アート・アーカイブ探求
池田学《再生》──ペン画が編み出す自然と文明の神話「吉川利行」
影山幸一
2009年04月15日号
座礁したタンカー
ミヅマアートギャラリーにおける2006年の初個展で発表した大作《興亡史》が池田のデビュー作といわれるが、池田のエッセンスはすでに2001年の公募展で発表した《再生》に凝縮されているように思える。池田はこの公募展のことを友人から教えてもらった。大学時代の教官であった中島千波氏が審査員にいたことも応募を後押しした。
また、モチーフとなった船は、池田が静岡県の伊豆に行ったときタンカーが崖っぷちに座礁して波に洗われていて、その廃墟となった船の姿がもとと言う。大賞受賞時に池田は「人類の知恵により建造された船舶。今では水中深く沈み、ゆるやかに珊瑚や海藻に覆われて、魚たちが生活を営む豊かな島になりつつある。人間が力を持って逆らっても、自然は長い時間をかけてそれをもとの状態に戻してゆく。やがてこの船も自然の大きな力によってゆっくり飲み込まれ、やがて再生することになるだろう」と、船を人工物の象徴として扱いながら、朽ちた船は再生力を宿し、希望があることを予感させる。
池田はマンガ家が使用しているペンを以前から使っていたそうだ。特に1998年の卒業制作の相談に小さなサイズのペン画を持って中島氏を訪ねた時、ペン画を大きく伸ばせばいいんじゃないのと言われ決心が着いたと言う。
平坦なテーブルの上に紙を寝かせてから、ペンにインクを溜めて描く。紙を壁に立て掛けて描くとインクが紙に浸み込まずに描けないそうだ。椅子に座り、手が届く範囲でサイズが決まってくる。また紙のロール幅が130cmもないので、大きいサイズの絵は分割して描くことになると言う。《再生》がパネル2枚でできているのは制作上の都合からきていた。
池田は、退色しにくく、彩度の高い鮮やかな発色のアクリル顔料系インク「ドクターマーチン」を混ぜて色を作り、ペン1本でも筆圧によって、細くも太くも描き分けることができるZEBRAの丸ペンを使っている。紙はフランス製の厚めのアルシュ。その紙をパネルに張り、下絵を描かず人物は白抜きにして部分から描いていき、アドリブでどんどん増殖させていく。最初に想定していた船が戦艦になっていくことは描き始めの池田も知らない。毎日修行僧のように7、8時間線を描き続ける。考えているとき以外は音楽を聞いても、会話しながらでも絵は描くことができるそうだ。
「《再生》に関しては、公募の締め切りやテーマに沿って、初めから船を描こうと決めていた。正面から見た船に珊瑚がくっついている という設定、骨組みがわりとしっかりしていたため、ひたすら珊瑚を描いていくといった内容で、大きいサイズにしては半年間と早く仕上がった」と、通常1作品を1年から2年間かけて制作する池田にしては短い制作時間である。
混沌に生まれる秩序
自然を基底とする池田は、優れた技巧と豊かな発想の証しをペン先に伝える。コンセプチャルなアートから距離を置き、素直な気持ちと日々鍛えられる線画の技術を伴い、市民へ開かれ語られ人々に記憶されていく。また池田の作品は鑑賞者に向けて一方的に表現された絵画ではなく、鑑賞者と絵画が双方で成り立つ水墨画のような東洋的な絵画である。体験を通した個々の記憶が、時を経て共有化され神話となってゆくだろう。今後の池田の持続力と、作品の展示空間マネジメントが気になるが、飄々とした池田はマイペースで軽やかに乗り切っていくに違いない。
「神は細部に宿る」というが細部の細部を凝視して線の1本1本を目で追って見ると、池田が教えてくれたように、意外にも正確精密に描いていないことが確認できる。圧倒的な数の線は緻密だが機械ではない人間の描いたゆらぎが見て取れ、心が癒される思いがする。時代の速度が速くなっている現代、池田の細い線がスローに生きていくためのリズムを刻む。
ダブルイメージに変化するモチーフや、一見すると互いに矛盾したり、対立したりする部分が思いがけぬ結合によって作品が成立している。多種多様なものごとを統合して未来へ進む船となった《再生》は、一瞬神の目を想像でき、混沌とした世界に生まれる秩序とは一体何かを考えさせる間口の広い作品だ。ここではイラストか絵画かはすでに問題ではなく、原物を前に全体と細部を往復して鑑賞し、それぞれに何かを感じればよいだろう。正方形の中にそびえ立つ戦艦の一部にフォーカスすると、“水の妖精”や“魚群”などがアイキャッチャーとなって物語が始まる。戦艦の右上には小さく「学」のサイン(画像参照)が入っているが、細部の探索にはデジタル画像が役立つ。
浜松市美術館のカラーポジフィルムがブローニーだったが、写真家撮影による4×5サイズであれば、もう少し細部が鮮明に見えたかもしれない。全国美術館のデジタル画像のデータ基準がない現状が惜しまれるが、それを改善していくため、あるいは作品を支援するためにも、作品のデジタル画像は約2,000万画素(4,000×5,000画素、約60MB), RGB, 8bit, TIFF形式以上のスペックで保存しておくことがおすすめだ。美術館が所有する作品の写真や画像データを、メタデータを付与した有用なデータとして作成しておけば、データの根拠が示され真正性が認められて、作品自体の価値の根拠を記録しておけるだろう。
ブリコラージュ
哲学者・文芸評論家の宇波彰は1976年の『美術手帳』で次のように述べている。「ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリが提出した“根茎”のイメージは、われわれにとって示唆的なものを含んでいる。根茎は樹木とは異なり、秩序を持つものではなく、一本の幹から枝葉が派生して行くという構造を持つものではない。根茎は部分を全体よりも優先させ、つぎはぎ細工的であり、異質なものと意外なところで結び付くものであり、ブリコラージュ(bricolage)の概念と共通するものを持っている」。ものを寄せ集めて器用に自分で新しいものを作ることを指すブリコラージュは、フランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースが著書 『野生の思考』(1962)のなかで使ったフランス語。ブリコラージュする創造性と機智に富んだ人物をブリコルール(bricoleur)と呼んでいるが、まさに池田学だ。
家康の天下統一の足がかりとなった浜松城は出世城と呼ぶそうだ。吉川氏がいう通り、見ているだけで楽しく、みんなで会話ができるのが《再生》の魅力である。池田は大学院を卒業後すぐに浜松市美術館で大賞を受賞し、その後も人の関心を惹きつけている今注目のアーティストである。細密画によってコンセプチャルアートの次の扉が開き始めている。
【画像製作レポート】
吉川利行(よしかわ・としゆき)
池田学(いけだ・まなぶ)
デジタル画像のメタデータ
参考文献