アートプロジェクト探訪

広島アートプロジェクト2009──アーティストが自らの場を拓く

白坂由里(美術ライター)2009年10月15日号

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 アートというきっかけがなければ、おそらく訪れることのない「普段着」の街を巡る。広島市現代美術館学芸員、角奈緒子氏のレポート(artscape 2009年9月15日号参照)にもあった広島アートプロジェクト2009「いざ、船内探険! 吉宝丸」展(2009年9月5日〜23日)を訪ねた。広島市立大学芸術学部で教鞭を執るアーティストの柳幸典がディレクターを務め、学生や卒業生を中心に運営する「広島アートプロジェクト」は、3年目を迎え、広島市の郊外、中区吉島(よしじま)地区に定着しつつある。2007年、産業遺構の遊休施設を再利用する「アートセンター構想」を掲げて始まったプロジェクト。アーティストが自らの発表の場を拓くアートプロジェクトについて考えたい。

地域散策型展覧会とアートセンター構想

 広島駅からバスで約25分。市街地から平和記念資料館を通り過ぎ、吉島に入ると、ところどころ閑散とした住宅街が続く。私は、残念ながら2007年、2008年のプロジェクトを見逃した。「戦後は新興住宅地だったんだけど、都市開発から取り残されて、いまは年寄りが多いんです」と、作品を説明する老人会の人々に教えてもらう。レンタサイクルで港方面へ向かうと、もとは中洲であった埋め立て地の地形が見えてくる。工場が建ち並ぶ島の突端には、第二次世界大戦中、陸軍飛行場があった。
 社会の諸問題を見据えながら、真の国際平和文化都市としての「広島」のありかたを、アートを通じて発信していこうと2007年にスタートした「広島アートプロジェクト」。20世紀の戦争問題を考える「広島平和記念公園」、21世紀の環境問題を考える「広島市環境局中工場」および隣接する産業遺構「旧中工場」をつなぐ都市軸を念頭に、広島市のデルタ地帯を形成する中区吉島地区を拠点としてきた。2007年4月の「旧中工場アートプロジェクト」と、2008年11月の「汽水域」で会場のひとつとなった、1936年築の被爆建造物「旧日本銀行広島支店」(中区袋町)は、今年は改装中のため使用できなかった。また、2007年にメイン会場となった「旧中工場」は、今回は使用申請を見送った。
 「広島アートプロジェクト」では、これら歴史的建造物のアートセンター化をめざしてきたが、実現の見通しは立っていない。旧中工場の取り壊しには莫大な費用がかかるが、とはいえアートセンターとしての再利用に、環境局の賛同はまだ得られていない。一方、当初は、ゴミ処理場のある地域として広く知られることをためらっていた一部の地域住民は、「ゴミを処理するだけの処分場が、アートによって新たに価値を生み出す処分場として世界にアピールできる」という柳の真意に耳を傾け、草の根的な協力の姿勢を見せるようになった。2008年にはベルリンとの交換展を開催し、広島と世界をつなぐ試みも行なってきた。今回は、地域住民からの主体的な盛り上がりを期して、地域の生活圏に的を絞った。アートセンターの設立には今後も時間をかけて取り組んでいく。


左:旧日本銀行広島支店、外観
右:2007年、旧中工場での展示
提供=広島アートプロジェクト

 企画リーダーを務めた岩崎貴宏や出品作家の平野薫は、広島市立大学芸術学部の1期生だ。2001年には、「Art Crossing Hiroshima project 2001 Spring」(紙屋町地下街シャレオ、旧日本銀行広島支店、広島市立大学、公共交通「アストラムライン」を会場に開催)で展示していた。このとき、発表する場所が少ない状況を聞いている。
 今回の「いざ、船内探険! 吉宝丸展」は、吉島地区を巨大な船に見立て、点在するお宝=アートを探すという地域散策型展覧会。経済的な価値基準だけでなく、ゴミと思われていたものから真の豊かさを生成しようとする当初からのテーマを、まちなかに広げた。岩崎自らも、中工場に、対岸の江波地区の造船場に乱立するクレーンを借景とし、木材を束ねたひものほつれからクレーンを成形した作品を設置した。江波の造船場は第二次世界大戦中に軍事産業の拠点とされ、多くの戦艦が造船されたという。旧中工場の代わりに、最新鋭の現・中工場(2004年竣工・谷口吉生設計)で初の展示が実現したのは大きな成果だった。


