熊谷守一研究の問題点」『研究紀要』第1号,
p.33-p.37, 1998.9, 天童市美術館
『熊谷守一油彩画全作品集』2004.3.12, 求龍堂
『熊谷守一の猫』2004.10.8,
求龍堂
『別冊太陽 気ままに絵のみち 熊谷守一』2005.7.20, 平凡社
図録『熊谷守一
木村定三コレクション』2004, 愛知県美術館
図録『没後30年 熊谷守一展 天与の色彩
究極のかたち』2007, 熊谷守一展実行委員会
図録『いのちのかたち 熊谷守一展』2008,
いのちのかたち熊谷守一展実行委員会
古谷利裕「Review Art〔日本近代絵画〕と熊谷守一」『群像』p.340-p.343,
2008.5.1, 講談社
高畑勲「連載〔一枚の絵〕から 熊谷守一〈宵月〉」『熱風』p.62-p.67,
2008.5, スタジオジブリ出版部
東野芳明「インタビュー“明治”1 熊谷守一」『美術手帖』p.92-p.98,
第60巻通巻916号, 2008.12.1, 美術出版社
2009年1月