美しさ最優先
日本の美術は、美しさが特長だと宮島氏。美術の名前にふさわしいのは日本の絵画だと語った。西洋の美術は芸術であり、西洋が美を追究しているのはごく一時期であって、基本的には美よりも違うものを追究している、と。宮島氏はまた「日本人は取りあえず美しさ。線でも色でも、形や配置でも、それが一番大事。そう考えている民族だと思う。だから私は、九州国立博物館の開館記念特別展で「美の国 日本」というタイトルの展覧会を企画した。日本の国は美を大事にする民族なんだということを言いたかった。美しさを最優先する芸術は案外少ないのだ。西洋でそれをやると応用芸術になってしまう。美しいものは西洋では二流なのでしょう。美しさを優先させると、無思想とか悪口を言われるが、そうではない」と宮島氏は語った。
類似の背景
威厳を擬人化させた西洋の肖像画に対し、鎌倉時代の肖像画は、描かれた人の霊力に期待し、あるいは肉親に対する親愛の情を示し、礼拝するために描かれた。鑑賞するものではなかったと宮島氏は言う。また、大体は亡くなった人を描くためで、描かれている人が注文することは少ない。その親族なり子どもが画家に依頼したため、依頼主の話は抽象的になる。日本の肖像画に多い、抽象的な表情の理由を宮島氏は述べた。
そして、「日本の歴史的肖像画では、顔の類似から同一人物と判断することはできない。同一人物でも違う顔に描かれるケースは少なくない。死後に崇拝用に描かれた肖像画であれば、遺族の口述となり、たとえ複数の像が似ていた場合はあっても同じ下絵を使用したり、それ以前の作品を基にして再生産していることが多い。仮に《伝源頼朝像》を頼朝に似ていないと考えても意味がない。まったく似ていないのではなく、面影がなければいけないが、実在の人間と描かれた人間とは、曖昧にすることが前提だった。鎌倉時代、依頼主の注文に応えるのが画家の仕事であったし、画家もそういう命令に対応していた」。
宮島氏は、研究では写真の比較は行なわないそうだ。それが徹底し、ほかの人と馴染まない考え方だ、と自覚されている点もユニークだ。今後デジタル画像を使った絵画の研究や鑑賞が進んでいくなかで、類似した画像を比較する機会も増えるだろうが、単純に表現が似ているだけでは作品を同定する根拠にはなり得ないということなのだろう。むしろその類似の背景に思いを巡らせて、なぜ似ているのかを再考しなければならない。視界が開けたとともに新たな課題ができた。
情と血
宮島氏は現代の日本人にとって、日本の絵画は必ずしも理解しやすいものではないと言う。《伝源頼朝像》を例に解説してくれた。「ただおとなしくつくねんと座っている。無背景で服装も大体同じで何も語ってくれない。無表情で個性がなく非常にやっかいだ。西洋絵画のような高度の描写力や明解な主張があるわけではない。中国絵画と比べてもそうである。力強い主張が美術にとっては重要だと考える人には無縁の世界である。こちらから絵に働き掛けて、絵との共同作業によって初めて鑑賞が生まれる。日本絵画は形式的で、平面的に見えるかもしれないが、その分西洋絵画より情や血が通っていると思う。西洋絵画は写実的といわれ、いかにも生きている人間がそこにいて血が通っているように見えるが、その写実は剥製のような感じがする」。
確かに日本人であっても《伝源頼朝像》など、古い日本絵画に無関心の人はいるだろう。主張しない絵は無いに等しく感じられるかもしれないし、年齢を重ねないと見えないのかもしれない。棚に並ぶ本のように無言であっても、こちらから手を伸ばせば雄弁に語ると知れば、好きな絵を選んでその絵の入口を探してみたいという気持ちが湧いてくる。
《伝源頼朝像》について最後に宮島氏は語った。「国宝だからどこかいいのだろう。見れば立派で誰もがいい絵と思い、心打つものがあるのだろうが、その正体は一体どこにあるのか、どこがいいのか考え続けるしかない。わかってしまえば終わってしまう。それが何十年もやっている原動力で、今も考えている」。
毎年5月、神護寺の書院において恒例の「虫払い行事」が行なわれ、《伝源頼朝像》を間近に見ることができる。
主な日本の画家年表
画像クリックで別ウィンドウが開き拡大表示します。
宮島新一(みやじま・しんいち)
