デジタルアーカイブスタディ

慶應義塾大学 樫村雅章氏に聞く:『貴重書デジタルアーカイブの実践技法────HUMIプロジェクトの実例に学ぶ』出版について

影山幸一

2010年11月15日号

貴重書デジタルアーカイブのこれから

貴重書デジタルアーカイブで伝えやすい情報と伝えにくい情報は何でしょうか。

樫村──肉眼では見えにくい細部の視覚情報は伝えやすいと思います。反対に伝えにくいのは、物がもつ質感や臭い、手触りなどの感覚的な情報です。

貴重書デジタルアーカイブは、どのように利用ができるのでしょうか。

樫村──まず、現物がなかなか見られない貴重書にとって、デジタル化された画像をいつでも見られる状況にアーカイブしたところが、利用の可能性を広げました。HUMIプロジェクトでは「デジタル書物学」と呼んで、書誌学などの人文科学系の研究に活用しています。デジタル画像の研究利用は「原資料の代替品としての利用」「パソコン上の汎用ツールの活用」「専用ツールの開発による処理」の3つのレベルでとらえることができます。さらにXML技術の実用化により、文字の形や色、レイアウトなどの、いわゆるパラテクスト情報を含んだ貴重書の文字情報化を可能としました。文字で表現されたデータでありながら、マイクロフィルム以上に多くの情報が保存され、また文字やパラテクスト情報による検索もできるのです。

海外での貴重書デジタルアーカイブの現場で注意されたことはどのような点でしたか。

樫村──貴重書を管理している図書館のキュレータや、保存修復を担当しているコンサベータとよく相談して信頼を得ながら、限られた時間のなかで書物の現状をできる限り保持するよう丁寧に扱い、作業に集中してデジタル化を行ないました。朝から夕方まで一日約200ページ、緊張した空間のなかでデジタル化作業を続けるため、ゆっくりと休める宿泊先の確保も重要なことだと実感しています。(画像参照)。


米国ピアポント・モーガン図書館所蔵グーテンベルク聖書のデジタル撮影風景

海外における貴重書のデジタル化の予算はどのくらいでしたか。

樫村──1回の海外遠征で500〜700万円、主に輸送費、渡航費と滞在費です。遠征には5〜8名のスタッフが参加し、600kgに及ぶ機材一式を輸送して、通常は3週間(15作業日)で行ってきました。

今まで最も美しかった印象の貴重書は何でしたか。

樫村──グーテンベルク聖書はどれもみな美しく、また、凄かったですね。ドンと置かれただけで緊張し、唸ってしまいました。何がそうさせるのかというと、本として文字が黒々として、挿絵が美しいというのもありますが、人類がつくったある種の記念碑の迫力なのではないかと思うのです。グーテンベルクをはじめ、この聖書の制作に携わった人々に対する畏敬の念を抱かずにはいられない感じです。

(画像提供:樫村雅章)
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対談を終えて

 樫村氏から十年を超すHUMIプロジェクトの実践技法を伺っていると、改めて技術の進展の速さを知ったが、“デジタルアーカイブの質”を問う時代に入ったと思う。本書の刊行によって、意志をもって残すためのアーカイブの枠組みや規則がますます重要と感じられてきた。“貴重書”と聞くとどこの施設に納まるのが適当なのかと迷うところだ。本とみれば図書館、歴史資料とみれば博物館、美術作品にも見えてくる。しかしインターネットで見られれば、それはいつでも・どこでも・誰でも見られるWeb資源のひとつとなる。実在のMLAを連携せずとも、ネット上でMLAを編集するのも一案だ。
 デジタルアーカイブの黎明期であった1997年では慶應義塾図書館所蔵のグーテンベルク聖書のデジタル画像は400万画素のデジタルカメラであったが、樫村氏が手掛けた2008年ピアポント・モーガン図書館所蔵のグーテンベルク聖書(旧約聖書本)では、3, 900万画素のデジタルカメラで撮影が行なわれた。10倍もの画像解像度である。デジタルアーカイブの名を付けるデジタル画像とは一体どのような水準にあればいいのだろうか。色情報はRGBでなくスペクトル計測の必要はないのか。形体測定は3次元デジタル計測も必要なのか。
 技術の進展が続いているなかでインタビューでは技術の点に絞って伺ったが、人類の知財を守り、継承するデジタルアーカイブのデジタル画像について議論する場や、画像を評価する“第三機関の設置”の重要性を語った樫村氏の意見には同感だ。今後ますますデジタル画像を扱う場面が増えていく社会で、次世代へ継承するデジタル画像とは何かを検討、評価し、区別できるデジタル画像の専門家や鑑定人を養成しなければいけないだろう。現在の価値観だけでデジタル画像を取捨選択してはならないが、未来人へのアーカイブとして現代を量的・質的に記録する観点から、持続的なアーカイブシステムに公的資金を投入し、公的に活用できるデジタル画像を整理、公開するシステム整備の機は熟してきたのではないだろうか。また組織としては真正性のデータである認証を与えるなど、一定の権利を実行できる情報センター的な組織が理想ではないかと思う。東京文化財研究所の「文化財情報ナビ」の更新頻度の高まりや、先頃設立された「デジタル文化財創出機構」の動向からも、その必要性を感じる。 デジタルアーカイブに関する実践者による「文化遺産の新たな継承法」をまとめた本格的なこの技術書は、世界をリードする日本のデジタルアーカイブ技術の開発推進力として、電子書籍元年にふさわしい未来に貢献する一冊である。

『貴重書デジタルアーカイブの実践技法──HUMIプロジェクトの実例に学ぶ』の目次

まえがき
第1章 HUMIプロジェクトについて
第2章 デジタル画像について
第3章 貴重書のデジタル画像とデジタルファクシミリ
第4章 デジタル画像の入力機器について
第5章 貴重書デジタル画像の入力方式
第6章 HUMIプロジェクトの貴重書撮影手法(1)
第7章 HUMIプロジェクトの貴重書撮影手法(2)
第8章 海外図書館との貴重書デジタル化協同プロジェクト
第9章 貴重書デジタル画像の制作手順
第10章 HUMIプロジェクトによるデジタル書物学
第11章 貴重書デジタルアーカイブと公開
第12章 これからを展望して
あとがき
図表一覧
索引

樫村雅章(かしむら・まさあき)

慶應義塾大学文学部講師(非常勤)、慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)。1965年神奈川県生まれ。1996年慶應義塾大学大学院理工学研究科博士課程単位取得退学。1997年慶應義塾大学HUMIプロジェクト研究員。その後、2000年慶應義塾大学附属研究所斯道文庫助手、2004年慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構助教授、2006年慶應義塾新教育組織創造支援室長付きの傍ら、HUMIプロジェクトのテクニカル・ディレクター兼マネージャー。グーテンベルク聖書をはじめとする世界的な貴重書のデジタル化に従事。専門領域:デジタル化の撮影手法の開発、デジタル画像の制作技術、貴重書研究。学会:電子情報通信学会、IEEE。受賞:第32回情報科学技術協会賞研究発表賞。

2010年11月

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