2020年09月15日号
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アート・アーカイブ探求

萬鉄五郎《裸体美人》──縄文的斜めの前衛「千葉瑞夫」

影山幸一

2010年04月15日号

 

岩手に集結

 八木氏は岩手国体が終わったあと、萬の水墨画やデッサン類約300点を自宅の中で発見した。そして「作品は生まれ育った地に展示する方がいい」と、手元に残っていた作品と合わせ、すべて岩手県に破格の金額で売ることを決意する。さらにその八木コレクションを見た萬の遺族も1974年「風土の中でこそ作品は生かされるものだ」と、作品と資料約1,300点を岩手県へ譲ることになった。それらは岩手県立博物館を経て、現在は岩手県立美術館に1,672点が保存されている。
 当時の東和町には美術館を設立するゆとりや計画もなく、作品を購入する資金もなかった。しかし、その後土沢の人たちが、萬の顕彰を地元の自分たちでやろうという運動が起こり、「鉄人会」というグループが出来る。集めた資金を役場へ持って行き、それを元手に萬の記念館をつくろうということになったのだ。そして1984年、萬がこよなく愛した舘山に「萬鉄五郎記念館」が開館した。
 千葉氏が1991年に館長として着任して、少しずつ作品や資料を集め、萬鉄五郎に絞るなら現在430点余りの資料となっている。油彩のタブローは40点ほどだが、水墨画・素描・ノート・書簡・写真や遺品など、美術館コレクションの形態が出来上がった。日本の近代美術史を切り開き、萬の才能を早期から見出していた美術評論家で神奈川県立近代美術館館長であった土方定一(1904〜1980)氏との親交が千葉氏を支えていた。
 千葉氏が萬を“鉄五郎”と親しみを持って呼ぶ呼び方に千葉氏の愛情と強い信念が表われていた。萬と《裸体美人》について地元の仲間を紹介するように語って頂いた。今後千葉氏は美術館のリニューアルを構想し、ミュージアムとアーカイブズ(文書館)をあわせた機能を持つ施設として、萬に関する地域の文化財も収集対象の視野に入れた「萬鉄五郎アーカイブ」の構築を予定していると語った。それは土沢という地域のアーカイブでもあるが、それには人材の育成と確保が課題だ。全データのデジタルアーカイブを進めている平澤広学芸員への期待は大きい。

縄文の資質

 萬が生まれた1885年(明治18)の岩手には、石川啄木(戸籍では明治19年だが家族の話では明治18年10月20日)や、柳田国男の『遠野物語』の生みの親ともいえる佐々木喜善、そして11年後に宮沢賢治が生まれている。彼らは、雅、侘、寂、粋といった日本の伝統的な美意識とは違う、特異な美意識を育てている、と千葉氏は言った。
 萬は郷里土沢にある風土や伝統を自分の中にだいじに持ち続け、それを誇りにしていたのではないか、と千葉氏は思っており、萬に縄文人の資質を感じている。7,000カ所にも及ぶ岩手県の縄文遺跡に見られる縄文文化の風土、岩手には荒削りでバイタリティのある縄文文化が定着していた。萬を「縄文人としての資質を最後まで失わなかった人」と、千葉氏は次のように述べている。「“みちのく”の人は、自分たち独自のもの、中央に負けないものをつねに打ち出し、辺境にあっても自分たちは中心にいるという認識でやっている。萬の中にもそれがあったのだろう。萬はどこにいても萬。いろんな技法、画材、素材をテストして進んで行ったけれども、自分の描きたいものを描きたいように描いた。萬の絵は見ればすぐ萬だとわかる」。土偶の顔や身体の一部が強調、省略される造形上の特徴は《裸体美人》に通じるものがありそうだ。

