アートプロジェクト探訪

東京文化発信プロジェクトの現場を探る──アーティストwahのプロジェクト現場にみる価値判断と意思決定について

久木元拓(首都大学東京システムデザイン学部准教授)2010年04月15日号

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  前回紹介した東京文化発信プロジェクトには、「学生とアーティストによるアート交流プログラム」という事業がある。これは、学生が地域や社会のなかでアーティストと交流・協働し、その活動の成果を社会に発表するもので、アートやアーティストの創造性が生かされる内容であれば、美術、演劇、音楽などの芸術文化にとどまらず、まちづくりや環境、福祉などさまざまな分野の活動も対象となるものである。これらの実践の場で、学生にアートを通じて多様な経験をする機会を提供することが目的とされている。今回はそのプログラムのひとつで、筆者の所属する首都大学東京が企画運営を行なった「ひののんフィクション」に焦点をあて、アートプロジェクトのコミュニケーションプロセスについて考えていきたい。

アートプロジェクトはどのように立ちあがってくるのか

 東京都日野市、日野駅から徒歩15分の場所にある自然体験広場は、かつては農林省蚕糸試験場附属日野桑園(1914[大正3]年〜1980[昭和55]年)があった場所である。しかし、1980年の閉鎖後は廃墟となり、いつしか木々が生い茂り、周囲とは異なる違和感を醸し出す空間となっていた。この場所は日野市が管理運営する仲田公園の敷地内にあるが、道路をはさんだ南側の「市民の森スポーツ公園」(39,261平米)とは対照的に、通常はフェンスに囲われて立ち入れない“囲われた自然”と言える特異な空間である。現在は自然体験広場という名称のとおり、日野市の許可を得て日野市内のさまざまな団体が積極的に利用することで新たな交流空間として機能している。この場所の特異性にひき寄せられて立ち上がったプロジェクトが、「ひののんフィクション」である。このプロジェクトのコンセプトづくりには筆者も参加したが、近代日本の歴史を積層する廃墟という“虚”と、自然と茂った木々という“実”、フィクションとノンフィクションの狭間にある違和感のなかに、東京の郊外生活のリアリティが潜んでいるのではないかという意識から立ちあげられている。
 参加アーティストは、岡部昌生、奥健祐+鈴木雄介、wahである。岡部昌生は紙と鉛筆で行なうフロッタージュという手法で都市のかたちや人々の営みの痕跡、歴史をなぞり、そこに刻まれた記憶を想起させていくアーティストである。今回は旧蚕糸試験場を日野市立仲田小学校4年生とともにワークショップを実施し、過去との対話から現在をつむいでいった。
 奥健祐+鈴木雄介は、取手アートプロジェクト2008の「井野団地足湯プロジェクト」で、冬場に使われない子ども用プールを人々が集う新たな場へと変換したが、今回はここで《糸の家》として、旧蚕糸試験場からインスパイアされた“糸”を想定した新素材ブレスエアー(東洋紡提供)を使用し、人々が集う現在の自然体験広場の機能を拡張させる新たな場の生成を試みている。
 そして、wahである。参加型表現活動集団として2002年に活動を始めた彼らの特徴は、動機や意図をあらかじめ設定せず、一般募集した参加者同士の会話や反応から生まれたアイディアを即興的に実行するプログラムを展開することである。アートプロジェクトの企画からアウトプットにいたるさまざまな価値生成と意思決定の多くを現場の人と人との関係性のなかから紡ぎだす彼らの方法論は、今日的アートプロジェクトをまさに体現するものであると筆者は考えている。
 本稿では特にwahのプロジェクト進行をその企画からその終了までの過程をたどることでアートプロジェクトにおける人と人との関係構築のプロセスについて改めて考えてみたい。


自然体験広場にある蚕糸試験場跡の建物(通称・桑ハウス)の外観(左=2009年7月、右=2010年2月)

アートプロジェクトはいかにして面白くなるのか

 wahのプロジェクトは、まずあらかじめ集められた人々、その場に居合わせた人々から思いつきのアイディアを抽出することから始まる。その仕組みはいたってシンプルで、A4サイズのアイディアシートが配られ、そこに絵でも文字でもなんでも“何か”を表現することから始まる。
 これは、「何か面白いことしたい」という半永久的な人間的欲求の赴くままに、アイディアが無限に沸いてくるような錯覚が起きる瞬間であり、同時にそんなに面白いことはすぐには浮かばないことを実感する瞬間でもある。ここでは、アーティストもアイディアを出す参加者の一人に過ぎない。
 面白いアイディアを思いつくことはもちろんだが、それよりもこの現場でもっとも重要なのは、出てきたアイディアをどこまで面白がれるかである。さまざまなアイディアが複層的に展開するなかで次第にみんながやりたいと思うアイディアが形成、醸成されていく。
 この過程を集団的知性(Collective Intelligence)という概念で説明してみたい。これは、多くの個人の協力と競争のなかから、その集団自体に知能、精神が存在するかのように見える知性を指す。なにがしかの由々しき問題があり、それを解決するための方策を考えるのに頭を突き合わせるのではなく、ましてや崇高な使命や目的を達成するために知恵を絞りあうわけでもない。ただ単純にみんなで面白いことを考えてみたいという一点で、企画の現場のベクトルは方向づけられていく。そして実現を前提とした最終的なアイディアの絞り込みについては、単純な多数決の手法はとらず、その場の参加者のテンションを重要視し、誰もが納得する面白みが共有されるまで続けられ、最適化されていく。こうした過程はまさしく集団的知性の現出であると言えよう。


左=並べられたアイディアシートを吟味しつつ、新たなアイディアを構築していく
右=面白いアイディアが、次第に絞り込まれていく。今回、最終的に絞り込まれたアイディアは3つ


右=最終的に選ばれた3つのアイディアについては、実現性を踏まえたリサーチを行なっていく
以上、撮影=佐瀬飛鳥

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久木元拓

都市文化政策、アートマネジメント研究者

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