デジタルアーカイブスタディ

三菱UFJリサーチ&コンサルティング 太下義之氏に聞く:2014年はデジタルアーカイブ元年──誕生20年目の拠点と法律

影山幸一

2014年02月15日号

デジタルアーカイブ振興法と国立デジタル文化情報保存センター

「2014年は“デジタルアーカイブ元年”」という発言がありました。これは何を意味しているのでしょうか。

太下氏──大きな背景には2020年の東京オリンピックがある。オリンピックというと通常スポーツイベントというイメージが強いと思うが、オリンピックにおける文化プログラムというものが国際オリンピック委員会(IOC)から義務付けられており、特に2008年のロンドンオリンピック以降、文化プログラムの重要性が増している。東京オリンピックでも文化プログラムという名称での文化振興が求められており、オリンピックはスポーツだけではなく、文化振興の側面をもつという点が第一のポイント。二つめのポイントとしては、オリンピックは東京だけのものではないということ。ロンドンオリンピックのときは、ロンドンのほかイギリス全土で文化プログラムが展開されたが、東京オリンピックでも日本全土の文化プログラムへの取り組みが求められてくる。三つめのポイントとして、東京の前に開催されるオリンピックは、2016年のリオデジャネイロ大会だが、最後に行なわれるハンドオーバーセレモニーで、東京へバトンが渡される。この瞬間から東京は文化プログラムを立ち上げることができる。2016年から2020年まで丸4年間、足掛け5年間が文化プログラムの対象期間になる。オリンピックは4年に1回、世界のどこかで開催されるスポーツイベントだが、文化プログラムの立場から見ると常に世界のどこかでオリンピックの文化プログラムが行なわれていることになる。日本で2016年から文化プログラムを開始する、ということは行政的に考えると、2015年の秋には計画と予算が確保されていないといけない。そうすると2014年度いっぱいがその内容を検討するリミットになり、2014年は文化政策では重要な年になってくる。そのなかの大きなひとつの柱として、“アーカイブ”が位置づけられる。将来になってあとから振り返ってみれば、2014年がデジタルアーカイブの起点になったと言われる年になるのではないか。そのことをもって2014年は“デジタルアーカイブ元年”になるかもしれないと発言した。

2014年は「デジタルアーカイブ振興法」が議員立法で提案される模様です。この振興法はどのような法律なのでしょう。

太下氏──文化財と文化情報に関するデジタル化を積極的に進めていくべきではないか、という社会的な運動を行なっている2010年に設立された一般財団法人デジタル文化財創出機構(図)の働きかけによって議員連盟が出来上がってきた。この議連のなかで議員立法の形で2014年に「デジタルアーカイブ振興法」ができるのではないか、という議論がある。この振興法には、四つの柱があると言われている。ひとつは、国がつくるデジタルアーカイブ施設の必要性から“国立デジタル文化情報保存センター”を整備すること。二つ目は、アーカイブを支えるアーキビストなどの“人材の育成”。三つ目は、オープンデータ政策の一環として、大事なものごとを失わないようにデジタル化して保存しておくだけでなく、さらなる文化振興や文化創造に役立てていこうという“オープンデータ政策の拡大”。四つ目は、オーファン・ワークス、すなわち「孤児著作物」と言われるものへの対策。たとえば、作者名はわかるが、その所在が不明のコンテンツ(孤児著作物)をデジタル化しようとする場合、著作者の所在を確認して、利用の許諾を得る必要があるが、そのためのサーチ・コストが膨大となっている。デジタル化社会に対応するためには、この“孤児作品の対策”が必須となる。この「デジタルアーカイブ振興法」はおそらく成立するだろう。そして、それを実際社会のなかに実装していくとなると「国立デジタル文化情報保存センター」なる箱モノ的なもの、そういう機能の専門人材や組織化、文化財のデジタル化資金の経費措置などを合わせて行なうことが強く期待される。