1946年愛知県生まれ。山形大学教職大学院教授。1973年京都大学大学院文学研究科修了。京都府に就職後、京都国立博物館学芸員、文化庁主任文化財調査官、奈良国立博物館学芸課長、東京国立文化財研究所美術部長、東京国立博物館企画部長、九州国立博物館設立準備室総主幹兼副館長、2006年定年退職後、現職。文学博士。専門:日本絵画史。主な著書:『肖像画』(吉川弘文館, 1994)、『肖像画の視線──源頼朝像から浮世絵まで』(吉川弘文館, 1996)、『雪舟──放逸の画家』(青史出版, 2000)、『長谷川等伯──真にそれぞれの様を写すべし』(ミネルヴァ書房, 2003)、『風俗画の近世──日本の美術』(至文堂, 2003)など。
藤原隆信(ふじわら・の・たかのぶ)
似絵(にせえ)の祖、歌人。1142〜1205(康治元〜元久2)年。平安末・鎌倉初期の貴族、後白河法皇の近臣、右京権大夫。父は為経、継父は俊成、異父弟に定家。60歳を機に出家、戒心と号。肖像画家として迫真の技を謳われた。京都・神護寺の仙洞院にあった平重盛、源頼朝、藤原光能の3像は、隆信筆と伝えられている。家集「藤原隆信朝臣集」のほか、物語や鏡物の著述もあった。
源 頼朝(みなもと・の・よりとも)
鎌倉幕府の初代征夷大将軍。1147〜1199(在職1192〜1199)年。武家政治の創始者。義朝の第3子として尾張に生まれる。13歳で初陣した平治の乱で敗れ、伊豆に流罪。20年に及ぶ配流中に土地の豪族北条の娘正子と結婚。治承4(1180)年以仁王(もちひとおう)の令旨をうけ、平氏追討に挙兵。東国を固め、鎌倉を本拠とした。文治元(1185)年長門壇ノ浦で平家を滅ぼし、戦功のあった末弟の義経を追放。諸国に守護と地頭を配して力を強めた。
デジタル画像のメタデータ
タイトル:伝源頼朝像。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:伝藤原隆信, 鎌倉時代制作, 絹本著色, 143.0x 112.8cm, 国宝。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:神護寺。日付:2010.10.12。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 26MB。資源識別子:4×5カラーポジフィルム (FUJIFILM CDUII 34186 DK AFJC)。情報源:神護寺。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:神護寺, 京都国立博物館, 金井杜道(撮影)
【画像製作レポート】
《伝源頼朝像》は神護寺の所蔵だが、京都国立博物館(京博)へ預託しており、写真の貸出し窓口も同館だった。当方で作成した作品画像借用書を神護寺へFaxし、その後電話で作品のポジフィルム借用を依頼。後日「請求書及び許可書」を受信。京博へ電話し、インターネットのURL・パスワード・IDをFaxしてもらい、インターネットより「特別観覧願」をダウンロード。プリントアウトし、必要事項を記入。「特別観覧願」・「写真掲載許可書のコピー」・《伝源頼朝像》の画像コピー・80円切手付き返信用封筒の4点を京博に郵送。10日後デュープした4×5カラーポジフィルム(カラーガイド・グレースケール共になし)1枚がフォトファクトリー・ミハラから届き、その後京博から「特別観覧許可書(観第2010-0469号)」が届いた。代金は20, 000円(神護寺)+1, 050円(京博)+4, 725円(ミハラ)。
フィルムのスキャニングはスキャニング会社へ。350dpi・20MB・TIFFをCD-R1枚に保存して1, 570円。iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、画像の色調整作業に入る。目視により色を調整し、縁に合わせて切り抜く。今回初めて依頼したスキャニング会社は20MB の注文に28MBで納品してくれた。Photoshop形式26MBに保存する。
黒色の調整に手間が掛った。グレースケールがないので薄墨と濃墨の調子が把握し難い。800年ほど前の古い作品だが金糸の輝く表現など所々に修正した跡が感じられた。等身大という実物の迫力を体験してみたい。
セキュリティーを考慮して、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
[2021年4月、Flashのサポート終了にともない高解像度画像高速表示データ「ZOOFLA for HTML5」に変換しました]
参考文献
