ミュージアムノート

無臭化するインテリアデザイン

光岡寿郎2008年11月15日号

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無臭化する展示デザイン

 ただし、両者が大きく異なるのは、そもそもマクドナルドのミッションは世界中で同じ味を提供することであるのに対して(無論地域ごとに多少メニューは変化するのだが)、ミュージアムのミッションは多くの場合、その土地固有の歴史や文化を伝えることにある点だ。にも関わらず、海外のナショナルミュージアムを訪れると感じるのは、その「場所」感のなさである。コンテクストの相違には充分な注意が必要だが、それでもミュージアム建築の外観に比して、ミュージアム内部の展示デザインは「文化的に無臭化」★3されている。
 この展示デザインの無臭化の要因は数多く挙げることができるし、その理由は各ミュージアム群によって異なる。例えば、美術館の場合には、それがMoMA で採用されたホワイトキューブスタイルが国際規格化したことにその多くを負っているという具合に。ただし、ここでは、レヴェルの異なる二つの要因を指摘しておきたい。ひとつは、結局のところ、ミュージアムは徹底的に近代の知の視覚化の装置であったという点だ。確かに、近代においてもミュージアムの展示デザインには、必ずしも読み書きができない「国民」に対して、創造された国民国家の文化的な優越性を視覚的に示すことが求められていた。しかし、もう一方でミュージアムの展示デザインに求められたものとは、ル・コルビュジエのムンダネウム構想や、ポール・オトレの国際十進分類法に投影されていたのと同様の、世界を普遍的な尺度のもとに分類するという近代的な知のあり方だったのである。つまり、「普遍的な基準による分類=その視覚的な反映たる展示デザインの形式の均質性」が一定程度担保されているからこそ、来館者はその展示の「内容」の独自性を理解することができたのである。個々の展示物との身体的な相互作用を含むこの均質な展示デザインに、観光客としての私たちは、ある種のマクドナルド的な安心を感じている。
 もうひとつ、異なる水準で指摘しておきたいのは、展示デザイナーに対する関心の高まりである。日本で東京国立博物館の木下史青などが注目を集めるが、建築の外観・構造を担当する建築家に加え、ミュージアムの展示室のリニューアルに関しては、そのスペシャリストたる展示デザイナー(もしくは展示デザイン事務所)に近年関心が集まっている。例えば、ロンドンのサイエンスミュージアムの「In Future」を手がけたカッソン・マン(Casson Mann)や、ワシントンD.C.のニュージアム(Newseum)の展示を設計したラルフ・アッペルバウム・アソシエイツ(Ralph Appelbaum Associates)などが代表的である。高い評価を得た彼らは、現在数多くの展示デザインのプロジェクトを抱え、結果として同じようなテイストの空間が、多くのミュージアム内に設置されるようになったというわけである。

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似通った展示物
左:自然史博物館(ロンドン)/右:国立台湾博物館 

★1──Marc Augé, Non-Places : Introduction to an Anthropology of Supermodernity, Verso, 1995.
★2──例えば、電車の車内広告に小さなスクリーンが使われるようになったり、スーパーや家電店のポップが電子スクリーン化されている。携帯電話にいたっ ては、私たちはスクリーンを持ち運んでいる。この意味で、映画館やテレビに関わらず「映像が表示される媒体」としてのスクリーンは日常の生活空間のなかに 浸透している。
★3──岩渕功一「文化的無臭性、それともアジアンモダニティーの芳香?」(『変容するアジアと日本』[世織書房、1998]、所収)

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光岡寿郎

1978年生。メディア研究、ミュージアム研究。早稲田大学演劇博物館GCOE研究助手。論文=「ミュージアム・スタディーズにおけるメディア論の可...

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