デジタル文化財創出機構のWebサイト

この「デジタルアーカイブ振興法」によって美術館・博物館はどのような影響が出てくるのでしょうか。

太下氏──ひとつは、既存のミュージアムが行なおうとしている所蔵作品のデジタル化が進むと期待される。また二つ目として、デジタルアーカイブに関する専門人材の育成が進む期待感がある。大学で人材育成をしても、就職先がないと新たな職能が社会に職業として定着しないが、ミュージアムのなかに固有の職能として位置付けられるなど、活性化することが期待できる。三つ目としては、新しいタイプのミュージアムが出てくる可能性がある。例えば“記憶のミュージアム”というのがある。私が2011年の震災の直後に文化庁文化審議会政策部会で提言したものだが、このときの会議のテーマは“震災後、震災の復興に文化はどう役立つことができるのか”であった。当時、震災の瓦礫の中からアルバムを拾い上げるという南三陸からのテレビ報道の場面があり、写真に写っている家族は全員津波にさらわれて亡くなってしまい、貴重なアルバムの所有者はいない可能性があった。その場面を見て、このアルバムはどうなるのかと思った。誰も引き取り手がいなければ、ゴミになるのか。いや、けっしてゴミではないだろう。瓦礫の中から拾い上げられた家族の写真アルバムは、その土地にある家族がある時住んでいたというひとつの証である。思い出の象徴ともなる写真そのものをデジタル化して保存、保管していく必要があるのではないか。もちろん写真の取り扱いについては著作権や肖像権などで悩ましい点が山積しているが、これらの写真データを消滅させてはいけないと思った。こうしたデータを残していくために、個人やボランティアの努力だけでは限界があるため、法律の壁を乗り越えられる国家が行なうべきであろう。“記憶のミュージアム”を国がつくり、ある種の“歴史博物館”のような機能とすべきだと思う。被災地に多くの人が生きて、暮らしたという記憶を残していこうと考えた。いま、国が力を入れているのは“震災の記憶”そのもののデジタル化であり、これは確かに大事であるが、震災以前の記憶に関しては必ずしも十分ではない。“記憶のミュージアム”をつくり、そこに“バーチャル・ミュージアム”の機能を付けて、かつての被災地域を訪れた旅行者、研究者の写真や映像、放送局が撮影した番組映像などを投稿できるようにすれば、そのバーチャルなミュージアムに人・まち・時のデータが蓄積されていく。そうすることで美しい町並みや自然の風景が再現されてくることも期待できる。さらに言えば、 被災地に“フィールド・ミュージアム”のようなものを整備してもよいのではないか。例えば、鎮魂の土地として沖縄戦跡国定公園の中に平和の礎があるように、負の記憶をプラスに転じていくような場所も必要かもしれない。この“記憶のミュージアム”は、“歴史博物館” “バーチャル・ミュージアム” “フィールド・ミュージアム”という三つの機能から構成されるイメージだが、これら三つの機能は必ずしも一緒に整備しなくてもいい。前二者は「デジタルアーカイブ振興法」とも関連し、この振興法の議論のなかで新しいミュージアムの話も出てくるかもしれない。さらにもうひとつ、“オーファン・ワークス・ミュージアム”というアイデアを提案している。オーファン・ワークスの作者の許諾を得るためには、膨大な資金と時間がかかる。例えば、作者はわかるが生存者か物故者かわからない。そこで、「これはオーファン・ワークスではないか」と思ったら、オーファン・ワークス・ミュージアムに申告し、その作品をミュージアムは展示やWebで公開する。そして、一定期間作者が名乗りでてこないときはオーファン・ワークスと認定し、データベースに登録。また、オーファンと認定された作品を使いたい人には利用代金を設定し、その収入はプールしておき、オーファン・ワークス・ミュージアム運営のための資金等とするというアイデアである。

「デジタルアーカイブ振興法」にとって不足している点は何でしょうか。

太下氏──なんと言っても社会からの理解が不足している。文化関係の法律が出来上がってきた現場を二つ見てきた。ひとつは“文化芸術振興基本法”(2001年12月7日公布)、もうひとつが “劇場、音楽堂等の活性化に関する法律”(2012年6月27日公布)という通称、劇場法。特に劇場法ではその検討委員だった。法律にするということは国民全体の共通のイシュー(問題点)だということであり、だからこそ法律が成り立つ。一部の劇場人のためだけであれば法律はいらない。このとき一般紙での報道はほとんどされなかったので、新聞記者の判断では、劇場法は国民一般に関心のある記事に値しなかったということなのであろう。社会の主な関心事の外側に劇場法はあったということだ。多くの国民にとってはあってもなくてもいいようなものではないかと、とても残念に感じた。関係者の一員としては非常に忸怩(じくじ)たる思いがある。

では、文化関係の法律が社会から理解を得るためには、どのようにすればよいですか。

太下氏──子どもへの教育など、いわゆるアウトリーチ的な社会へ広める活動をもっとしていかなくてはいけないだろう。「デジタルアーカイブ振興法」も放っておくと、関係者は盛り上がってくるが、国民はまったく知りませんでした、となりかねない。またそうなってはならない。