ヘイゲイ

 《裸体美人》を部分的に見ると、大きな草と小さな草、縦の木と横向きの木、雪山と裸の女性、ヌードは挑発的だがエロティックではない、「裸体美人」というタイトルだが鼻の穴やわき毛を目立つよう不格好に描くなど、相反するものが複雑に構成されている。また、萬はゴーギャンの名作《我々はどこからきたのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》(1897-98)の中心に配置された全身と弧を描く背景の構図に学んだ可能性はないだろうか。
 《裸体美人》は、明治時代に紹介された西洋の近代美術を採り入れながら、故郷土沢の自然と風土を作品に反映させた実験的な試みが見られる。それは西洋の理想化された人体からほど遠いエロティシズムを欠いた硬くアンバランスなヌードだが、平面化、単純化された表現は、土着的で情熱的な強度を持って日本の近代美術に一石を投じた。萬の作品は1986年6月ベネチアで開催された「イタリア未来派と諸外国の未来派展」や、同年12月パリのポンピドゥー・センターでの「前衛の日本展」に出品され、特に「前衛の日本展」では《裸体美人》が最初に展示され、日本にも欧米と匹敵する前衛があると評判だったようだ。
 萬は《裸体美人》について「これはゴッホやマチスの感化のあるもので半裸の女が赤い布を巻いて鮮緑の草原に寝ころんでヘイゲイしている図」(『鉄人画論』より)と書いている。実際に睥睨(へいげい)していたのは、日本洋画のアカデミズムに対する萬自身だったであろう。この絵には萬27歳の決心による、希望に満ちた反骨のエネルギーが宿っている。


主な日本の画家年表
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【画像製作レポート】

 《裸体美人》は、東京国立近代美術館が所蔵。電話で美術館に写真借用の旨を伝えると、「特別観覧許可願と手続き等の諸注意」が4枚すぐにFaxされてきた。この内の1枚「特別観覧許可願」に写真借用に関する必要事項を記入・押印し、企画書を添えて美術館へ郵送。毎週木曜日が締切りで、その決裁は1週間後。書類に不備などがあればやり直しとなる。今回は無事に決裁が下り、申請から1週間後に「特別観覧許可のお知らせ」の通知をFaxでいただいた。電話で受け取り時刻を打ち合わせ、申請者本人が美術館に行く。通用口でバッジをもらい、4階の普及係で「特別観覧許可書」を受け取り、作品の4×5カラーポジフィルム1枚の代金5,250円を支払う。その後普及係の人に案内され、3階の美術課まで下り、「特別観覧許可書」を提示。ポジフィルム(グレースケールはなくカラーガイドのみ)を確認し、受取書に名前と電話番号を書いて終了。ポジフィルムの貸出し期間は2週間。返却は書留郵便か持参。
 フィルムのスキャニングはプロラボへ。300dpi・10MB・TIFF、1枚1,050円。iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、モニター表示のカラーガイドと作品の画像に写っているカラーガイドを目安に、目視により色を合わせ、額縁に合わせて切り抜く。モニター表示のカラーガイド(Kodak Color Separation Guide and Gray Scale Q-13)は事前にスキャニング(brother MyMiO MFC-620CLN, 8bit, 600dpi)。画像データは10.1MB・Photoshop形式に保存。ポジフィルムが新しいためか画像の発色がよかった。
 セキュリティーを考慮して、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。




千葉瑞夫(ちば・みずお)

萬鉄五郎記念美術館館長。盛岡市文化振興事業団アドバイザー。1931年仙台市生まれ。1954年岩手日報社入社、編集委員、久慈支局長、一関支社長など経て1991年退社、その後現職。わらべ歌の研究家としても知られ、1995年には武田忠一郎賞を受賞。主な編著書:『岩手のわらべ歌 日本わらべ歌全集2下』(1985, 柳原書店)、『愛と先見の人 煙山専太郎』(1985, 岩手日報社)、『鉄人アヴァンギャルド──萬鉄五郎』(1997, 二玄社)、『いわて美術散歩──萬鉄五郎・松本竣介・橋本八百二・深沢紅子』(1998, 川口印刷工業)など。

萬鉄五郎(よろず・てつごろう)

洋画家。1885〜1927。岩手県土沢に、父八十次郎、母ナカの長男として、農海産物問屋「八丁」を営む大地主の家系に生れた。1903年(明治36)、上京して神田中学校3年に編入学、郁文館を経て、早稲田中学(現早稲田高等学校)に編入学。伯母タダの勧めで臨済宗の禅道場に参禅、安名は「雲樵居士」。05年頃から白馬会第二洋画研究所に通い始める。翌年、中学校を卒業すると北米布教活動に参加し、米国で美術学校入学を計画するがかなわず帰国。07年、東京美術学校(現東京藝術大学)西洋画科に入学、アブサント展参加、卒業制作の《裸体美人》は日本画教室に陳列された。ヒュウザン会(後にフュウザン会)に参加。14年から郷里土沢でキュビスムを探求。16年に再び上京して二科展、院展に出品。神経衰弱と肺結核療養のため19年神奈川県茅ヶ崎に転居。21年頃から南画に傾倒した。春陽会に参加、円鳥会を結成。代表作は《裸体美人》《もたれて立つ人》《日傘の裸婦》《木の間から見下ろした町》など。

