ミュージアムノート
無臭化するインテリアデザイン
光岡寿郎2008年11月15日号
前回までの連載では、ミュージアム建築について、商業主義、そして権威主義という二つの側面から考察を加えてみた。そこで今回は、日本では積極的に議論されることの少ないミュージアム内部のアーキテクチャ、つまりミュージアムのインテリアザインについて考えてみたい。
[非]-空間(non-space)としてのミュージアム
21世紀に入ると欧米のメディア研究者の注目を集めるようになった研究に、フランスの文化人類学者マルク・オジェ(Marc
Augé)の『Non-Places』★1がある。この論文は、コミュニケーション技術、及び交通手段の飛躍的な発達の過程に現われたポストモダン社会のなかで、ある固有の領域とそこに根を張る民族、そして彼ら独自の文化に基礎を置く近代的な「場所」概念がどれほどの有効性を持ちうるのかという、文化人類学内部での方法論的な懐疑を契機としたものだった。ここで、オジェは現代においては、「[非]-空間(non-space)」が増加していると指摘する。基本的にオジェの「[非]-空間」という用語は、文化人類学における近代的な「場所」の対概念として、いくつかの[非]-場所的な特性を引き受けていくのだが、その[非]-場所的な感覚は、私たちの生活空間における大小のスクリーンの偏在★2やその空間を繰り返し行き来する身体によって強められると述べている。このような[非]-場所性を具えた空間の具体例として、オジェの指摘した空港やショッピングモールなどに加え、シネマコンプレックスなどが挙げられるだろう。特に私自身がその[非]-場所性を感じるのは、シネマコンプレックスだ。ロンドンで初めてODEONのシネコンに足を踏み入れたときの、お台場のシネコンを想起させたあの不思議な感覚はいまも思い起こすことができる。つまり、シネマコンプレックスはシネマコンプレックスという空間として完結しており、そこが東京の一部だとかロンドンの一部だとかいうヴァナキュラーな特性は宙吊りにされるのである。
このような導入を置いたのは、ミュージアムもまた[非]-空間(non-space)の一形式ではないかと感じることが多いからである。私たちはよく、海外に出かけると観光スポットの第一としてミュージアムを思い浮かべる。ロンドンであれば大英博物館、パリであればルーブル美術館と。ただそれは、必ずしも純粋にミュージアムが観光地として魅力的であるからではないのではないのか? むしろ、あたかもアメリカ人が(日本人も)海外に滞在していても変わらずマクドナルドで昼食をとるように、ミュージアムという空間が私たちに提供する経験が、世界中どこでも一定の均質さを保っているという安心感が観光客を動員するのではないか。そして、それはミュージアムという空間内部のデザインに多くを負っているのである。