源豊宗「神護寺蔵伝隆信筆の画像についての疑」『大和文華』第13号, p.10-p.19, 1954.3.31, 大和文華館
日本歴史学会 編『肖像選集』1962.12.1, 吉川弘文館
亀田孜・田辺三郎助・永井信一・宮次男『原色日本の美術 第23巻 面と肖像』1971.6.20, 小学館
森暢『鎌倉時代の肖像画』1971.10.4, みすず書房
アンドレ・マルロー, 竹本忠雄訳「藤原隆信の肖像画」『芸術新潮』第25巻第6号, p.86-p.96, 1974.6.1, 新潮社
栗田勇「日本の肖像画──〔影〕と〔相〕のドラマ」『芸術新潮』第25巻第10号, p.23-p.32, 1974.10.1, 新潮社
図録『日本の肖像』1978.5.10, 中央公論社
岡岩太郎『国宝伝源頼朝像・国宝伝平重盛像・国宝伝藤原光能像修理報告』1983.5.21, 便利堂
宮島新一「藤原隆信の生涯と才藝」『MUSEUM』第397号, p.4-p.11, 1984.4.1, 東京国立博物館
Webサイト:吉川逸治「美術の窓(39)肖像画について」『季刊 美のたより』夏, No.95, 1991.5.16(http://www.kintetsu.jp/yamato/shuppan/binotayori/pdf/95/1991_95_1.pdf)大和文華館, 2010.10.4
Webサイト:吉川逸治「美術の窓(40)再び肖像画について」『季刊 美のたより』秋, No.96, 1991.8.15(http://www.kintetsu.jp/yamato/shuppan/binotayori/pdf/96/1991_96_1.pdf)大和文華館, 2010.10.4
図録『特別展 日本の肖像画』1991.10.4, 大和文華館
Webサイト:吉川逸治「美術の窓(41)特別展〔日本の肖像画〕を鑑賞して」『季刊 美のたより』秋, No.97, 1991.11.15(http://www.kintetsu.jp/yamato/shuppan/binotayori/pdf/97/1991_97_1.pdf)大和文華館, 2010.10.4
宮島新一『肖像画』1994.11.10, 吉川弘文館
米倉迪夫『絵は語る4 源頼朝像──沈黙の肖像画』1995.3.15, 平凡社
橋本治「ひらがな日本美術史 【連載】その二十七 さまざまな思惑のあるもの 神護寺〔伝源頼朝像〕」『芸術新潮』第47巻第1号通巻553号, p.128-p.133, 1996.1.1, 新潮社
宮島新一『肖像画の視線──源頼朝像から浮世絵まで──』1996.7.10, 吉川弘文館
山口昌男 監修『日本肖像大事典』1997.1.25, 日本図書センター
樺山紘一『肖像画は歴史を語る』1997.3.25, 新潮社
『週刊朝日百科 日本の国宝 11 京都/神護寺』通巻1117号, 1997.5.4, 朝日新聞社
『ビッグマンスペシャル 肖像画をめぐる謎 顔が語る日本史』1998.6.10, 世界文化社
黒田日出男 編『肖像画を読む』1998.7.20, 角川書店
成瀬不二雄『日本肖像画史』2004.7.15, 中央公論美術出版
米倉迪夫『平凡ライブラリー577 源頼朝像──沈黙の肖像画』2006.6.7, 平凡社
佐多芳彦「伝・頼朝像論──肖像画と像主比定をめぐって──」『日本歴史』No.700, p.75-p.85, 2006.9.1, 吉川弘文館
宮島新一「特集評論1 日本の肖像画」『歴史読本』第51巻15号通巻808, p.218-p.11, 2006.12.1, 新人物往来社
Webサイト:宮島新一「大人の音楽と美術 日本美術と道づれ」『日経ビジネスOn Line』第1回2007.4.3〜第24回2008.3.28(http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070327/121859/)日経BP社, 2010.10.4
梅原猛監修, 谷内弘照・川上弘美『古寺巡礼 京都15 神護寺』2007.11.6, 淡交社
黒田日出男『王の身体 王の肖像』2009.2.10, 筑摩書房
『週刊朝日百科 国宝の美 絵画11 肖像画』第36号, 2010.5.2, 朝日新聞出版
Webサイト:「神護寺寺宝紹介 伝平重盛像・伝源頼朝像・伝藤原光能像」『神護寺』(http://www7b.biglobe.ne.jp/~kosho/treasure16.html)神護寺, 2010.10.4
2010年10月