左:広島平和記念資料館や相生橋へとつながる都市軸となる、中工場から続く吉島通り
右:岩崎貴宏《アウト・オブ・ディスオーダー(三菱重工広島造船所江波工場)》 撮影=鹿田義彦

 岩崎は、学生を主体とする運営組織「CA+T」を牽引し、新しく場をつくるための交渉から自分たちの手で行なってきた。展示スペースのひとつ「キリン木材」は、その上層階も使用する予定だったが、空ビルのため消防法の規制をクリアできなかった。「キリン木材」は、今後の新たなアートセンター候補になるかもしれない。一方、中工場のゴミ焼却熱を銭湯に利用している「吉島老人いこいの家」や、創業約90年の酒屋スーパー「デイ・リンク」など、継続して展示している施設も多く、16カ所に、県内外の作家43組による約60点を展示。街の風景をピカソら巨匠アート作品に見立てたプロジェクト、王冠探し、スタンプラリー作品など、さらなる宝探しも仕掛けられていた。観光地ではない生活の場だからこそ、どこのまちにもある平穏な日常のなかの光と影を見る。


左:「キリン木材」での展示風景。中央は田中偉一郎《street destroyer in HIROSHIMA》
右:高速3号線工事現場仮囲いにて毎日行なわれた、林加奈子《STREET SKETCH》


左:水川千春の《琥珀》は、吉島稲生神社の被爆樹に。風呂の残り湯をゼラチンで固めた宝石のような作品
右:下着からほどいた糸でクモの巣を編んだ平野薫《無題-パンティ-》。吉島稲生神社(写真)、ゴミ焼却施設の建設と引き換えにできた児童公園など数カ所に展示 撮影=鹿田義彦

 岩崎は「前回のアンケートにあった、場所がわかりにくいけど楽しめたという希少な意見から、あえて見つかりにくさを選んだ」と言う。代わりに、佐野研二郎デザインの《CGB/地球ゴミ袋》を目印とした。探し回った挙げ句に新味のない作品だとつらくもあったが、水口鉄人や入江早耶ら光る地元作家もいた。吉田慎司の「箒職人」のつぶやきも印象に残る。

 本展の展覧会予算は、大学の自己資金と助成金を合わせた約800万円(カタログ編集費含む)。出品作家には、新作の場合は設営費として材料費(上限あり、輸送費含む)、交通費(1回分)を支給。旧作では輸送費(交通費)を支給する。ほとんど手弁当で、なおかつ単発の助成金が降りるのは会期後である。運営への継続的な支援や分割での助成も検討してほしいところだ。なお、文化庁からの助成採択が2年続いたため、来年は予算の減少が予測される。やはり広島市のサポートが必要だろう。


工場の波打つ壁一面を雪舟のような絵巻にした、水口鉄人《路上山水図》(部分)。汚れを綿棒で消すことで描く

 同時期に、広島市現代美術館では、やはりアートプロジェクトを複数手がけてきた小沢剛の個展が開かれていた。世界最小画廊《なすび画廊》や、フィールドワークから始め、遊びを装いながら歴史の光陰が潜む《広島・比治山七不思議》などを見ながら、貸し画廊制度に抗して、中村政人や村上隆はじめ、自らの発表場所を求めてアーティストが街に飛び出した90年代初頭を思い出した。

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白坂由里

『ぴあ』編集部を経て、アートライター。『美術手帖』『マリソル』『SPUR』などに執筆。共著に『別冊太陽 ディック・ブルーナ』(平凡社、201...

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