〈歴史〉の未来
ここで重要なのは、これまでの創作活動や創造性(クリエイティビティ)が「オリジナリティ」を志向していた、つまり「一次作品」としてのポジションを占めることに意義が認められていたのに対し、ニコニコ動画において全面化した「N次創作」では、縦横無尽に繰り広げられる派生関係のマルチ・ネットワークにおける、「ハブ」としてのポジションに位置することが求められているということだ。「ハブ」というのはつまり、いかに多くのノードとアクセスしうるかどうか、そのネットワーク上の立ち位置にかかっている、ということである。
そこで「七色のニコニコ動画」である。さきほども触れたように、この作品はニコニコ動画上の歴代の人気作品を束ねたメドレーとして創作されている。つまり、あまたある歴代の人気作品とのワンホップの派生関係を有しており、まさに「ハブ」としての役割を果たしている。さらに興味深いことに、作者「しも」のメドレー創作手法は、初メドレー作品となった「組曲『ニコニコ動画』」から、直近で発表された「七色のニコニコ動画」へと至る過程で、過激なまでに元作品を圧縮化する方向へと向かっている。「七色のニコニコ動画」はいうなれば、極度に圧縮率の高い、作品それ自体がデータベースでありアーカイブであるかのようだ。
これは、ごく単純な論理的な要請である。なぜならニコニコ動画の歴史が積み重ねれば重なるほど、そこには「名作」と呼ばれるような作品が増えていき、よってメドレーに収録されるべき元作品は増大する一途を辿ることになる。そこで「しも」が選択したのは、メドレーの再生時間を長くすることではなく、元作品をより短く切り刻むという方向性だった。たとえば、「七色のニコニコ動画」のタイムラインにして09:40から10:25付近では、元作品の「イントロクイズ」的な断片だけが連綿と重ねられていく。あえてゲーム風に表現するならば、あたかもシューティングゲームにおける「弾幕」や格闘ゲームにおける「多段コンボ」のように、ニコニコ動画上での記憶が走馬灯的に喚起されていくことになる。プルーストではないが、記憶の唐突な喚起がもたらす脊髄反射的経験が極度に畳み掛けられることで、それは独特の愉悦感をもたらすのである。
そして「しも」のメドレー作品は、ただ過去の作品たちを纏め上げるだけではなく、次々と他のユーザーたちの手による、さらなる派生作品を喚起させる点に特徴がある。たとえば、「しも」が採用した元作品の楽曲や映像をかき集めて、ひとつの動画作品として編集する「元の曲/動画で再現してみた」というシリーズや、同曲に登場するキャラクターを曲の進行にあわせてリアルタイムに★3描いていく「七色のニコニコ動画絵描き歌」[図3]などがその典型である。
なかでも今回注目を集めたのは、「七色のニコニコ動画を初見で歌ってみるとこうなる」という作品であった。着目すべきは、その投稿された時間である。元作品の「七色のニコニコ動画」は、2009年6月3日午前7時5分にアップされた。これに対し本作品は、それからたった19分後の、7時24分にアップされている。元動画の再生時間は11分48秒であるから、この「初見で歌ってみた」の作者は、「しも」が「七色のニコニコ動画」を公開したほぼその直後に、リアルタイムでこの作品を聞きながら&録音しながら歌いあげ、歌い終わるとほぼ同時にアップロードしたことになる。当然、初見で歌っているので、この作者はほとんどまともに歌詞を歌い上げることはできておらず、作品の「質」という観点で見れば、これもまたけっして優れた作品ではない。むしろ人々がこの作品を評価しているのは、その創作の「結果」ではなく「過程(プロセス)」である。すなわち、投稿後わずか19分という創作プロセスのスピードと、それゆえの「まともに歌えていない」というリアルさが、「七色のニコニコ動画」が公開された当初の熱狂的記憶とシンクロするということなのである。
以上、「七色のニコニコ動画」の解説を終了する。改めてまとめるならば、それはニコニコ動画上のさまざまな作品を「ネットワーク」のようにハブとして繋ぎ、それらを極度なまでに圧縮した「データベース」と化すことで、かつての人気作品に対する追憶的な「コミュニケーション」を喚起する場としての役割も果たしている。そこまではよいとして、問題はこの作品の分析が、いかにして「〈歴史〉の未来」という本稿のテーマと関連するかにある(規定の字数を早くも大幅に超えてしまった。申し訳ないが、この続きは次回に)。