アート・アーカイブ探求
狩野永徳《上杉本洛中洛外図屏風》 金雲に輝く名画の謎を読む──「黒田日出男」
影山幸一
2009年07月15日号
文化情報の宝庫
上杉本は、絵に文字が書かれており、すでに絵を読むための“名付け”の名札があると見ることができる。名所などに付けられたそれらの名札を数えてみると右隻が127、左隻が108の合計で235ヶ所。とりわけ右隻の左側(第6扇)、内裏(天皇の住居としての御殿)に名札が多く、ここに制作者の注意が集中していることがわかる。
洛中洛外図は、制作された時代ごとに特徴があり、時の権力者の城郭から庶民の町並み、農村の光景、寺社仏閣などの建築、年中行事や祭り、人々の日常の暮らしぶりが、四季を織り交ぜて表情豊かに描かれており、特に上杉本は思わず顔を近づけて見入ってしまう文化情報の宝庫のような作品である。日本の絵画は、西洋の古典絵画にみられるイコノグラフィー(図像学)に類する約束事(Code)は極めて少なく、時代の趣味趣向が、作品によく反映されるという日本の絵画の特徴を黒田氏は指摘する。「だから歴史史料として絵が使えるのです」と。
【上杉本洛中洛外図屏風の見方】
(1)制作時期
1564〜5年頃(永禄7〜8)
(2)制作者
狩野源四郎(永徳)
(3)絵の注文主
足利義輝(室町幕府第13代将軍)
(4)サイズ
縦160.6×横364.0cm(右隻・左隻とも)、六曲一双
(5)画材
紙本金地著色。群青・緑青・朱・丹・代赭(たいしゃ)・黄土・胡粉など、東洋の絵画に用いられる顔料の岩絵具(粒子を小さくすれば明るく、大きい粒子であれば濃い色が表現できる)。基底材は和紙。にじみを止めるために膠(にかわ)と明礬(みょうばん)を水に溶かした礬水(どうさ)を和紙に塗って使っていると思う。金地の上にもおそらく礬水を塗ってから人物などを描いている。
(6)技法
きちっとした線遠近法ではなく、曖昧な技法だが、実に魅力的な技法。前景(下部)は比較的大きく、後景(上部)は比較的小さくという程度の遠近法。遠くに行けば小さくなることを意識して描いている。
(7)構図
重要なものを大きく描くか、真ん中に描く。都市の構造を縦と横の線で正確に描くことはしない。京の都市構造が碁盤の目であることを鑑賞者が了解のもとで絵師は描いており、絵を見る者は正確な位置ではないが建築などから全体の関係などを読むことができる。右隻の内裏の正月節句会と、左隻の公方邸の正月年始祝いが“対”となる構図となっている。
(8)建築
都市景観を上空から見下ろしている上杉本の家の描き方は、順勝手(右上から左下)と逆勝手(左上から右下)、それらが混在している意味で両方がオープンの両勝手という描き方がある。その家の向きによって約束事(Code)のある記号論的読み方が可能となる。絵巻物や挿絵はこの約束事がわかるとほぼ読める。雲からにょきっと出ている尖がった屋根は上杉本の特徴である。
(9)行列
左隻の第4扇前景(右から4番目の下部)、大きく描かれた公方(足利将軍)邸へ向かう武家の大行列が目を引く。人の動きや描き方を見ると、この絵の注文主との関わりなどが推測できる。年始の挨拶に公方邸にやってきたのは誰か、輿に乗っている貴人は管領クラスの人物で、若かりし日の上杉謙信の確立が高い。政治的意味を含んだ部分の緊張した表現が、黄金に輝く金屏風として機能するところに魅力があり、重要な見所である。
(10)雲
雲は、絵のゆがみをさりげなく吸収して納める効果がある。屏風全体に扇面にも描かれる点景を配置し、表現したい点景を大きくしたり、小さくしたりするが、雲が点景を操作しているともいえる。また、雲で隠すというのは絵巻以来の伝統的な技法であり、余白と対極にある遠近・高低・奥行き表現の手段や技法として機能する。雲によって物語の時空間が閉じ込められ、現実空間と物語の時空間を遮断し、分節させる作用がある。さらに雲は乗り物性があり、天人や鬼など異人の乗り物として異界や聖なる世界と俗世界の人々とを関連づけたり、断絶したりする。雲はこの時代の日本人にとって自然なフレームであり、当時の絵の描き手と鑑賞者には、雲があることで理解しやすかった。重要でコンベンショナル(因習的)な約束事(Code)である。
(11)金色
最も古い洛中洛外図の町田本は、金を感じさせない。金雲はやまと絵の手法の一つで、金地・金雲を使った洛中洛外図ではこの上杉本が一番古い。全体金ピカの世界なのだが、雲と地の接点は胡粉を朱で着色し盛り上げて微妙に変えている。微妙に表現上の違いがある。2007年12月、日本学術振興会の科学研究費基盤研究S「中近世風俗画の高精細デジタル画像化と絵画史料学的研究」の8×10判カラーポジフィルムによる撮影時に、黒田氏は熟覧したが、金箔特有の四角い筋の連なりは見出せなかった。この金が金箔でないとすれば、金泥(金の粉末を膠でとき、顔料としたもの)ではないかと推測する。金雲の表現の前提として、15世紀の後半あたりから非常に繊細で装飾的な金と銀の使い方をした絵がたくさん作られていた。装飾的効果がある金に対する日本人の愛好、嗜好の流れが見てとれる。
(12)人数
画中の人数は、2,479人。貴賊老若男女が表情豊かに活写されている。
(13)女性の前垂れ
1550年代制作のこの絵では、女性の前垂れは膝上だけの前垂れになっている。前の時代に使われていた腰を一周巻く腰巻風前垂れではない。
(14)季節
松が正月で冬を表わすなど、植物が季節を表わしている。左隻の第2扇から第5扇の初春の光景から、右隻の第5扇と第6扇の正月風景へと連なる。洛中洛外図屏風というのは、右隻に春と夏、左隻に秋と冬を描く季節の約束事があるが、上杉本の四季表現は混乱・逸脱している。
(15)誰がいつ、どのような目的で、謙信へこの屏風を贈ったのか
織田信長が、1574(天正2)年3月に「しばし」という目的で上杉謙信へ贈った。戦略的にしばし謙信を敵にしないという意味が込められている。
(16)右隻・左隻
右隻は下京を取材し、鴨川と東山周辺を西側から描いている。御所を左端にして、東山の名所と祇園祭りが見所。左隻は上京を取材し、西山方面を東方から俯瞰して、公方邸や相国寺、細川邸、松永邸など、公武の屋敷と市中の家並み、嵯峨野・鞍馬などを描いている。正確な配置(並べ方)はわからない。
(17)落款
右隻の左下と、左隻の右下に永徳の朱文円郭つぼ形印である「州信(くにのぶ)」の名が捺されている。