デジタルアーカイブスタディ
慶應義塾大学 樫村雅章氏に聞く:『貴重書デジタルアーカイブの実践技法────HUMIプロジェクトの実例に学ぶ』出版について
影山幸一
2010年11月15日号
貴重書デジタルアーカイブの特徴──『グーテンベルク聖書』
まず、本のサブタイトルにあります「HUMIプロジェクト」とは何かを教えてください。
樫村──慶應義塾大学HUMIプロジェクトは、1996年にグーテンベルク聖書を収蔵するにあたって、貴重書をデジタル化するための方法の研究や、デジタル化によって得られる画像を利用した書物学分野における新しいかたちの研究を推進するために設立されたプロジェクトです。デジタルメディアを用いた人文科学情報のインタラクティブな活用といったことを意図して、Humanities Media Interface Projectと名づけられ、頭文字を取ってHUMIプロジェクトと呼ばれています。HUMIは「ふみ」と読みますが、「文」「史」「籍」「書」というような文字で表される人文科学の情報を思わせる工夫がなされています。文学部、理工学部、環境情報学部などからのメンバーが学部横断的に集結した、文理融合型の研究組織です。
著書は2010年4月の出版ですが、この時期になった理由は何でしょうか。
樫村──2008年度までは、海外図書館との貴重書デジタル化協同プロジェクトのために飛び回っていましたが、HUMIプロジェクトが2009年の春で一区切りしまして、それまでの活動を振り返る時間を取ることができるようになったためです。2006年4月からの1年間、(社)情報科学技術協会の会誌「情報の科学と技術」に連載していた原稿を、以前から何らかのかたちでまとめ直したいと考えておりましたので、それをもとに新しい情報を加えて書き上げました。
貴重書とはどのようなものを指すのでしょうか。
樫村──国立国会図書館の例はよく知られていますが、図書館では主に制作年代を基準とした分類規則を設けて、貴重書とそうでないものを分けています。私にとっての貴重書は、西洋の博物誌、中世写本、インキュナブラ
グーテンベルク聖書とは。
樫村──ドイツの中西部マインツで、15世紀半ばにヨハン・グーテンベルクが発明した、金属活字を用いる活版印刷術によってつくられた、初めての本格的な書物です。約1,300ページのラテン語聖書で、各ページが2段組み42行で印刷されているため、「42行聖書」とも呼ばれています。通常1部は、上下2巻のセットのことですが、上巻または下巻の1冊だけが残されている場合でも、1部と数える慣わしとなっています。また、グーテンベルク聖書は200部ほどが製作され、各ページが紙でつくられたものが約3/4、羊皮紙を用いたものが約1/4と考えられています。現存しているのは48部です。慶應義塾図書館所蔵のものは紙製で上巻の1冊のみですが、こげ茶色の革を用いた装丁や紙葉などの状態は良好です。10cm近い厚さで、1ページの大きさはA3判より一回り小さく、重さは7kg強あります(画像参照)。
貴重書のデジタル化の特徴とはどのようなものでしょうか。
樫村──書物のテクストとメディア、この両方をできるだけ忠実にデジタル画像化することが特徴です。一般の書物では中身のテクスト情報だけが重要視されますが、貴重書はこれに加え、容れ物であるメディアそのものの側にも高い学術的・文化財的価値を有するものととらえて情報取得します。そして取得した高精細なデジタル画像群から、その書物の代替品となる「デジタルファクシミリ」を制作します。貴重書をデジタル化するということは、高品質なデジタルファクシミリを作成することと言い換えることができます。
デジタルファクシミリとは何ですか。
樫村──複製本のことをファクシミリと呼びますが、デジタルファクシミリは、すべてのページからそれぞれ得られたデジタル画像群によって構成された、いわばデジタル画像版の複製本です。デジタル画像群が、物理的に存在するもとの書物の完全な代替とはなりえませんが、それを利用すると普通の照明下で扱いに苦労しながら実物を観察するよりも、楽に書物の詳細を知ることができます。
一般の書物のデジタル化と貴重書のデジタル化はどこが異なるのでしょうか。
樫村──例えば図書館が書物をデジタル化するというのは、本の中身にはコミットしないで、本の管理や収集といった方面のことに重きを置いていると思いますが、私は書誌学分野などの研究のために中身にもコミットして書物をデジタル化してきました。図書館が一般に対するサービスとして情報を収集、公開するのとは違うと思います。
貴重書デジタルアーカイブは、どのような研究に活用しているのですか。
樫村──HUMIプロジェクトでは慶應義塾図書館所蔵本とケンブリッジ大学所蔵本など、グーテンベルク聖書の同じページのデジタル画像を重ねたり比較して、それがどうつくられ、どのような役割を担ってきたかを印刷メディアとして研究してきました(画像参照)。デジタル画像の利用によって、短時間で正確に比較することができるようになりました。また今後はデジタル画像を使った研究というのは当たり前という時代が来るでしょうし、デジタルリソースをつくるときの特質を活かす研究のための研究が醸成されていくべきだと思っています。デジタルアーカイブというより、デジタルヒューマニティーズやヒューマニティーズコンピューティング寄りの文系の研究にデジタルリソースとコンピュータを使うという考え方です。
グーテンベルク聖書は、全部で何冊デジタル化したのですか。
樫村──9所蔵機関の11セット、合計すると19冊になります。それらすべてのデジタル化に関わってきましたが、14冊については全部のページの撮影に携わりました。