もしもし、キュレーター?
第1回 プロローグ:生きることは変わること。アメーバのような美術館の「揺らぎ」について──畑井恵(千葉市美術館)
畑井恵(千葉市美術館)/杉原環樹(ライター)
2021年04月15日号
対象美術館
「学芸員/キュレーター」と聞くと、あなたはどんな仕事を想像するでしょうか。まず思い浮かぶのは、展覧会の企画や解説をする姿かもしれません。実際はそれだけにとどまらず、学校などと連携して教育普及事業を行なったり、地域と美術館をつないだり、幅広い仕事を抱えています。従来の枠組みにとらわれず、ときに特異的な活動を展開する全国各地のキュレーターにスポットをあて、リレー対談の形式で話を聴いていく新連載「もしもし、キュレーター?」。第1回目はプロローグとして、千葉市美術館の畑井恵さんに、「つくりかけラボ」などを通して展開する「やわい」美術館観や、教育普及を担当することにおけるジレンマ、そしてその可能性についてお話を伺ってきました。(artscape編集部)
[取材・構成:杉原環樹/イラスト:三好愛]
※「もしもし、キュレーター?」のバックナンバーはこちら。
「目[mé]」展は、教育普及の極みだった
──全国の美術館にいる、従来の学芸員のイメージや枠組みを越境するような、地道な取り組みをしているキュレーターの話をリレー形式で聴いていこうという、この連載。企画の発端には、畑井さんが美術館で働きながら感じたある思いがあると聞きました。最初に、それをお聞きできますか?
畑井恵(以下、畑井)──私は普段、学校対応やワークショップなど、おもに「教育普及」あるいは「エデュケーション」と呼ばれる仕事を担当することが多いのですが、美術館の世界では、展覧会企画と教育普及とを分けて考えて、後者をどこかサブ的に捉える感覚があるように思うんです。これは、前職の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館のときから感じていたことで、もしかしたら全国的な傾向かもしれません。でも、私はそもそもこの二つを分けることを不思議に感じていて、ずっとモヤモヤしていたんですね。
──たしかに、美術館の花形と言えば展覧会企画というイメージはありますね。
畑井──もちろん、その主従関係は幾通りもあって、例えば研究志向の強い学芸員なら、展覧会を研究の次だと捉える人もいるかもしれません。やけど私は、それらは本来は一体のものやと思うんですよ。
そうしたなか、千葉市美術館に来て初めてのメイン企画展として、2019年に現代アートチーム目[mé]の個展を開催しました 。これは、館の拡張リニューアル工事期間に、展覧会会場となった二つのフロアをほぼ同じ光景にするなど実験的な展示で、幸いにも大きな反響がありましたが、その普通じゃなさに批判的なご意見もありました。なかには、「畑井さんは教育普及の人だから、本来の仕事をしてください」といったものも。ただ、「本来」とは何だろう、と。私にとって同展は、展覧会企画と教育普及事業が一体化したような試みでもあったんです 。
──「目[mé]」展は、額縁で飾られた「作品」を見るような展覧会ではなく、2フロアを行き来しながらその光景の差異を思わず探してしまうような内容でした。「非常にはっきりとわからない」というその展覧会タイトルの通り、そこには作品と非作品、作為と偶然の境界が徐々にわからなくなるような体験がありました。
畑井──私としては、「教育普及の極み」みたいな展示やったと思っています。嬉しかったのは、来場された方が自分から話し始めたこと。「誰かはわかって、自分はわからない」状態だと、人は声を出すのを躊躇うかもしれないけど、あの展示はもはや「誰もわからへん」状態。そこだとみんな恥ずかしがらず、「え、わかる?」と周りの人と話し始める。その状態は、すごく創造的やと思ったんです。後付けかもしれませんが、こういう状況を普段の活動でもつくりたいんやな、と心が動かされました。
私には、美術館には作品を所蔵し、研究し、守っていくうえで一種の権威性も必要やけど、それだけが突出していたら、美術館という場所自体が必要とされなくなっていくのではないか、という変な危機感があるんです。美術館をより生き長らえさせるためには、むしろ、ときにそこへ揺らぎを与えたり、弱い部分をさらけ出したりすることも大切なのではないかと。
──美術館を安定した場所ではなく、動きのある場所として捉えるということですか?
