デジタルアーカイブスタディ

アート・アーカイヴとは何か──連続シンポジウムを総括する

渡部葉子

2013年04月15日号

2012年1月 ART ARCHIVE-TWO
「プラットフォームの形成にむけて」

・「アーカイヴが拓く新しい研究の地平」……渡部葉子(慶應義塾大学アート・センター)
・「美術図書室とアーカイヴ」……野崎たみ子(元東京都現代美術館)
・「大使館としてのアーカイヴ─世界美術史のためのリサーチ実践」
  ……ミン・ティアンポ(Carleton University, Ottawa)
ディスカッション・モデレーター:水沢勉(神奈川県立近代美術館)

 前回の討議は、アーカイヴをそれぞれの立場でどのように考えるか、という提示でもあったが、この回ではアート・アーカイヴの現場からの発信にもとづき、アーカイヴにおけるコミュニケーションの問題を広く考え、アート・アーカイヴを支援するプラットフォームづくりへの足がかりとしようとした。司書として、資料を基体としたネットワークのキー・パーソンとして機能していた経験をもつ野崎氏は具体的な事例を紹介するとともに、美術研究の「現場」としてのアーカイヴの可能性と重要性を強調し、ミン・ティアンポ氏は海外の日本美術研究者として、アーカイヴのネットワークの可能性と課題について大きな文化的な枠組みから意見提示した。ここでは、実践に根ざしながら、活用、利用の側に立った視点でのディスカッションが展開した。アーカイヴや資料体をどのように顕在化させて、コミュニケートさせるかということ、ネットワーク化の可能性などがフロアーも含めて議論された。また、ある種の了解領域の設定やプラットフォームの形成には、歴史的な枠組みを構築しようとする文化的歴史的な取組みが必要とされるのではないか、という指摘もなされた。

2013年3月 ART ARCHIVE-THREE
「アーカイヴ再考─資料体とインターフェイス」

・セッション1「日々の営みの中で」……泉澤茂男(トップアート鎌倉)+矢野進(世田谷美術館)
・セッション2「アーカイヴの時間──非物質化と残存」
……森洋久(国際日本文化研究センター文化資料研究企画室)+上崎千(慶應義塾大学アート・センター)
ディスカッション・モデレーター:水沢勉(神奈川県立近代美術館)


会場の様子

 最終回では、これまでの議論を踏まえ、アーカイヴを構成する資料の実体と、顕在化と共有化を担うインターフェイスに着目しながら、「アーカイヴ」についてあらためて議論したいと考え、アートの分野に限定せず、また、アーカイヴとの関わり方についてもレンジを広げてアート・アーカイヴの問題を一段階展開してディスカッションすることを意図した。第1セッションでは、文字どおり、日々の仕事のなかで取り組んできたことが結果としてアーカイヴ的な活動として重要な側面をもったケースで、実際に「モノ」を残していくことの現実や方法論から、集積した資料がアーカイヴとして機能していく可能性や実体験が紹介、討議された。第2セッションでは、アーカイヴ論的な思考とアーカイヴ実践の問題や、コンピュータ・サイエンスの立場から、地図という対象を扱うなかでの「残すこと」「残るもの」についての議論など、「アーカイヴ」という考え方についてセッションが展開した。
 後段のディスカッションでは、モデレーターの水沢氏が「近づいていくと強烈な匂いで、離れているとかぐわしい香りがする存在」としてアーカイヴを形容したことが象徴的に示しているように、近づくと、すなわち卑近にそれに関わり日常にまみれると大変なことでありながら、そこに引きつけられずにおかない存在としてのアーカイヴの多様な側面が各自の立場から語られ、議論された。例えば、資料のディーテールの面白さや魅力、途中経過や舞台裏的なところをあえて見せようというアーキヴィストの欲動、しかしながらそれだけでは世界が開示されないことなど。また、アーカイヴがすべてを網羅することは不可能であり、常に欠損や欠落を意識しなければならないということ。さらに、逆にアーカイヴへの関心の高まりのなかで、資料的なものが価値づけされ、現実に高価になっていくことの問題点などである。乱暴に総括してしまうならば、日常的な仕事のレベルから、「アーカイヴ」のコンセプトまで、「アーカイヴの可能性/可能性としてのアーカイヴ」を実にさまざま方向から論じたディスカッションであったと言えるだろう。

4回のシンポジウムをとおして

 4回のアート・アーカイヴに関するシンポジウムを3年にわたって開催し、芸術に関わるアーカイヴ実践の紹介、アーカイヴや資料体の相互交流の可能性やコミュニケーションの問題を取り上げてきた。さまざまな局面や視点、立場からの報告や発表、議論がなされたが、そのなかで明らかになり、議論が深まった点でもっとも大きなポイントは、研究に資するためのアーカイヴや資料体の顕在化とアクセシビリティの向上、そのためのネットワーク化、コミュニケーションの場、プラットフォームの形成の必要性ということであった。日本の芸術研究の現状において、アーカイヴの重要性は認識されているものの、2つの点から活用が必ずしも容易でない。ひとつは国家的な方針や、センタライズされた芸術系アーカイヴが存在するわけではなく、また、現時点でのそのような形での構築は現実的ではないこと。第二に、アーカイヴや資料体の存在を知り、アクセスするための適切な情報提供がなされていないことである。シンポジウムのなかでも繰り返し、討論の場に上がっていた基本的な情報の共有化に向けての動きが次に必要とされるところであろう。
 また、この3年の間にも、アーカイヴという言葉を耳にする機会は益々増加してきた。しかもそれぞれで「アーカイヴ」という言葉が指し示す対象や範疇は、以前にもまして多岐にわたっていると言っていいかもしれない。しかしながら、アーカイヴという言葉が市民権を得つつあるとすれば、やはりそれは歓迎すべきことなのではないだろうか。美術館に、ある個人の資料がまとめて寄贈され、そのアーカイヴ構築に予算や人的措置がされたというような事実は──もちろんそのために担当者の計り知れない労力と時間が費やされたとしても──やはり芸術研究の環境として、資料保存、資料体の資源化の状況として、少しずつでも進展していることを示していると言ってよいだろう。
 連続シンポジウムの、もっとも大きな成果のひとつはアート・アーカイヴについて継続的に考える機会を提供し、関心をもつ人たちが共に考え、議論する場を創出しえたことであったかもしれない。

 なお、このシンポジウムでは毎回、記録集を刊行している。内容詳細についてはこちらを参考にされたい。2010-11年度までの3回については既刊。最終回についても追って刊行の予定である。http://art-archives.org/our-books/

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