アートプロジェクト探訪

広島アートプロジェクト2009──アーティストが自らの場を拓く

白坂由里(美術ライター)2009年10月15日号

 twitterでつぶやく 

アートプロジェクトの先駆者、柳幸典

 「広島アートプロジェクト」で総合ディレクターを務める柳幸典は、80年代末のデビュー作から、自作を「プロジェクト」と名付けていたアーティストだ。1987年、栃木県立美術館の公募展で受賞した以外、当時の多くの美術館では若いアーティスト、ましてやインスタレーションを取り上げるところはなかった。貸し画廊では発表しないと決めていたため、大谷石地下採掘場跡(1986)など、自身で場所を見つけて発表するようになっていく。1990年に渡米し、2000年の「ホイットニー・ビエンナーレ 2000」に初の外国人作家として選ばれるまでになるが、いつのまにかホワイトキューブのシステムのなかにいることに気づき、2001年に帰国。9.11の直前にあたる。1992年、直島のベネッセハウスで個展を行なった際に瀬戸内海の美しさに感動し、ヨットで島巡りをはじめ、人からの紹介で犬島と出会う。そのとき閃いた、産業遺構である精錬所跡地を生かす作品の提案を、1996年から福武總一郎氏(株式会社ベネッセホールディングス取締役会長)に相談しながら進め、土地の取得に7年、建物の設計に3年をかけたのが「犬島アートプロジェクト『精錬所』」だ。
 突然現われたよそ者がアートを押し付けるのではなく、帰国後、まずは犬島で3年ほど暮らし、瀬戸内海の島々にある、都市の代償のような産業廃棄物場や化学工場などの存在、自然破壊など、島の歴史や問題をつかんでいく。途中、さまざまな障害がありながらも、粘り強く行動した。「自己資金ではないので、プランの修正もやむを得ないのですが、そのなかでも最良の選択をしようとしてきました」。
 建築家の三分一博志の設計により、自然エネルギーを活用し、電気をほとんど使わない施設を実現。柳は、犬島石や銅の精錬過程で出るスラグ、旧三島由紀夫邸(東京都渋谷区)の部材をインスタレーションし、日本が近代化の過程で置き去りにしてきたものを静かに省みるような「場所」をつくりあげた。
 柳は、ヨットで暮らし、海を移動しながら活動している。来年の瀬戸内国際芸術祭での犬島「家プロジェクト」に加え、広島の小島でもプロジェクトの準備を進めている。「あらかじめ用意されたらダメなんですよ。何も用意されていないところに行って、何かを見出す快感のようなものがあるんです。アーティストにもいろいろなタイプがありますが、僕は、庭をつくってまた次の土地へ移動していく夢窓疎石のような感じ。パトロンなどさまざまな人が手を組み、その先は地域の人が育てていってくれればうれしいと思います」。
 アーティストがつくるアートプロジェクトは、現実の規制にかかわらず、まずは大きな構想から出発する。先見性ゆえに交渉や資金集めなどに苦労もするが、既存の枠を超えているからこそ、社会にも本質的な変革をもたらす。新参者だからこそできることがあるのだ。
 「学生にも技術だけ教えて世の中に放り出すのではなく、生き方も教えないと。広島アートプロジェクトでは、ものづくりだけではなく、表現の場をつくり、運営していける人材を育てたいと思っているんです」。広島市立大学にはアートマネジメントを学べる学科がない。アートセンター創設をめざすとともに、人材の育成も急務である。実践的な場をつくるにあたり、長期的なヴィジョンも必要だ。
 「つくったものは持続していかなければならないけれど、この場で持続することだけをサステイナブルというのか、持続の概念から考える必要もあります。ここで育った人間が、またなにか風を起こしてくれればいいし、種を蒔いているようなものですね」。


9月19日、吉島公民館でシンポジウム[持続可能なアートを育てる]を開催。左から:加治屋健司(広島市立大学芸術学部准教授、広島アートプロジェクト実行委員会執行委員)、細淵太麻紀(BankART1929、PHスタジオ)、山出淳也(NPO法人BEPPU PROJECT代表理事、アーティスト)、木ノ下智恵子(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任講師)、野田恒雄(no.d+a[number of design and architecture]代表、TRAVELERS PROJECT主宰)、柳幸典


犬島アートプロジェクト「精錬所」
撮影:阿野太一

複数のチャンス、それぞれに固有な体験

 船のように通り過ぎていくアート。9月6日・13日・20日14:00から1時間に限定して行なわれた山城大督《吉島・ピアノ・レッスン・コンサート》はまさにそれだった。吉島地区の地図を頼りに、家々のレッスン中のピアノの音を聴いて回る同時多発自宅演奏コンサート。子どもから大人までの演奏者の姿は見えず、曲の終了時、鑑賞者は拍手を送る。私の場合、そつのないエレピアノの演奏が続き、想像とちょっと違うなと思っていた終了間近。たどたどしい、まさに「レッスン」というピアノの音にたどり着いた。演奏がなんとか終わり、拍手のなか「ありがとう、ございました!」という子どもの声が聴こえる。
 そこにあったものは、完成形ではなく、誰が見てくれるか見てくれないかもわからない状況で、手探りのままにつくられる、形になるまえのなにかだ。演奏者同士にも、同じ時間にゆるやかな連帯感を生んでいたことだろう。鑑賞者がどこを選び、切り結んでいくかで、結果はどうあれ、それぞれに異なる固有の体験を生む。それは日常とよく似た奇跡なのかもしれない。


山城大督《吉島・ピアノ・レッスン・コンサート》

 私は、一方で、ホワイトキューブの利点も考えていた。外部と関係ないとは言わないが、ホワイトキューブでは、いったん俎上に載せるために、アートプロジェクトよりも絞られた環境で作品を考えることができる。しかし社会には、さまざまな政治や経済的事情、利権などが渦巻いている。私はかつてひとつの建物について調べていて、これまで知らなかった歴史や思わぬ闇に突き当たったことがある。アートプロジェクトは、現実の社会を成立させている多層的で多様な文脈や深層と間接的にでもつながってしまう。私はこの連載を始めて、アートプロジェクトのアートがどこまでなにと関係し、関係ないものとして著述すべきなのか悩んでいる。あらゆるものと関係性を持ちながら、それらにとらわれずに自律するプロジェクトというものはあり得るのだろうか。あるのではないかと思うからこそ丁寧に検証したい。柳あるいは山城のプロジェクトは、ひとつのヒントになるのかもしれない。
 発表のチャンスがない者にとっての開拓。あるいは、美術の制度がかたまっていくなかで、あらかじめ用意された枠のなかで出品をこなしていくことに疑問を感じるアーティストも出てくるだろう。そうして場所からつくりあげるとき、そのプロセスで起きたことを開示しつつ、プロジェクトを検証する必要もあるのではないだろうか。現実のさなかで闘う者や、まったく別の場所をつくっていく者など、先陣を切った者の勇気をつなげる知恵も必要だ。

広島アートプロジェクト2009いざ、船内探険! 吉宝丸展

会場:広島市中区吉島地区各所
会期:2009年9月5日(土)〜23日(水)

▲ページの先頭へ

白坂由里

『ぴあ』編集部を経て、アートライター。『美術手帖』『マリソル』『SPUR』などに執筆。共著に『別冊太陽 ディック・ブルーナ』(平凡社、201...

2009年10月15日号の
アートプロジェクト探訪

  • 広島アートプロジェクト2009──アーティストが自らの場を拓く