畑井──そうです。こうした美術館観には、大学時代の恩師から教わった「美術館はアメーバみたいなもの」という考え方が影響しています。近代以降の芸術家は、レディ・メイドやランド・アートを筆頭に、美術館やそこに付随する権威から逃れようとしてきましたよね。それに対して美術館は、アメーバのようにそれを何とか捕まえようと、ウニャウニャと形を変えてきた。そこには逆説的な、「アート」というものへの信頼が感じられます。その新しい「わからなさ」を鑑賞者と共有し、ともに考えることで新陳代謝する場所というのが、私の美術館観なんです。
完成よりも、揺らぎを
──動きのある場所としての美術館という視点は、拡張リニューアル後の千葉市美術館に新しく生まれ、畑井さんが担当されている「つくりかけラボ」というプログラムにも共通しています。
畑井──つくりかけラボは、「目[mé]」展と同じく美術館のリニューアル時に企画提案し、実現したものです。イメージとしては、アーティストの滞在制作とワークショップを組み合わせたプログラム。ひとりの作家に4階のアトリエを開放し、約3カ月の会期中にその場を訪れた人々との交流を通して徐々に空間が変わっていくというものです。使い方はアーティスト次第で、来場者が一緒にものをつくるときもあれば、言葉を交わすだけのときもありますが、重要なのは、作家と来場者が相互に影響を受け合う場所が、美術館に生まれることやと思っています。
こうしたつくり手と市民との交流は、芸術祭のような場所では以前から起こっていましたが、美術館ではなかなか起きづらいものやったと思うんです。また、ワークショップもほとんどの場合は一日で終わりですよね。それに対して、ある程度のスパンを持って、いろんな人がわちゃわちゃできる拠点がつくれたら面白いな、と。実際にやってみると、美術館のご近所に住んでいらっしゃるご家族が毎日のように来てくれたり、美術好きの中高生が足しげく通ってくれたりと、これまで見えにくかった来場者の存在が可視化できたということもありました。
──「つくりかけ」+「ラボ」だから、二重に「途上」であることを強調した名前ですね。
畑井──そうですね。以前、ある尊敬する元学芸員の方から、「目[mé]展は美術館に『時間』というものを入れたから、人によっては拒否反応を起こしたんだ」と言われて、なるほど、と思ったことがありました。完成されたものもいいと思うのですが、それが揺らぐ瞬間や動く瞬間に私は興味があるんやと思います。
──畑井さんは「つくりかけジャーナル」という広報物も担当されています。事前に読ませていただきましたが、この冊子も一冊で情報を網羅するというより、瓦版のように小分けにされた適正なサイズで、そのときどきに必要な情報を発信している。これも一種の「弱さ」の演出というか、受け手としてはつい読んでしまうコミュニケーションの仕方だなと感じました。
畑井──広報物をどうするかというときに、コロナ禍で予定が不明瞭なこともあるけれど、会期中に「あれもやりたい」と、内容を増やしていける枠組みにしたかったんです。完全な情報の詰まったものではなくて、もう少しやわい感じで、やりたくなったからやります、みたいな。それで小分けに出すかたちにしました。現在ラボにいらっしゃる志村信裕さん の場合は、いろんな人に会いに来てもらえるように志村さんの親しみやすいインタビューを載せ、一方、次回の武藤亜希⼦さん は、言葉ではなくて自分なりに折ったり描いたりして楽しめるチラシにするなど、作家ごとに形態から変えています。
──お話を聞いていると、畑井さんからはとても「パッケージ嫌い」という印象を受けます。
