アートプロジェクト探訪

東京文化発信プロジェクトの現場を探る──アーティストwahのプロジェクト現場にみる価値判断と意思決定について

久木元拓(首都大学東京システムデザイン学部准教授)2010年04月15日号

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アートプロジェクトはどう伝えられるか

 前回述べたように、アートプロジェクトの進行に必要なのは、主体的に目的性を持ってさまざまな種類の労働力を提供するボランティアの持続的な参画であり、それを可能にするシステムづくりである。
 もはや自明のことかもしれないが、この理想的なシステムをもっとも優れたかたちで所有していると言われるのが大学教育機関である。学生は自身の主体性が発揮される場所を意識的、無意識的に望んでおり、教育という名のもとに、経済的には無償の労働力が惜しみなく提供され、それぞれの充実感を対価として(場合によっては単位という対価も)得ていくなかでプロジェクトは進行していく。そこでは経済的価値交換を超えた文化的交換関係が曲がりなりにも成立していると言えよう。
 しかし、じつはこのシステムをより実践的、効果的に構築しているのがwahである。wahの方法論は、前述の川俣正の方法論をより端的にパッケージングしたものだと言えよう。例えばそれは、イニシアティブの“非在”から生じる自然発生的なイニシアティブの生成である。アーティストは最初の仕掛け人にすぎず、その後の経緯はすべてそこに居合わせた人々の意思が導いていく。極論を言えば、一度この方法論に身を置いた人々は、今度はwahとは関係なく自分たちでそれぞれに思いつきを実現させることへの抵抗がなくなり、wahと構築した方法論はひとつのアプリケーションとして機能していくこととなる。OS(Operating System)がそれぞれの場所に由来する地域環境そのものだとすれば、そのときどきの参加者のアイディアやその創意工夫というプラグインによってアプリケーションはカスタマイズされていくこととなる。今回もwahが埼玉県北本市で進行中のプロジェクトのメンバーが日野に訪れ作業を手伝っているが、こうしたプロセスを共有しあったメンバーが、楽しくスリリングな経験を胸に新たなプロジェクトを求めて自然発生的に集まる仕組みができはじめているのである。
 今回で42回目のプロジェクトを実現させたwahの近未来の目論みは、100回目の際に回顧展を開催することであるという。ただし、その搬出入や作品解説などは、各回で参加した人々たちと共に行ないたいと考えている。前述のシステムが十分に機能しているとすれば、おそらくは多くの参加者が喜んで参加する姿が想像できよう。
 そこであえて問うとすれば、wahのアーティストとしてオリジナリティ、気概はどこにあるのかということであるが、アウトプットの品質やクリエイティビティの独自性にこだわるよりも、これまで接点のなかったはずのさまざまな地域のさまざまな立場の人々といままでやったことないことをして楽しむことをつねに考え実践していくことそのものが、なによりも彼らがアーティスト足りつづける気概となると考える次第である。


左=しゃもじ型に突き出たレールの上を汽車が走る(表側)
右=楕円形に突き出たレールの上を汽車が走る(裏側)


右=汽車の先頭には無線カメラが仕込まれて、建物内の大画面でその様子を見ることができる

 また、これも自明のことかもしれないが、空家や廃墟などのデッドスペースがアートプロジェクトの舞台に選ばれるのは、そこに“もやもや”が潜んでいるからである。前回も述べたが、都市に問題はつきもので、つねに解決できない都市の日常に潜むなんらかの“もやもや”が都市を息づかせ、そこにアートを現出させるものである。都市の“もやもや”は、共有されてはじめて顕在化するが、その共有の方法には王道はなく、むしろさまざまな方法を試行錯誤のなかで構築していくしかないのだ。「ひののんフィクション」の場合、その“もやもや”とは、蚕糸試験場とその森の成り立ちに関わる違和感であったと言えよう。そしてそれを受けたwahのもやもやは、その違和感をしっかりと楽しみたいという真摯な意識であったととらえている。
 今回はじめてwahのプロジェクトのアウトプットに立ち会った(簡単に言うと作品を見た)アーティスト岡部昌生氏は、廃墟からちょっとだけ外に出たレールが、周囲の木々に少しだけ絡まる様を見て、wahのアプローチのやさしさを感じ取ったという。思うにそれは、前述の自然発生的なイニシアティブのなせる技であったと言えるのかもしれない。wahのプロジェクトへの真摯な態度は参加する人々の意識に包まれたかたちでアウトプットされるため、必然的にその土地に関わり愛する人の気持ちを代弁することになる。そしてそれが居合わせる人々に真摯なやさしさを感じさせてしまうのであろう。


左=建物近くの木の幹の周りを一周するレールはカーブを描くため線路幅の微調整が必要
右=廃墟に空いた穴を汽車が抜けていく

アートプロジェクトはどう関わりを広めていけるのか

 今回のプロジェクトを実施した自然体験広場のある敷地内には、日野市により「(仮称)市民の森ふれあいホール」の建設が紆余曲折を経て決定しており、数年後には自然体験広場は今回岡部昌生氏が展示を行なった建物(通称・桑ハウス)と周辺の樹木、広場のみが残され、敷地内の半分はホールを中心に並木道なども含めた公園として再整備される予定である。こうした状況のなかで「ひののんフィクション」がはたす政治的意味についても本来的には言及すべきであろうが、現状における影響力を推し量るべき材料は少ないものと考える次第である。
 ただし、「ひののんフィクション」のような地道なプロジェクトの重なりが人と人との文化価値交換の基盤を作り続け、そうした基盤が地域と周囲の文化的環境を醸成していくことを否定するものはいないであろう。
 つくられた作品を残したり、取り壊し予定の建物を保存維持すべきといった物理的な保存のみならず、関係する人々の意識や行動のなかに、新たな文化価値交換の基盤ができ、それが次なるプロジェクトを自然発生的に導いていくことこそが、本来的な意味での文化環境基盤の醸成であり、東京文化発信プロジェクトの目指すべき継続的展開であると言えよう。

 期間中は2日ともにあいにくの雨に降られ、かじかんだ手で微調整をくりかえした線路も撤去され、ようやく晴れた天気の下、冬には“森”から“雑木林”になってしまう自然体験広場の風景を改めて見晴らしつつ思うことは、アートプロジェクトという答えの出ない永遠の旅の話をし続けること自体の意味と無意味の狭間におかれた、筆者自身の不安定な立ち位置への憂慮であったことを付け加えておきたい。
 そしてもうひとつ、今回、実際にレールの設置に筆者自身も微力ながら加わらせていただいたが、我ながらの体力のなさに驚き、本当にスポーツジムに通うか、もっと積極的にボランティア活動をしようと考えた次第である。今日のアーティストは限りなくアートプロジェクトインストラクターとしての素養を備えていなければならないことを改めて痛感した時間でもあったことも蛇足ながら追記したところで、筆を置くこととする。


左=最終日、黄昏時に客車をひいて走る汽車をとらえる
右=冬枯れの木々の中の蚕糸試験場跡(中央奥は今回wahが使用した取り壊し予定の建物[通称/カッパハウス])
特記以外すべて筆者撮影

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久木元拓

都市文化政策、アートマネジメント研究者

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