縄文の朱色
吉原は子ども心にきれいと思ったことが二つあると書き残している。一つは三歳半の頃家族で天橋立を見物に行ったとき、お寺の女の人からもらった「サルほおずき」の種。漆黒と鮮紅のねっとりした種をきれいと感じた。もう一つは、家にあったアンズの木の花が満開のときに、ひらひらと降ってきたぼたん雪。心に刻まれた白、黒、赤は円に使われる色である。
《黒地に赤い円》の画像を拡大して見ると、赤と黒の絵具は艶がなく平坦に塗られ、筆跡よりも絵具の塗り重ねによる色彩の濃淡が目立つ。オレンジ系の発色のよい人工的な赤色もグレー系の炭のような黒色も単色ではなく、混色して画面にニュアンスを与えている。ところどころに絵具の滴りが見られ、画面に動きが感じられる。この赤色は縄文時代に多く出土している朱色に塗られた土器の色に通じるものがありそうだ。縄文の赤は、ベンガラか水銀朱が顔料とされ、命や再生を意味する色として使われたそうだ。最も気になる赤と黒の境界線は、赤と黒に明確に描き分けられ、赤色が濃く少し盛り上がって見える。キャンバスには木の外枠が取り付けられており、円のエッジと同じ幅のその額縁が遠近感をもたらす。実物は縦が181.5cmなので、赤い円の中に人間がすっぽりと入ってしまうのだ。
芦屋の力
芦屋という地域に根差した作家・吉原の残したものは、芦屋市立美術博物館を中心に、創造と継承の吉原のミームとなって、今もその土地の力に育まれ息づいている。《黒地に赤い円》を見ていると、画家の仕事は絵を描くだけではないと聞こえてきた。この《黒地に赤い円》は、吉原が亡くなったとき、自宅のガレージに保管されていたそうだ。当時吉原の作品はあまり売れていなかったらしく、作品はガレージにぎっしりと入っていた、と乾氏は言う。美術評論家で全国美術館会議会長を務めた土方定一(1904-1980)が中心となって、その作品のいくつかが美術館に収蔵されていった。また現在進行中の、大阪市立近代美術館(仮称)の建設準備室では、未公開作品も含め吉原の作品を700点以上収集しており、吉原治良研究がさらに進展することが期待されている。
主な日本の画家年表
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【画像製作レポート】
吉原治良の作品は当初、東京国立近代美術館収蔵の《黒地に白》を予定していた。東近美に電話をした。著作権者から許諾を得たのち、許諾書と申請書を提出、その後審査、結果が出るまでに10日ほど時間がかかるという。著作権者の連絡先を教えてもらう。著作権者へ手紙を書いているうちに、作家の地元にも作家の思いの詰まった作品があるのではないかと思いつき、そして赤い円が他の作品にも増して力強く印象的だったことから、兵庫県立美術館が収蔵する《黒地に赤い円》を取りあげることにした。
著作権者のご遺族から電話をいただき了承を得、改めて「Webサイト記載証明書」を作成し、署名・押印していただいた。そこにはノートリミング及びコピーライト料を日本美術家連盟経由で支払うよう特記されていた。また日本美術家連盟へは著作権者への依頼文とその許諾書、簡潔な企画書をFaxし、日本美術家連盟の規定により、著作権料6,000円(1年間)を支払う。作品の画像は1年後に削除、または再度著作権料を支払い掲載期間を延長することになる。
次に、作品を収蔵している兵庫県立美術館へ「兵庫県立美術館所蔵作品の図版掲載について(依頼)」を書き、併せて「Webサイト記載証明書」のコピーと今回の企画書を同封して郵送。兵庫県立美術館の画像使用料は、営利目的でないとの判断により無料となり、約1週間後、兵庫県立美術館からCD-R(TIFF画像/約57MB)が郵送されてきた。
それをiMac21インチ液晶ディスプレイを用いて、図録を参照に目視によりカラー調整等を行なう。Photoshop形式・33.7MBに画像データを保存。セキュリティーを考慮して、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって拡大表示できるようにしている。
乾 由明(いぬい・よしあき)
美術評論家。兵庫陶芸美術館館長。1927年8月26日大阪府生まれ。1951年京都大学文学部西洋近代美術史卒業、同大学院美学美術史専攻修了、京都大学助手、1963年京都国立近代美術館学芸員、1970年京都大学教授、1993年金沢美術工芸大学学長、1999年兵庫陶芸美術館準備室、2005年より現職。京都大学名誉教授。金沢美術工芸大学名誉教授。平成6年兵庫県文化賞受賞。主な編著書に、『抽象絵画』(1965, 保育社)、『カンヴァス日本の名画20巻 須田国太郎』(1979, 中央公論社)、『巨匠の名画〈2〉ルノワール』(1976, 学習研究社)、『近代の美術5 浅井忠』(1971, 至文堂)、『眼の論理』(1991, 講談社)など。
吉原治良(よしはら・じろう)