畑井──私、学芸員の前はパティシエをしていたんです。高校生のとき、どこか型にハマった進学校に馴染めずに2年くらい引きこもっていて、のちに中退しました。そこから一念発起して製菓の専門学校に行き、体力的な問題で辞めるまでパティシエとして働いていました。その後、また一念発起して大学で美術史を学ぶんですが、もともとハミ出し癖があったのかもしれませんね。
大学ではピート・モンドリアン研究をしていたんですけど、そこでも彼の活動をフォーマリスティックに捉えることにはあまり関心を持てませんでした。「この年から直線がこんなふうに増えて、以降は……」と論じるよりも、作品制作の背景にあった社会状況も含め、その時代に生きたモンドリアンに人として揺らぎがあるところを見出したかった。例えば、モンドリアンはアトリエの壁を自分で塗ったりと、空間を新造形主義的に組みかえるんですが、その設えがちょこちょこ変わるんですね
。私は、そこには友人とのお喋りのような彼の日常の経験が、少なからず影響していると思っていて。人って、他者と交流することで変わっていきますよね。もちろん、造形の発展をそれ自体で読み解くことにも愛着はあるのですが、そこで排除されてしまいがちな人間的な部分に、より関心があるんです。「わからなさ」と寄り添う方法
──教育普及活動を通して、畑井さんは来館者にどんな経験をしてほしいと考えていますか?
畑井──美術がわかりにくいものだとして、それをわかりやすくするとか、こういう情報があったらわかるよねという手つきで提示することは、なんかちょっとちゃうかな、と思います。他者の表現としての美術って、つきつめるとどうしてもわからないところに行き着く。でも、それをわかりたいと思う姿勢はすごく素敵やし、わからないことにいかに寄り添うかということを伝えたいんやろうなと、自分では思っています。
それこそ日々生きていくのだって、わからないことだらけで、コロナ禍においてもそうじゃないですか。私たちはそうしたなかで、つねにわからなさと一緒にいないといけない。そのとき、自分で考えて、これはなんとなくわかるとか、どうにもわからへんとか、その掴み取り方を伝えたいような気がします。「目[mé]」展は、ある意味で、それを体験するための場所やったとも思います。
──たしかにあの展示には、それこそ自分の「目」そのものが変わっていく感覚がありました。わからなさに耐える力は、最近、「ネガティブ・ケイパビリティ」
という言葉でもよく重要性が指摘されていますね。畑井──そうですね。アートはよくわからないものの代表だから、ともすれば社会には必要ないのではないかと言われてしまう。そこで大切なのは、それをわかりやすくするのでも、「アートは大事だから大事なんだ」と言うことでもなくて、「わからないけど、私はこういう体験をしたから大切だと思う」という、一人ひとりのなかの生々しい声を掬い上げていくことじゃないかなと。むしろそうした姿勢が、アートと人を近づける一番の近道ではないかと思います。
──不透明さのなかで生きるといえば、おっしゃったように、まさにコロナ禍の状況がそうです。この間、畑井さんが他館の企画ですごいと感じたものはありましたか?
畑井──世田谷美術館さんの「作品のない展示室」展は印象深かったです。作品展示が難しい状況を逆手に取って、むしろ美術館空間を見せようとする企画で、とてもカッコ良かった。茅ヶ崎市美術館さんの教育普及プログラム「ネットで楽しむ・つくる・アート体験」も、オンラインを舞台にした手の込んだ企画でした。
──コロナ禍の美術館では、従来はサブ的に捉えられていた教育普及の現場が元気だったんですか?
