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久隅守景《夕顔棚納涼図屏風》軽みの奥深さ──「松嶋雅人」

影山幸一

2011年02月15日号

日本の農村風景

 将軍や大名、武家などの身分の高い人の注文によって描かれた《納涼図》の明確な制作目的はわかりづらいとしながら、松嶋氏は次のように述べた。「鑑戒画(かんかいが)と言い、為政者が自己の戒めにするためか、あるいは農民らを支配していることを確認するために描かせたのかもしれない。ただこの絵には守景自身の強い思いも込められている。決して守景が農民のために描いたものではない。おそらく殿様や家臣に対する注文主の贈答品なのだろう」。
 そして《納涼図》が国宝になった理由を伺ってみた。「戦後の講和条約を過ぎて日本人的な意識が高まってきた時期にあたる昭和27(1952)年11月22日。いわゆる新国宝の指定段階で、農村の様子を描いていながら日本の農民を描いている絵画は珍しかったのかもしれない。“伝統的な中国的主題”を描くことが一般的だった守景の時代、農業の絵というのは中国人の姿で描いていた。これ以前に日本人の農村風景を描いたものは、室町時代の絵巻物や点景ではあったが、このように日本人の農民の姿をずばっと描いた作品としては早いものであり、また技術的にも理論的にも検討されたのだと思う。同じ日、長谷川等伯の《松林図屏風》も国宝に指定された。何か日本的な絵画が選ばれた感じがする。それと守景は確定事項がほとんどない。そのため鑑賞者が発想したものを自由にぶつけられる。それほど守景の作品は内面的に深みのある作品であり、《納涼図》が国宝になった意味もここにあると思う」と、松嶋氏。
 また、守景の人気ぶりは、贋作の多さでもわかるようだ。江戸時代から守景の贋作はあり、気をつけなくてはいけない。日本の絵画は解体して再構成する習慣があり、そのうえ守景は、簡略な線で描く場合と、緻密で厳しい線で描く場合があるため、真贋を区別するのが難しいという。
 2009年、石川県立美術館で開設50周年記念として守景の本格的な回顧展が開催されたと、松嶋氏から伺った。県立美術館学芸員の村瀬博春氏が図録のなかで、守景が活躍した時代背景を語っている。「15世紀から17世紀までの、世界に対する日本の国家的アイデンティティーが確立されていった時期の時代観も強く影響を与えている。それゆえ、中国文化の日本的な読み替えは、必然的に同じ国、同じ時代、そして日常生活という最も理解・共感できる視点に収斂してゆく。また、守景は日本の伝統の再認識に加えて、道教、儒教の思想的背景に、やまと絵の中心思想である〔諸法実相〕を融合させて造形化し、“軽み”を先取りしたものと位置付けることができる。日本の将来を考えるうえでも、守景の画業から学ぶことは極めて多い」。

探幽の系譜

 《納涼図》の技法から守景と狩野派の関係を伺った。「水墨画というのは、日本の絵画の歴史のなかでは、あとから入ってきたもの。もとは奈良時代くらいに唐の絵画が日本に入ってきて、やまと絵となり、公家社会に広まった。のちの鎌倉時代には禅宗と一緒に水墨画が入ってくるが、水墨画も中国の宋代に隆盛した新しい技法。墨の濃淡で物を描いて立体感や遠近感を表わす新しい手法だった。受け入れたのは、僧と武家社会。室町時代あたりになり、土佐派や狩野派がやまと絵と水墨画を合体させて、両法描けるようになった。狩野派はもともと武家社会の絵師なので、水墨画に色を持ち込んで、寺などの襖絵を描いたりした。それが進み水墨画がやまと絵化していく。それを推進したのが守景の師である探幽だ。水墨画でありながら淡い色を置く。それを“新やまと絵”という。水墨画がどんどん日本化していく。美術史学者の武田恒夫氏は日本化した水墨画を“墨絵”と呼んでいる。
 連綿と続いているやまと絵と水墨画の記号化された描き方を応用している形。狩野派は物や人の形を記号化して使っている。もっと言うと重なりで物の前後感を描いたり、墨の線の強弱や濃淡で遠近感を出したり、またそれらを組み合わせる。この《納涼図》も水墨画の技法を使いながら日本の絵になっている。時代の文化を担う狩野派であるが、探幽はミニマムの方へ行き、守景は室町時代の雪舟など、古い方へ行った。しかし二人とも大きな日本の墨絵の世界を進んでいる。探幽がつくった江戸狩野派の特徴は、画面の余白の広さ。一つひとつのモチーフは古い水墨画の形を踏襲しているが、筆数が減り、マニュアル化しやすい水墨にしていった。“軽み”、“軽さ”、“淡泊”がある。伝統に引きずられず、軽やかな江戸文化が開いて行った」。

広い余白

 《納涼図》は、この屏風一枚で成立していると松嶋氏は考えているが、対にもう一枚あるという人もいる。日本の絵画は空間の合理的な解釈はしないと松嶋氏。家族の視線の先になにもなくても、月を見ていると理解できる。また、夕方に清涼を求めた絵なのだが、よく見ると3人の風情から暑気は感じられない。またこの人たちは笑っていない。見れば見るほど暗い絵で、謎は深まると松嶋氏は言う。
 松嶋氏は、日本の絵画で知名度が高い作品は、北斎にしろ若冲にしろ逆輸入が多いと指摘した。自前の文化を他人に「これはいいですよ」と、教えられるのは恥ずかしいと。久隅守景と長谷川等伯は、日本人が見つけた画家なので、注目したいという松嶋氏。日本人であれば《納涼図》は実感としてわかると言葉に力が入る。守景の憂愁と気品の漂う《納涼図》。広い余白の画面に、私たちの日本の記憶がよみがえってくる。