デジタル画像のメタデータ

タイトル:裸体美人。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:萬鉄五郎, 1912年制作, 162.0×97.0cm, キャンバス・油彩, 重要文化財。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:東京国立近代美術館/(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:2010.4.10。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 24.3MB。資源識別子:4×5カラーポジフィルム, Kodak EPY7871(4148b, OI-3, 撮影:上野則宏) 。情報源:東京国立近代美術館。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:東京国立近代美術館

参考文献

『萬鉄五郎画集』1931.4.30, 平凡社
萬鐵五郎『鉄人画論』1968.3.20, 中央公論美術出版
図録『萬鐵五郎展』1972, 読売新聞社
木村狷介「丸髷を結った裸体美人─日本近代洋画の先駆者・万鉄五郎─」『日本及日本人』通巻第1515号, p.222-p.237, 1973.1.1, 日本及日本人社
森口多里 監修『萬鉄五郎=作品集』1973, 岩手日報社
『現代日本美術全集18 萬鉄五郎/熊谷守一』1974.5.25, 集英社
『萬鉄五郎画集』1974.12.25, 日動出版部
今泉篤男『今泉篤男著作集2』1979.5.23, 求龍堂
外山卯三郎『日本洋画史 第3巻 明治後期から大正まで』1979.5.25, 日貿出版社
図録『生誕100年記念 萬鐵五郎展図録』1985.6.22, 神奈川県立近代美術館・三重県立美術館・宮城県美術館
図録『第34回企画展 萬鐵五郎 傑作への道程』1992, 岩手県立博物館
図録『自分の自然を求めた画家 萬鉄五郎展』1996.2.24, 町立久万美術館
図録『絵画の大地を揺り動かした画家 萬鐵五郎展』1997, 朝日新聞社
田中淳『新潮日本美術文庫35 萬鉄五郎』1997.2.10, 新潮社
千葉瑞夫「平成7年度企画展 自分の自然を求めた画家─萬鉄五郎─」『萬鉄五郎ギャラリートーク』1997.3, 町立久万美術館
千葉瑞夫・平澤 広 編『鉄人アヴァンギャルド──萬鉄五郎』1997.5.1, 二玄社
平澤 広「アーカイヴとしての『萬鉄五郎書簡集』出版に至るまで」『現代の目』No.523, p.6-p.7, 2000.8.1, 東京国立近代美術館
図録『再考:近代日本の絵画──美意識の形成と展開』2004, 東京藝術大学大学美術館・東京都現代美術館・セゾン現代美術館
水沢 勉「肉体の領分 萬鉄五郎からのスケッチ的な導入」『季刊 演劇人』第20号, p.53-p.57, 2005.8.20, 舞台芸術財団演劇人会議
尾崎正明 監修『すぐわかる画家別 近代日本絵画の見かた』2005.9.15, 東京美術
Webサイト「東和 萬鉄五郎記念美術館」『新イーハトーブの風の森』小田島建築設計事務所, 2006(http://www.artwing.biz/kaze/towa/yorozu-kinen/yorozu-kinen.html)2010.4.10
図録『歿後八〇年 萬鐵五郎〜東京/土沢/茅ヶ崎〜』2007.1.20, 茅ヶ崎市美術館
中林和雄「萬鉄五郎と垂直性」『現代の目』No.562, p.12-p.14, 2007.2.1, 東京国立近代美術館
Webサイト:小泉「第28回文化サロン 萬鉄五郎とその時代」『いわてシニアネット』特定非営利活動法人いわてシニアネット, 2007.4.19(http://isnhp.web.infoseek.co.jp/bunkasalon/28kai.htm)2010, 4.10
陰里鉄郎『陰里鉄郎著作集2』2007.12.10, 一艸堂
蔵屋美香「寝る人・立つ人・もたれる人──萬鉄五郎の人体表現」『東京国立近代美術館 研究紀要』第13号, p.5-p.17, 2009.3.31, 東京国立近代美術館

2010年4月

  • 萬鉄五郎《裸体美人》──縄文的斜めの前衛「千葉瑞夫」

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