画家。1905〜1972。大阪市生まれ(登録では1月1日生まれであるが、実際には前年の12月28日であることを、吉原自身が後年記している)。植物油問屋を営む父定次郎と母アイの次男。1926年頃兵庫県武庫郡(現芦屋市)に移住。1928年関西学院高等商業学部卒業後、研究科退学、同年吉原定次郎商店(後の吉原製油)入社、後に社長。1934年に二科展に初出品、39年第1回九室会展に出品、48年芦屋市美術協会を創立し代表、52年現代美術懇談会発足に参加、54年に具体美術協会を結成し主宰、62年大阪中之島に展示館「グタイピナコテカ」を開設。69年日本万国博覧会展示委員に就任。主な受賞に51年大阪府芸術賞、63年兵庫県文化賞、67年《白い円》が第9回日本国際美術展国内大賞、71年《White Circle on Black》《Black Circle on White》が第2回インド・トリエンナーレでゴールドメダル、72年従五位勲四等旭日小綬賞など。
デジタル画像のメタデータ
タイトル:黒地に赤い円。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:吉原治良, 1965年制作, 縦181.5×横227.0cm, アクリル・キャンバス。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:兵庫県立美術館。日付:2009.8.8。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 33.7MB。資源識別子:CD-R(TIFF画像/約57MB)。情報源:兵庫県立美術館。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:吉原治良遺族, 兵庫県立美術館, 日本美術家連盟
参考文献
乾 由明「アトリエ訪問 吉原治良」『美術手帖』No.263, p.74-p.79, 1967.6.1, 美術出版社
乾 由明『カラーブックス 83 抽象絵画─鑑賞の手引─』1965.9.1, 保育社
東野芳明「吉原治良の四十年」『吉原治良展』パンフレット1967, 東京画廊
吉原治良「きれいに思ったこと」『わが心の自叙伝(3)』1969, 5.10, のじぎく文庫
図録『吉原治良 吉原治良展─明日を創った人』1973.4.20, 吉原治良展委員会
『みづゑ』No.819, 1973, 6, 美術出版社
ウンブロ・アポロニオ著, 乾由明訳『現代の絵画18 モンドリアンと抽象絵画』1976.9.18, 平凡社
高橋 亨「[特集]吉原治良──絵画の行方 かたちといのちの力学」『美術手帖』p.94-p.117.Vol.31, No.446, 1979.3.1, 美術出版社
東野芳明「[特集]1960年代──現代美術の転換期I 烏鷺覚六十年代」『現代の眼』No.325, 1981.12.1, 東京国立近代美術館
乾 由明「吉原治良の絵画」『東洋的抽象の極北 吉原治良』1985, 西武百貨店
岡田隆彦監修『東洋的抽象の極北 吉原治良・1970年前後』1985, 西武百貨店
乾 由明「吉原治良の芸術」『眼の論理 現代美術の地平から』p.231-p.251, 1991, 3.14, 講談社
バルバラ・ベルトッツィ「[特集]吉原治良/変革する自己 継承される先駆性 海外における〔具体〕の受容」『BT:美術手帖』p.83-p.94.Vol.44, No.660, 1992.10.1, 美術出版社
『具体資料集──ドキュメント具体1954-1972』1993, 芦屋市立美術博物館
熊田 司「画家・吉原治良の発見─永遠、あるいは海と日輪─」『大阪市立近代美術館(仮称)コレクション展’98発見!吉原治良の世界』p.6-p.10, 1998, 「吉原治良の世界」展実行委員会
山本敦夫「〔具体〕になれなかった〔具体〕連載第3回 乾美地子」『なりひら』Number37, 1999, 12.31, 芦屋市立美術博物館
『美育──創造と継承』2000, 芦屋市立美術博物館
『吉原治良研究論集』2002.9.27, 吉原治良研究会
馬場暁子『吉原治良の画業 戦後の活動を中心に』名古屋芸術大学大学院美術研究科修士論文2002年度修了制作作品集/別冊, 2003.2.25, 名古屋芸術大学
平井章一「〔人のまねするな!〕〔これまでにないものをつくれ!〕By吉原治良」『HART』芸術の館情報09, 2003.12, 兵庫県立美術館
熊田 司, 拝戸雅彦, 大谷省吾, 和田浩一, 高柳有紀子, 松本 透, 森 美樹, 図録『生誕100年記念 吉原治良展』2005, 朝日新聞社
松本 透「〔生誕100年 吉原治良展〕によせて 吉原治良の円環」『現代の眼』No.557, p.14, 2006.4.1, 東京国立近代美術館
平井章一「[特集]吉原治良〔近代画〕としての円」『現代の眼』No.558, p.2-p.3, 2006.6.1, 東京国立近代美術館
大谷省吾「[特集]吉原治良 吉原治良の新発見作品《朝顔と土蔵》と鈴木三郎」『現代の眼』No.558, p.4-p.5, 2006.6.1, 東京国立近代美術館
2009年8月