主な日本の画家年表
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松嶋雅人(まつしま・まさと)

東京国立博物館学芸企画部企画課特別展室長。1966年大阪市生まれ。1990年金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科芸術学専攻卒業後、同大学大学院修士課程修了、1997年東京藝術大学大学院美術研究科芸術学専攻博士後期課程単位取得満期退学。東京藝術大学、武蔵野美術大学、法政大学非常勤講師後、1999年東京国立博物館へ、研究員を経て現在に至る。専門:日本近世絵画史。所属学会:美術史学会。主な著書・論文:『日本の美術』No.489 久隅守景(至文堂, 2007)、「狩野探幽と徳川将軍家」『イメージとパトロン―美術史を学ぶための23章』(ブリュッケ, 2009)、『日本の美術』No.534 狩野一信(ぎょうせい, 2010)など。

久隅守景(くすみ・もりかげ)

江戸初期の絵師。生没年出生地不詳。狩野探幽門下の四天王の一人。寛永(1624)から元禄(1704)期の長い作画生活と考えられる謎の絵師。画家清原雪信は娘。俗称を半兵衛といい、画才が認められ師の名「守信」から一字を拝領し「守景」。後に無下斎、無礙斎、一陳翁、捧印と号した。破門され、晩年の一時期、加賀藩に寄食したといわれる。おおらかな田園の風景が特色。代表作に《夕顔棚納涼図屏風》《四季耕作図屏風》など。

デジタル画像のメタデータ

タイトル:夕顔棚納涼図屏風 。作者:影山幸一。主題:日本の絵画。内容記述:久隅守景, 江戸時代・17世紀後半, 紙本墨画淡彩, 二曲一隻, 149.7×166.2cm, 国宝。公開者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。寄与者:(株)DNPアートコミュニケーションズ。日付:2011.2.3。資源タイプ:イメージ。フォーマット:Photoshop, 31.3MB。資源識別子:TIFF, 58.6MB, 17658(694 KoODAK)。情報源:(株)DNPアートコミュニケーションズ。言語:日本語。体系時間的・空間的範囲:─。権利関係:東京国立博物館, (株)DNPアートコミュニケーションズ。



【画像製作レポート】

 作品画像を借用する依頼書を(株)DNPアートコミュニケーションズへメール送信。即日画像(カラーガイド・グレースケール付き)をダウンロードするURLが返信されてきた。
iMacの21インチモニターをEye-One Display2(X-Rite)によって調整後、画像の色調整作業に入る。モニターに表示されたカラーガイドと作品の画像に写っているカラーガイド・グレースケールを参照しながら、目視により色を調整した。作品に歪みが出ていたため1.1度反時計回りに画像を回転させて、縁に合わせて切り抜いた。Photoshop形式:31.3MBに保存する。モニター表示のカラーガイド(Kodak Color Separation Guide and Gray Scale Q-13)は事前にスキャニング(brother MyMiO MFC-620CLN, 8bit, 600dpi)。
 今回借用できる画像は2つあった。インターネット上で選択できるのだが、どちらが新しい画像なのか撮影日などの記述がなくわからなかった。見た目に同じような画像が複数ある場合は、その画像の差異がわかるように撮影日など表示しておく必要がある。
 セキュリティーを考慮して、画像には電子透かし「Digimarc」を埋め込み、高解像度画像高速表示Flashデータ「ZOOFLA」によって、コピー防止と拡大表示ができるようにしている。
※《夕顔棚納涼図屏風》の画像は、東京国立博物館の所蔵作品掲載期間終了のため削除し、2024年10月31日より、ColBaseの画像に差し替えました。そのため画像の拡大はできません。



参考文献

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小林 忠・榊原 悟『日本美術絵画全集 全二十五巻 第十六巻 守景/一蝶』1982.2.23, 集英社
小林 忠『江戸絵画史論』1983.4.30, 瑠璃書房
小林 忠「久隅守景の外隈 画家と技巧⑪」『日本美術工芸』No.542, pp.72-.73, 1983.11.1, 日本美術工芸社
平賀 敬「私の好きな一点 久隅守景〔夕顔棚納涼図屏風〕『現代の眼』No.408, p.7, 1988.11.1, 東京国立近代美術館
冨安 精「研究ノート 久隅守景筆〔夕顔棚納涼図〕について──景物の表現を中心に──」『美術史論叢』No.6, pp.161-.170, 1990.3.20, 東京大学文学部美術史研究室
図録『「加賀・能登の画家たち──等伯・守景・宗雪──」展』1992.6, サントリー美術館
武田恒夫「この一枚──夕顔棚納涼図屏風」『水墨画の巨匠 第五巻 探幽・守景』pp.85-.89, 1994.8.22, 講談社
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Webサイト:「国宝・納涼図屏風ほか/東京国立博物館」『見もの・読みもの日記』2006.8.16(http://blog.goo.ne.jp/jchz/e/fc75906eb4e0632d5cee5fd4fd7000b8)2011.2.10
安村敏信『アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい狩野派──探幽と江戸狩野派』2006.12.20, 東京美術
松嶋雅人『日本の美術』No.489 久隅守景, 2007, 至文堂
『別冊太陽 日本のこころ 150号 江戸絵画入門』2007.12.20, 平凡社
村瀬博春「久隅守景の画業──《納涼図》への道」図録『石川県立美術館開設五十周年記念 久隅守景─加賀で開花した江戸の画家─』pp.121-134, 2009.9.26, 石川県立美術館

2011年2月

  • 久隅守景《夕顔棚納涼図屏風》軽みの奥深さ──「松嶋雅人」