畑井──そうかもしれません。私が展覧会至上主義がどこか苦手なのは、美術館での展覧会って、もちろん一概には言えないけど、ある程度は決まったフォーマットが存在していて、それを内外から求められる状況があると思うんです。私はその縛りが苦手で、つねにそれを逃れたり、違う状況のなかでいま何が必要なのかと考えてしまうんですが、コロナ禍では、既存の仕組みに乗っている限りは、あれもできないこれもできないと、できることが目減りしてしまうんですよね。
一方で教育普及の現場というのは、同じワークショップを反復するようなものもあると思いますが、その都度ごとの社会との接点を考え、変わっていくことができる場だと思います。つながりを減らしていくのではなくて、「じゃあこうしよう」と、アメーバのように変わっていくことができる。その意味で、コロナ禍というのは、先ほど話していたような美術館内の主従関係が疑われる契機にもなりうる期間なのかもしれない、とは感じています。
生きることは、変わること
──リレー形式のこの連載を通して、そうした普段は見えづらい、さまざまな美術館のなかの活動が見えてくると面白いですね。
畑井──美術館や学芸員同士のつながりって、これまでは巡回展や所蔵作品の貸し借りによるものが大きかったと思うんです。でも、たとえば「目[mé]」展や「作品のない展示室」のような企画は、その場所でしかできないもので、そのままの巡回っていうのはなかなか難しいじゃないですか。今後は、なにかそうした個別的な事業に関する、これまでにない連携の仕方も可能になると、面白いんじゃないかなと思っていて。
あるいは巡回するにしても、存命のアーティストであれば、それぞれの場所でやりたいことやできることは変わってくる。だとすれば、それこそ「つくりかけラボ」のようなかたちで、館を越えてあるものごとが発展していく、変化していく。そういうアプローチも、もっと模索したいと思います。
──やっぱり、畑井さんにとって「つくりかけ」はキーワードなんですね。
畑井──ある種のやわさというか、遊びとか、変化とか。
──スタティックじゃない、時間を孕んだ場所としての、美術館の可能性。
畑井──そうですね。でも、私はいたずらに美術館を揺るがせたいわけではなくて、その揺らぎこそが、美術館が美術館として生きていくうえで重要だと考えているんです。この連載のタイトルを編集者さんと考えていたとき、キイロタマホコリカビという粘菌の話をしていたんですね。キイロタマホコリカビって面白い生活様式を持っていて、通常種よりも変異種の方が生き残るそうなんです。種のみんなが生き残るために、別行動をするやつがいるんですよ。いろんな美術館のなかにいる、そういう「はみ出しっ子」の存在がこの連載を通して見えたらいいな、と。
「目[mé]」展をやって、ちょっとびっくりしたのが、あの展示を教育普及の観点から語ってくれる方があまりいなかったことだったんです。もちろん「目[mé]」は今をときめく現代アーティストで、その個展を開催したことで注目いただいたことはありがたかったんですが、どうしても現代アートの枠組みで語られることが多くて、それだけじゃないんやけどなと、ちょっとムズムズしてました。
おそらく、そこには「教育普及」というものの捉え方もあるのだと思っていて。教育普及というのはもしかしたら、美術作品の理解といった、ある「正解」にたどり着くためのものというイメージがあるかもしれませんが、私はそのゴールに向かうプロセス自体に疑いがあるんです。これはつくりかけラボもそうで、そこでは完成に向かう様子を見せたいんじゃないんですよね。最終日が必ずしも完成形ではなくて、もしかしたらオープン5日目に何かが完成してから、それをだんだん壊していっているのかもしれない。あるいは作家が失敗したと感じている瞬間が、鑑賞者にとってはすごく面白い状況かもしれない。「ラボ」という枠組みを通して、そこに居合わせた人たちの視点が少し緩やかになることが重要だと思うんです。
──あるものを価値化したり、すでに価値化されたものを学ぶのではなく、その価値が揺らぐような瞬間にこそ、畑井さんの考える教育普及的な広がりがあるということですね。
畑井──すでに価値の定まったように見える作品でも、誰かに見られた瞬間、そこでは鑑賞者のなかの変化と同時に、作品自体の変化も起きていると考えています。人の細胞がつねに更新し続けているように、「変化」や「更新」は良い悪いではなくて、生き物として生きることとイコールなこと。だとすれば、美術館も更新の時間や経験が降り積もっていく場所であってほしい。それが、美術館が社会に意味あるものとして生きていく姿なんじゃないかと思います。