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アート・アーカイブ探求

俵屋宗達《風神雷神図屏風》 鉢巻をした雷神に見る聖と俗の美──「佐藤康宏」

影山幸一

2009年04月01日号

琳派の祖ではない

 佐藤氏と同じ美術史家の仲町啓子氏によると、《風神雷神図屏風》は建仁寺のために制作されたのではなく、京都(鳴滝)・妙光寺のために描かれたそうだ。臨済宗建仁寺派の妙光寺は、弘安8(1285)年に法燈国師を開山に迎えた「京都十刹」の寺格を有する禅刹である。この妙光寺には宗達や同じような趣味、教養をもっていた上層町衆、また宮廷文化人の烏丸光広や、後水尾院などの公家たち一流の文化人が集まっていた。宗達は一緒に遊びながら《風神雷神図屏風》を作り上げたのではないだろうか、と佐藤氏は推測する。
 宗達は、江戸時代初期、寛永年間には法橋の位にあった。本人の書いた手紙や茶人との交流の記録が残されているそうだが、生没年がわからず、不明な点が多い。同時代には、時の権力者と結びついていた狩野探幽や山楽、山雪のほか、大名や公卿、豪商らを相手にやまと絵の伝統を担った土佐光則、風俗画の世界に異彩を放った岩佐又兵衛などがいた。宗達は、京都で絵屋という絵の仕事を手広く営みながら、一方ではお茶の席に参加したり、絵巻や南宋末の画僧・牧谿などの水墨画を見るなど、美術の研究に熱心な人であったそうだ。
 佐藤氏は《風神雷神図屏風》と水墨画の《蓮池水禽図(れんちすいきんず)》を見て、大胆で繊細な人間だったと宗達像を想像している。この《風神雷神図屏風》を尾形光琳、酒井抱一が伝承し、明治以降に宗達は琳派の祖といわれるようになった。しかし、佐藤氏は宗達を琳派の祖ではなく別格だと見ているのだ。

歌舞伎踊りの鉢巻

 美術史学者の故山根有三は、近代の日本画家によって取り組まれる画題となった風神雷神について、次のように述べているそうだ。「岡倉天心を中心とする日本美術院は、新しい日本の絵画の創造を目指して、過去の日本画の伝統を真剣に掘り起こした。……なかでも興味深いのは、今村紫紅、安田靫彦、前田青邨がいずれも“風神雷神図”を描いていることである」(玉蟲敏子「〔形態の伝承〕と伝説化をめぐる考察──〔琳派〕の諸作品を中心に」『講座日本美術史 第2巻 形態の伝承』より)。“風神雷神図”こそ日本の画の伝統を自覚させ、新しい創造へ駆りたてる源泉と山根は明言した。
 宗達の《風神雷神図屏風》は本来天上にいるべき神が間の抜けた顔で地上の神として描かれている。特に風変りに思えるのは、雷神が鉢巻をしめているところだと佐藤氏は強調する。当時、〈かぶき者〉と呼ばれた不良武士たちなどが通うセクシャルな遊び場として風呂屋が流行しており、そこで働く湯女や客のかぶき者が鉢巻をしていたらしい。宗達が歌舞伎踊の図柄から鉢巻を剽窃(ひょうせつ)し、雷神にかぶき者の格好をさせていると指摘したのも山根だそうだ。仏教図像として寺の装飾のために作られた《風神雷神図屏風》には俗な要素が取り込まれている、と佐藤氏は言う。

【風神雷神図屏風の見方】

(1)題名

宗達が題名をつけた記録はない。見たとおりの風神と雷神の絵として、誰かがつけたのだろう。

(2)形式

屏風は古くからあるスタンダードな形状だが、二曲(二枚折り)屏風一双は、宗達以前にはない珍しい形。二曲一双が宗達は得意だった。正方形が宗達の特徴である。

(3)モチーフ

京都・妙光寺のために描いた作品なので、仏教的主題が前提であろう。風神雷神は、本来自然現象を神格化した存在であり、農作物の豊穣をもたらす。宗達は、13世紀の「北野天神縁起絵巻」の清涼殿落雷に出てくる雷神を見たか、三十三間堂の千体千手観音像の家来である風神像・雷神像(湛慶作)を見て影響を受けたのではないだろうか。特に雷神が鉢巻をしめているというのは珍しい表現である(画像参照)。

《風神雷神図屏風》(部分)雷神の鉢巻
《風神雷神図屏風》(部分)雷神の鉢巻

(4)形の対応

風神の風袋の丸みと雷神の紐の流れの曲線。右隻、左隻ともに雲の流れの形が繰り返されている。雷神では太鼓の円形が繰り返されている。

(5)色

白、緑、朱が右隻と左隻に対応して、形と色の組み合わせの妙がある。雷神は通常赤が多いが、白で表わしたのは色彩対比として金地に映える白を選択したのではないだろうか。白と緑は見た目の美しさを優先させたのだろう。

(6)構図

目と目、へそとへそは、右隻と左隻ともに同じ高さの位置に配置されている(画像参照)。モチーフと空間とを対角線上に配置した構図は、中国南宋の絵画に似た構図があることから、そこに宗達はヒントを得たのではと発言している研究者もいる。結果的に何も描いていないが、中央を広く開けて空間が生まれている。

《風神雷神図屏風》目とへその位置、対角線
《風神雷神図屏風》目とへその位置、対角線

(7)画材

日本画の顔料、緑青、群青など鉱物系の岩絵具。白はおそらく胡粉。墨と銀泥で描かれた雲は、金箔の上に描かれているが、風神の袋の白色など絵具が剥落しており、二神は金箔の上に描いていない。

(8)線

ゆったりとした線である。大きな円弧もフリーハンドで描いている。髪の毛は1本1本描き分けている。

(9)技法

雲のもやもやっとした効果、銀泥と墨の“たらしこみ技法”(先の墨が乾かないうちに後から墨や顔料を加え、偶然性から予期しない形を生む表現方法)を使う。また金箔は、最初に金箔を押す方法と絵を描き終えてから押す方法の二通りがある。この作品は初めに直接屏風の素地に絵を描き、次に金箔を押し、その後雲のみを金箔の上に描いたのであろう。風神の袋の下地に金箔を押したような跡がないところからもわかる。

(10)制作年

不明だが、おそらく宗達が描いた作品のなかで比較して見ていくと晩年と思われる。晩年が誰しもいいわけではないが、この作品は優れた高みに達している。

(11)印章

落款、印章はない。しかし、確実に宗達が描いた京都・醍醐寺の《舞楽図屏風》や東京・静嘉堂文庫美術館の《源氏物語関屋澪標図(げんじものがたりせきやみおつくしず)屏風》と共通項が多く、ゆったりとした線など、絵の描き方に特徴があり、宗達が描いたことがわかる。宗達には、「法橋宗達」の落款と「伊年」の円印がある。

(12)国宝

優れた作品であり、世界的に見ても価値が高いという要件を兼ね備えている。また宗達の代表作であることなどから国宝に認定されたのだろう。この作品のほかに《蓮池水禽図》(京都国立博物館蔵)と《源氏物語関屋澪標図屏風》(静嘉堂文庫美術館)があり、3点が国宝に指定されている。

(13)鑑賞

2つの屏風を目の前に並べて鑑賞する。形と色の構成など古典絵画としてではなく、近代絵画を見るような、純粋に造形の面白さとして見ることもできる。

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