世界のなかで「国立デジタル文化情報保存センター」に類似した組織はありますか。

太下氏──類似している機能として、ひとつは欧州の文化遺産ポータルサイト「Europeana」。実際にこれは施設があるわけではないが、欧州のナショナルミュージアムの連合体が、バーチャルなミュージアムを組成して文化情報をデジタル化し発信している。もうひとつは米国の「Google」。この検索システムは世界中のWebサイトのキャッシュと言われるデジタルコピーを持って検索しているわけで、さらには「YouTube」(http://www.youtube.com/)が世界中の映像をアーカイブしつつあると見ることもできる。

「国立デジタル文化情報保存センター」に求められるものは何でしょう。要望と併せてお聞かせ下さい。

太下氏──文化情報をデジタル化して保存しておくだけではなく、それを利用する活動をつくることが必要だ。具体的にはコンテンツの二次創作。より具体的に言うといまネットの「Pixv(ピクシブ)」(http://www.pixiv.net/)や「ニコニコ動画」(http://www.nicovideo.jp/)などで行なわれている、あるコンテンツを元にして改変し、何か新たなコンテンツを作っていくこと。二次創作の大きな動きが、このセンターの中心に起こるといい。

日本の「デジタルアーカイブ元年」にどのようなことを期待していますか。

太下氏──1995年にWindows 95が出て、それ以降インターネットが爆発的に普及し、多くの情報がデジタル化でやり取りできる環境になった。従来型のメディア、その代表が本である。そして、アナログからデジタルへと、人類の知識の蓄積と検索の仕組みが転換していくなかで、いままでは技術的に困難な部分もいろいろとあったが、それも「Google」を中心に破られようとしている。大げさに言うと人類の知恵の継承の方法が変わっていくと思う。いまはちょうどシフトしていくその移行期におり、その大きなうねりのなかに日本は乗り遅れている感じだ。「Google」や「Europeana」になんとか追いつくような、2014年は日本のデジタルアーカイブの新たな年になればいいと思う。

ありがとうございました。
太下義之(おおした・よしゆき)

三菱UFJリサーチ&コンサルティング(株)芸術・文化政策センター長。1962年東京生まれ。1984年慶應義塾大学経済学部卒業。同年森ビル(株)(企画、人事、経理を担当)入社、1991年(株)三和総合研究所、2000年同社に「芸術・文化政策室」を設立、2002年より現職。専門:芸術・文化政策、都市・地域政策。所属学会:文化政策学会、文化経済学会〈日本〉、コンテンツ学会、政策分析ネットワーク。主な委員:文化庁文化審議会文化政策部会委員、東京都芸術文化評議会専門委員など。主な論文・著書:「美術館の評価」「美術館・博物館のアミューズメント化・総合施設化」(共著『変貌する美術館 現代美術館学II』, 昭和堂, 2001)、「シャーロック・ホームズから考える再創造」(田中辰雄・林紘一郎編著『著作権保護期間 延長は文化を振興するか?』, 頸草書房, 2008)、「地域経営としての文化政策」(中谷常二・渡辺広之編著『まちづくりの創造』, 晃洋書房, 2009)、「企業メセナ再考」(長崎大学経済学部・編著『企業メセナの理論と実践』, 水曜社, 2010)など。

インタビューを終えて

 日本における“国立デジタルアーカイブ・センター”の開設が目前に迫って来ているようだ。40年の歴史がありデジタルに早くから取り組んでいたフランスの放送番組アーカイブ施設、国立視聴覚研究所(INA)などを参考にぜひ実現してもらいたい。“デジタルアーカイブ”という日本独自の和製英語が誕生してからおよそ20年。デジタルアーカイブは、デジタル保存と活用の両立を目指し“アーカイブズ”の存在を浮かび上がらせながら、言葉を広く普及させ、定着してきた。その概念は多義化の様相を呈したが、記録や保存に積極的に先端技術を活用し、未来に継承する情報技術であることは共通の認識となってきた。
 2013年は、富士山が世界文化遺産や和食が無形文化遺産に登録され、訪日外国人旅行者数が初めて1,000万人を突破したなど、日本の文化面が世界で評価された年だったが、インターネットの世界では日本の「文化遺産オンライン」は米国の「Google」や欧州の「Europeana」には遠く及ばない。「デジタルアーカイブ振興法」と「国立デジタル文化情報保存センター」の刺激によって、日本のデジタルカルチャーは無限の可能性を獲得できる。日本のデジタルアーカイブにとって、2014年は変革の年になりそうだ。

2014年2月

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